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第一話 技術屋と護衛(四)

 誰もいない部屋の中央には、大きな長細い机が入口と垂直の位置で二つ並べられていた。どちらも物が大量に乗っている。四人で共同使用している部屋のため、それぞれの荷物が床や机にと所狭しに置かれていた。

 セシリールは足下に気を付けながら、机の一角にある何も置かれていない場所に歩み寄った。途中で壁に沿って並べられている棚から粉が入った小瓶を取る。鉄くずが主な成分の粉であり、くすんだ色をしていた。軽く振って固着していないかを確認してから、机の前に立った。

 まず小瓶の中身を紙の上に広げる。さらさらとした粉を半分出したところで、小瓶を机の上に置いた。出てきた粉を指先で触る。強く押して指先を自分の方に向けると、黒い粒が指の上にのっているのが見えた。材質に問題はないようだ。

「それにマナを込めるのか。何色にするつもりだ?」

「黄色と橙色を含んだ色にします。焚火よりも明るい色のものを、と要求されたのでそのような色にするつもりです」

 セシリールは引き出しからマッチを取り、それを擦って火をつけた。その火で机の上にある燭台に炎を灯す。そして両手を粉にかざし、炎を見ながら色を脳内で想像した。

 明るく元気になる色、見ていて暖かな気持ちになる色、そしてランタンの炎をさらに明るくしたような、力強い色を考えた。

 すると紙の上にまいた粉が外側から中心に向かって小刻みに震えだす。それがしばらく続くと、やがて粉は外から橙の色に変化し出した。震えと同様に内側に向かって色が変わっていく。そして真ん中まで到達すると震えは収まり、すべての粉が黒色から橙に近い色に変化しきった。

 セシリールは息を吐き出し、手で額の汗を拭う。あまり時間は要していないが並々ならぬ集中力を使うため、すぐに疲れてしまった。休憩時間をとったとしても、総合的な体力や精神力が影響してくるので、結果として一日にできる量は限られていた。

 水差しからコップに水を入れて、それを半分程一気に飲み干す。

「早いな……」

 腕を組んで見ていたフィックが言葉をこぼしている。セシリールは粉を摘んで蝋燭の炎にかけた。炎の色よりも濃い橙色に変わる。

「小瓶くらいの量なら慣れた人であればこれくらいの速さだと思います。今回は色の見本が目の前にある状態です。これを見ながらであれば、マナもかき集めやすいものですよ」

「たしかに想像できるものが視界にあると、やりやすいらしいな。……それを踏まえたとしても、お前みたいな若い人間がこの速さでやりきったのは初めて見た。俺が知っている人間は誰もが長年職人として生きている人たちだった」

「そうでしょうね。マナを集めるのは、何よりも経験が必要だと言いますから……」

 マナを集めるには、まずマナを感じるところから始まる。これは日々意識して訓練しなければできないことだった。訓練の仕方は師匠によってまちまちだが、共通して言えるのは根気よく感じろという精神論だった。何気なく始めた人の大部分が、ここで振り落とされる。

 マナを感じられたら、次にかき集める作業に移る。しかしこれも難題で、世の中は同じ系統のマナだけでまとまっているわけではないので、それを取捨選択しながら行う必要があった。

 雰囲気によって分けていくのだが、その感じ方を習得するためにはとにかく経験が必須条件だった。才能で補える人もいるがそれはほんの一握り。相手は自然界、努力もなしに集められると思うなと言わんばかりに風当たりは強かった。

 セシリールも最初は不意な拍子でマナを集められた。だがそれ以後は何となくという感覚だけではできなくなった。

 毎日毎日、同じことを繰り返す。マナを感じる努力をし、手繰り寄せる想像力を働かす。反応がなくても繰り返し、色がいびつに混ざってもめげずに続けた。そしてようやく二回目が成功したのだ。

 その後も邁進せず、習慣化して体に染みつけるまで到達した結果、今ではそれなりの速さで七割程度成功するようになった。だがそれは決して職人としては誉められる数字ではない。十割に限りなく近くなければ一人前とは言えなかった。

 セシリールは紙にまいた粉を当初入っていた瓶よりも、さらに小さいものに流し込んでいった。小分けにして欲しいと連絡があったためだ。小瓶丸々二本分入り、まだ少し残っている。残りを別の瓶に移すために紙ごと持ち上げて歩き出す。だが床の板の間に足を引っかけてしまい、そこに乗っていた粉を机の上にばらまいてしまった。水が入ったコップの中にも粉の一部が入ってしまう。

「せっかくの粉が……!」

 もう売り物にはならないが、もったいないと思い、手でかき集めだす。ふとコップの水が濃い橙色に変化しているのに気づいた。水の中に入った量は決して多くない。理論的に考えれば、あの量だけでこの濃さに変化させることはできないはずだ。

「もしかしてマナが含まれているから?」

 今までマナを含んだ粉を火に振りかけたことはあるが、水の中に入れたことはない。

 コップを手に取り、目線の高さに持ち上げる。

「濃く見えるけど、ただの色水よね……?」

「色の濃さに関しては紙に付けてみれば、わかるんじゃないか?」

 フィックの意見を聞き、「あ」と声を出した。紙にはっきりとした跡が残れば、見た目以上の濃さということになる。

 セシリールは近くにあった針を手に取り、先端を水の中に入れた。そこに水がくっつく。針を水から離し、白い紙に軽く突いてから横に引いた。橙色の線がくっきり紙に残る。思わず感嘆の声を漏らした。何度か同じことをすると、どれも似たような状態になった。

 マナが込められた粉をわざわざ水に溶かす人はいない。これを上手く利用できれば新しい顔料などの成分として利用できるかもしれなかった。

 新たな発見を垣間見て口元を緩ましていると、視線が橙色の線で止まった。線がうねうねと動いているように見える。

 いや、よく見れば――、線が紙から離れ、浮き上がっていたのだ。

「え?」

 目を大きく見開く。フィックも同様に驚いた顔をしていた。

「おい、お前、この事象は初めて起こしたのか?」

 目を線に向けたまま、こくこくと頷く。線はその場で漂っていた。好奇心に負けて、おそるおそる手を伸ばす。浮き上がった線に軽く触れると、あっさり二つに分かれた。しかし線は消えることなく、分れた状態で浮かび続けている。

 セシリールはぽつりと呟いた。

「まるで線に命が吹き込まれたみたい……」

「マナは物に宿ると不思議な現象を起こすと言う。だからこういう現象が起きても不思議ではない」

 やがて線はマナの力を失ったのか、紙の上にぽとりと落ちる。線は二つに分かれた状態で紙に描かれていた。

 僅かな時間とはいえ今まで見たことがない現象を目の当たりにして、鼓動が激しく打っていた。もう一度見たいという想いに駆られる。再び針を手に取り、橙色の水に先端を向けると、横から慌てたように声をかけられた。

「羽根ペンは持っていないのか?」

「持っていますけど、居室に置いてあります」

 マナを粉に込めるだけの単純作業だったため、メモ書きする必要もないと思い、羽根ペンまで持ってこなかったのだ。するとフィックは白いふさふさした羽根がついたペンをセシリールの前に出してきた。

「試しにこれを使ってみろ。この水をインクと見立てて、ペンで何かを描いてみるんだ」

「え、いいんですか?」

「いいからやってみろ」

「わかりました。お借りします」

 両手で受け取り、持ち手の部分に右手を添える。軽く触れた羽根はとても柔らかかった。フィックに言われた通り、普段使っているペンと同じように先端を橙色の水につける。ペン先が色を含んだところで、紙の上に円を描いた。

 書いた直後は何も変わらなかった。紙に円が書かれているだけだ。だが少ししてむくむくと円が浮かび上がってくる。固唾を飲んで見守っていると、円のすべてが紙から離れた。そしてそれは見る見るうちに上昇し、二人の視線よりも高い位置まできた。

「同じ液体を使っているのに、こんなにも動きが違う!?」

 さっきと違うものと言えば、手元にある羽根ペンだ。かなり質のいい羽根を使っているのは、見た目からして明らかである。

 羽根ペンを手にしたまま、セシリールは腕を組んでいるフィックを見上げた。

「フィックさん、この羽根ペンはどこで購入されたのですか? 高かったのでは?」

 思ったことを口にすると、彼はペンとセシリールを交互に見て、最終的には視線を逸らされた。

 何か気に障ることでも質問してしまったのか――? 途端に気まずくなる。頭を下げながら、羽根ペンをフィックに差し出した。

「えっとごめんなさい……」

「……なぜ謝る」

 フィックは大げさに溜息を吐いた。セシリールの手から羽根ペンが取り上げられる。

「気分を害されたのかなと思いまして……」

「勝手にそう思い込むな。……その羽根ペンは俺が作った」

「……へ?」

 間の抜けた声を出して顔を上げる。フィックは羽根ペンを指で軽く撫でていた。

 羽根の肌触りはよく、持ち手もしっくりとくるペン。熟練した職人が作ったと思っていたセシリールには、すぐに彼の言葉が理解できなかった。

(フィックさんって何者? 護衛の仕事だけをしている人じゃないの!?)

 羽根ペン作りは、物によってはペン先を削る作業から、それに羽根を馴染ませる作業まであるため、決して片手間でできるものではない。

 青年の印象がどんどんわからなくなってくる。セシリールは脇に垂れ下がっている髪を耳にかけた。

「フィックさんは護衛の仕事以外に何かやられているんですか?」

「それを知ってどうする」

「えっと、いや、その……」

 言葉がしどろもどろになってしまう。聞きたいという好奇心と、聞いてはいけないという理性が反発しあっていた。

 セシリールの頭の中で双方の意見が対立しあっている間に、宙に浮かんでいた橙色の円が降りてきた。それがそのまま紙につき、紙の上に円が描かれる。さっきよりもしっかりインクがついた円が残った。

「いいものを見させてもらった。さすが工房長に目を付けられただけのある技術力だな。俺はさっきの部屋に戻る。――いいか、外に出るときは必ず声をかけるように。我が身が恋しいなら、最低限それは守れ」

「わかりました」

 フィックはポケットから細長い深緑色の筒を取り出し、その中に羽根ペンをそっといれる。そして背を向けると、作業部屋からさっさと出て行ってしまった。

 セシリールは近くにあった椅子に座り込み、橙色の水に視線を向けた。机の上にある針を手に取り、針先に色のついた水をつけて、紙に線を書いた。針を離した瞬間、僅かに浮かび上がるが、すぐに紙の上に戻ってしまった。

「あれだけ上昇したのは、もしかして羽根ペンのおかげ?」

 ただの羽根ペンではないと、触れた瞬間実感した。おぼろげながら羽根からはマナの気配がしたのだ。

 仮にマナを込めたペンなら、作り主はマナを込められるほどの技術力を持っていることになる。

「もしかしてフィックさんも技術者?」

 そうであるならばセシリールが行っている作業に興味があるのは納得できる。

 だが彼は技術者とは名乗らなかった。むしろ羽根ペンを自作したのをあまり話したくないようだった。

 ぼんやりと彼が出て行ったドアを眺める。彼の過去は知らない。想像だけならいくらでもできる。しかし現実はただ一つだ。

 いくら考えても答えには辿り着かないと思い、セシリールは腰を上げて片付け始めた。


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