第四話 空に鮮やかな華を(三)
壇上へ近づくと、披露会の熱気が肌で感じ取れた。フェルドル工房の彼の披露が素晴らしかったのか、ざわめきが収まらない。少し遅れてフィックがついてくる。
今回、壇上にあがる上で、セシリールの中ではいくつか目標があった。その一つが彼をいかに動かさないで、一人で事を遂行できるかだった。主犯格の思惑が読み切れないため何が起きるかわからないが、できる限りのことは自力でしたい。
壇上の傍に来ると、司会者が舞台の前に立つ。ざわめきが一瞬で静まりかえった。
「それではお待たせしました。本日最後の技術披露となります。サンドリア工房の若手代表――セシリール・アスタさんです!」
拍手が一斉に鳴り響く。セシリールは振動によって声が拡張されるマナを含んだ棒を受け取り、階段を上りきった。
ランタンで照らしている中央まで背筋を伸ばして歩き、長机の前で止まる。そこには予め工房の先輩たちに置いてもらった、中身が入った小瓶や大瓶が並べられていた。中央には紙が何枚か置かれている。
瓶の数と色を確認し、紙の傍にドゥルンガの羽根ペンを置いた。そして陶器の入れ物の蓋を開け、中で焚いていたお香を外に流れさせた。その香りをかいでから正面に向いた。
大勢の観客の目がセシリールに向けられている。一面見渡す限り、人。緊張で喉がからからになる。唾を飲み込んで少しでも潤いを与えた。太陽は沈みかけており、周囲は暗くなり始めている。
布でまかれている拡声棒の先端を口に近づけた。
「皆さん、こんにちは。サンドリア工房のセシリール・アスタと申します」
自分自身を落ち着かせるように、ゆっくり名乗り出た。大丈夫、声はでている。不思議と声を出すことで、心が静まっていった。思考を回しながら言葉を発していく。
「今回披露しますのは、皆さんが時折遭遇するマナ生物を浄化するものです」
後ろに軽く視線を向けると、背後にあった三枚の布がはぎ取られた。観客が息を呑む音が聞こえる。暗がりの中で赤い瞳を持つ、犬、兎、そして鳥のマナ生物が檻の中で佇んでいた。その上にも光が当てられる。生物たちは耳をたてたり、視線を上に向けた。兎と鳥はおとなしいが、犬だけが唸っているように見えた。
視線を前に向けて、一歩前に出る。
「マナ生物は皆さん知っていますように、自然界に溢れるマナを強く影響を受けてしまったために、通常よりも著しく成長してしまった生物のことを指しています。基本的に外見は大差ありませんが、一つだけ違うと言われているのが、瞳が赤いということです。つまりこの壇上にいる生物は、すべてマナ生物となっています。さあ、これを浄化――」
「危ない!」
観客席にいる誰かが叫んだ。それに反応したセシリールは小瓶をとって後ろに振り返る。檻から抜け出した犬のマナ生物が、まさに飛びつこうとする瞬間だった。
会場から悲鳴があがる。壇上の脇にいたフィックが眉間にしわを寄せて、足を一歩前に出していた。
それらを見つつ、セシリールはマナ生物に背を向けずに小瓶に入っていた粉を振りかけた。深い青色の粉がかかる。それを顔に受けたマナ生物はその場で固まった。動かなくなったそれに近づき、そっと頭に触れる。
「正しき姿に戻れ――」
するとマナ生物の全身が青みがかった後に、瞳の色が赤から黒に戻っていった。固まっていた犬の尻尾がふりふりと動き出す。
表情を緩まして、セシリールは頭を撫でた。
「あとで餌をあげるから、少し大人しくしていてね」
犬を檻の中に戻して、再び舞台の中央に立った。聴衆たちの多くが驚いた顔をしている。左手で棒を握り直して、右腕を大きく広げた。
「今のが一般的な浄化方法です。特殊なマナを含んだ粉を振りかけ、それと反応させるために声をかける。狩りをされている方もよくする行為でしょう。ただしこれにはいくつか欠点があります」
指を一本立てて前に出す。
「その一つは対象が粉を振りかけた生物だけということ。もし大量のマナ生物と遭遇してしまった場合、皆様はどうしますか? おそらく逃げることを第一に動くでしょう。しかしこれを使えば複数を相手にできます」
青緑色の液体が入った瓶を開け、羽根ペンの先端に液体をつける。そしてそっと紙に触れた。インクがじんわりと紙の上に広がっていく。
再び誰かが悲鳴をあげる声が耳に入ってきた。横目で左右を確認する。赤い瞳であり、白目の部分が血走っている狼型のマナ生物が二匹、舞台下の左右からセシリールに向かって迫ってきた。
素早く紙に円をいくつか描き、さらに円の周囲を取り囲むようにして点を描く。描きあがると、中心部を羽根ペンで軽く叩いた。
インクで描かれた絵は紙から離れ、宙に浮かび上がる。聴衆はマナ生物が気になりつつも、浮かび上がった絵に目を向けていた。
ドゥルンガの羽根を軽く上に動かすと、さらに絵は高さを増して浮かび上がった。そして小さな音を立てて、小さな円は順番に弾き飛んだ。
インクの端々から色が飛び散り、それがマナ生物の視界へ入っていく。まさに壇上にあがろうとしていたマナ生物は動きを止めた。目の血走りが収まっていく。
「さあ二匹とも自分の本来の姿に戻りなさい」
羽根ペンを左右に振ると、マナ生物はその場で一瞬がくっと崩れ落ちた。だがすぐに起き上がり、尻尾を振って舌を出しながら、セシリールのことを見てきた。その二匹に向かって静かに微笑む。
「会場から出て行ってね」
そう言うと狼たちは回れ右をして、会場から軽やかに去っていった。
セシリールは羽根ペンを右手で、拡声棒を左手に持って全体に訴えた。
「今のは普段粉として使っているものを液体に混ぜ、それを紙に描いたものを利用しました。マナを含んだ液体は意志を持っており、それに思いを込めれば絵を自由に動かすことができます。それが宙に浮かんだものたちの姿です。浄化の意図が含まれているものを見せつけることで、マナ生物を元の姿に戻すことに成功しました」
観客たちから感心した声が漏れる。セシリールは口元が緩みそうになったが、それを我慢した。
羽根ペンで次々と紙に簡単な華の絵を描いていった。多色のインクを使い色とりどりの絵を描いていく。描き終わると軽く紙を叩いていき、絵を浮き上がらせた。
観客の視線がそこに集中していく。仄暗い時間帯になってきたため、よりはっきりとした色が人々の目には映っていた。
地面と平行して浮かんだ華たちは、ある程度の位置で垂直に立っていく。観客やセシリールが視線を下げることなく、華の絵を正面から見ることができた。それは中心から弾けたように消えていく。斜め右後ろにいた兎の瞳が赤から黒へと変化していった。
セシリールはそれらの光景を見守り、すべて消えたところで拡声棒を口に近づけた。
「――マナを含んだ鮮やかな色を目にすることで、マナ生物たちは本来の自分を取り戻します。それだけでなく、この光景を見ることで、私たち人間たちは心が揺さぶられることと思います。温かみのある色合いは心を穏やかにし、冷たい色は心を静かにさせることでしょう」
視線を中央にある大きな通路の奥に向ける。二つの赤い何かが真っ直ぐ近づいているのに気づいた。首から下がっているペンダントが熱を帯びる。魔除けのようなものともいっていたペンダントが警告を発していた。
あれはおそらくマナ生物ではなく――魔物だ。
幸いにも魔物の意識はセシリールがいる壇上のみに向けられている。観客には目も向けずに淡々と歩いていた。マナ生物をおびき寄せるために使用していたお香は、魔物にも有効のようだ。
壇上脇でフィックが顔色を変えて、魔物を見る。そして口をパクパクしながら主張してきた。彼に軽く視線を向けつつも、すぐに前を向いた。魔物は着実に近づいている。
観客の視線が魔物に向かれ出したのを見て、セシリールは紙に大きな華を描いて、浮かび上がらせた。ひときわ大きな音をたてて華は開いて消えていく。
ここからが正念場だ。拡声棒を握りしめて、さらに声を張り上げる。
「さて、皆さんの中にご存じの方はいらっしゃいますか? ある地域では魂を炎に下ろす儀式があることを」
一息ついて見渡すと、何人かが隣の人と話をしたり、頷いていた。
「それは降臨祭と呼ばれる儀式のことで、ランタンに灯った炎にマナを含ませた粉を振りかけて、魂をそこに降ろすものです。マナには生きしものの特徴や想いが詰め込まれているとも言われています。さらにその地域の人々は、死してなお残るものだと思っているのです」
セシリールはランタンに火を灯し、そこにマナが含まれた粉をかける。橙色の炎は一瞬にして黄緑色に変わった。
魔物が目をこらさなくても見える位置まで近づいてくる。
「――誰かがが亡くなったとき、大切な人を失った悲しみ、親しかった人を亡くした喪失感、助けきれなかったときの歯がゆさなど、人は失ったときに切実に感じ、もしかしたら自分の不甲斐なさに絶望し、己を責めるかもしれません」
自分の体を省みず、ただ誰かを護るためだけに動く人間。半ば自棄になっていたのは、彼が妹の異変に気付けず、助けられなかったという思いが根本にある気がした。
壇上の脇にいる青年にも届くよう、真摯に言葉を続けた。
「ですが今を生きる人たちが前を向いて進むには、その出来事を受け入れ、自分の心の中に落としこまなければなりません。死者はもう戻りません。それのきっかけ作りのために、降臨祭では死者の魂を降ろし、それを見ながら生きている自分も見つめ直すのです」
動きを止めた魔物。通路脇にいた人々はセシリールの演説に耳を傾けつつ、赤い瞳の生物にも意識を向けていた。
「だから降臨祭は別名、鎮魂祭とも言われています。魂を鎮まらせることもできるマナは、自我を失ってしまった生物にも効果はあります。だからこの場に現れるマナ生物は、このマナが込められた粉を見ることで、どれも自我を取り戻していくのです」
止まっていた魔物は勢いよく駆けだした。赤い瞳はセシリールのみを見据えている。
しかしそれとは別にフィックがいる方面から、立っている観客を襲おうとしている魔物が二匹現れた。あれにはお香が効いていないのか、セシリールには見向きもしていなかった。
内心舌打ちをしつつ、セシリールは紙に次々と華を描いていった。描いた華はその場で紙から離れて、小さな音を立てて消えていく。魔物らの走る速度は遅くなるよりも、むしろ加速していた。
魔物を見た観客席側から悲鳴が上がる。セシリールは大瓶にドゥルンガの羽根の部分をつっこみ、インクをべったりつけた。そして空中に大きく華を描く。それはその場で漂っていたが、羽根を振ると上空に飛んでいった。夜空を背景にして、大きな華が開く。背後にいた鳥のマナ生物の瞳は、赤から本来の色へ戻っていた。
羽根を使い、大胆に華を描いていく作業を複数回行う。だが魔物の瞳の色は変わらなかった。セシリールの頬に一筋の汗が伝っていく。手が震えそうになるのを抑えて、止めることなく華を描き、その場で打ち上げていった。それでもなお変化はない。
先に人間たちを襲おうとしたのは、フィックの方にいる魔物だった。立っている親子に目が向けられている。危ないと声を出す直前、フィックが剣を抜き、素早く切り裂いて、流れるように戦闘不能にさせていった。しばらく思うように動けない身だと言っていたのが、嘘のような動きだった。
鮮やかな所業に一瞬目を奪われる。彼のきりっとした目を向けられて、セシリールは我に戻って大きな瓶を握りしめた。そして声を張り上げる。
「死者の魂と生きている私たちの魂を慰め、私たちが前に進むために、マナに向けて祈りましょう。在るべきところに魂を送るためにも――!」
助走をつけていた魔物が飛び上がる。
セシリールは魔物に向けて大瓶の中に入っていた液体をふりかけた。魔物は全身に液体を浴び、空中でその場に固まる。さらに瓶から解放されたマナを含んだ液体は魔物の周囲に漂うかのように空中で留まった。
やがて液体は多数の粒子となる。粒子はゆっくり上昇し始めた。
「さあ、ご覧ください。空を彩る華を。そして見つめてください、あなたの心の中に宿る華を――」
セシリールは腕を大きく使って、ドゥルンガの羽根を下から上へと動かす。それを合図と言わんばかりに、粒子は速度をあげて一つに固まりながら上昇していった。そして通常の視線よりも遙かに上の位置で、粒子は大きな音をたてて大輪の華のように四方八方に開いた。
夜空を鮮やかに彩る華に、人々の視線は釘付けになる。
魔物の足が微かに動いたのに気づいたセシリールは、すかさず中程度の大きさの瓶をとった。再度魔物に液体をふりかける。魔物に接触するなり、先ほどと同様に粒子が固まりとなって上昇し、暗い夜空の中で音をたてて開いた。
惚れ惚れとする大きさと色だが、魔物を浄化できていないセシリールには鑑賞する余裕などなかった。
机の上にあるものを手当たり次第かけて、次々に夜空に華を開かせていく。だが魔物はいくらたっても浄化されなかった。
すべての瓶が空になり、フィックからもらったインク入れに手をつける。これをかけてしまったら、セシリールはマナ生物や魔物に対抗する術を完全に失う。
視線をぼんやり前に向けると、観客席の後ろで小さな華が上がったのに気づいた。夜空に遠慮深げに上ったのは、単色の青色の華。目立ちにくいがセシリールの目にはしっかり入った。それを見て思わず口元に笑みを浮かべる。
やるべきことはやった。あとはこの身を張るだけだ。
胸元にあるペンダントを軽く触れてから、インク入れの中身を魔物にかけた。しかし魔物が消える気配はなかった。
落胆の息を吐いていると、観客席の後ろの空から白い何かが近づいているのが見えた。美しい桃色がかった白い羽毛、そして目を引くような冠羽。セシリールは目を丸くする。人前ではほとんど見られないドゥルンガが、優雅に暗い夜空を飛んでいたのだ。
ドゥルンガは観客たちの真上を通り過ぎていく。一人が気づき、上空に向かって指をさすと、観客は次々と顔をあげていった。
しかし鳥のマナ生物は気にすることなく、羽ばたきながら飛んでいく。そしてセシリールの真上に来ると、羽根を三枚落としていった。羽根はひらひらと落ちていき、魔物に触れる。そこを始点として魔物の全身が白い粒子となり始めた。ドゥルンガは一声鳴くと、優雅に上空を去っていった。
魔物は見る見るうちに粒子となり、空へと上っていく。そしてそれらは一つの固まりとなり、ささやかな音をたてて上空で華を開いて消えていった。
セシリールは視線を夜空に向けたまま、拡声棒を口元に近づける。
「……皆さん、この夜空だけでなく、皆様の心にも魂が宿る華は開きましたか?」
おそるおそる視線を観客席に向ける。多くの人が満面の笑みを浮かべている中で、涙を流している人、両手を握りしめて祈りを捧げている人たちもいた。
その光景を見て、心にじんわりとした感情を抱く。誰か一人でもセシリールがやりたかった三つ目のことを感じ取れてくれたのなら、震えながらも立ち続けて良かった。
「開いた華はいつまでも皆さんの心の中で輝いているでしょう。皆様の心に死者が寄り添うように……」
拡声棒を口から離し、セシリールは深々と頭を下げた。
数瞬の間を置いて、ぱらぱらと拍手の音が出てくる。やがて怒濤の波のような盛大な拍手が鳴り響いていった。
頭をあげたセシリールは目の前に広がる光景を見て、目を丸くした。浴びたことのない拍手が全身に伝わってくる。ほんのり目に涙を浮かべながらにこりと微笑み、再び頭を下げた。




