第三話 青年の過去と少女の未来(二)
町の中心部から少し離れた時計台の近くに彼の実家はあった。一階建ての一軒家、中からはカーテン越しを通じて明かりが漏れている。
フィックが木の扉を軽くノックすると、明るい声とともに扉が開かれた。
「はい、どちらさま……って、フィックじゃない!」
焦げ茶色の髪を首もとで結んでいる女性が目を見開いていた。
「どうしたの、突然!」
「家に置いてきた物を取りに来ただけだ」
「そう言っているけど、わざわざ私のために顔を出しにきてくれたんでしょう、ありがとう。イルマさんから少し話を聞いた。思い詰めた表情をしていたけど、男なんだから女を護るのは当然だって言っておいた。――その子が護衛している方?」
セシリールは頭を下げる。フィックの母親は表情を緩まして、扉を大きく開いた。
「良かったら入って。ちょうど夕食を作っていたところのなの。一緒に食べましょう」
「おい、母さん、俺は荷物をとったらすぐに――」
「母さんと食べたくない理由でもあるの? 包帯も巻き直すから、あとで腕を見せなさい」
母親は両手を腰に付けて、顔を前に突き出してくる。そしてフィックの左腕をばしっと叩いた。彼は腕を押さえながら悪態を吐く。それを聞き流した母親はセシリールの背中を押して、二人を中に入れ込んだ。
四人掛けの机の周りにある椅子に二人を座らせると、フィックの母親はいそいそと料理を再開した。フィックは荷物を取りに行くと言って、部屋を出ている。
セシリールは何もすることがなく、手持ちぶたさな状態で目の前にある本棚を眺めていた。古い本から新しい本まで多様なものが並べられている。セシリールも知っている、マナ関係の蔵書もあった。
「本に興味があるのなら、読んでもらって構わないわよ」
母親がコップに入れた水を出して言ってくる。セシリールは有り難くそれを手に取った。
「すみません、突然来てしまい……」
「どうせフィックに連れてこられたんでしょう? あの子もたまに思いつきで行動するから……。護衛されているってことは、狙われているってこと。怖い思いはしていない?」
「大丈夫です。フィックさんに護っていただいていますので」
「あらあら、息子はたいそう信頼されている人間になったようね。落ち込んでいた時期もあったけど、ようやく自分の道を進み出したようでよかった」
「落ち込んでいた……?」
目をぱちくりしてから女性の背中を眺める。彼女は包丁を握って、野菜を一定の調子で切っていた。
「そういえばお名前は何というの?」
「あ、すみません、名乗らずに。セシリール・アスタと言います。サンドリア工房で働いている者です」
「セシリール……?」
彼女が名前を復唱して振り返ろうとすると、ちょうどフィックが居間に入ってきた。
「母さん、夕飯まだだろう? ちょっとこいつを借りる」
「ええ、どうぞ。用意ができたら声をかける」
フィックは荷物を床に置くと、軽く首を動かしてついてくるよう促してくる。セシリールは立ち上がり、彼に従って廊下にでた。奥行きがある廊下を進んでいき、突き当りにあるドアを彼は開いた。
初めに感じたのは埃っぽさ。フィックは火を灯したランタンを手にして、中を光で照らし出した。
「しばらく使っていないから、部屋にあったランプは全部外してある」
「ここは蔵書室ですか?」
照らされている範囲だけでも、大量の本が積み重なっている。フィックは首を横に振り、中を進んだ。
「作業部屋だ。今は物置だがな」
壁に目を向けると、棚が一面に並べられている。棚の中には色鮮やかな粉や石が入った小瓶、細やかな装飾が施されたアミュレット、マナが供給されることで輝くランプ、そして羽根ペンなどが多数置かれていた。
「俺の親父は職人で、ここで作ったマナを含んだ道具を知り合いの店で売ってもらって生活していた。この部屋で地道に作りながら、時々自力でマナを集めにも行っていた。だが五年前、マナを集めに行った旅先で致命傷を負って死んだ。……まったく馬鹿だよな、力もないくせに護衛を付けずに行くなんてよ」
フィックは硝子でできた底が広い小瓶を棚から取り出した。暗がりの部屋にも関わらず、その瓶は輝いて見えた。それをフィックはセシリールに手渡してくる。
「親父が作ったインク入れだ。やるよ」
「え……ええ!?」
数瞬の間の後、驚きの声をあげた。彼はそれに反応することなく、引き続き棚の中を物色している。
セシリールはインク入れとフィックを交互に見た。硝子でできた入れ物に触れた瞬間、おそらくマナが込められている品物だと察した。すなわち、かなり高価な物のはずである。それを持ち、慌てふためきながら必死に突き返そうとした。
「こんな高価な品、受け取れませんよ……!」
「ここに置いていても、どうせ埃にまみれるだけだ。売る気はないんだから誰かの手に渡った方がいい」
「でも……」
「披露会でいいものを見せたいのなら、使えるものは使え。その中にインクを入れて使えば、多少は力が増幅されるはずだ。他に使えそうなのは……」
フィックは棚だけでなく、引き出しの中身も見ていく。マナが詰まっている石が多数並べられていた。
雨を思い出させる青色の滴の固まり、星を模したような黄色の石、苔を組み合わせたような緑色のごつごつとした石など、見ているだけでも楽しくなるような石がたくさん入っている。その中から大輪の花のような石を取り出した。
「あとはこれを首からぶら下げていろ」
手のひらの上に乗せてもらうと、思ったよりも軽かった。視線を落としてじっくり見つめる。右手で握れるくらいの大きさ。中心部は赤色だが、外側に行くにつれて橙から黄色に段階的に変わっている。
「綺麗な色合い……。これ、複数の種類のマナが詰まっていますね」
「マナを込めるのにだいぶ苦労して作っていたやつだ。そこら辺のアミュレットとは比べ物にならないほど、マナ生物は近寄りたがらないはずだ」
「そうですね、マナの種類が増えれば増えるほど、近づきにくいと言われていますから。……その効果もすごいですが、この綺麗な色の変化、たくさんの人に見せられたら素敵ですね」
「一度にたくさんの人間に見せるとなると、大きなものを作るのが考えとしてはすぐに浮かぶな。ただし準備には相当時間がかかるぞ」
「わかっていますよ。固定のものでそういうのを作るのは、今の私の力量では厳しいです。僅かな時間でもいいから皆さんに見せられたら、素敵だなと思っただけですよ」
「一瞬で多くの人の視界に入れるってことか。高さとしては、俺らの頭上には欲しいな」
「ボールとかを投げ上げる感じですかね……」
腕を組みながらぽつりと呟いたセシリールの脳裏には、ある本の中身がぼんやりと思い浮かぶ。たしか花のような絵が描かれたページだった。
どの本だったか思い出していると、廊下からフィックの母親の声がかかった。思考を中断して返事をする。
棚を見終えたフィックは、セシリールの背中を軽く触れてくる。彼に押されるより前に廊下に出た。
夕食は肉の煮込み料理が主食で、他に種類が豊富な野菜サラダと、ポタージュが出された。まるで来るのがわかっていたと言わんばかりの振る舞いだ。
「近々顔を出すかなと思って煮込んでいたの。持って行きたい物は見つかった?」
「ああ。仕事が忙しいから、またしばらく来られないと思う」
「あっちには顔を出しているの?」
「……行ける日はできるだけ」
「そう、わかった。――彼女の護衛、技術披露会までよね。それが終わったら今度はゆっくり食事をしましょう。セシリールさんが無事に披露会を終えられるよう、応援しているわ」
「ありがとうございます、サーベンさん」
フィックの母親は微笑んでいたが、無理して笑っているようにも見えた。
真っ黒な雲がかかっている夜空の下、セシリールはフィックと並んで歩いていた。大通りを歩いているが、人の数は往路ほど多くない。人によっては就寝している時間帯だった。
フィックが右肩に重たそうな布袋を背負っているのを見て持とうかと尋ねたが、彼に首を横に振られた。
「ちゃんと重さも考えて持ってきているから、問題ない」
「わかりました……。もしかしてあの瓶などを見せるために、私をご実家に連れていったのですか?」
「ただのお節介でやっているだけだ。せっかくだから披露会を成功させてほしいんだよ」
フィックは頭を軽くかいていた。
「世話を焼きたがっている工房の連中はそう思っているはずだ。制限がかかっているとはいえ、他人の力を借りてもいいという規定が載っているのは、逆の意味で捉えれば他人の力も借りろということだ。つまりそれも披露会に向けての立派な準備ってことさ。だから工房の人たちにも力を借りろよ」
「たしかに過去の事例を見ますと、一人だけでやりきれる演目ではないですからね。私自身も一人でやるには限界があると思っていました。他の人の余力がありそうなら、ちょっと尋ねてみます」
ふふっと笑みを浮かべながら言う。それを見た青年は呆れたように息を吐き出していた。
「……その謙虚すぎる姿勢、やめろ。見ていて苛ついてくる」
フィックは振り返り、真っ直ぐ見据えてきた。
「どうしてそこまで謙虚なのか知らないが、程度ってものがある。お前は自分が思っているよりもしっかりしているし、意見も持っているし、そういう姿勢から助けてやりたいって自然と思える人間だ。だから――自信を持て、セシリール」
迷いのない目で言ってくる青年。その姿とかつて出会った少女が重なった。
「コルナ……?」
何気なく呟くと、青年が目を丸くした。あの寝言、そして今の反応から彼がコルナを知っているのは明らかだった。
「知っているんですか、コルナのこと。瞳の色はフィックさんと同じような色合いの、私よりも一、二歳上の女性です」
「……そんな奴、知らねぇよ」
「馬車の中で寝言をぼやいていませんでしたか?」
「聞き違いだ」
顔を逸らしたフィックは、ふと視線を暗い空に向けた。セシリールもつられて向けると、鼻の上に滴があたった。雨だ、と思っている間に粒をなして降ってくる。
「走るぞ。――何があっても俺から離れるなよ」
簡潔に言った青年は荷物を背負い直して走り出した。彼の背中を無言のまま追う。
通りを歩いていた人は雨宿りをしたり、地面を蹴って足早に移動していた。




