第三話 青年の過去と少女の未来(一)
かたかたと音をたてて動く馬車に揺られながら、セシリールとフィックはアルーム町に戻っていた。明け方から出発した馬車は昼過ぎには着く予定となっている。行きで乗ってきた馬は、後日フィックの同僚が迎えにくることになっていた。
今、セシリールの横では、青年が目を閉じて眠っていた。他に同乗者はいるため、何があってもすぐに動かなくても問題ないと判断したようだ。こちらとしても休んで欲しかったため、彼が眠ったのを見て胸を撫で下ろしている。
ドゥルンガがいる祠から近場の村まで、セシリールは細心の注意を払いつつ、とにかく何も遭遇しないよう願いながら歩いていた。太陽は徐々に落ちていき、辺りが暗くなりかけていたが、完全に落ちきる前にどうにか村に辿り着くことができた。
村に着くなりすぐに診療所に駆け込んで、フィックの腕を治療してもらった。深く噛まれているが切断までいかなかったため、数週間安静にすれば傷は塞がると言われた。傷は深いとはいえ治る傷とわかり、心底良かったと思った。
診療所から宿に移ると、セシリールはひたすらフィックに謝った。今回の怪我は彼の忠告を聞かずに先を突っ走ってしまったセシリールのせいだ。だが「仕事だから」で一蹴されてしまった。それよりも披露会のことを考えろと言われてしまう始末。
任務に忠実と言えば聞こえはいいが、やけくそ気味のような口調でもあった。申し訳ないという気持ちを抱きながら、彼の言葉に対して素直に返事をした。
セシリールは移動する馬車の天井を見ながら、ぼんやり考える。いい加減、当日披露するものを現実的な形にしていかなければならない。
自分が得意なことは、マナを粉に込めること。多種多様なマナを込めることで多数の色を作りだせる。さらにそれを炎にかけることで、炎は鮮やかな色を発することができた。
この技術に関しては各種方面から誉められているため、それなりに自信を持ってもいいと思う。だからこれを土台として、題材を作り上げていきたい。
一方、最近粉を水に溶かしたものの変わった性質を発見した。羽根ペンの先端にそれを付けて描くと、描いたものが僅かな時間だが紙から離れて浮かび上がるのだ。
その現象を見たときは、セシリールもフィックもたいそう驚いた。おそらく他の人もほとんど知らない現象だろう。これを発表の題材の中にうまく取り入れることができれば、披露会で人々の心を引き付けられるかもしれない。
ただし問題点もある。大勢の人の前でやるには少々地味すぎるのだ。これをもっと華やかなものにしなければ、満足のいくようなものはできないだろう。
「あれで作った羽根ペンの効果を見てから、考えようかな……」
ドゥルンガは純粋なマナがぎっしり詰まってできた、希少なマナ生物。物に思いは宿ると言われている中、自分でとった羽根であればフィックの羽根ペンを借りた以上の効果がでると期待していた。
セシリールは再び視線をフィックに向ける。彼は静かに寝息をたてていた。五歳上だが無防備な姿を見ていると、そこまで歳は変わらないように見える。表情を緩めて、そんな彼をそっと眺めた。
「……コルナ……」
唐突に出された単語を聞き、セシリールは肩をびくっと動かす。再度フィックをじっと見たが、彼の口からは二度とその単語はでてこなかった。
コルナという名の人間は決して多くはないが、まったくいないというわけでもない。セシリールもその名前の人物を一人だけ知っていた。
新緑を思い出させるような瞳の色をした少女のことを。
* * *
町に戻ったセシリールは、フィックに案内されて、ある一軒の定食屋に連れてこられた。 中に入ると昼の盛りを過ぎていたが、まだ混みあっていた。フィックは中を見渡し、ある一点で視線を止めると、そこに向かって歩き出す。セシリールも遅れずについていった。
視線の先には、四人掛けの机にある椅子に腰を掛けていた女性が、一人でコーヒーを飲んでいた。紺色の髪を肩の上で切り揃えた彼女は、二人を見て軽く眉を跳ね上げた。そして包帯を巻いているフィックの左腕を見るなり、眉をひそめた。
「久しぶりと思ったら、何があったの?」
「俺の判断ミスで、マナ生物に噛まれただけだ。……この店ならいるだろうと思ってきたが、本当にここが好きなんだな」
「いいでしょ、別に。とりあえず座って。お昼はまだよね、適当に注文するから」
女性が手を挙げると、給仕の男性がお品書きを持って寄ってくる。彼女はそれを見ずに、食事を追加した。
セシリールとフィックが席につくと、水が運ばれてくる。それを飲みながら喉を潤した。
「怪我の具合は?」
女性は目を細めて、青年の腕を見る。
「切断まではいかないが、それなりに深く噛まれた。医者には安静にしていろ言われたが、見た目ほど酷くないから剣は振れる。ただ手練れの奴がきた場合、こいつを守りきれるかわからない。だからイルマ、護衛業を少し手伝ってくれないか?」
イルマはコーヒーカップに口をつけてから、息を吐き出した。
「私はフィックほど戦いに慣れているわけでもないし、どちらかといえば後ろで動く人間なの。頼まれても護り抜けるとは断言できない」
セシリールは横にいる人物をちらりと見る。彼は眉をへの字にして口を噤んでいた。
イルマの視線がフィックの腕に向けられる。
「……少し話を変えましょう。その傷は野生のマナ生物によるものなの?」
「違うだろうな。この傷を負う前に魔物にも遭遇した。野生ではなく、誰かに飼いならされているやつだろう」
「魔物やマナ生物を操る人間に狙われているってことね。おそらく彼女の上司の心当たりとも繋がっているはず。万が一を起こさないためにも、マナ生物関連からも調べて、さっさと犯人を捕まえたいと私は考えている。彼女を護るばかりが、今の状況の打開策ではないのよ」
イルマは机の上で両手を組んで、セシリールを見据えた。
「ごめんなさい、セシリール、ずっと傍にいたいけど、こっちも人を裂ける余裕がないの。今回の件はね、貴女の工房長からフィックに個人的に護衛を頼んできたのよ。だからこのまま彼を中心に護衛を回したい。できる限り私も一緒に行動するようにはするけれど……いいかしら?」
セシリールは顔をしっかり横に向けて、俯いているフィックの顔を眺める。すると彼は視線に気づいたのか顔を上げてきた。新緑に似た瞳と視線が混じり合う。
「フィックさん、その怪我でも本当に動けるのですか?」
「止血は済んだし、固定してもらっているから動けなくない。お前を逃がすことくらいはできる」
「自分を犠牲にするという考えはやめてください。では可能ならば、フィックさんに引き続き護衛をお願いしたいです。決して危ない道は通りませんし、言うことは聞きますから」
目を逸らさずに言うと、彼は目を丸くしていた。
今まで危険な目にあったのは、いずれも彼の言うことを無視したからだ。彼の危険予知が確かなものなら、彼に従って行動すれば何も恐れることはない。
フィックはしばらくした後に頭をがりがりとかいた。
「これだから技術屋の女は面倒なんだ。一度決めたら絶対にぶれない頑固者。少しは柔軟に頭を動かせ」
「……その台詞、そっくりフィックさんにお返しします」
ぼそりと言うと、前にいたイルマはぷっと声を漏らして笑い出した。それにつられて、セシリールも笑う。
二人の女性に笑われる羽目になったフィックはむすっとした表情で、手元にあった水を一気に飲み干した。
「まったく女っていうのは、二人以上揃うとうるささが増すぜ。――そうだイルマ、あとでこれを確認しておいてくれ」
フィックは焦げ茶色の封筒を取り出し、イルマに差し出した。彼女は目を軽く見開いた後に受け取ると、すぐにカバンにしまった。
「わかった。あとで読む」
そうこうしているうちに料理が運ばれてきた。お腹を空かせたセシリールは目を輝かせて、それらが机の上に置かれるのを待った。
その日のうちに工房に顔を出し、フィックに教わりながらセシリールは羽根ペンを作った。ペン先は市場で売られているものを使ったため、それと羽根を上手くはめ込ませるかどうかの作業だった。
ナイフで羽根の骨を削る作業は、顔をひきつらせたフィックに指導を仰ぎながら進めた。
「お前って器用なのか不器用なのか、わからねぇな。危なっかしくて見ていらんねぇ」
「心配かけさせて、すみませんね。これでいいですか?」
適度な細さになったのを、フィックに見せつける。彼が首を縦に振ったので、意気揚々とペン先にはめ込んだ。少しはまりが悪かったため、微調整しつつ、何度か入れ込んだ。やがてぴたりとはめ込むことができた。
それを使って、マナを含んだインクで試し書きをすると、過去最高以上に文字が浮き上がった。座っているときの視線程度の高さだ。初めと比べるとかなり成長している。あとはインクの成分を調整し、量を増やせば、もっと大がかりなことができそうだ。
ふさふさとした羽根に触れると、心が安らぐ。ドゥルンガの温もりを思い出すような羽根を何度も撫でていると、後ろから鋭い声が投げかけられた。
「おい、用が終わったのなら遅くなる前に帰るぞ」
「は、はい!」
元気に返事をしたセシリールは素早く支度をして、部屋から出た。ちょうど廊下を歩いていた工房長のトミと行きあう。彼はセシリールとフィックの姿を見て、にこにこしていた。
「仲が良さそうで何よりだ。披露会まで残り二十日を切っている。そろそろどういう内容を発表するか、教えて欲しいのだが……」
「それに関しては二、三日の間にお伝えします。今、まとめている最中ですので」
きっぱり言うと、トミは目を瞬かせた。
「おお、本当か!? 外にでている間に何か妙案でも思いついたのか?」
「そんなところです」
「そうかそうか。彼を護衛に頼んでよかったよ。ではまた明日」
セシリールは軽く頭を下げてトミの背中を見送った。フィックも倣って頭を下げている。
彼の表情がいつもより柔らかなのを垣間見ながら、セシリールは歩き出した。
「フィックさん、工房長とどういう間柄なのですか?」
「共通の知人を通じての仲だ。一時期はここで世話になったこともある」
「技術屋として活動していた時代ですか?」
「そうだ。ほとんど兼業状態だったから、たいして出入りはしていないがな。そのうちに技術屋はやめて、今の職に集中するようになった」
「どうして……」
「作るだけでは何も護れないとわかったからさ」
フィックは目を細めて前を見ている。表情が一瞬のうちに消えていた。
気まずい空気が流れる。何とかして言葉を探し出そうと考えあぐねた。だが重い空気を破ったのは、作りだした青年の意外な申し出だった。
「……なあ」
「何ですか?」
「……一度実家に寄ってもいいか。荷物を取りに行きたい」
「構いませんけど……。私も一緒に行っていいのですか?」
「すぐに終わるから、別に大丈夫だ。そしたらお前を部屋に送る」
そう言って彼は少し歩調を速める。それに合わせてこちらも早足になった。




