~ prologue ~
「本当に出ていくの?」
何度この言葉を投げかけただろうと、エルザは思った。
彼女の目は威嚇するようかのように鋭く、時に人を遠ざけてきた。
今はその端に僅かながら潤みがたまり、言葉以上の感情を見え隠れさせていた。
言葉を投げかけられた相手は背中を向けており、その様子を知る術もない。
黙々とベッドの上に置かれた鞄に旅支度を進めている。
腰まで伸びた髪の毛は僅かな癖っ毛がウェーブを描き、黒い艶やかさを一層引き立たせる。
自らの上半身ほどもあろうかその中身は彼女の性格を表すように、隙間なく整理整頓がなされていた。
それでも納得が行かないのか、再び中身を取り出しては詰め直す。
「アリア・・・」
エルザはその行動に自らでは彼女を留めることが出来ないと、名前を呼ぶ以上に次の言葉が出てこなかった。
思い返せば初めて見たときから彼女は誰の評価も気にせず、自らの道を進んでいた。
古代12魔術家系の末裔として育ったエルザ。
世界最難関の学術機関ともいわれる聖都アカデミア難なく入学出来た。
アカデミア以外では学ぶことすら難しい魔術学の高等教育を小さな頃から受けていたエルザにとっては驚くに値しない結果。
当然、首席での入学になるだろう。
エルザだけでなく家族、また彼女を知る者一同そう思っていた。塵一つほどの疑いもなかった。
だが入学式当日に呼ばれた名前はエルザではなかった。
ダイアログ = アリア。
誰も聞いたことのない名前が呼ばれ、すくりと立ち上がって小柄な少女は、長い黒髪を揺らしながら颯爽と登壇した。
政府の重鎮や各技術機関の責任者など錚々たる面々が200名以上集まった中、緊張を微塵も感じさせることなく歩むその姿は、エルザの目にも鮮烈に映った。
自分の名前が呼ばれなかった以上に、胸の奥を強い何かの感情が打ち付けた。
それが憧れだと気づいたときエルザは、アリアの後ろ姿を強く睨みつけた。
誰よりも強く優秀であることが当然であれと育てられてきたエルザにとって、憧れなんて感情は認められない。
自分は彼女よりも優秀でなければならない。
そうしなければ彼女の存在証明が揺るぎかねない。
それから事あるごとにエルザはアリアに勝負を挑み、そして敗北を重ね、5年の歳月を過ごした。
始まりは憎しみに近い感情であったが、いまやエルザにとってアリアは研鑽しあう友人であり、しかし今でもライバルであった。
アリアがいなければ今の自分は無かっただろうと、エルザは常々思う。
体に流れる英雄の血に怠慢し、トップを維持するだけの努力しかしなかったであろう。
だからアリアには感謝している。
そしてこれからもずっと共に高めあえると信じていた。
アリアがどこに就職するかは分からなかったが、世界最高峰の学術都市である聖都を離れるなんて想像だにしていなかった。
卒業後の進路を聞いたとき、エルザは言葉を失った。
今だって信じられない。
「・・・聖都アカデミアを卒業した者が、求道者になるなんて聞いたことがないわ。」
「最初の事例はいつだって前例がないものよ。」
相変わらず鞄の整頓をしながら、エルザの方を見ることなく答えるアリア。
何てことないようにそう返答されたが、とても納得できるものではない。
「一体何だって、求道者なんかになるのよ。
あなたは望めばどこにだって就職できる、噂に疎い私でも知ってるわ。
普段は新人を採用することのないあの企業から声が掛かっているって。」
「・・・」
アリアは鞄の蓋を静かに閉じる。
旅支度が終え、アリアが今旅立とうとしている。
「やっぱり納得行かない! ねぇアリア、どうして求道者なんかになるの!
あなたには幾つもの、誰もが望んでやまない栄光の道が無数に広がっているのに、どうしてすべてを放棄するの!」
アリアは背を伸ばし鞄の取っ手を両手で持つと、エルザの方を振り向く。
「・・・あなたには分からないわ、エルザ。」
「分からないわよ、全然全く、これっぽちも理解できない!
あなたは何を求めて魔術師になって、この聖都アカデミアを卒業したの。
次なるステップはこの都にしか存在しないはず、ここ以上の環境は無いわっ!」
強く拳を握りしめて思いの丈をアリアにぶつける。
体を大きく揺らし激情のあまり両手を振りかぶる。
アリアはその姿を見て溜息をこぼす。
「やっぱりあなたには分からないわ。だってあなたはこちら側の人間じゃないもの。」
「こちら側・・・?」
「持たざる者にしか分からない苦悩。」
「あなたが持たざる者ですって? そんなわけ・・・」
再度溜息がアリアの口から漏れる。
それは講義をまるで理解できない生徒に向けらるような呆れの感情。
だがエルザは分からない。
誰しもが彼女の背中を追いかけ、誰よりも全てを持っている彼女が、自分を持たざる者だという。
「どういうことなのアリア、その真意を教えて!」
エルザは勢いよくアリアに近づくとその手を掴む。
アリアの視線はより深く鋭くなる。
掴まれた手を振り払うと、彼女は部屋の扉を勢いよく開けた。
「あなたには分からないわ。
・・・だってあなたは巨乳なんだもの!」
彼女の視線の先にあるのは、手を掴んだ弾みでたわわんと揺れるローブの上からでも分かる程の大きな胸。
自らの胸を見下ろす。
視線は遮るものなく、きれいに清掃された木目調の床が覗く。
ダイアログ=アリア、彼女は巨乳になる術を探すため、数多の栄光を跳ね除け、求道者となる道を選んだ。
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