Pudding
出会いは春。
暖かな日差しは門出を祝うように降り注ぎ、新たな一歩を踏み出そうとする人の背中を桜とともに風が押す。
そんな中、しっかりと糊のきいたまだ着慣れない制服に身を包み、これからの高校生活に期待と不安を滲ませた表情をする新入生。
…の頃を懐かしく思い出すこと二度目となる高校三年生。
所謂受験生、と呼ばれるに値する年であり、名ばかり進学校に在学する私、田中伽子も紛れもなくその一人であった。
しかし先ほども述べたよう「名ばかり」であるので、一応進学コースに所属していると言っても一般試験を受ける生徒は極稀で、主な目的は部活動と勉学の両立、文武両道といったところだろう。
それを裏付けるように、過去の先輩の多くも推薦で近隣の大学に進学することを決めている。
そして名前が知れているような有名私立大学や国公立大学に進学し、学校の進学実績を作り上げるのは、もう一つ、二つランクが上のコースなのだ。
要するに私の所属するコースは至って普通の、少し勉強が出来ればそれで良しとされるのであった。
なので、もちろん他コースよりも部活動に所属する人数は多く、私もつい数週間前までは吹奏楽部員として練習の日々に明け暮れていた。
さして強くも弱くもない、平凡な実績ではあったが、私は部活動が大好きだった。
演奏をすることが好きなのはもちろんだが、それ以上に、大好きな先輩や仲間と共に過ごせる唯一の空間であったあの音楽室は私にとって何にも代えがたい大切な場所であったからだ。
しかし、そんな大切に思っている部活動でだって、否大切だと思ってるからこそ嫌なことはたくさんあり、逃げ出したいと思ったことは一度や二度ではない。
それでも私が最後までやり切れたのは、一、二年生と追いかけ続けた大好きな先輩の残した大事な部活動だったからだ。
先輩のことを若干周りに引かれてしまうほど愛していた私は、そんな大切な人が残した大事な場所を捨てるなんてことは出来ず、苦しいと何度思っても辞めずに最後のコンサートに無事出演することが出来た。
そして、先輩が卒業しても尚、私は先輩の面影を探しており、以前先輩が所属していた委員会に立候補していた。
もちろんそんな理由だとはつゆとも知らないクラスの子は、私がやることに賛成をしてくれて無事、図書委員になれたのだ。
と、ここまで先輩への愛を語ってはきたものの、私が辞めなかった、いや辞められなかった理由は実はもう一つあったりする。
それは、自分自身の人見知りから招いたクラスの子との距離感、温度差だ。
高校というのは近辺ではあるものの、様々なところから人が集まってくる場所であり、互いに誰も知らない状態で一からスタートすることが私立では多かったりする。
中学までは近所の子だったり、幼稚園からの友人などがクラスに必ずいるので、多数対多数の関係が多く、示し合わせればあっちの子とこっちの子が仲良くなるのなんて造作もないことだ。
しかし高校ではそうはいかない。個々人のぶつかり合いとなる。そしてそれは幼稚園、保育園に入園する時以来の事態であり、人見知りからすれば要救助案件だ。
そこで人は言う。大丈夫だって、自分でも言ったじゃん、一回経験してるって、現に友人の一人や二人、いるだろ?
あぁ、いる。幸運なことに私は幼稚園に入ってから一度も友人がいない時期はなかった。どこかに一人はいた。そして今でも幼稚園からの友人と連絡を取ってたりもする。
だが、それとこれは話が別だ。何故か、って。園児と高校生では知能レベルや心の発達度が違いすぎるのだ。
園児というのは良くも悪くも正直者が多く、脳と言動が直結しているものだ。
気になれば手を出すし、興味が無ければ無視。なんと分かりやすい。
そして高校生ほどは周りの目は気にしないし、外見だって主に両親が気にするくらいで、自分で自分の外見が気になる子なんてよほどませた子くらいだ。
よって、園児たちは周りのことなど考えることなく、自分が興味がある子に声をかけて仲良くなる。その際、自分というものがどう映っているかは、例え相手にだって、どうだっていい。
しかし、高校生となるとそうはいかない。
まず、推測する。その子はどんな子なのか、そして周りからどのような位置づけにあるのか。
そして次に周りを見た上での己を見る。正確に言えば、周りから見た自分の位置や評価を考える。
全てを総合してやっと声をかけていいのか、否か、決めるのだ。
人間とは何てめんどくさい生き物なのだろう、しかしたくさんの群れの中で過ごして十数年、気づくのだ。いかに周りの目というものが大事かを。
これは心の発達を表していると、勝手に考える。
なんて、学者みたいなことをつらつらと並べても結果はただ一つ。
自分に自信がなくて声がかけられない、ただの臆病者なのだ。
加えて、私は高校生としてあるまじき禁断の行為をしていたことに、その群れの中に入るまで気づかなかったのだ。
気づいたら最後、その場に存在しているだけで、まるで処刑台の上で見せしめにされている囚人のようであった。
家に帰った私はすぐに母に罪の告白を行った。
「お母さん…私だけ猿人だったの」
母は一度間抜けな顔をした後、私が罪の内容を事細かに説明すると笑い転げた。
「笑い事じゃないんだよ」
「だって、伽子、猿人って」
笑いすぎてうまく言葉を話せていない母を見て私は罪の深さを知った。
高校生にとって、脱毛がいかに大事であるかを。
その晩、私は母に教えてもらって初めて自分で自分の毛を抜いた。
あまりの痛さに泣きわめく私を見て母は再び笑い転げた。
こんな罪は二度と犯すまい。
そう固く心に誓って早2年、今ではあの罪を犯したことさえも忘れるほど当たり前になった。
しかし本当に忘れられたわけではないのを私は知っている。
なぜなら未だに男女問わずクラスの子とうまく言葉を交わすことが出来ないのだ。
そしてその事件の後から、外見に気を使わないと友人までも失うのだと、母に耳がタコが出来そうなほど言われてやっと、高校生スタートラインに立てた三度目の春。
私は私を変える運命の出会いをしたのだった。