オトメの覚悟
私はドキッとした。
『うちの湯屋に不手際があったか?』
若旦那は私が勝手に作った石鹸の匂いを嗅ぎつけ、自分の湯屋の落ち度ではないかとすごく気にしていた。
客が勝手なことをしても、湯屋の名に傷がつくなんて思ってもみなかった。
それを思い出した私は青くなった。
「わ、わたし、とんでもないご迷惑を」
ガタガタと震えが来た。
「……今のところは、まあいいさ」
結果的にはユールの商売にも役立ったみたいだしな、とぼそりと呟く。
「こ、これからは気をつけます。すいませんでした」
テーブルに突っ伏すように頭を下げ、後ろも見ずに部屋を飛び出した。
「おい、待て」
声が聞こえた気がしたが、私はもう限界だった。
毛布をかぶって寝てしまおう。それしかない。
でもやっぱり眠れなかった。いろんな事が頭の中をぐるぐるしていた。
どうすればいいのか、気持ちの整理がつかないまま朝が来た。ベッドから降り、階下にあるお手洗いに行った。
部屋に戻って手を洗って、ふと顔をあげると、鏡に 睡眠不足のくたびれた顔が映っている。
こんな顔で店には出られない。
私はもう一度部屋を出て、静かに廊下を歩いてオーナーの部屋へ向かった。
オーナーの羊っぽい女性ウウルさんは、こことは別の店舗も持っている。
高台の高級住宅街にある宝飾店で、そこでの儲けをこの店につぎ込んでいるという噂だった。
部屋の前でためらいがちに声をかける。
「あの、オーナー。すいません。ちょっとお話を」
この時間でも彼女がこの部屋にいることは知っていた。
二つの店を持つオーナーは自宅は別にあるらしいが、ここにベッドを持ち込んで寝起きしていた。
夕方から営業のこの店とは違い、普通に朝からちゃんと仕事があるのでもう起きているはずだ。
聞こえなかったかと思ってもう一度声をかけようとしたところで、扉が少しだけ開いた。
「何かご用ですか?」
秘書のフォルカさんだった。
細いすき間から、目だけがこちらを見ている。
こんな時間に女性の部屋を訪れたことは申し訳ないと謝罪した。警戒されているのだろう。部屋へ入ることは出来なかった。
「えっと、今日はちょっと仕事を休ませて欲しくて」
「どうして?」
私は「体調が」と言いかけて、それは言い訳でしかないと思った。
「このままだとお客さまに失礼だと思います」
事実だけを話す。私の顔をじっと見て、秘書さんは仕方ないという顔になった。
「そのようなやつれた顔では接客は無理ね」
「はあ」
目の下に隈が出来ており、自分でも青白い幽霊のような顔をしていると思う。
「でも、急に休まれても困るわ。そうね、明日ならいいわ」
今日は常連客の予約が入っており、頭数だけでも賑やかさが必要らしい。
「わかりました」
一日だけがんばろう。そう思ったら少し気が楽になった。
自分の部屋に戻り、その後は一歩も出ずに夕方になった。
湯屋の誘いも断り、部屋の中でお湯を使って身体を拭くだけにした。
小さな鏡をじっと見る。目の周りの隈は今朝よりはマシになっている。
黒い髪は肩まで伸び、肌も港で暮らしていた頃よりだいぶ日焼けも冷めて白くなっていた。
あの頃、網を直していた指は今では傷も減り、反対に増えたのは剣の練習での手のひらの豆くらいだ。
この店では下働きから最低限の剣術を身につけさせられる。実際には剣を振りまわす機会は滅多にないが、体力作りと姿勢の問題らしい。
私も細いなりにがんばった。
がんばってー?、私はなんの為にがんばってきたのだろう。
生きるためだったはず。
少しぐらい傷ついたって、この手の傷のようにいつかは癒えていく。
鏡を睨む。
弱々しい自分が嫌いだ。考えることから逃げて、誰かに頼ることばかり考えて、そしてうまくいかないと勝手に落ち込んで。
(仕事、仕事、仕事……)心の中で呪文のように繰り返す。
目に力を込める。
部屋の中にある接客担当用の衣装に身を包む。
戦闘服みたい、そう思った。
下働きの従業員は、黒っぽいズボンと白いシャツに上品な柄の入った革のベストとすべてお揃いだが、接客担当の六名はそれぞれ特徴のある服が支給された。
黒髪に似合うからと選んでもらった光沢のあるグレーの上下の服。裾や襟には紺糸で派手な刺繍が施されていた。
すべてオーナーが女性の目線で選んだ衣装である。
ふいに唇に笑みが浮かんだ。
これは戦いだ。私の「生きるための」戦い。きっとそうだ。
闘う覚悟。私に足りなかったものはこれだったのかも知れない。
男も女も関係無い。私は私の戦いに勝たなくては。
パンパン!
ホールでオーナーが手を打ち鳴らし、開店のために従業員を呼ぶ。
私は一歩、扉の外へ出た。
「いらっしゃいませ。今宵はあなたにお会い出来てうれしいですよ」
先輩たちの接客を見ながら、私はひとり壁際に立つ。
今日はいつものようにただぼうっとしているわけではない。
一生懸命に耳を澄ませ、会話を聞きとることに集中していた。
じろじろ見る事は客に対して失礼になるので、なるべく目線は外す。
場の雰囲気に自分を馴染ませ、まずは不快にさせないことを心がけている。
偶然にも客と目があった場合はにっこりと微笑む。自然に見えるように、見えるように。
「いらっしゃいませ」
扉の係が声を上げると、接客担当は自分の客ではないかと全員そちらを見る。
「あ」
モモンちゃんがいた。
「こんばんは、ハートさん。今日は私の話し相手になって下さい」
いつもはユールさんの影で地味な服装の彼女だけど、今日はピンク色のふんわりとしたワンピース。
「はい、ありがとうございます」
エスコートするために手を差し出すと、モモンちゃんの頬がちょっと赤くなった。
やだ、かわいい。
私は基本的に小さいモノやかわいいモノが大好きだ。




