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若旦那の真実


 湯屋の建物の中には、お湯に浸かる場所と更衣室の他に、休憩する場所がある。


そこは男女別ではなく、女性も寛いでいたり、男女で待ち合わせしていたりする。


今の私にはカップルはちょっと目の毒だけど。


「ふう、さっぱりしたねえ」


この場所には小さな水飲み場があり、こんこんと湯が沸き出している。


その傍にコップが山のように置かれ、自由に飲む事が出来るようになっていた。


ここの温泉の湯はそれほど熱くはない。


外気ですぐに冷めるので、客は湯上りにこれを冷ましたものを飲んで休憩するのが楽しみのひとつになっているのだ。




 女性用の扉から賑やかな声が聞こえた。


がらりと扉が開き、猫型の女性たちが三人出て来る。


「あら、白狼さんとこの新人さんじゃなーい」


見た覚えがうっすらとある彼女たちは店の先輩である白狼さんの客のようだ。


 なにはともあれ、客である彼女たちに挨拶しなければ。


「こ、こんにちは。ハートです。よろしくお願いします」


おろおろしながらも、さっと人数分のカップに湯冷ましを入れて渡す。


手が震えているのを気づかれなかったかな。


(俺、先に戻るよ)(うん)


トラットは開店前の仕事があるので、早く店に戻らなければならない。


こそっと会話を交わし、彼が湯屋を出て行くのを見送る。




 そこへパタパタと駆けて来る小さな影があった。


「モモンちゃ〜ん、今日は若旦那は?」


湯屋の若旦那であるユールさんといつも一緒にいる、お付きの女の子だ。


あ、いけない。小さいけどちゃんと成人だって言ってたっけ。


妖艶な猫型のお姉さんに呼び止められ、モモンちゃんが振り向いた。


そんな名前だったんだ。知らなかった。


相変わらず身体は小さくても働き者で、名前もかわいいんだなあ。


「いらっしゃいませ、お姉さん方。若旦那は奥ですよー」


真面目ねえとお姉さんたちが笑っている。


「そんなに働かないで、さっさと若旦那と結婚しちゃいなよ」


そうそう、と皆がはやし立てる。




(えっ)


「そんなのっ、こっちの勝手ですぅ」


ぽっと赤くなったモモンちゃんは、べえっと舌を出して、またパタパタと駆けて行った。


「あ、あの、今のはー」


「あら、ハート、知らなかったの?。あの子はユールさんの婚約者よ」


「かわいいでしょ。けど狙っちゃだめ」


「西の湯屋の末娘でね。式はまだだけど、仕事を覚えるのに来てるらしいの」


私はきっと顔が蒼白になっていたのだろう。


「どうしたの?」


心配そうな獣人の女性の声が遠くに聞こえた。




 その時、どんっと背中を叩かれた。


「うっ」


かなりぼんやりしていたようで、はっとして顔を上げた。


「なにやってる、ハート。仕事に遅れるぞ」


振り向くとそこに店の先輩である白い毛並みの狼型の男性がいた。


きゃあと女性たちが声をあげて白狼先輩の周りに群がる。


先輩はそれを適当にあしらいながら私の腕を掴んで歩き出した。


私は引き摺られるように歩き、店に着いた。


「店が閉まったら話がある。俺の部屋に来い」


「あ、は、はい」


その顔は怒っているのか呆れているのか、わからなかった。


ただその潜めた声は低く耳の中に響いた。




 その夜の仕事は、自分でも何をやっていたのか覚えていない。


(若旦那に婚約者。あのかわいい女の子が)


ふたりはお似合いだったな。はたから見ても仲も良さげだったし。


そう思い始めると、何もかもがうらやましくて、まるで自分が道化のように感じた。


(私って馬鹿だ。ちょっとやさしくされて、舞い上がって)


仕事中だというのに、涙が浮かんで来た。




「おい」


誰かの声がした。


何かが飛んで来てバスッと顔面に当たる。


「暇だろ。掃除でもしてろ」


それはテーブルを拭くための布巾で、低い声は白狼先輩のものだった。


「はい」


受け取った布巾で空いているテーブルを拭き、賑やかな店内を足早に歩いてホールを出る。


目の端に心配そうなトラットの顔が映った。




 深夜より明け方に近い時間、私は自分の部屋とはホールを挟んで向かい側になる白狼先輩の部屋を訪れた。


長くこの店のナンバー1を勤める彼には、自分で雇っている小間使いの少女が付いている。


その少女がお茶を入れてくれて、そのまま下がって行った。先輩の前にはきれいな色のお酒のグラスがある。


「まあ、お前に一言いっとかないといけないと思ってな」


顔はクールだが、情熱的な仲間想いの人だと聞いている。


「ユールは俺の幼馴染なんだ」


それは若旦那から聞いて知っていた。


「あのモモンも小さい頃から知ってる」


私は座ったまま小さくなっている。


「俺はお前が他国から来たからとか、男だからとか、そんなことで文句を言いたいわけじゃねえ」


先輩は私が縮こまっているのを見て溜め息を吐いた。




「ひとつだけいいか」


「はい」


消え入るような小さな声で返事をする。


「ユールとモモンの邪魔だけはしないでくれや」


私は手をぎゅっと握りしめた。




 西の湯屋の娘であるモモンは先妻の子供で、今の母親は後妻らしい。


「よくある継子いじめってやつでな」


継母とその連れ子である姉ふたりにイジメられていたそうだ。


「ユールが嫁にするからくれって行って、モモンをこっちに連れて来た」


数年前のことだ。


「それからユールは死に物狂いで働いて、誰にも文句を言わせないようにがんばってる」


白狼先輩の顔は、思い出しながら痛ましいものを見る目をしている。


「モモンもな、そのまま嫁として湯屋に入るんじゃ従業員が承知しないだろうって、一緒に働いてるんだ」


今、あのふたりには失敗することは許されない。


「ユールにも、モモンにも、何かまずいことがあったら西の湯屋が黙ってないからな」


「それは連れ戻されるとか、ですか?」


「まあ、そうなるだろうなあ」


若旦那はそんな覚悟を背負っていたのか。





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