気になるヒト
今回は7話完結です。よろしくお願いいたします。
私の名前はハートという。本当の名前はわからない。
なにせ二年ほど前にこの町の港に流れ着き、生死の境をさまよったせいか、それ以前の記憶がない。
今はこの港町の一画にある飲食店で住み込みの従業員をしている。
「次はこれを頼む」
ふわりと黄金色の尻尾をゆらす背の高い女性が紙の束を差し出す。
私は同じ色の三角の耳と髪を眺めながら黙って受け取る。
「大丈夫か?」
心配してくれる女性に慌てて顔を横に振って、笑みを作る。
「はい、ぼうっとして申し訳ありません」
彼女の毛並みが余りにも美しくて、うらやましかっただけだし。
この町は獣人たちの町だ。
私から見れば、住人のほとんどが獣や鳥と人の姿を合わせたモノに見える。
だけど、彼らからしたら「私」は獣の部分を持たない、ただの「人型」だ。
私の黒い髪も瞳もそんなに珍しいものではないが、何の特徴も無いこの身体はまさしく珍獣だった。
私のウリはそれしかない。
「お前の売上が減っているが、何か問題があったか?」
狐のような獣人であるフォルカさんが、私の集計した売上を見ている。
「あ、いえ。わ、私は元々そんなに客が付いているわけではないので」
任された経費の計算をしながら、しどろもどろに答えた。
理由はわかっている。贔屓にしてくれていた客が最近来ないからである。
うちの店は接客を中心とした飲食店で、客の売上がそのままその客を担当した従業員の売上となる。
指名してくれる固定客がどれだけいるかでその従業員の格が決まるのだ。
店の従業員の内、六人いる接客担当の中で、私は何故かナンバー2。それは、あるひとりのお客様の売上なのである。
店の従業員のほとんどは若い男性であり、客のほとんどは女性である。
えっと、ホストクラブっぽい?。何故か、そんな言葉が浮かんだ。
この国ではそういう言い方はしないみたいだけど、私にとってはそれがしっくりくる。
「そろそろ湯屋へ行く時間なので」
夕方からの営業に備え、接客担当は湯屋へ行って身支度しなければならない。
「ああ、もうそんな時間か。行っていいぞ」
「はい」と一礼して部屋を出る。
「あ、ハート。今、呼びに行くところだったんだ」
明るい声に振り返る。自分の部屋に戻る途中で、同じ店で下働きをしている少年トラットが声をかけて来た。
犬のような獣人の彼は私が下働きでこの店に入った時から仲良くしてくれている。
「ごめん、ちょっと計算が長引いて遅くなった」
私は接客の他に、特技を活かして店の帳簿も担当している。
最初、私はこの国の言葉を理解出来ず、話す事も出来なかった。この店に来てから帳簿を手伝う代わりに言葉を教えてもらっている。
今では会話もかなりスムーズになってきた。
「間に合って良かった。先に外で待ってるよ」
「うん、ありがとう」
店の裏口から出て馬車の溜まり場を通り抜け、大きな門のある湯屋に入る。
この町は、港から山に向かってゆるやかな上り坂になっている。斜面に沿って建てられた家が多く、一番高い場所に領主館がある。
おそらく旧火山か何かがあるのだろう。この土地は温泉が沸く。
庶民の家には湯に浸かるという風呂が無いそうで、ほとんどの者が湯屋を利用している。
この町には三軒の湯屋があり、東と西に一軒ずつ、そしてほぼ町の中央にあるこの湯屋だ。
港から中央通りをまっすぐ上り、高級住宅街と呼ばれる高台の手前。少し高級な飲食店街の裏路地にある。
店から一番近いこの湯屋の客は、この辺りの飲食店の従業員が多い。
「よぉ、いらっしゃい。これからかい?」
湯屋の若旦那はユールさんという。
背は私の肩ぐらいまでしかないが、灰青の毛並みがきれいな猫型の獣人だ。
「はい、こんにちは!」
トラットが元気に挨拶し、私はちょっと影に隠れるようにしてぺこりと頭を下げる。
「お、ハートも元気か?。あれから忙しくて、あんまり店に行けなくてすまんな」
「い、いいえ。大丈夫です」
私は足早に、自分の上客である若旦那の横を通り過ぎ、更衣室に向かう。
この辺りの湯屋は、衣服をすべて脱ぐ訳ではない。
男女で別れてはいるが、皆ちゃんと湯浴み用の服に着替えるのだ。
最初、全裸になるから入りたくないって言ったら、ぽかんって顔されたんだよね。
「はあ?、やっぱり知らないのか。湯屋の中はちゃんと専用の服を着るんだぞ」
そう教えられてやっと通い始めた。今では大好きだ。
「ハートって、ほんとにどっかずれてるよね」
「あははは」
そうなの。私は少し常識がずれているみたい。
やはり他の国から来たんだと思う。時々、変なことを言い出して皆を呆れさせてしまう。
「なんだ、ハート。若旦那とケンカでもしたのか?」
更衣室で着替えている時、トラットにそう聞かれた。私はぶるぶると首を振る。
「ち、違うよ」
顔が少し熱くなるのがわかる。
「貴重なご贔屓さんだろ。大切にしないとー」
歳下の彼の言葉に苦笑いを返すしかなかった。
私は、ユールの旦那が男気のあるやさしい人だと知っている。
いつも気さくに声をかけてくれたり、客の付かない私に大金を使ってくれたり。
さらに、自分で石鹸を作ってしまった私に、下手をしたら危ない目にあっていたかも知れないと教えてくれた。
ひと騒動になったけど、あの石鹸が彼の商売に少しでもお役に立てたのはうれしかった。
うれしくて、うれしくて、自分の気持ちに気が付いた。
(もしかしたら、好きになったかも)
意識し始めると顔を見るのも恥ずかしくなってしまったのだ。
実は、私は外見は男性だけど、どういうわけか女性の心も持っている。
記憶の無い私が言うのも変だが、ずっとこの身体に違和感があった。
もしかしたら、本当の私は女性かも知れない。時々、そんなバカなことを考える私。
やさしくしてくれた年頃の異性?にのぼせ上がってしまっても仕方ないだろう。
と、自分に言い訳してみたりする。