第八十七話「リンゴ万能説」
「帰りなさい」
『……くぁー』
「戻りなさい」
『……くぇー』
「ゴーホーム」
『……くけー』
「……かーけーくぇー」
『……ぴ?』
ダメだ、通じてない。
こいつの家は壁の上だろう。仲間だっているはずだ。
壁の下を俺達と一緒に歩いてるなんてどう考えても危険だ。帰った方が安全に決まってる。
なのに、帰らない。
そんなに俺の《光魔法》が気に入ったのか?
触ったら消えるか、ダメージを食らうってのに。
『旦那ー、もう諦めたらどうだ? ついて行きたいっつーならそれでいいじゃねえか』
『ワタシはご主人様の意向に従うだけです。……ただ、もう擽るのは勘弁して欲しいですが』
「鳥さんと一緒は楽しくていいと思います!」
ラピス達の意見も考えると、俺が諦めれば丸く収まるようだ。
敵対モブが近くにいるのは心臓に悪いんだよなぁ。ラピス達にはそのマーカー自体見えないんだろうが。
あと、俺が帰らせようとしているとハーピーの目線がラピスに向くことが何度かあった。
あれは、捕食者の目だ。必ずまた、ラピスに襲いかかるだろう。
「分かった。それなら、邪魔にならない限りはついて来てもいいが、お前はいないものとして」
『くぇっ! かー、かー!』
「おい、人が話してる時は大人しくしろよ」
さっきまで静かだったのに、こいつ急に騒ぎ出したぞ。
ついて来るのを許されたくはないとか? いや、それはそれで意味が分からんな。
『かー!』
「一体なんだって……」
「お兄ちゃん危ないっ!」
アウィンの声が聞こえたと思った次の瞬間には後ろから金属音が。
敵からの攻撃か!?
後ろを振り向くが、周りは森。木々に遮られて敵の姿を見ることはできない。
見えるのは敵の攻撃をナイフで逸らし、そのまま警戒を続けるアウィンの頭だけだ。
どうやら、ローツの北エリアには奇襲を仕掛けてくる敵がいるらしいな。
厄介この上ない。
「トパーズ、気配はあったか?」
『いいや、全く。俺もそんなに得意じゃねえからな。攻撃される前も後も全然分かんねえよ』
トパーズの《気配察知》スキルはレベル一。
レベルの高い相手や、《隠密》スキルを持っているようなやつには効果がないも同然。
ついに来たか。
極振りをする上でぶつかる壁の一つ。極振りをしていないものが必要となるエリア。
今まではレベル一でも何とか対応できていたが、ここからはほぼ通用しないと考えていいだろう。
ラピスの《擬態》や《粘着》スキル、トパーズの《気配察知》スキル、アウィンの《隠密》スキルとかだな。
まあ、こうなることが分かってたし、ラピスの《擬態》やアウィンの《隠密》に頼るようなことは今までほとんどして来なかった。
だが、トパーズの《気配察知》は何かと便利だったからなー。これは痛い。
そして、ハーピーが騒いでいた原因も判明した。
恐らく、ハーピーには《気配察知》スキルがある。しかもレベルが二以上の。
敵が俺を狙って攻撃してくるのを察知して、知らせてくれようとしていたのだろう。
なんだ、こいついい奴じゃん。
……はっ、何簡単に懐柔されそうになってんだ俺は。
いや、しかし、こいつは今の俺に必要な高レベルの《気配察知》を持っている。
ってことは、ついて来てくれると非常に助かる訳で……。
いやいや、待てよ、俺。
このハーピーは俺のテイムモンスではない。ただの敵モブだ。
そんな奴に頼っていたらこの先で苦労するのが目に見えてるだろ。
ここはあえて、ハーピーに頼らず突破することで、《気配察知》に頼らない作戦を立てられるチャンスだ!
『ご主人様、お怪我はありませんか?』
『……聞こえてねえな。まーた一人で考え込んで唸ってら』
「お兄ちゃんは賢いから、わたしじゃ力になれないかもしれません。でも、相談ぐらいして欲しいところですね」
『って何度も言ってんだけどな。結局これだ』
『……くぁー』
そうだ。
こいつをテイムすればこれからもずっと俺のテイムモンスになる。
それなら頼ることだってできるんじゃないか?
ああ、ダメだ。そうだった。
テイムするかどうかを決めるウィンドウがないんだった。
友好的だから紛らわしい。
それに、テイムすることでレベルが一になる可能性だってある。
今までラピス達をテイムした時は全てレベル一の状態でテイムした。
元々がレベル一だったから実際のところは分からないがな。
テイムする方法としては、俺がこいつを仕留めて極々微小なテイム成功の確率に掛ける方法があるが……。
確率がどうとか言う前に敵意も何もないこのハーピーを仕留めるなんてしたくない。最終手段にもならないな。ボツで。
あとは、アウィンと同じように何らかのテイムするためのトリガーがある可能性だが。
こっちはこっちで謎すぎだ。何も分からない。
アウィンだと、リンゴ……だったのだろうか? もしかしたら、渡し方とかも関係あるか? それなら、場所も?
他にも、瀕死じゃないとダメだとか、動きを制限していないといけないとか。
……アウィンのテイムが特殊すぎてヒントがまるで出てこないな。
「まあ、ダメ元でもやってみるか」
「あ、リンゴ! おやつですか!? やった!」
「お前な、ここは戦闘区域だぞ。おやつは帰ってからだ」
「うう、はーい」
『では、そのリンゴは何故?』
「まあ、一応な。試してみたいことがあるんだ」
そう。俺が試したいこと。
それは、リンゴ万能説……!
どんな敵モブでもリンゴを手渡すことでテイム可能としてしまう恐ろしい手法だ!
現時点で、このハーピーをテイムするためにはこれしかない!
プレイヤーがリンゴを敵モブへ渡すなんてほぼ有り得ないことだし、しかも、そのプレイヤーがテイマーでないといけないって縛りもある。
運営が何か作業する時に敵モブが大人しくなってくれれば助かるだろうし、そのために必要なアイテムを安価で手に入りやすいリンゴに設定することだって無くはないはず。
いや、むしろリンゴが一番最適だ。もう、そうとしか考えられない。行ける! リンゴ万能説はある……!
『……しゃりしゃり。……くふー』
「うん、知ってた。まあ、無理だよな」
「いいなー。リンゴ美味しそうですー」
何がリンゴ万能説だよ。
んなことあってたまるかってんだ。ちくしょう。
にしても、ふわふわの羽毛に包まれた翼でよくもまあ器用にリンゴを持てるもんだな。
……って、そんなこと今はいいんだよ。
実は、もう一つ策があるのだ。
だが、この手は使いたくなかった。使いたくなかったんだが、仕方ない。
おもむろに、手を頭に伸ばす。……許せ。
『……っ! くーかー』
『マ、ご主人様!? 一体何を』
アウィンは無類のリンゴ好きだ。だからリンゴがキーになっていた。
そう考えれば、このハーピーの好きなものを手渡せば。そう考えるのは自然なことだ。
リンゴよりもよっぽど可能性はあるだろう。
ただ、問題が一つ。
『ご主人様……! ワタシは、ワタシはご主人様に反することは致しません……! 覚悟は、できております。ご主人様に死ねと言われればこのラピス。喜んで死にましょう……っ!』
『……くーかー』
このハーピーが好きで、渡すことができるものといったらラピスしかいないんだよなぁ。
光球や光種は触れば消える。手渡しなんて不可能。
ああ、ラピスよ。嫌がるよりも、そうやって俺を信頼してくれる方が心に来るぞ。
俺は今、物凄く鬼畜なことをしようとしているんだろうな。だが、すまん。耐えてくれ……!
『……くぉー』
『んっ、くっ。あぁ! やっぱりダメです! 耐えられませ、そ、そこはっ! そこはダメですっ! 擽ったいですってぇっ!』
ラピス。
どうやら、お前の犠牲は報われなかったようだ。
俺の目に、新しく浮かぶウィンドウはない。
テイム可能になれば、出てくるはずのウィンドウはないのだ。
すまない、ラピス。
もう、今取れる手段は使い果たした。
ハーピーのことは考えないようにしようと思う。
今はとにかく、ハーピー以外で奇襲に対抗する術を考える。
それが成功すればよし。しなければ、ハーピーが教えてくれることに頼って撃退。作戦の練り直しだ。
ハーピーは保険。そう考えることにしておこう。
作戦はあくまでもハーピー抜きで成り立つように、だ。
「……とりあえず、陣形はこうだろ。視線を全方位に確保して」
『……ぴぅっ』
『ああ、またしても。またしても汚されてしまいました……』
『うん、だからな。ラピス姐、汚れはむしろ落ちてると思うんだよ、オレは』
「リンゴ……。美味しそうでした。いいなぁ、リンゴ……」
「…………」
集中できない。周りが騒がしすぎる。
ハーピーから解放されたラピスを抱え込み、アイテム欄からリンゴを八分の一に切ったものの一切れを取り出す。
『ご主人様!? こ、これは、あ、あの……!』
「あ! リンゴ! リンゴですっ!」
「ほらアウィン、これやるから静かにしてろ。食ったら周囲の警戒しててくれ」
「はい! 分かりました!」
「トパーズ、悪いが少しの間、全方位の警戒を頼む」
『しゃーねーな。早めに動いてくれよ』
『……くーかー。……くーかー』
「《光種》」
『っ! くけーっ』
「はあ……。光種は断続的に出さなきゃいけないな、これは」
『あの、ご主人様……』
「悪かったな、ラピス。どっかで埋め合わせするから今はこれで我慢してくれ」
『い、いえ、その……了解、致しました』
リンゴを食べる音と、鳥がトコトコと走り回る音を聞きながら、大人しくなったラピスを抱え、作戦を考える。
奇襲対策はこれから必ず必要になる。
何とか、基盤だけでも作らなければ……!




