第六十四話「先鋒」
ごめんなさい!
ちょっと遅れました!
聳え立つ壁の上、客席よりも少し高い位置にいる俺は眼下を見下ろしている。
視線は大きな狼と小さなウサギ、トパーズへ。
だが、耳は周りの声を拾っていた。
観客の大半は二体のモンスターが衝突するのを今か今かと待ちわびているのだろうが、俺周辺では違った。
「おい、あいつ。なんだアレ」
「オッドボールのギルマスだよな。決勝で浮かれてんのか?」
「いや、あれはない。あれはないわー」
「モンスターを従えてるから魔王ってか、寒っ」
「さすが、“オッドボール”。やることが違うね」
こいつら、俺に注目してやがる……!
俺を見るなよ。試合を見ろよ。
よかったな、繭。お前の作った衣装は目論見通り注目されてるぞ。
多分、マイナスイメージでな!
「来ないんですの? まあ、リルちゃんと相対したのなら怖気付いても無理はないですわね」
「るっせえ。ちょっとした考え事だ。心配しなくてもやってやるよ」
それに、俺の先鋒はトパーズだぞ。怖気付く? 有り得ない。
俺のトパーズは臆病なうさぎとは無縁の存在。今も足をスタンピングしてアピールしてやがる。
ま、それも当然か。
トパーズへ言った作戦はおよそ作戦と呼べる代物じゃない。
だが、トパーズのテンションを上げるには十分。
「よし、トパーズ!」
「来ますわ、リルちゃん。少しは速いようですが捉えきれないスピードではありません。よく見て、避けてしまえば終わりです」
「一気に行くぞ。度肝を抜いてやれ!」
トパーズの足に力が入る。跳躍の体勢ではない。衝撃に耐える姿勢だ。
遠目からでは分からない動き。だが、確かに今、大きく息を吸った。
前準備は終了。後は解き放つだけ。
「先手必勝! やれ!」
キィィィィーーーー
耳に痛い高音が辺りに響き渡る。
だが、真正面にいた狼には物理的にも痛いはずだ!
だが、自分の持ち技だからかあの犬っころ咄嗟に身を捻って直撃を避けやがった!
『今のは我の遠吠えと同じ類いの技か!?』
「リルちゃん、どうされましたか!?」
『問題ない。少し面食らったが被害は、ぬうっ!?』
ハウリングが避けられたのは誤算だったが、作戦に支障はない。
むしろ、体勢を崩すことができたのはありがたい。
俺がトパーズへ言った作戦はこうだ。
最初はハウリングで驚かせてやれ。その後は……。
「暴れろ、トパーズ」
衝突音が響く。しかし、実際は衝突などしていない。これは、トパーズの踏み切り音だ。
トパーズの小さな足から化け物の力が闘技場へ伝われば圧力はいか程のものになるのだろうか。
床は耐えられるはずもなくヒビが入り、その力に押し出されたウサギは跳んでいく。
ハウリングを避け、動きにくくなったタイミング。そこに狼へとトパーズの尖角が迫る。
低空を跳び、足元を狙え。卑怯だと言われようが、勝つことが正義だ。他に狙いもある。
しかし、そう上手くはいかない。アウィンの補佐があってこそ狙い通りに跳べるのだ。
胴体ならともかく四本しかない足へ当てるなど、トパーズのDEXでは難しい。
『ぐっ!?』
「リルちゃん!」
「それでも、掠らせるぐらいできる。トパーズの火力舐めんなよ」
ハウリングと今の突撃でHPは一割減ったか。
さすがに硬い。エリーにとって初めてのテイムモンスターだっただろうし、自分のほぼ唯一である攻撃手段だ。
すぐにやられないためHPやVITを鍛えるのは当然か。
そう考えれば、二発で一割削れたのはさすがトパーズってとこだな。
「……正直、驚きましたわ。最初の技、《ハウリング》ですわね。まさか、ホーンラビットが使えるなんて思いませんでした。そこからの突撃も見事。掠っただけでここまでHPを削られるなんて」
「……なんだ? 随分余裕だな。既に一割削られてんだぞ」
「貴方も知っていらっしゃるでしょう。ホーンラビットの弱点を。跳躍距離はとても素晴らしいですが、こうなってしまっては」
エリーが足元を覗き込む。
そこには、トパーズの突撃をモロに食らってヒビ割れた壁と、角をくい込ませたトパーズ。
後ろからは大狼がゆっくりと近付いている。
「ホーンラビットは攻撃を避けられて木などにぶつかると角が刺さってしまう。初心者プレイヤーでも知っていることですわ」
「なっ!? トパーズ! 何とか脱出だ! 後ろから大狼が来てる!」
「無駄ですわ。リルちゃん、やりなさい」
「くそ、トパーズ! 避けろ! トパーズっ!」
壁に角を埋めたトパーズは地面に足を付けたまま微動だにしない。
すぐそこまで迫ってきた大狼が足を振り上げる。
傍目から見れば勝負がついたように見えるだろう。実際、観客席からため息が聞こえる。「終わったな」なんて声も。
……何を言ってるんだ。
「角が、刺さったなら」
大狼の足がついに振り下ろされる。
しかし、その足がトパーズに当たることはない。
「抜けばいい話だ」
『ぐぅあああ!』
「リルちゃん!? どうして、一体何が!」
「だからさ、これはテイマーの、プレイヤー通しの戦いなんだよ。思い込みは身を滅ぼすぞ」
大狼の左後ろ足へ突撃したトパーズが俺の下へ跳んでくる。
その角にはいつもと変わらない金属三角錐。
大丈夫だとは思っていたが、外さなくても脱出できたか。これは朗報。運が向いてきた。
「なあ、お嬢様よ。ホーンラビットの角が抜けないなんて誰が決めた?」
「そ、そんなのテイムモンスターになったからって解決する問題じゃないですわ!」
「そう思うんならそれで結構。俺は優しく答え合わせなんてしないんでね」
ま、言うほど突飛なことをした訳じゃない。
木材に打った釘が抜けないのは抜く力より表面摩擦力が大きいからだ。
なら解決策は単純。
その摩擦力よりも大きい力で抜けばいいだけ。釘抜きだって梃子の原理で同じことやってんだ。トパーズならまどろっこしいことなんてしなくても膂力で抜ける。
もちろん、踏ん張れなければ力を込めることすらできない。それもあって足を狙わせたのだ。
壁に刺さった時、地面に足がついているように、と。
「むぅぅー! リルちゃん! 避けてもあまり意味はないようです! 叩き落としてくださいませ!」
「そう上手く行けばいいけどな。さあ、トパーズ暴れまくれ!」
大狼のHPは三割減っている。これなら、トパーズだけで仕留めることも不可能ではない!
またもトパーズの足下から衝突音。ウサギが勢いよく跳躍する。
しかし、狙いは狼ではない。
見当違いの方向へ跳び、今度はまた別方向へ跳び。
真ん中へ戻ってきたと思えば、また衝突音。どこかへと跳んでいく。
「……何をしてらっしゃるの?」
『主よ。気を抜くでないぞ』
「リルちゃん?」
『あの獣、我から目を離さぬ。我を刺し貫こうと虎視眈々と狙っておるのだ』
……うーん、どうやら油断してくれたりはしないか。
死角へ潜り込もうにも、大狼は壁際。闘技場を見渡せる位置にいる。
「トパーズ、そろそろ十分だ! 仕掛けるぞ!」
「どうやら来るようですわ!」
『心得た。さあ、来い見切ってやろうぞ!』
大狼の雰囲気が変わる。
こんな奴に真正面から挑むなんざ考えたくもない。
突撃するなら、真横からだ!
「今だ、トパーズ!」
「横から!」
『承知! ぬ、う! 甘いわ!』
奇跡的に足への狙いは完璧。
先程よりも近い場所からの突撃だ。
足元に来ると分かっていてもどの足かは分からないはず。ジャンプしてしまえば連続で突撃された時に詰む。
当たらなくとも、ダメージは入ると思っていた。
だが。
「なんだ? 今、トパーズの軌道が少し曲げられた?」
「リルちゃん、またすぐに来ますわ!」
『安心なされ、主よ。返す刀は先に止めれば良いのだ!』
大狼が息を吸う。
マズい、ハウリングだ!
無理な体勢だってのに撃つ気か!?
だが、トパーズは既に刺さった角を抜いている。
避けられる!
「なっ、おい! ダメだ、トパーズ! 仕切りなおせ!」
『やはり来たか、獣よ』
ハウリングを避けた体勢そのままでトパーズが跳び出す。
無茶な体勢から跳べば狙いなんて定まらない。
『…………』
『いい目をしているな、獣。また、我に挑むがよい。待っている』
胴体へと跳んだトパーズは来ると分かっていたのか、いとも簡単に避けられた。
待っていたのは壁。刺されば足もつかない高さだ。
金属三角錐を外せばまだ……!
「そこまで! テイムモンスター、トパーズ消滅! 次のテイムモンスターを出場させてください」
トパーズが負けた。
壁に刺さるまでもなく、空中で撃ち落とされた。
トパーズはどうしてあんな真似をしたんだ。
「考えたって分からない、か。だが、トパーズは仕事をやり遂げた」
俺側の扉が開いていく。
俺の二人目のテイムモンスター。
「出ましたか、アンノウン」
「お、いいね。その呼び方嫌いじゃねえよ」
先日行われた俺の闘技大会二回戦。
その時と同じことが今、この闘技場でも起こっている。
「試合、始め!」
俺のテイムモンスターは、いない。




