(2)
カタリーネが貸してくれた二階奥の寝室でヒューロ達は荷物を下ろした。
「どう思う?」
パトリツィアがロッキングチェアに座って揺らす。
「私は犯罪心理学を学んだ訳じゃない。テレビのドラマで知っただけだし。……素人分析で良いなら。状況を分析してみると犯人は人に見える……或いは声で獲物を誘き出し、殺してる。多分、女の声」
二人を見ると話してと目で促しているように思えた。
「どうして、女だと思うの? あのキメラ……襲った奴が」
「殺されたのは全員男。女の悲鳴か、嬌声なら男を引き込むくらい訳ない。同性でも気になるだろう。査察団も全員男だろう。先発隊も女の子一人を除いて、男だけだったし」
パトリツィアの疑問に答えながら、ヒューロは近くにあった椅子に前後ろ逆に座る。
「ヒューロだったら、悲鳴が聞こえた時にその場に駆けつけた? 嬌声なら、どうした?」
ヴァシリーサの問いをパトリツィアも止めなかった。知りたいのだろう。女として。
「正直に話すと、あんまり関わり合いになりたくない。恐らく、私のいた世界よりも……比較しなくても危険だし、女と襲う側が仲間で罠だと言うこともある。嬌声なら娼婦かもしれないし、外でしてるだけかも。そんなのに誘われて覗きにいく……趣味じゃない。
でも、パトリツィアとヴァシリーサなら絶対に助けにいく」
何故か最後の一言で顔が熱くなるのを感じる。こういう言葉は苦手だ。
この世界が中世と変わらない倫理観なら、向こうの世界の資料を鵜呑みにするなら都市部での暴行被害は高い筈。同僚なら迷わずに助けにいくべきだ。
もっとも返り討ちにされる公算が高いが――
ヴァシリーサがこちらに近付いてくる。それに対抗するようにパトリツィアも慌ててこっちに走ってきた。
「ヒューロ。ありがとう……こっちの世界が危険だって分かってるなら……自らの初めての人になって」
……頭の中が真っ白になった。言ったヴァシリーサ当人は真剣そのものとしか言いようのない眼差しだった。
中世の価値観なら十代半ばで経験済みで当たり前なのかもしれない。
「ちょっとそんな話」
「経験済みなのに邪魔しないで。命賭けなきゃいけない事態で男を知らないまま、死にたくない。単刀直入に聞くわ。自らは男としてのヒューロにとって……どうなの?」
パトリツィアを押しのけ、ヒューロに迫る。視線を逸らそうとして、どうしても、その、薄着のせいか、胸から目が離せない。
その手は腰に回っている。あからさまな嘘だと撃たれかねない。
自分の口が酸欠状態の金魚のようにパクパクと喘いでいる。
「す、素敵な……」
それ以上は早口で捲くし立てた。
「素敵な? 何、聞こえない」
ますます、ヴァシリーサの顔が近付いてくる。その度に周囲の酸素が減っているようにしか思えない。
「……素敵で魅力的なラインです。胸とか腰とか……勿論、強引な性格も嫌いじゃないけど」
顔を背ける。こんなこと、本人を前にして口にするなんて拷問以外の何物でもない。
恐る恐る前を見るとヴァシリーサの目尻から涙が零れていた。拙い。地雷を踏んでしまったか。なんて言えばいい。下手な失言は泥沼だ。
それに近くに立つパトリツィアも悔しそうに唇を噛んでいる。双方からビンタされるくらいで済めばいいが。
「……錬金銃士として無駄にデカイとか銃撃つのに邪魔だからコンプレックスあった。でも、そんなこと思わなくて良かったのか」
見る限り怒っている様子はない。むしろ、感極まっているらしい。
「パト。半時間でいいから。出てて。昼までには済ませるから」
ヴァシリーサは予想外の言葉を口にした。今ですか? まだ正午にもなってないですが――
「断る。断る。断固として断る。自分は……自分……だって、自分も処女だから!」
絶対に反対すると思ったが、その告白に呆然とする。事件の話をしている筈だったのに。
「優秀だったけど、そっちは疎かった。ええ、知識しかありませんよ。その条件なら自分が先じゃないですか!」
いつの間にかパトリツィアも涙目になっていた。しかも和徒語で逆ギレしている。
「何それ。言い出したのは自らでしょう。横槍入れるな」
「自分の方が年上なんだから、順番くらい譲りなさい」
和徒語で互いを罵り始めた二人はあらぬ方向に脱線していた。
「馬鹿パトは良家の子女でしょう。引き受ける人間なんて幾らでもいるでしょう。それに、してる途中に襲われたらどうするの。誰かが見張りに立たないと」
「正しいことばかり言ってると、疎まれるの! 見張りなら、リーサが立てばいいじゃない」
もう、無茶苦茶だ。しかも、カタリーネの家だと言うことを怒りで忘れている。
「……二人ともちょっと待ってくれ」
ヒューロが見かねて口を挟む。自分が原因なのだから放置する訳にはいかない。それにこのままでは掴み合いの喧嘩に発展しかねない。
「「何!」」
「ここは人の家なんだ。和徒語で話してても彼女が和徒語ができれば、筒抜けだと思うが……少なくともこの一件を……一連の事件を解決させないと」
その指摘にパトリツィアもヴァシリーサも冷静になったのか、お互いを見合ってから頷く。
男には知覚できない何か――女同士の密約が交わされたような気がした。
「絶対に不可能だと思うけど」
「前金代わりに約束して記憶は取り戻さない。元の世界に帰らないと誓える」
二人の視線がヒューロの体に弾丸のように突き刺さる。
「元の世界も何もAからBの地点にジャンプできたからと言って、その逆ができるとは限らないんだが……それに記憶」
「そんな前置きはいいから、誓えるの? 誓えないの?」
余計な前置きのせいで危険度が上がってしまった。こちらに詰め寄るパトリツィアの目が怖い。
「誓う。私自身の存在に誓って、帰らない。思い出さないから」
「その場限りの嘘じゃないわよね。一筆、この紙に書いて」
いつの間にか、ヴァシリーサが契約書のような紙とヒューロが以前に落としたと思っていたボールペンを差し出す。
「ここまでやらなくても」
抗議の声は重苦しい雰囲気に飲み込まれた。パトリツィアが近くにあった机の椅子を引く。ここで書けという意味だろう。
「なんだか、怪しい契約書にサインさせられているような」
椅子に座ってこちらの言葉で書き始める。日本語よりも綺麗に書けているだろうが……悪魔の契約書にサインさせられているような気分になり始める。
左右の首筋の辺りから、パトリツィアとヴァシリーサが覗き込んでいるのか、この部屋を支配する妙な重圧。
ヒューロは書き終えて、椅子から立ち上がった。
「じゃあ、終わったらいいのね」
ヴァシリーサが紙とボールペンを取り上げる。別に安物のボールペンだから構わないが黙って持っていかないで欲しい。
悪魔な契約書を見ながら二人とも口の端に笑みを浮かべていた。
これで権利の喪失は免れるとか聞こえたような気がした。
「この一件が終わったら、ゆっくりと話し合いましょう。ゆっくりと」
パトリツィアの笑みも何か、不穏な影を秘めていた。そんな表情、初めて見た。この都市の閉塞感よりも怖いかもしれない。
地雷を踏んだのか、踏まされたのか。これからの調査を前に頭が痛くなってきた。
話を元に戻した後、一度、怪しい施設の中に忍び込もうと言う話になった。建物の見取り図はカタリーネが用意してくれた。
何年もかけて集めていたらしい。こういう機会の為に。
日付が変わるのを待ってから、動き始める。
目星をつけていたらしくアトラスにある医療施設に向かう。着いたのは魚人間に襲われた時に少女を運び込んだ病院から少し離れた研究施設だった。
丑三つ時、薄暗い月明かりの中でそびえ立つ研究施設には明かりは灯っていなかった。
壁は低く警備が手薄で静まり返っているのに妙な緊張感があった。
「……警備に特殊な技術は使われていないと思うけど、顔は隠して」
ヴァシリーサがスカーフで顔を隠す。それに習って、ヒューロもパトリツィアも同じように顔を隠していた。
調査と言うよりは賊にしか見えない。
「ハイテク警備じゃないことを祈るよ」
独り言を呟いて、ロープを伝って上っていく二人を見届けてからヒューロは続いた。
この半年間で鍛えられた成果なのか軽々と塀を越えられた。細心の注意を払い、敷地内へと飛び降りる。
音を出さずに着地し、待っていてくれたパトリツィアと一緒に裏口を調べてるヴァシリーサの元へと向かう。
古びた金属製ドアの前で彼女が待っていた。
「魔術的な罠はないわ。開けられる?」
ヴァシリーサが鍵穴の正面を空ける。
ヒューロは入れ替わりに正面に屈んで二本の針金を取り出す。それを鍵穴に差し込み、弄り回す。数瞬後、小さな音が鳴り、ドアを解錠できた。
向こうを探りながらドアを開き、滑り込むように中に入った。鼻を薬品の臭いが刺激する。
この世界には似つかわしくない薄暗い非常灯が点っている。電力が安定しないのか光度が不安定で不気味な印象を与える。
パトリツィアとヴァシリーサも素早い身のこなしで施設内へ侵入する。
「予定通り、地下に降りる」
ヴァシリーサはまっすぐに地下へ下りる階段へと向かっていく。パトリツィアは殿を務めるのでヒューロが後を追う。
薬の効果で暗闇の中も問題なく見えている。この研究施設は使用された形跡があったが一階部分は埃が積もっていた。
階段を降りる途中、気になって隅を指でなぞる。埃の積もっている量が明らかに少ない。
前を歩くヴァシリーサが廊下に出る手前で左右を確認して手招きする。
ヒューロは廊下に出て、右へ。地図に書いてあった研究室らしく部屋の前で止まる。自動なのか、金属の扉にはカードリーダーも何もなかった。
「開けられる?」
追いついてきたヴァシリーサが問う。確かめる為に扉の前に立ってみると機械音と共に金属の塊が呆気なく開いた。自動ドアだったようだ。ヴァシリーサでは体重が足りなかったのか、それとも、センサーが馬鹿になってて反応しなかったのか。
「凄い。どんな魔法?」
パトリツィアを無視して、ヴァシリーサが銃を構えた状態で自動ドアが開いた隙間から研究室と思しき室内へ入っていく。
「魔法じゃない。ただの自動ドアだ。……中へ」
意味が分からず、困惑するパトリツィアを残して、ヒューロも室内へ移動する。
成人が入りそうな培養カプセルが幾つも並んでいた。その数は三十を超える。キメラの施設と言うよりはクローン製造工場と言った方が納得できる部屋だった。
カプセルを照らす照明が異常さを際立たせている。
「魔法じゃないな」
近くにあるカプセルは変な液体が入っているらしいのだが濁っていて中は見えない。
後ろから、少し怒った様子のパトリツィアが追ってくる。
「錬金術なの?」
「まさか。こんなの見たことがない。科学?」
パトリツィアの問いに答えられないヴァシリーサがこっちに振ってきた。
「多分、バイオ工学。クローンかな」
二人が辺りを警戒しながらこっちを見た。説明しろと言う意味なのは間違いない。
「簡単に言えば、細胞の、爪とか唾液の一部から角膜や臓器を作ったり、同じ人間を作る技術」
ヒューロに説明を促した上で聞きながら、二人とも辺りを調べてる。まあ、説明だけを聞いている時間的余裕はないが――面白くはない。拗ねてやろうか。
「こ、これ。……この人、見覚えが」
何気にパトリツィアがカプセルの一つを指差す。人が入っているようにも見えた。
近付いて、中にいる物を観察して、驚いた。オギュスティーヌにそっくりな……いや、保護して、隣の病院に運んだ少女と瓜二つだった。
培養液内では捕獲された人魚のように裸で保管されている。
細部まで見てみると、グリーンランプが点いていることから中の人間は一応、生きて――その肉体は生命活動を行なっているようだった。
「こっちも見て」
パトリツィアが丁度、反対側に鎮座していたカプセルの結露を拭ったらしい。
「……悪趣味だ」
オギュスティーヌと先の少女と似たような顔付きの少女が中に入っていた。
「要人でもここまでする?」
ヴァシリーサが侮蔑の言葉を吐き捨てる。
「気持ち悪くなってきた。壊すよ」
「駄目だ。これを壊すと侵入がバレる。それは避けたい。今は我慢してくれ」
剣を抜こうとするパトリツィアを慌てて止める。
「……分かった」
しばし、沈黙した後、パトリツィアが渋々、培養カプセル郡の破壊を思い留まる。
「全部潰すには爆薬でもない限り無理。見つかる前に急いで退散しましょう」
ヴァシリーサが部屋をざっと見渡して、判断した。ヒューロも同意見だった。人の顔がこんなに気持ち悪く感じたことはあっただろうか。
気分は悪いがこの少女達を眠らせたまま部屋を後にした。起こしてもこの眠り姫達は好意ではなく殺意を懐きそうな気がした。