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右ニ剣、左ニ銃ヲ  作者: 明日今日
第二幕 胎動
7/19

(3)

 街中で昼食を取った後、初日に案内してくれた少年執行官が現れ、また、殺人が起こったことを告げた。着いてくる気があるなら案内すると。

 グレゴリオが意図したことなのか、彼自身が勝手に判断したことなのか、真意を量りかねたが結局、彼の案内を受け入れた。

 アトラスに張り巡らされた路面電車のような乗り物に乗せられて、外れの住宅街に連れてこられた。余り良い乗り心地ではなかったが。体は感覚を覚えているようだが記憶など戻りそうにはない。

 アーネストは到着していないのか、袋小路の現場には別の執行官が取り仕切っていた。周りには人垣ができていたが、市場の住民達と違い、全員、衣服に高級感があった。

 漂う気品とは裏腹に全員、他人事でどこか愉しげであった。――人の不幸は蜜の味か。

「これで第七の現場ね。正確に言うと自分達の件を除くと六番目だけど」

 目と鼻の先に見える死体を見て、パトリツィアが独り言を呟く。

「時雨桜の方、こちらです」

 前の現場にもいた衛士が招きよせる。それを見て、少年執行官は用は済んだとばかり、衛士に一礼し、この場から離れた。

 帰り道は分かっているのでヒューロは引き止めなかった。彼が自分達に余所者に害意を懐いてるように感じたので顔を合わせたくなかった。

「目撃者は?」

「それが昼間なのに誰も見ていないのですよ。多分、発見したのは夜勤帰りの方だと思うのですがね。この区画は官舎しかないので人通りがないのです」

 衛士が困惑顔で述べる。この場をヒューロに任せて、パトリツィアとヴァシリーサは死体を調べに現場に踏み込む。

「こんな場所で起きたのは初めてなのか?」

「当たり前ですよ。みんな慌ててます。しかも、昼間にこんなことに……早く解決して下さいな。一人で歩けやしない」

 市場での反応とは違い、彼は露骨に不満を露にしているように見えた。往々にして下よりも中層部の方が体制への不満が溜まっていたりするのは確かなのだが――

「被害者の叫び声とか聞いていないのか」

「官舎の方々が聞いたのは遺体を見つけた時の悲鳴だけです。……何かあれば、ここの人間は見世物代わりに使いますので……もっとも自分が見世物になるとは誰も思っていないでしょうが」

 衛士は後半を周囲に聞こえないように言った。予め用意されている受け答えには思えない。

「誰が見つけた?」

「オギュスティーヌ様の御付の女官です」

 衛士が目で指し示す。その先を探ると担架の上で唸っている女性と主であるオギュスティーヌが推移を見守っていた。

 こちらに気付いたのか、軽く会釈をする。ヒューロも会釈を返すが違和感を覚えた。以前と会った時と何が違う気がするのだが――

「こっちは終わったわ」

「何か分かった?」

 声のした方向を見るとヴァシリーサとパトリツィアが戻ってきていた。

「最後に一つ。どういう状況で?」

「当人が気絶してるから詳しくは分からない。当人曰く、オギュスティーヌ様がまた逃げ出そうとしたらしいんだよ。その最中に見つけたらしい」

 衛士はそれだけ言って黙った。後ろで聞き覚えのある声がしたので大体は想像がつく。

 アーネストが到着したのだろう。退散するに限る。

「ヒューロ。彼女に話だけ聞いて、この場を去りましょう」

 パトリツィアも眉毛を歪めていた。

「ここで提案です。一緒に移動しませんか? 一石二鳥だと思いますが」

 オギュスティーヌがいつの間にか近寄ってきていた。また、気付かなかった。

 例えるなら動作がなくて、いきなり、結果だけがそこにあるような不可思議な感覚に陥る。

 二人と視線を合わせると、パトリツィアもヴァシリーサも頷いて意志を表した。


「ここは嫌いです」

 前を歩くオギュスティーヌが愚痴るように零した。こことは住宅街のことを言っているのだろう。

「貴方、前の現場にもいたわね。どうして?」

 ヴァシリーサの目に冷たい光が宿る。

「この一帯は本職を含め、行政に関わる者達の官舎です」

「自らは今回ではなく前回の一件を聞いてるの」

 はぐらかそうとするオギュスティーヌの前にヴァシリーサが回り込む。

「リーサ! 何でもかんでも人を疑うのはどうかと思う」

「あんたは疑うことを知らないだけ」

 止めに入るパトリツィアにヴァシリーサが冷笑する。

「……それなら、楽だよ」

 パトリツィアはヴァシリーサではなくオギュスティーヌの方を見た。

 彼女はその遣り取りを不思議そうに見ていた。何故かその姿が蜃気楼のように揺らいで見える。

「提案なんですが、本職と……あたくしと少し街を回りませんか?」

 その提案にヒューロはパトリツィアとヴァシリーサの顔を見た。

 二人とも苦い表情をしていた。オギュスティーヌの本心が読めないから。

「貴方、何が言いたいの?」

「あたくしは生まれて今まで行動の自由がなかったのですよ。だから、このアトラスをちゃんと見てみたい。願望を持っていただけです。それが叶いそうなチャンスを逃す必要がありません」

 ヴァシリーサの言葉にオギュスティーヌは微笑んでいる。口を手で覆った瞬間、腕に包帯が巻かれているのが見えた。

「では、ご一緒しましょう。ただし、目立つのでこれを被って下さい。その条件が飲めないのならお断り致します」

 パトリツィアはスカーフを差し出す。その言いようにオギュスティーヌが肩を竦めた。

「貴方、女官みたい」

 やはりこの手の人間の扱いはパトリツィアに任せた方が良いように思える。



 繁華街でも、スカーフで髪の毛を隠して歩いているせいか、住民達はオギュスティーヌに気付いていないように見た。或いは見ないふりをするのが処世術なのかもしれないが。

 パトリツィアは階級の高い人間の態度に慣れてるのか、宥めすかしたり、興味を逸らしたりしながら、オギュスティーヌを連れて、十歩程度前を歩いている。

「あの子、変だと思わない?」

 悟られないようにヴァシリーサが小声で前を向いたまま話しかけてくる。

「気配がないことか? それとも、何か、ぼやけて見えることか?」

「両方。現場で最初のキメラとは思えない物を見つけた。でも、それから考えるとそれは生物とは言えない。ヒューロが言っていた科学技術に近いじゃないかと思う」

 ヴァシリーサも同じことを考えていたのか。同時に先程の現場の話をする。

「お二人さん。ご一緒するには遠すぎると思いません?」

 オギュスティーヌがこちらを向いて手招きする。

 ヴァシリーサは溜め息を吐き、「話は後でね」と言って、前の二人との距離を詰める。

 通り過ぎていく彼女の表情には何かの確信めいた微笑。それを信じてヒューロは後を追った。


 市場の露店でねだるオギュスティーヌはアトラスの要人には見えず、歳相応と言うよりは子供のように見えた。その様子が十三歳にしては無邪気すぎる気がした。

 ねだる度にヴァシリーサが無愛想に口を挟んで拒否する。当人達は否定するだろうが、美人三姉妹にも見えなくもない。

「パトリツィア。これを買って」

 姉にせがむ妹のようにオギュスティーヌはパトリツィアの腕を引っ張った。その店で売ってい商品はカキ氷のような物に見えた。

 パトリツィアは若干、戸惑ったような表情をする。先程までと違い、子供のような態度で攻められると勝手が違うのか、対応に苦慮していた。

「これは止めといた方がいいと思うけど」

「何故? どうして」

 自分を見上げるオギュスティーヌに押し黙るパトリツィア。

「却下。要らない」

 ヴァシリーサがパトリツィアからオギュスティーヌを引き剥がす。

「理由を述べよ」

「頭がキーンとするから」

「違う。この位置取りだと氷の中に不純物が混じるから。それに保冷が中途半端だと美味しくない。もう店を開いてかなりの時間が経ってる。食べるなら朝に」

 ヒューロの答えをヴァシリーサが冷静に語り始める。

 露店の主人が論理的な説明に顔を顰めていた。多分、指摘されたとおりなのだろう。或いは冷やかしだと思われたか。

「おーい。年寄りさん。置いていくぞ」

 オギュスティーヌはこっちに向かって手を振る。

「誰が年寄りだ! 私は十七だ。達観してるように見えるからって、年寄り呼ばわりするな。……思い出せないから確証はないが」

 逃げる少女を追いかけようとするが、少し混雑していることもあり、人にぶつからないように動くと追いつけない。

「無茶しない」

 不意にヴァシリーサに止められた。見れば、パトリツィアがオギュスティーヌに追いつき確保していた。

「ヒューロを年寄り呼ばわりされると同年代の自分達も年寄り扱いされるのか」

 パトリツィアが額を押さえ、大きな溜め息を吐いた。

「……もしかして、あの人よりも年上なの」

 オギュスティーヌがこちらとパトリツィアを交互に見る。

「違います!」

 さすがに全力で否定するパトリツィア。そんな彼女を見て――

「なるほど。貴方達、面倒ね」

 オギュスティーヌは老成した表情になる。これが十三年しか生きていない少女の顔とは想像できなかった。しかし、それが異様なほど板についていた。それこそ本来の姿であるように。

「それはどういう意味」

 パトリツィアの表情が変わっていた。怒っているようにも見える。

「御免なさい。気に障ったなら、謝罪します」

 オギュスティーヌが頭を下げる。既に公職にある彼女に戻っていた。

 パトリツィアはそれ以上、何も言わなかったが、腑に落ちないのか、釈然としない様子だった。

 ヒューロはヴァシリーサを連れながら二人に近付く。周囲の人垣を割って、レオーネと名乗った男が姿を現した。

 以前見た時と同じ服装だったが、今日は攻撃的な印象を受ける。

「姫。そろそろ時間です。お戻り下さい」

 その牙を隠したまま、主である少女に恭しく頭を下げる。

 パトリツィアと向かい合う形であったが、男には隙がない。むしろ、彼女の方が危険に晒されているような錯覚に陥る。

 当人も分かっているのか、剣の柄に手をかけている。ヴァシリーサも腰の銃に手を伸ばしていた。

 こんな場所で戦闘が始まれば、市場の人間も巻き添えになるだろう。

「分かりました。捜索、ご苦労です」

 それを察したのか、オギュスティーヌはあっさりと迎えの使者の言葉を受け入れ、パトリツィアから離れた。

「こんなに愉しいのは生まれて初めてでした。貴方達と出会えて面白かった。楽しいですね。人間は……そして、同じくらい手間がかかるのですね」

 少女はこちらを振り向いて楽しそうに語る。同時に二度と体験できないような含みがあった。

 最後の部分に引っかかりを感じた。パトリツィアとヴァシリーサも同じだったのか、喋り返そうとしなかった。

「そう言えば、御三方に伝えとくぜ。合成獣と錬金術師は押さえた。もう事件は終わったぜ。さっさと内地に戻って、都市群に報告しな」

 歩き出したレオーネが振り向いて告げる。勝ち誇っているのか、煽っているのか、逆光で表情が見えず、判別がつかない。

 彼の言葉遣いに引っかかった。アトラスは独立した都市であるのに内地と言う言葉は適切ではない。もっとも外から来訪した人間なら不思議ではないが――

「ご忠告ですが申し訳ありません。自分達は依頼を完遂すると言う責務を果たしてはいません。だから、帰れません」

 パトリツィアが毅然と言い放つ。その一文が宣戦布告を行なっているようにも聞こえた。

「嬉しいことを言ってくれるじゃないか。これで一つ仕事が増えたと言うもんだ」

 逆光の中、レオーネの口元が笑いの形を作っていたのは見えた。そして、不吉な言葉を残して、オギュスティーヌを伴い、傭兵は人ごみの中へと埋没した。

「嫌な奴。殺意は隠してるのに顔は喜んでた」

 ヴァシリーサを見ると、その手は銃のグリップを握り締めたままだった。



 あの後、気分が落ち着かなかったが、食事を外で済ませた後、ホテルの部屋に戻った。

 ホテルのレストランで夕食が出る手筈だったがヒューロ達はそれを拒否した。勿論、払い損だが経費から出ているのでこの際、気にしないことにする。

 ベッドに入り、壁に背をもたれさせた状態でパトリツィアは眠っている。対照的にヴァシリーサはデスクに向かい、起きていた。

 交代で眠って、明日にはこのホテルを引き払う方が安全だろう。仮に集団失踪と殺人の首謀者が一個人であった場合にはそこまでする必要はないが――とても、そうには見えない。

 一人の人間を連れ去るのにも複数の人間の協力が必要であることを考えれば、複数の人間が、或いは何らかの組織が関わっていると考える方が妥当だろう。

 治安当局である執行官や行政……あのグレゴリオがそんな危ない組織や人間を野放しにしておくだろうか。裏があるとしか思えない。

「寝てたら?」

「寝たら無表情で怒るくせに」

 ヴァシリーサの言葉にわざとオーバーなゼスチャーで答える。

「勿論、十六の美少女が起きてるのに男が仮眠するなんて許されると思う」

 小悪魔のような笑みを浮かべて紐付き眼鏡を外し、それは彼女の胸の上に乗っている。

「爆睡してる十七歳には文句を言わないのか?」

「自らは同性愛者じゃないから、恋愛対象じゃない者には興味を示さないわ。ことが済むまで寝ていてくれた方が嬉しい」

 からかった言葉にヴァシリーサが近付いてくる。その姿に違和感を覚える。

「どういう意味?」

 椅子に座ったまま、真意を問う。彼女はヒューロの手を取り、引っ張る。

 引っ張られて、椅子から立たされ、抱き寄せられた。

 耳の穴にヴァシリーサの吐息がかかる。

「……敵よ」

 予想外の言葉に戸惑った一瞬、部屋の電灯が消えた。

 次の瞬間、ヴァシリーサに横へ突き飛ばされ、絨毯の上に転がる。目が慣れていないので真っ暗で何も見えない。

 同時にガラスが割れる音と銃声が響く。

「夜中に女を起こすな!」

 パトリツィアの声も聞こえるが、僅かにシルエットがぼやけて見えるだけで敵味方の区別がつかない。

 立ち上がらずにテーブルの下に滑り込む。情けない話だが、下手に加勢しようとするとかえって、足を引っ張るだけでしかない。夜目が利かない己を呪う。

 銃声と音の反響のせいで位置すらも把握できない。

 しばらくして背中に冷たく重い感触がする。誰かに剣を突きつけられた。丁度、肩甲骨の辺りに。

「お前達、うご――」

 銃声で男の声が掻き消された。同時に背中の感触が消える。その隙に反転。

 ヒューロはタリスマンの力で空気を拳大に圧縮して、人影の目に向けて放つ。

「がぁあ。この」

 撃ち出された空気の弾は敵の顔らしき部分に命中し、その動きを鈍らせる。

「はぁぁっぁぁ!」

 気合と共に詰め寄った影が人影を斬って伏せた。鈍い音と振動が床を通して伝わってくる。恐らく斬り捨てたのがパトリツィアだろう。

「大丈夫?」

「何とか。パトとリーサは?」

 やっと暗闇の中でハッキリ見えるようになった。闇の中でも燃えるような紅蓮の瞳。間違いなく、パトリツィアだった。

「役に立たないでスマン」

 同年代の少女に護られっぱなしなのが素直に情けない。

「下手に動かれるよりはいい判断だよ」

 パトリツィアは暗闇の中を生き残りがいないロングソードを持ったまま、警戒を解いていない。

「……ヒューロは夜目が利かなかったのね」

 ヴァシリーサが近寄ってきた。月光を浴びて彼女のサンディブロンドが光を反射する。彼女が入れ物から何かを口に含んで顔を近付けたと思った瞬間、口移しで何かを流し込んだ。

 柔らかい唇の感触よりも口の中に浸入してきた液体の味に驚愕する。

 コンニャクを腐らせて、それを百日寝かせてもそんな味は作れない。全身から汗が噴き出る。

「な、何だよ。こ、これ、吐きそうなほど」

 ヒューロは吐き出すこともできずに咽せながら顔を上げる。ヴァシリーサの顔が急に昼間と変わらないくらいに良く見えるようになった気がする。……ほのかに赤く染まった顔色のせいだろうか。

「口移しで飲ませる必要なんてないでしょう!」

 パトリツィアが激高して、ヴァシリーサに詰め寄る。興奮のあまり、言葉が和徒語になっていた。

「見張り」

「断る! 自分はリーサに命令される覚えはない」

 睨み合う二人を横目にヒューロは辺りを警戒する。視界に入ったのは五人。全員、息絶えているように見えた。

「理由を言え!」

 パトリツィアの顔は暗闇の中で熱を発するほど真っ赤に染まっていた。

「一般人には苦くて飲めないからよ。あ、ヒューロ、口直しが必要なら」

 ヴァシリーサがとぼけている隙にパトリツィアがこちらに寄ってきたと思った瞬間、胸元を掴んで引き寄せた。

 次の瞬間にパトリツィアの瞳が間近にあり、口の中には異物が入り込んでいた。ヌメヌメとヒューロの舌を舐め吸った後、口の中から出ていった。

「確かにこれは……でも、これで消毒完了」

 一転して青ざめるヴァシリーサを尻目にパトリツィアは頬を真っ赤に染めながら、桃のような艶やかな舌で鴇色の唇を舐めていた。

「……ば、馬鹿パト! いつ、そんなこと覚えたのよ!」

「女騎士と言うのも色々あるのだよ」

 怒りで震えるヴァシリーサにパトリツィアは器用にロングソードを持ったまま、腰に手を添え、勝ち誇るように胸を逸らす。

 完全に痴話喧嘩の様相を呈している。

「……自らが何も知らない田舎者と思って……ヒューロ」

 いきなり呼ばれて、ヴァシリーサの方を見る。

「今度、一緒にお風呂に入りましょう。こいつとの差を見せて差し上げます。一糸纏わぬ姿で!」

 ヴァシリーサが歩く度にその胸で眼鏡が跳ねてる。それは男としてはかなり嬉しいんだが……今はそんな場合では――

「何で一緒に入るのよ! ふざけないで」

「自らとヒューロの話でしょう。部外者は引っ込んでて」

 不意に頭がクラクラする。興奮状態で麻痺していたが背中の痛みに気付いた。剣で切られたのかもしれない。それにこの階の状況がおかしい。騒ぎに関わらず、人の気配がしない。

「あの」

「「何? 今、貴方の所有権で争ってるの!」」

 睨み合っていた二人が同じようにこっちを向いた。

「背中を少し切られたみたいなんだが。見てくれないか? それと、このフロア、私達以外に誰も宿泊していないかも」

 その一言でパトリツィアとヴァシリーサは我に返ったのか、大きく溜め息を吐く。面白くなさそうに二人は顔を見合わせる。

 そして、ヴァシリーサは壁際に移動して持っていたリボルバーに弾を補充して壁を沿うようにして移動し、角から顔を出して玄関の方を伺う。

「見せて。治癒式で塞ぐから」

 こっちにきたパトリツィアが背中に回りこんで服を脱がす。よく分からない言葉と同時に精霊のような金色の光が無数に集まってくる。それと共に痛みが和らいでいく。

 後ろを見れば、プラーナで作られた蛍の光で照らし出されたパトリツィアの顔。それはこの幻想を作り出した乙女――万物を司る妖精のようにも思えた。勿論、治癒式は医療技術と違って誰にでも使える訳ではないのでそう強く感じたのだろう。

「舐めて治したとか言わないでよ」

 ヒューロが正面に視線を戻せば、ヴァシリーサが銃を構えて、部屋のエントランスへと向う。

 やっぱり、内心、面白くなかったようだがその後姿は油断なく慎重に周囲を警戒しつつ、進んでいく。

「舐めるか!」

 パトリツィアは背中に手を添えて黙る。触れられた部分が熱を帯びる。

 ヴァシリーサは開いたままのドアの裏を確かめて廊下を確かめる。左右と天井を確かめて、部屋の中に戻った。

「昨日まで人を見たから安心してたけど、すっかり騙された。昼のうちにチェックアウトさせたのね。やっぱり、行政機関も一枚噛んでる」

 その言葉と同時に背中の痛みが和らぐ。

「尚更、逃げ帰る訳にはいかない。決着を着けたいし」

 パトリツィアがこのアトラスに潜む闇に対して、剣のように鋭い言葉を放った。

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