(1)
目を覚ましたら既に日が昇っていた。滞在先のホテルの一室だ。
四人用と思しき部屋の中に日光が差し込んでいる。仕切り代わりに使われていたアコーディオンカーテンを引っ張るように開け、ベッドから立ち上がる。
パトリツィアの姿は見えなかったが、眼鏡をかけたヴァシリーサが顕微鏡で何かを見ていた。
職務上、経費節減や襲撃対策の為とは言え、少女二人と同じ部屋と言うのは何回経験しても落ち着かない。けれど所有権を握られている以上、強く文句を言う訳にもいかない。
こちらから手を出すような真似はしないが――美少女二人と一緒にいて何も感じないほど、人間ができていない。男なのだから。
人の反応を見て楽しんでいる素振りを見せるヴァシリーサにヒューロとの間に何かあってはいけないと首を突っ込むパトリツィア。
調和が保たれていると考えるべきなのだろうか。女同士の争いだろうか。そんなことを考えている暇があったら、今は目の前の問題を解決する方が先か。
「それは?」
「最初の現場に残ってた血。それに魚人間の血……らしき物。液体に戻して調べてみたんだけど、人間の物だった。それだけなら、分かるんだけど、一つ……明らかに人間とは異なる成分の血があった」
顕微鏡を覗いたまま、ヴァシリーサが説明する。
「異なる成分?」
「人間だったら、こんな風に血の中に未知の結晶が混入したら死んでしまう」
ヴァシリーサが横に避けてこっちを見る。顕微鏡を覗いてみろと言う意思表示だろう。
「見ても分からないが、途中で混入した形跡は?」
ヒューロは右目で顕微鏡を覗いてみる。何か光っているように見えるが自分に分かる訳もない。
「ないと思う。それ自体が赤いけど、血液じゃない。どちらかと言うと循環液のように見る」
ヒューロは顕微鏡から目を離してヴァシリーサに視線を移す。
「それって錬金術か? 本来の意味合いじゃないけど生体工学とか……かな?」
「生体工学?」
ヴァシリーサがその目に楽しげな光を宿らせて顔を近付けてくる。
「専門家じゃないから詳しい訳じゃない。生物じゃなくて生物に、限りなく似せた機械があったんだ。向こうでは理論上は完成していたんだが全身をそんな風になんて……サイボーグの方がまだ現実味がある」
「そう言えば、その話してたわね。分野が違うから余り信じてなかったのだけど」
その返答にヒューロは面白くない。当然、全部が全部信じてもらえた訳ではないのは知っていたが。
「失言ね。確証が持てなかったから、どう受け取っていいのかが分からなかったのよ」
「無理もない。それに正確に言うと、義手とか義足の話も含まれる。元々、そっちが目的だったんだと思う」
珍しく顔を伏せるヴァシリーサに励ますように補足する。
「前にもしたわね。その話も。それは理解できる。でも、この世界の錬金術では到達できなかった。ホムンクルスの細胞の壊死を防げなかったらしいから」
気を使ったことを察してくれたのか、はにかみながら、ヴァシリーサが顔を上げる。
「それから考えるとこの一件は繋がるのか」
「繋がるの?」
答えを期待するヴァシリーサが顔を近付けた。その瞳はいつもの無表情と違い、悪戯を思いついた童女のような光が宿っていた。
「ヴァシリーサ! 人が風呂に入ってる最中に何やってる!」
振り返れば、パトリツィアが裸にバスタオル一枚を巻きつけた状態で立っていた。頭にはタオルを巻いているがバスタオルが落ちれば、一糸纏わぬ姿になってしまいかねない。
「それは……服かバスローブを着てから」
それで我に返ったのか、顔を真っ赤にして怒っていたパトリツィアが一瞬にして、真っ青になり、急いで脱衣所に舞い戻っていった。
「なあ、ヴァシリーサ。……パトが上がってくるのを分かっていて……からかっただろう」
「まさか。邪魔が入って残念」
ヴァシリーサは猫を思わせるように軽い身こなしでヒューロから離れる。
ドタドタと絨毯を揺らしながら、パトリツィアが浴室から戻ってきた。白いバスローブを着ていたが裸に近い格好なのは大差がない。
バスローブからはみ出した両手は騎士と言う職業に就いていたとは思えないほどか細い。
色艶の良い健康的な肌を真っ白なローブが引き立てていた。
「ヴァシリーサぁ! 今、何をしていた!」
「建設的な検証よ。こんな痴話喧嘩じゃなくてね」
眼鏡を外しながら、ヴァシリーサが笑う。何故か勝ち誇ったような笑みだ。
「ただの誘惑だ。それは仕事じゃない」
「気のせいよ。それよりも自信があるのか知らないけど、そんな格好してないで早く服着てきなさいよ」
「別に自信なんてないですぅ。貴方と違ってそんな凹凸が激しくありませんから」
「て、天然のくせに」
先程までと違い、ヴァシリーサがパトリツィアに噛みつく。凹凸発言が気に障ったのだろうか。
これ以上、この遣り取りを眺めている訳にもいかないが下手に止めに入ると後が大変だ。
成り行きを見守っているとヴァシリーサの表情が変わった。
「馬鹿パト。ここの浴室の水は海水よ。真水使って拭っておかないと後でベトベトするわよ」
その言葉にパトリツィアは慌てて浴室へと引き返した。
「騎士様は海上で真水が勝手に湧いてくるとでも思ってるの」
外した眼鏡を弄びながら、ヴァシリーサが溜め息を吐いた。
「普通は知らないと思うが……海上都市に住める人間は限られてるだろうし」
言葉にすべきではなかったのにも関わらず、口に出してしまった。
「……ヒューロはどっちの味方? どっちに所有されたい?」
ヴァシリーサがこっちを向き、真剣な様子で問う。情けないことに蛇に睨まれた蛙になった気分だ。
「冗談よ。自らだと言って欲しかったのは事実だけど」
返事に困っているとヴァシリーサは呆れたような顔をする。でも、その瞳は暗闇に佇む猫のように光っていた。
「それよりも、パトが上がったら、貴方も入ってきて。上がってきたら、三人で朝食を食べて調査の続きよ」
ヴァシリーサはヒューロの隣をすり抜け、デスクの上に散らかった顕微鏡を含めた機材を片付け始めた。
「リーサは入らないのか?」
お寝坊さん二人が寝ている間に済ませたと言われてしまう。――別に変な展開を期待していた訳じゃないが――虚しさを覚えた。