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右ニ剣、左ニ銃ヲ  作者: 明日今日
第一幕 檻
2/19

(1)

 あれから半年。この世界の人間ではないヒューロは行く当てもなく、パトリツィアとヴァシリーサに所有される形で人材派遣ギルド《時雨桜》に身を置いていた。

 こちらの公用語を覚えるのに三ヶ月が必要だったが、パトリツィアとヴァシリーサのお陰で随分と助けられた。

 その間、ヒューロの記憶は殆ど戻らなかった。自分のことを思い出せないことから、全生活史健忘と呼ばれる状態らしい。

 唯一、思い出せたのは高所から落下し、意識を失った後、経緯は分からないがあの場所に倒れていたこと。

 この世界では突然、出現した者達を流界者と呼ぶ。その多くが記憶障害に陥っていたこともあって、パトリツィアもヴァシリーサも記憶に関して何も言わなかった。

 ヒューロが思い出すのを躊躇っているのを感じ取ったのだろうか。それとも、二人は思い出させる必然性を感じていなかったのか。

 医者から症状を聞いたからなのか――中世風に見える世界なのに心理学が進んでいるのか、ヒューロ自身も症状に関してこと細かく説明を受けた。もっとも心理学も流界者からもたらされた知識らしい。

 もっと奇異な目で見られると思っていたが、このギルドの――少なくとも、パトリツィアとヴァシリーサはヒューロの状況を頭から否定するような発言は一度もしなかった。

 ただ、ヴァシリーサには迷惑料として技術に関して知っていることを根掘り葉掘り聞かれた。パトリツィアは純粋にヒューロの役に立てたことを喜んでいるように見えたが、それは代償行動にも思えた。

 唯一、二人が否定したのは一人称だった。私と使うのが外見と実年齢に合わないらしい。自分が抜け落ちている人間に無茶を言わないで欲しい。

 取り合えず、理解したのは文明が高度に栄え、そして衰退したらしい世界では流界者と呼ばれる者の知識は栄光を取り戻す為に必要な金の卵を産む鶏らしい。

 扱いが見返りに合っていない可能性もあるがヒューロは日々の忙しさにかまけて深く追求しなかった。


 時雨桜に慣れ始めた頃、アイリシアン大陸の本部がある都市ダグラスに呼び出されたのは初夏の風が吹く晴天の日だった。

 目の前に置かれたデスクを挟んで苦手な中間管理職のクラウチがこっちを睨みつける。

 整然としたオフィスの中で彼女はくつろいだ様子で主として君臨していた。

「他の二人は?」

「もうすぐ、やってきますよ」

 ヒステリックな声にソファーに座りなおし、さらりと答える。こちらに非があるような返し方をすれば、八つ当たりの対象にされかねない。

「流暢に喋れるようになったわね。……それでも、噛んでるけど」

 受け答えを交わそうとした瞬間、皮肉が飛んできた。愛想で返事をしなくて良かったと心底思う。

「ミス・クラウチ。それで用向きは?」

 クラウチの表情が曇る。一人で先にきたことを非難しているようだ。

「拾い主が着いてから話すわ。でも、君を呼んだのは流界者だからあの二人よりも先進技術に詳しいと思っているからよ」

 自分のデスクに腕組みしながら、クラウチが呟く。

 その時、聞き慣れた声が部屋の外から聞こえてきた。

『海上都市? どうして、そんな僻地に赴かなきゃいけないの?』

『困ってる人を助けるのなら問題ない』

『勝手に出かければ? 自らは御免こうむる』

 言い終わらないうちにオフィスのドアが乱暴に開いた。蝶番が勢いよく揺れる。

「ちょっと、ドアを壊したら給金から差っぴくかんね」

 クラウチは血圧が上がりそうな声で叫び、入ってきた二人を睨みつけた。

 それを意に介さず、パトリツィアとヴァシリーサがヒューロを挟んで左右に座った。

「ヒューロはお前達の緩衝材だな。本題に……仕事の話を始めよう。……海上都市アトラスは知っているな?」

 クラウチの説明にヴァシリーサがこっちを見た。

「多分、ヒューロは住んだことがあるんじゃない? 貴方がいた世界で高水準な都市だと思えばいいわ」

「あんた、本当に馬鹿ね。ヒューロの話じゃそこまでは進んでいなかったみたい」とヴァシリーサが横槍を入れる。

「パト、リーサ、人がうろ覚えなことでとやかく言っても仕方がないから」

 フォローするが二人とも睨み合いで忙しいのか、聞いていない。

「お前達ぃ、喧嘩するなら仕事の話が終わってからにしてくれるかしら?」

 こめかみを押さるクラウチの抗議に左右の二人は一時的な休戦モードに入った。

「一回しか話さないからよく聞きなさいよ。毎年、周囲の都市群がアトラスに難題を吹っかけて査察に入るんだけど、その査察団全員が消えたの。それも荷物と一緒に。目撃者は人の背格好をした奇妙な怪物に襲われたと言っているらしいわ。遺体は見つかってないから単なる見間違いか、ミスリードさせる為の偽証かも。ただ、全員死んでる可能性も否定できないけど。

 勿論、アトラス当局が捜査中なのだけど、向こうだけに調べさせる訳にもいかないから、都市群の依頼でうちのギルドからも人員を出したんだけど――報告がないどころか連絡が途絶えちゃって、新たに専門分野の人間を借り出す事にしたのよ。あんたの得意分野は錬金術でしょう。科学の知識は豊富な筈」

「科学と錬金術は違います。第一、自らの錬金術は錬金術でも研究施設にいたことはありません。フラスコも持ってないし」

 ヴァシリーサの声はあからさまに不機嫌だった。古傷に触られたように。

「仕方ないじゃない。ウチにいる錬金術のエキスパートがアトラスから帰ってこないのよ。

 その子、来月、田舎の幼馴染と結婚する予定だったから……トラブルに巻き込まれたとしか考えられないの。……エマージェンシーレベルでの。

 だから、怪物の件とそいつが殺してるのか、そして、査察団の人間と消えたギルド構成員の発見をお願いするわ」

「土地柄、ヒューロは分かりますが、どうして、自分に?」

「地政学的にここで都市群とアトラスで戦争でも起きてみなさいな。海運に大ダメージよ。現在、政治的に対応できそうな人材で手が空いてるのは貴方しかいないわ。専門家の手が空くまで情報を収集して状況を悪化しないように努めて」

 クラウチが投げ捨てるように対応する。パトリツィアの表情が曇る。

「自分は……自分には向いていません。別の者に頼んで下さい」

「お偉いさんには受けがいいじゃない。繕うのは得意だろうし……断るなら所有権を放棄したと見なして、自らとヒューロの二人で出かけて」

 ヴァシリーサの皮肉にパトリツィアが口を開こうとした瞬間、クラウチが資料を投げた。

 ヒューロは顔面に命中しそうだったので反射的に資料を受け取ってしまう。

 それはクラウチにこの仕事を引き受けたと言わせる口実を作ってしまったに等しい。二人が隣で渋い表情になった。

 そんな遣り取りを満足そうなクラウチは口を開く。

「とにかく……依頼料としては破格だし、前払い金もあるから今から出発してよね。その資料の間にアトラスの近くまでの舟券挟んでるから。そうと決まったら私の餞別である救命用具を持って出かける。あと、滅多に入れないんだから産業スパイも兼ねてね。

 ……仕事の話は済んだから喧嘩なら他所でやって――それと死ぬんじゃないわよ」

 オフィスの主は椅子を回転させて背を向ける。

「……そう言えば、ヒューロ。君の記憶もアトラスに行けば、思い出すかもしれないぞ。巧く立ち回れば、元の世界とやらに帰れるかもしれないし。行く動機も作れたことだし、お仕事頼んだわよ。――違うか、君が生きる為に」

 その言葉に左右の空気が澱むのを感じた。手首の傷を触って溜め息を吐く。別に記憶を取り戻したい訳ではない。

 ただ、知識がそこに依存しているだけ元の世界と言われても実感などない。それに勘当同然で世界に追い出された人間がそこへ帰りたいとは思わないだろう。

 だって、その元の世界とやらに戻れば、ただの人である。

 クラウチの背中に反論の言葉を投げつけることなく、ヒューロはソファーから立ち上がる。

「……ここで怒鳴りあっても仕方ないだろう。出よう」

 ヒューロは左右に座る少女を横目に資料を持ってオフィスを出た。

 ドアを開けて待っていると二人が遅れてやってきた。その表情から不穏な空気が大気が解けるように霧散していく。

 元の世界云々はパトリツィアとヴァシリーサの前では禁句にしておこう。下手に受け答えしないで正解だった。二人ともその話題を嫌がる。金の卵に逃げられて喜ぶ馬鹿はいないだろうが――

 目の前を二人の少女が通り過ぎてからヒューロはオフィスのドアを閉めた。閉める寸前、クラウチの後姿が何処かやり切れないように見えたのは気のせいだったのだろうか。


 三人で廊下を歩いていると、ヴァシリーサが不満ではなく、懸念に近い表情で話しかける。

「ヒューロ。アトラスがどんな都市か知らないでしょう」

「スラムみたいな危ない場所なのか?」

「平和で良い街だと聞いてるけど、前時代技術をサルベージして科学技術も進んでるし」

 パトリツィアの返答にヴァシリーサの額に皺が寄る。ただでさえ、気難しい彼女がそんな顔をすると余計に話しかけ辛い。その美貌のせいで迫力も増していた。

「あそこは……別名、管理都市。楽園と呼ばれる天国の姿をした地獄と言われてるのよ」

 ヴァシリーサは溜め息を吐く。

「この世界で科学技術なら上位に入る都市だけど、その実情は統制都市された空間で人口までコントロールしてる。階級で子供を産めるか産めないか。外部の人間が査察以外で入るのにも大変な閉鎖都市。そんなところを調査任務だから覚悟して」

 その言葉を聞き、ヒューロはヴァシリーサの懸念を感じ取った。

「向こうの世界にそんな物語があったよ。工場で赤ん坊が出てくるような話が」

 昔、近未来の話でそんなSFがあったことを思い出す。

「一見、楽園のように見える地獄とそこで発生した怪物が関わってるらしい連続で起きてる集団失踪事件を解決して、行方不明の人達を連れ戻す。こういうことだね」

 切り替えの早いパトリツィアが張り切った様子で話す。この手の依頼だといつもこんな状態だった。何か、トラウマを刺激しているのだろうか。

 しかし、ヴァシリーサはそれが面白くないのか黙ったままだった。彼女は性格的に一度引き摺ると長いのもあるが。

「そんな都市ならどうやって潜り込むんだ?」

「パスと言うか、ビザを発行してもらえる筈だから入るのには問題はない。入るのにはね」

 ヴァシリーサの表情が陰っていた。その表情から、一度、アトラスに入ったら、出ることが容易ではないことは感じ取れた。

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