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右ニ剣、左ニ銃ヲ  作者: 明日今日
終幕 背負うべき業
18/19

(1)

「ヒューロ。身体は?」

 駆け寄ってきたパトリツィアが心配そうに聞く。

「それよりもオギュスティーヌとヴァシリーサを頼む」

 パトリツィアの表情が曇った。治すのが嫌なのではなく、恐らく、助からないのか、助けられないのか。

 ヒューロはパトリツィアに助けられて、オギュスティーヌの傍による。

 ヴァシリーサもカタリーネと共に近付いてきた。

 カタリーネは生気を失いかけていたように見えた。生きる目的を失ったのだから、仕方のないことなのかもしれないが。

「手伝ってくれて、ありがとう。君の助けがなければ、全員殺されてた」

 素直に頭を下げた。本当に彼女のお陰だ。メイン・コンピュータから冷却液を放出してくれなければ――

 その選択肢は彼女の死を確実に早め、引き寄せる選択肢であったにも関わらず。

「気にしないで。《あたくし達》はあのボタンを押した時に運命は決まっていました。

 だから、ヒューロさん達が気にするようなことではありません。それより、ありがとう。あたくしは嬉しかったです。少しの間だけでも人間として愉しく生きられました。買い物デート愉しかった。……そして、人間だった頃を思い出せた」

「助けてくれてありがとう」

「礼は言わないから」

 パトリツィアとヴァシリーサが一礼する。

「御免なさい。《あたくし達》が自分を止められたら、彼も死なずに済んだかも。本当に御免なさい。もうすぐ、このアトラスは崩壊します。緊急システムが働くので全部は沈まない筈。北の区画へと向かって下さい。あそこは沈まないように設計されていますから」

 オギュスティーヌは目を閉じた。そして、もう、二度と目覚めないのだろう。

 最後に言葉のボールを投げられたカタリーネは微かに口を歪めるように笑っていた。

「誰が、謝罪なんて望むの。私が望むのはテオを帰して欲しいだけ。それだけだった」

 その目から涙が溢れた。だが、すぐに黒い袖で拭って、歩き出した。グレゴリオ司教が倒れている位置だ。

「何か……言いたい……ことはある、かね」

 まだ息のあった司教は自分の娘であった者を見つめる。いや、実際は見えているのだろうか。それを示すようにその瞳は虚ろだった。

 カタリーネは何も答えずにただ冷ややかに見下ろしていた。先程とは違い、涙の一滴も流さない。……いや、耐えているだけなのかもしれないが。

「そうか。何も、ないか。当、然だ」

 司教が息絶えた。苦しんでいるような表情はない。満ち足りているようにも思えない。彼自身が選び、背負った業なのだろう。

「ほら、診せて。ついでにリーサも診るから」

 パトリツィアに促されて、ヒューロは床に座り込む。ヴァシリーサは不快そうに黙って了承した。


 パトリツィアがヒューロとヴァシリーサの傷の手当をし終えた瞬間、大きく重々しい音が響いた後、大音響のアラートが鳴り響いた。

『緊急事態発生。緊急事態発生。アトラスの根幹に関わる異常事態が発生致しました。これより、全ての隔壁が解除されます。アトラスに住まう全ての市民の皆様はすぐに北区の浮き島に向かい、速やかに脱出の準備を行なって下さい。繰り返します。

 緊急事態発生。緊急事態発生。アトラスの根幹に関わる異常事態が発生致しました。これより、全ての隔壁が解除されます。アトラスに住まう全ての市民の皆様はすぐに北区の浮き島に向かい、速やかに脱出の準備を行なって下さい』

「始まったようですね。でも、何人がこの箱舟から出ていくのでしょうかね」

 カタリーネは他人事のように呟く。もう彼女には生きる意味がないのだから。

「指示に従って北の区画に退避しましょう。金持ちの為、避難し易いように作られた北区に」

 ヴァシリーサが皮肉を込めて呟く。

 足を確かめるが動くにも走るのにも支障はなさそうだ。パトリツィアを見る。

 彼女もカタリーネのことを気にしているのか、頷いて返した。

「さあ、脱出しましょう。抜け殻でも依頼料払ってもらわないと困るから」

「心配しないでも大丈夫です。テオの墓に報告するまでは死ねません」

 喪服の女は寂しそうに笑いながら、立ち上がった。同時に非常灯に切り替わる。

「北への区画へ向こうです。役所からだと時間のロスになります。直接、北へ。恐らく、非常電源以外落ちている筈です。だから、自分の足で地上まで上がらないといけません」

 その言葉にヒューロ達は慌てて、指し示された方向へと走り出した。



 天井からは溜まった埃や天井の一部が割れ、それらが落下してくる中、中央区画を出て、ようやく連結部分に出た。この金属製の短い橋を渡り、地上まで階段を上り続ければ、外に出られるらしい。

 だが、橋の下では浸水が始まっている。ここが水でいっぱいになるのも時間の問題だろう。

 パトリツィアとヴァシリーサが渡りきった後、ヒューロが後に続く。

「カタリーネさん、早く」

 振り返ると最後尾に続くカタリーネは橋の反対側で立ち止まっていた。

 パトリツィアが口を開こうとした瞬間、大きな揺れが襲う。

 大きな音と共に橋が軋み、音がすると同時にヒューロの足元が消える。反射的に両手で壁を引っかくように虚空を掻く。だが、存在しない物を掴むことはできない。

 奈落に向かって体が落ち始めた瞬間、四本の腕がヒューロの腕や服を掴む。

「早く上って」

 ヴァシリーサが苦しそうに引っ張る。対象的にパトリツィアは余裕があったがその視線は対岸に注がれている。

 ヒューロは二人の協力を得て、足を壁の出っ張りに乗せ、床の上に体を戻す。

「助かった……カタリーネ」

 硬直したままのパトリツィアの視線を辿る。橋の反対側に喪服の女性の姿はなかった。

「落ちたのか?」

「いえ、手で先にいけと促して奥へ戻っていったわ」

「別ルートがあるのかもしれない。先へ急ごう」

「でも、置いていくなんて」

「そんなことを言ってる場合じゃない。四人丈はある。自ら達には助けられないわ。別ルートで上がってくるのを祈りましょう」

 ヒューロの世界の単位に直すと一人丈が大体、百五十cmだとすると六mはある。人の身で道具も助走距離もなく渡れる距離ではない。

 周りを見ても使えそうな物は見当たらない。それに既に時間的猶予など殆どないだろう。

 下から浸水と崩壊が始まるだろうから、自分達に残されたタイムリミットは市民達より少ない筈だ。だが、助けようにもこの状態では戻るルートが無事であるかも怪しい。

『時雨桜の方々、そんなところで足を止めないで急ぎたまえ』

 突然、グレゴリオ司教の声が響いた。死んでいる筈の人間の声が――

 その場にいた全員の体が震える。近くを見渡してみるが、スピーカーは発見できない。

「生きてた?」

「あれは死んでるでしょう」

「死んでるか、確認した?」

 ヒューロの問いにパトリツィアとヴァシリーサはかぶりを振った。

『申し訳ありません。スイッチを押し間違えました。非常時にはその時の指導者の声が流れるように調整してあるのです。わたくしに気にせず、早く脱出して下さい』

 スイッチが切り替わるような音と共にカタリーネの声が聞こえた。

「カタリーネさん、貴方まで死ぬことはない」

 ヒューロは心の底から叫んだ。このアトラスでただ一人戦い続けたカタリーネは流界者と呼ばれる状況で自分と似てたから……

 よく考えれば、こちらの声が聞こえているのだろうか。

『残念ながら、手遅れです。調べた結果、わたくしの現在位置と貴方達との間の通路は絶たれました。あの橋が最後だったみたいなのでここにはこれません。諦めて下さいな』

 このアトラスに入ってから何度も聞いた冷淡なトーンで他人事のように彼女は告げる。

『最初から計画的にはこうする気でいました。テオがいない世界で生きてきたのは復讐を果たす為でした。それを果たした以上、既に未練なんてありませんから。あるとすれば、皆さんに報酬を支払うことができないのが心苦しいのですが、余裕があったら、わたくしの家から持っ出して下さい』

「貴方はこの都市に捨てられたけど、恋人は貴方に命を捨てて欲しいなんて思ってなかっただろう! 止めてくれよ。私は貴方を助けたいんだ!」

 自分とカタリーネの姿が重ねていたことに気付いた。いや、正確にはカタリーネに他人の助けが欲しかった自分を重ねていた。

 そして、記憶の一部が戻っていることも。何故、崖から転落することになったのかも。

『早く脱出して下さい。非常灯への電力の供給も怪しい。わたくしが持たせている間に』

 こちらの願いを封殺するようにカタリーネが告げる。

 助けられないの。とパトリツィア。

「どうやって? それに迷惑よ。当人が満足して逝くだから。これもあんたが好きな人助けでしょう。……行きましょう」

 パトリツィアの提案をヴァシリーサが遮り、ヒューロの手を掴む。

 彼女の手の体温を感じ取り、自分とカタリーネが違うことを悟る。カタリーネは一人だったが、ヒューロには護られ、護らなければならない二人がいる。

 パトリツィアも指摘されて、唇を噛んでいた。内心、不可能なことを理解しているのだろう。

 これ以上、迷うことは許されない。

 リーサ、先に急ごう。と告げる。信用してくれたのか、彼女の手が離れた。ヒューロは通路奥にある上へ向かう階段へ向け、走り始める。二人はそれに続く。

『皆さん、ありがとう。それに……わたくしは復讐の為に残るのではありません。それから、解き放たれる為に残るのです。……だから、悲しまないで下さいな。

 都市全体に避難指示を出しております。お急ぎ下さい。

 それと、このアトラスのマレビトであるヒューロさん。君は人のことよりも、その両手に持ってる物を大事になさい。

 もし、女を二人も同時に不幸にするなんて、同じ女として許しませんよ。力と人としての強さは違うのですから……しっかり愛して護りなさい。それが殿方の義務です。

 ……リーサさん、言うまでもないことだと思いますが、お二人を頼みます』

 彼女の励ましと言うか独白を聞きながら一心不乱に地上へ続く階段を登り続けた。

 カタリーネは復讐と言う業を背負って逝くのだから。

 ヒューロは歪む視界で上を目指した。

 何が助けるだ。助けられたのはこっちじゃないか。情けない。だから、今はこの二人を護ることが自分のすべきことだ。……彼女達は自分に戻れる場所を作ってくれたかけがえのない存在なのだから。

 それに男としてもパトリツィアとヴァシリーサの二人を意識してる。所有されるのも悪くない。

『テオ。貴方はわたくし一人ですら支えられなかった。だから、このアトラスを沈めてやる。貴方が一番大事な物を。そうしたら、わたくしを両手で支えられるでしょう。そう思ってたのに。馬鹿ね。わたくしたら……ねえ、テオ。こんなわたくしを許してくれるかしら。許してくれるのなら――』

 上に光、朝日の光と思しき物が見え始めた時、下から大量の水が押し寄せてきた。

 それと同時にスピーカーが壊れたのか、それとも、カタリーネが喋れなくなったのか、それ以降、声は聞こえなくなった。

 目の眩む光の中、階段を昇ると地上に出た。紛れもなく、アトラスの北にある高級住宅街だった。人々が逃げ惑っているかと思えば、夜が明けて間もないのか、この区画は異常なほど静かだ。

 周囲を見渡せば、カタリーネの家の近くで見覚えのある街路灯が根元から圧し折れていた。彼女の結末を示すように――


「……最後に見た時、カタリーネは手を振ってた。声は聞こえなかったけど、『ありがとう』って」

 手で陽光から目を覆い、寂しそうな表情でパトリツィアは呟く。

「そんな顔を見たのなら、止めなくて正解だった。だって、死なんてとっくの昔に覚悟してる人の瞳だったから」

 大きな目を薄目にして、ヴァシリーサは自嘲気味に言った。

「ああ、また、ただ働きだ」

 朝日の中、錬金銃士が泣いているように見えた。



 ヒューロ達が地上に出て、港を目指そうとした瞬間、大きな音が後方で起こる。

 振り返ると、五階建ての役所が熱で溶けた飴細工のように真ん中から押し潰れるように倒壊していく。

「急ぐよ。センチメンタルに浸っていられるほど、余裕ない」

 ヴァシリーサが背中を押す。先程までの様子が幻を見ていたかのように冷静に告げる。

「ターミナルって北だったけ?」

「違う。それに今は船が着てないよ。定期便は明日の朝なんだから。浮き島に」

 パトリツィアの意見をヴァシリーサは急かそうとする。

「……ちょっと待って。荷物の中に浮く物がなかった。クラウチが選別にくれた救命用具」

「そう言えば、そんなの入ってた」

 ヒューロ達はお互いの顔を見やった。一瞬の思考の後、カタリーネの家へと向かった。


 カタリーネ宅はまだ原型が残っていた。ドアを蹴破って、中に入る。

 火事場泥棒がいるかと思ったが予想以上、都市の崩壊のスピードが早い。

 幸い、三人が止まっていた部屋は無事だった。慌てて、荷物の中から、長靴と手袋と一緒に手紙を探し当てた。

『もしもの場合にこれを渡しておく。靴と手袋を身につけておけば、水に対して沈むことはない。錬金術の使える者に使い方を聞け。あくまで貸しただけなので必ず返すように。

 最後に、あいつを頼む クラウチより』

 微かに涙で濡れた跡のあるその文字を目にして、ヒューロは複雑な気分になった。クラウチが託した人物はこの世には――いない。

 ふと、机に視線が釘付けになる。写真立てにカタリーネと青年が映っている写真が収められていた。二人とも幸せそうに笑っていた。

 ヒューロはクラウチに渡す為に写真立てからその写真を取り出し、ポケットに入れた。

「ヒューロ! 身に着けた?」

 足音と共に駆け寄ってくる。慌てて、長靴に履き替え、手袋を填める。

 パトリツィアとヴァシリーサが部屋にやってきた。当然、二人とも準備を整えた状態で余分な荷物をもっていない。

 だが、ヴァシリーサの首には紐付き眼鏡がぶら下がっていた。これだけは回収しておきたかったのだろう。

 時間がないので椅子を使って、部屋の窓をぶち破り、ガラスと窓枠が落ちていく。

 ヒューロは急いで屋外に出る。二人もそれに続く。

 屋根から見たアトラスは都市に張り巡らされた水路から、水が溢れ出していた。沈むのも時間の問題だ。

「移動ながら説明するから、よく聞いて。確かに、魔術を行使しなくてもこの二つは水に浮く。でも、万能じゃない。水かさが急激に増えるような状況だと普通に沈むから、とにかく、この都市の崩壊時に発生する渦に巻き込まれないようにしないと話にならないから」

「それ、ここから離れないと何の役にも立たないってことじゃない」

 説明にパトリツィアがぼやく。

「そうね。ないより、マシなレベル」

「救命胴衣の劣化版か。急ごう。地下から溢れ出してる」

 ヒューロは屋根から飛び降りた。

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