(3)
「かなり近付いてると思う。この手の技術はエネルギーが必要だから」
ウンザリし始めたヒューロにヴァシリーサが宥める。心境が筒抜けのようだ。
「これを見て。この顔、行方不明になった査察団のジョンソン・パトリックよ」
パトリツィアが培養カプセルの一つを指差す。男が液体の中に浮かんでいた。
ヒューロはズボンのポケットを弄って、彼の身分証明書を取り出そうとするが何かに引っかかって取り出せない。先に近付いて男を調べる。
彼の状態を確かめると、胸の傷から死んでいるように見えた。だとするなら、この液体はホルマリンなどの防腐剤に近い物なのだろうか。
「これで少なくとも、アトラスの行政機関が関わっていた犯人だったと言う事実は確定か。失踪事件は彼らの犯行だった」
「だとしたら、時雨桜の先発隊も」
パトリツィアの見解にヴァシリーサが嫌な結論を導き出す。
『どうだね。調査内容を偽造してくれないか。見返りとして、命を助け、この都市のシビリアンに加えてやってもいい』
突如、グレゴリオの声が聞こえた。どこかにスピーカーが設置されているのだろう。今頃、彼らは監視カメラを通して、こちらの出方を伺っているのだろう。
しかし、声しか聞こえないが内容的にグレゴリオ当人が言っているとは思えない。彼は自分達を追い返そうとしていた。では、今喋っているのは誰なのか。
パトリツィアとヴァシリーサは辺りを見渡しているが発言の主が見つかる訳もない。
周囲に敵が潜んでいる可能性があるので二人への説明は後回しにする。
『だとよ。さっきの会話さぁ聞こえてたぜ。あんたほどの錬金術に精通した人物ならこの都市の市民になれるらしいぜ。いい取引だと思うぜ。あんた達の同僚みたいに取引を拒否したばっかりに斬られて死ぬよりはな。惜しい連中だった。あいつら、結構、手応えがあったからな』
レオーネと思しき男の声がした。本物ならば、彼が一連の事件の首謀者だったのか。
「リーサ!」
パトリツィアの声にヴァシリーサがこっちを見る。街中を走っている時に苦笑いで流したのを怒っているのだろうか。
しばらく、彼女がこっちを見た状態で沈黙が続いて、正面に向き直った。
「……錬金術の素材にでも使うつもりなの? 冗談じゃない! 大事な物がない……つまらないだけの人生なんて送るつもりはない」
嘲うような口調でヴァシリーサは切り捨てた。
この場の音声も拾っているのか、スピーカーを通して、向こうの息遣いと沈黙を伝える。
『君はどうだ? ヒューロ。その知識。技術に対する免疫。……君は流界者なのだろう?
ならば、この世界の生活水準では苦痛だろう。君が望むなら、このアトラスに住まわせることも可能だ。もし、君が望むなら元の世界に送り返してあげてもいい』
次は自分を口説くのか。二人が不安そうにこっちを見る。特にヴァシリーサの目が潤んでいるように見えた。――私の所有権あるだろうに。
「悪いが記憶が混乱していて自分のことは思い出せないんだよ。当てが外れたな。別の流界者をスカウトしろ。それに証明できないことを取引材料に使うべきじゃない」
ヒューロは引き抜きに即座に拒否の意志を叩きつける。
『ならば、来るがいい。待ってるぞ』
そこで彼の話は終わった。誰かが、グレゴリオに成りすませば、カタリーネを捕縛することも可能だろう。
「どうでもいいけど、偽者! 自分だけ誘わんのか。女に対して失礼すぎる。気がなくても口説け!」
パトリツィアが剣を抜く。彼女もグレゴリオに違和感を感じていたのか。
「誘われたかったのか」
「啖呵をきりたかったのに。無視されたのが面白くない」
問いにパトリツィアは拗ねる。笑い声が響いた。
『交渉決裂か。いいね。早くきなよ。中央動力炉だ。いいもんが見れるぜ。でも、急げよ。《彼女》が死ぬ姿を見たくなければ』
ノイズと共に声は聞こえなくなった。スピーカーを切ったのだろう。同時に培養カプセルから培養液らしき物が音を立てて排出されていく。
「おなじみのパターンか。リーサ。こいつらは実際、戦闘兵器としてどうなんだ?」
「ここにあるのは……多分、大したことない筈」
ヴァシリーサは培養カプセルの中のキメラに向かって銃撃しながら答えた。出てくる前に頭を撃ち抜かれて、そのまま、動かなくなっていく。
「戦ったことは少ないけど、実際、弱いよ。不完全だから」
出てきた瞬間のキメラを狙って、パトリツィアが容赦なく一撃で斬り捨てる。
「パト。どうして、あのグレゴリオを偽者だと言い切ったんだ」
ヒューロは聞きながら、タリスマンの力を解放し、風の力で一番近くにあった培養カプセルを中身ごと破壊する。
「……彼は人と交渉するような人間じゃない。基本的に自己の中で完結してる。他人を蔑みもしないけど、受け入れもしない。宗教家にはよくいるタイプだから。あの手の人を見抜くことには長けてるよ」
パトリツィアは弾込めの最中で動きの鈍いヴァシリーサに襲いかかってきたキメラの胸をロングソードで貫き、そのまま、横に薙ぎ払う。
「リーサ。ありがとう」
「リーサ、貴方、涙目だったわね」
ヒューロの言葉にパトリツィアが追い討ちをかける。
「……ヒューロの方が迷子になった子供みたいな目をしてたわ。そんなに想ってくれる男を捨てて、材料になる訳にはいかない。馬鹿パトの場合にはそんな表情してくれないわよ」
弾を込め終えたヴァシリーサが残っていたキメラ達の額を撃ち抜いた。辺りには異臭と水素の匂いが漂う。
どうやら、全部始末したようだが、元になった人間のことを考えるといい気分じゃない。
「助けたのに失礼な」
「誰が頼んだ? それよりも彼……間違いないの」
ヴァシリーサは突っかかってくるパトリツィアを制するように錬金術師の入っている培養カプセルを示す。
身分証明書は動き回ったせいか、今度はあっさり取り出せた。それをヒューロは投げて渡す。
「ええ。間違いないわ」
パトリツィアは右手で受け取り、それに貼られた顔写真で確認する。
「そう」
ヴァシリーサは数発の弾丸をその培養カプセルに撃ち込み、破壊した。そして、横方向に開放したシリンダーに弾を込めている。
「意図は分かるけど、まともな方法ないの?」
パトリツィアが遺体に近寄る。ヒューロも警戒しながら、近付いた。
「都市群には絶対に持って帰れないな。これで紛争決定か。せめて」
ヒューロは仰向けにして、手を胸の前で組ませる。パトリツィアがズボンから白いハンカチを取り出し、遺体の顔にかけた。
一瞬、目を瞑って、黙祷を捧げる。
「急ごう。カタリーネさんを探さないと」
パトリツィアが奥へと足早に歩き出した。
「依頼人が死んだら、報酬が入らない。ただ働きする気はない。体力は大丈夫?」
「平気だよ。こんなところで眠れるような性格してない」
ヴァシリーサの確認にヒューロは笑って返した。
何層も降りて、駆動音と金属剥き出しの区画に入った。動いていないが、メンテナンス工場のように見える。
ヴァシリーサに時間の経過を確かめると、既に日が変わってるらしい。
機械の間に立つカタリーネらしき女性が倒れている人物を冷たい目で見下ろしていた。その人物は執行官らしき制服を着て、心臓と思われる位置から血を流していた。
どうやら、倒れてるのはアーネストらしい。既に死んでから時間が経過しているようだった。
カタリーネは最後に見た時と服装は変わっていなかった。本人だろうか。
「皆様、捜査の為に潜入してくれたのですね」
こちらを見つけた彼女は落ち着き払った声で言った。右手は機械の取っ手に手錠で拘束されていた。
「貴方が殺したの?」
パトリツィアが剣を振るい、手錠の鎖を切断する。
「いいえ。殺せるなら、自分で殺していました。グレゴリオの命令でテオを殺したのは彼ですから。……殺したのはレオーネと呼ばれていた男。思惑の違いから、殺されたようです」
カタリーネがかぶりを振る。それに反応して、ネックレスが揺れた。飾りの代わりに指輪が取りつけられていた。
「どうして、グレゴリオと親子だったことを隠していたの」
「犯罪者を糾弾するのに親も子もありません。以前、そうであったと言うだけの話。今のわたくしはテーオバルト・グリゼルディスの妻。それに余計な先入観を与えたくなかったので」
ヴァシリーサの詰問に彼女は正論で答えた。
「今は冷静に」
ヒューロが声をかけると、ヴァシリーサは黙り込んだ。
「わたくしは見届けさせていただきます。あの男が死ぬ姿を見ることだけを生きる糧として今まで恥を忍んで生きてきました」
カタリーネの言葉に場が沈黙で支配される。自分でも足手まといにならないようにするのがやっとなのに。警護対象が増えるのは痛い。
「一つ聞くけど、時雨桜が来ることをどうやって知ったの。情報統制されているんでしょう」
パトリツィアが沈黙を打ち破る。
「クラウチですよ。あの人は元々、このアトラス出身ですから。……彼女に手伝っていただきました。それなのに、あの人にも業を背負わせてしまったようですね」
カタリーネがまるで他人事のように呟く。もう、彼女には自分の命すらも顧みることができない以上、他人の命も軽んじてしまうのだろうか。それとも――
「気にしないで下さい。元々、先発隊はクラウチの担当じゃないから。カタリーネさんに力を貸したのは彼女なりに貴方の身を案じたんだと思います。それに先発隊もここに物見遊山にきた訳ではないから、危険は承知していた筈。職務上の殉職は全て、自分の責任だから」
「自らは責めないから。でも、それで罪が清算されたと勘違いされても困る。そして、自分の身は自分で護りなさい」
相変わらず、パトリツィアとヴァシリーサの対応は間逆だった。
「皆様。少し寄り道を御願いできますか。地上からの増援を絶っておきたいので」
カタリーネが頭を深々と下げた。
ヒューロ達は案内されて、コンピュータ・ルームのような場所に連れてこられた。プレートには《予備警備室》と書かれている。
彼女は部屋に入るなり、急いでインターフェースに向かい、システムを立ち上げ、キーボードを叩き始める。
パトリツィアもヴァシリーサも訳が分からないらしい。当然のことなのだが今はヒューロにも説明してる暇がない。
「今から、必要な隔壁を閉めます」
「悪いが……貴方にできるのか?」
訳の分からない二人を置いて、ヒューロは問う。
「この時の為に覚えました」
カタリーネの指がキーボードを叩く。その音がまるで楽器を演奏するように音が響く。
ちゃんと動かせているらしく、表示されている画面には次々と項目が並び、それを実行していることが報告される。
「入力するの速いな」
「昔から手先だけは器用でした。ピアノから編み物。その他色々、あの人と結婚することだけが私の幸せでしたから。この十年は復讐の為だけに費やしました。
……分かってるんです。虚しいことはでも……消そうとすれば、消そうとするほど、憎しみが燃え上がり、そこから這い上がれないんですよ。誰かを巻き添えにすると分かっていながら。彼が望んでいなくてもわたくしは復讐したいんです」
独白を聞きながら、ヒューロは振り返って、二人に外を見張るように促そうとする。
しかし、パトリツィアもヴァシリーサも分かっていたのか、親指を立てて応じた。
「もうすぐ終わります。終わったら、中央動力炉に向かえば、真相が分かる筈です」
カタリーネの表情は何かに憑かれたかのように一心不乱に作業に集中している。
「彼はどうして殺されたんだ」
ヒューロの言葉にキーボードを叩く音が止まるがすぐに再開される。
「このアトラスで人が暮らしていくにはもう限界なんです。テオはそれを察して、大地に根を下ろすことをグレゴリオ司教に進言したんです。……でも、夢の中に住まう人達はそれを認めたくなかったのでしょう」
カタリーネがキーを叩くと同時に画面が反応した。低い音と共に床が揺れる。
「終わりました。全てを終わらせに参りましょう」
亡き夫の意志を背負う女性は椅子から立ち上がり、告げた。
ヒューロは溜め息を吐いた。このアトラスで起きた事件の決着が穏やかなエンディングであることを願って。
――それが虚しい望みだと分かっていても。