(1)
最初にカバンの中から、黒表紙の本を見つけた。どうやら、管理日記のような物らしい。記録者の欄にテーオバルト・グリゼルディスと記入されていた。
襲撃される可能性を考慮して、一応、戦える準備の為に服を着替えることを提案する。
パトリツィアは鎧姿に着替え、ヴァシリーサも最低限の装備を整え、ヒューロが使っていた部屋で合流し、リビングにて、テーブルに着き、日記を調べ始める。
テーオバルトことテオはこの都市の運営方針でグレゴリオと対立していたことと、カタリーネと婚約していたこと、《姫》システムに依る統治の限界と暴走。
《アレ》が身体を保てなくなっていること。組み換えによる新鮮なDNAの供給方法。
そして、この間の水路やこのアトラスの心臓部である《中央動力炉》に関しても記載してあった。メインシステムの冷却は水冷式であることなど――関係ないので飛ばす。
「中央動力炉に侵入する方法は分かったけど、《姫》システムって何? 具体的に何も書いてないんだけど」
「身体を保てないとか、思い出してるとか、暴走するとか書いていることから、人工生命体……でも、あの金属トカゲは錬金術に見えないし」
パトリツィアとヴァシリーサが困惑気味に愚痴る。
ヒューロは何かが引っかかった。この巨大なアトラスが海上に浮いていられるのは膨大な浮力を維持することが必要だ。
これだけ巨大ならば、浮力の偏りが部分ごとに出たりする筈。微妙な調整を人間だけで管理できたのだろうか。
「人工生命体。金属トカゲ。魚人間。……これらの技術を正しく使う為には予め、シミュレーションを行なって、それを……そうか。それが《姫》システムか」
そこでようやく違和感に気付いた。パソコンもないのに運用できる筈がない。逆にパソコンがあったとしてこのアトラスを誰が支配していたのか。これなら筋が通る。
「人工AIなら……でも、人型で、なんて……考えられない」
「ヒューロ」
「何か、閃いた?」
独り言を口走っていたらしい。口にした以上、噛み砕いて話すしかない。
「今回の件、オギュスティーヌの姿をした人物が人工AI……だったら、人間大トカゲの姿をしたサイボーグとかを作り出せても不思議じゃない。自分の姿を模した物なら、尚更。サイボーグと言うのは」
ヒューロは伝わるかどうか、不安に感じながらも説明する。
「……何となくは分かった。この腕時計と同じような複雑な機構を人の中に組み込んで尚且つ、人と同じ動きができると言うこと?」
ヴァシリーサが腕時計を見せる。動かなくなった上に時間がずれ始めたので、結局、要らなくなって、欲しがる彼女に渡した物だ。
電池ではなく、別の力で動いてるのか、水に浸かろうとも今は支障なく動いてるらしい。
ヒューロは頷く。多少、誤解が生じているが概ねの方向性で間違いない。
「人間の形をした生物ではない物。それなら、気配がなかった理由も説明がつくけど……殺人の動機は?」
パトリツィアは答えを求めるがヒューロには憶測しか言えない。
「多分、日記に書かれてる《身体の崩壊》《暴走》《組み換えによる新鮮なDNAの供給》と言う辺りが関わってるんじゃないかと思うんだが……それ以上は分からない」
突然、パトリツィアが立ち上がった。
「お客さんよ」
視線の先を見ると堂々と玄関から、オギュスティーヌが室内に入ってきていた。人の家なのに遠慮はないのか。それとも、ここにはそういう習慣がないのだろうか。
「早く言いなさいよ」
ヴァシリーサが椅子を後ろに蹴っ飛ばして立ち上がり、リボルバーを構える。メンテナンスは終わっていたらしい。
オギュスティーヌは外見は同じなのに今まで会ったいずれの場合とも別人のように違っていた。
正直、幽霊なのではないのかと勘繰りたくなる。
「貴方は本物なの?」
ヴァシリーサは唖然としながらも銃口を標的から決して外そうとしない。
「本物ですか。意味のないことを聞くのですね。一応、貴方達と市場を歩いた記憶も水に流されていった貴方達の姿も……いずれかのあたくしを介して存じております」
やはりこの解答は自分にしか導き出せないだろう。
「《姫》システムのネットワークで固体ごとの意識を共有してるのか。つまり、君のどれかが私達に会えば、全員がその記憶を含め、体験を共有し、固体全てが今の出来事も把握済みなんだろう。それが現代進行形なのかは分からないが」
その返答にオギュスティーヌは驚いたように眉毛を持ち上げる。
「ヒューロさん。やはり貴方はこの世界の人間ではないのですね。……ですが、そんな話をしにきた訳ではありません」
その言葉に二人とも面白くないのか、戦闘体勢のまま、様子を見守る。
「カタリーネ氏は今は行政施設の地下牢に入れられていますが、いずれ、中央動力炉へと移されるでしょう。状況から見て、恐らく、明日の日の出までに処刑されるでしょう。
それと、アトラス住民達は貴方達を追い出したがっている。今晩に動き出してもおかしくない。注意なさい」
まるで別人が彼女の身体を借りて、喋っているかのように他人事としか思えない口調で淡々と説明する。
「どうして、それを」
「あたくしに与えられた役目です。ただ役目を果たす為だけにあたくし達は存在している」
オギュスティーヌはパトリツィアの問いにも粛々と台詞を読み上げるように説明する。
「あんたが知ってることは他の奴も知ってると言うことは罠じゃないの。それにその情報が事実とも限らない」
ヴァシリーサが怒鳴る。だが、引き金に指をかけた状態で状況をギリギリまで見極めようとしている。
「そうです。そのとおりです。信じるも信じないも、貴方達次第。挑むも……挑まないのも貴方達次第。それだけの話。
あたくしは貴方達に伝えるべきことを伝えるだけの役目。そう、招待状を渡すことですから。
もう一つ。ずっと、誰かの為だけに生きていれば、怒りもするし、楽しみたいこともある。そして、義務。それだけです」
一礼して、オギュスティーヌは反転して、玄関へと歩いて向かう。
余りに隙だらけで攻撃していいのか、二人が迷っている間に姫の役目を担っていた少女はカタリーネ宅から去っていった。
帰して良かったのかは疑問だが、仮に倒した場合、すぐに露見してしまう恐れがある上、倒した事実を利用して、アトラス中の人間をここに差し向けられた場合、逃げようがない。
今は向こうの意思を信じるしかない。危うい話だが。
「まさか、信じるの?」
「危険を冒さずして、真相には辿り着けない」
呆れ顔のヴァシリーサにパトリツィアがいつもの悪い癖を出す。
「馬鹿パトが言うと、安っぽく聞こえるわね」
「リーサが言ってた台詞でしょう!」
「馬鹿が言うと軽い。第一、そんな言葉を口にした覚えもない」
ヴァシリーサはかぶりを振る。
「今晩が山場か。正確な首謀者も分からないし、恐らく、先発隊も査察団も全滅してる可能性が高いわね。おまけに依頼人は拘束されてる。依頼料も経費ももらってないし……解決の糸口が見えないのが痛いな。オギュスティーヌがそうなら、システムを破壊しないと意味ないし」
「せめて、首謀者が判明すれば、この事態も終息するでしょうに」
「バッドエンドにならなきゃいいけどね」
ヒューロ達が口にした言葉が不安を表す。太陽光が雲に遮られたのか、急に外が暗くなった。