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右ニ剣、左ニ銃ヲ  作者: 明日今日
第三幕 忌み人
13/19

(6)

すいません。忘れてました

次は21日です

 意識を取り戻すと、左手を握られ、誰かの太股の上に頬が乗っていた。額と目を覆うハンドタオルを右手で取り去り、嫌な予感を覚え、ゆっくりと目を開ける。

 どうやら、パトリツィアの顔があった。彼女の太股だったらしい。ヴァシリーサに左手を引っ張られて、上半身を起こす。

 パトリツィアは上機嫌で、ヴァシリーサは額に皺が寄っていた。

 流された時に体が壁に叩きつけられたような微かな痛みはあったが、治癒式で治してくれたのか、今はむず痒いような感覚と反応が微かに鈍いと言うだけで支障はないように思える。

 服がずぶ濡れなのが気持ち悪いが。

「あ、すまない」

 周囲と上を確認しながら、ヒューロは謝罪しておく。どうやら、海の底でもあの世でもなく、アトラス内にある水路の一つらしい。

「別に気にしないから。どうぞ、この美脚線の上で堪能あれ」

 パトリツィアのこめかみを通って、水が滴り落ちる。前髪が貼りついて鬱陶しいのか、髪を上げていた。

「気にするでしょう。筋肉だらけの太股では目覚めも悪いでしょうに」

 服を乾かす為か、上着の裾を絞って、へそを出した状態のヴァシリーサが横槍を入れる。

「無駄に体中、プニプニしているよりは良いのではありませんか。第一、筋肉ダルマなんて、見た目だけです。そんな愚かなことはしません」

 むくれたパトリツィアが女官が出すようなトーンで返す。ヴァシリーサが怒っているのか、ヒューロの左手に力を込める。握力はともかく持ち方が持ち方なだけに、このままだと八つ当たりで骨にヒビを入れられかねない。

「リーサ、手が痛い。それに、ここはどこなんだ?」

 再び、首を動かして、辺りを確かめるが、二人が確かめている筈だろうから、敵がいるようには見えないが、夜空は雲で隠れている上に薬の効果が切れているのか、真っ暗だった。

「御免なさい。馬鹿パト、自らの肌のことを言うなら綿菓子みたいにフワフワしてるでしょう。綿菓子なんか食べたことないけど」

 ヴァシリーサは頬を赤らめながら、手を離すが、敵を見る視線と言葉は冷たい。

 鮫肌の癖に。微かにそう聞こえたような気がした。

「残念ながら分からない。追っ手が動いているようには」

 パトリツィアが急に押し黙り、ヒューロの頭部をゆっくりと地面に置き、立ち上がって、ロングソードの柄に手をかける。

 上半身を起こして見れば、土手を下りて、こっちに向かってくる光源が一つ。

 周囲の黒から浮き上がっている人影は女性のように見えた。――見覚えがあるカタリーネか。

 ヴァシリーサも警戒しているようだが、水に濡れて、銃が使えないのか黙って、人影を凝視しているだけだった。

「こんばんわ。静かな良い夜ですよ。……司教様の手先も尾行もしないで今のところは静かなようですから。久しぶりに静寂に包まれた調和の取れた闇」

 持っているランタンが古いのか、調子が良くないのか、カタリーネの表情は細部まで読み取れない。

 ランタンが人影を作り出しているかのような気さえしてくる。

「藻とランデブーするのが良い夜なんて冗談じゃない。銃のメンテナンスは大変なんだから」

 ヴァシリーサが肩を落とす。彼女は潜入と言うことで厚着していたが、そのせいで一番、濡れ鼠状態が酷い。だから、尚更、そう思うのだろう。

「あら、高位錬金銃士様なら、苦もない筈」

「企業秘密。教えないわ」

 その言い方が気に障ったのか、ヴァシリーサは黙り込む。

「すぐに風呂を貸していただけませんか?」

「ええ。わたくしの散歩ルートですから。朝食を作るよりも早く戻れますよ。それより、上がってきてもらえませんか? 皆様を引き上げるなんて嫌ですからね」

 パトリツィアの声に気持ちよく答えたが、疑われていると思ったのか、彼女はランタンを自分の顔まで上げた。カタリーネの不健康そうな顔が照らし出される。

「道具は全部あるか? それとも、幾つか、流された?」

 ヒューロは自分だけ呆けていて、立ち上がっていなかったことに気付いて、慌てて立ち上がる。

「武器に関しては大丈夫。剣は二本とも近くに落ちてた。海水じゃないのが唯一の救い」

「道具が幾つか流されたのと地図が駄目になった。違うルートを使わないと駄目みたいね。あそこは侵入者を海に流す為のトラップが設置されているみたい」

 パトリツィアもヴァシリーサも最低限必要な物は流されなかったらしい。

「自分達よりも」

 パトリツィアの言葉に自分の荷物を確かめていなかったことを思い出す。

 ヒューロは自分の持ち物を確かめてみるが、カードキーは向こうの世界の財布と一緒にズボンのポケットに入れていた為に流されずに済んだようだ。

「失くしたら殺されてた」

 二人の視線が冷たいような――追求されないように急いで土手に上った。

「かもしれませんね」

 いつの間にか、こちらに近付いていたカタリーネの声に驚いて、ヒューロはバランスを崩した。再び、水路に逆戻りしそうになった瞬間、腕を掴まれ、助けられる。

「今回は掴めました。でも、皮肉ですね」

 カタリーネは力一杯引き寄せ、ヒューロを土手に戻す。彼女が発する言葉の意味が分からない。

「ありがとうございます」

 だが、喪服の女は手を離し、礼の言葉など聞いていなかった。後ろからやってきた二人が同時にヒューロの背中を抓る。

 必死に声を上げるのを堪える。当然だろう。カタリーネが偽者だったら、先程の一瞬に殺されている。

 二人が怒るのも無理はない。……いや、色目を使ったように見えたのだろうか。だとしたら、この後、身に危険が及ぶ。

「先程の言葉はどういう意味でしょうか?」

 パトリツィアが丁寧な口調で問うが、冷ややかな意味が込められていた。

「それは自らも知りたい。未だに貴方の真意が見えないから」

 ヴァシリーサも畳みかけるように責める。

「ただ、それに何の意味もなかったら、ここで終わってしまうのかと……思ってしまっただけです。それが歯痒く感じただけのこと」

 返ってきた反応は不可解な言動だった。

「皮肉は何を言いたいの!」

 ヴァシリーサは怒りを抑えきれないのか、詰問するように怒鳴る。

「わたくしの腹の傷は見せましたね。あの人が……テオが死んだ時に自分でやったんです。

 カタリーネ・グリゼルディスが喪失した証とあの日を忘れない為に。

 十年前にあの人の手を掴めていれば、このアトラスで生ける屍にならずに済んだ。ここから全ての人間を見捨てて逃げ出す気概があれば……ただの昔話ですよ」

 カタリーネは自戒と自虐の念を込めて語っているようだった。

「復讐なら手伝いませんよ」

 パトリツィアが釘を刺した。そのことにヴァシリーサが息を飲む。

「さあ、わたくしの家に戻りましょう。若いお二人が男のせいで取り返しのつかない事態にはなって欲しくはありませんから」

 カタリーネが背を向けて歩き出した。数瞬前の言葉など気にも留めていない様子で――



 それから、数時間後。ドアをノックする音で目が覚めた。勿論、カタリーネの自宅で借りた寝室にて。

 あれから、風呂を借り、ベッドに潜り込むと同時に寝てしまった。

 パトリツィアとヴァシリーサは隣の部屋で寝ている筈。

 まだ寝足りないが、ヒューロはベッドから身体を起こして、木製のドアの隣に立つ。

 ドアの正面に立って、銃で撃たれるのも剣で刺されるのも御免だ。

「どなたですか?」

「カタリーネです。朝早くに申し訳ありません。頼みがあるのですけど、開けていただけませんか?」

 その声に何も考えずに鍵を開けてしまったのは問題だった。

 素早く人影が入ってきて、ヒューロの荷物へまっすぐに歩いていく。

 約二日前にここに移動した時、パトリツィアとヴァシリーサは男女に分割されるのを安全上の理由を盾に断固として反対したが――今の迂闊な行動を知られたら、咎められるのだろう。

 タリスマンが縫いこまれた手袋は風呂に入る時以外には身に着けている。

「何の用でしょうか」

 カタリーネ自身であることは間違いないが、切羽詰っているような印象を受けた。

「何も聞かずに預かって下さい」

 カタリーネが背を向けたまま、ヒューロのカバンの中に何か、黒い表紙の本のような物を入れる。

「あの一体」

「この件は内密に。それとこれを渡しておきます」

 言うだけ言って、乱入者は鍵束を押しつけるように渡して、部屋を去っていった。

 勿論、カタリーネの家であるのだから、ただで止めてもらっている自分が口を挟めるような立場にはないのだが。

 感触に違和感を感じて、手の中の鍵束を見る。鍵を束ねる金属製の輪に紙が巻きつけられていた。それを解いて中身を開いてみる。

 この家の鍵です。後を頼みます。と書かれていた。

 慌てて、後を追おうとして、廊下から睨みつけている視線に気付く。

 パトリツィアがドアの隙間から、こっちを見ていた。普段、絶対に見せない微笑を浮かべて。

「何をしていたんですか?」

「何も」

 その返答を行なった直後に答え方を間違えたような……悪寒を感じる。

 パトリツィアは早足でヒューロに詰め寄り、顔を近付けた。

「自分は……三十路女に負けてますか?」

 唐突な問いに思考が止まる。今はそんな場合ではない。カタリーネを追って、真意を確かめねば。

「誤解してる。そういう問題じゃない。第一、三十路って分かるのか」

「肌と化粧の具合で大体。そんなことよりも、どういう問題ですか?」

 パトリツィアが両手でヒューロの手を掴んでこの場に留めようとする。

「カタリーネが変だ。何かある。追っかけないと」

 ちゃんと説明しなかったのが災いしたのだろう。

「……惚れたんですね。あの人に関して、最初から態度が変です」

「そんな風に見えるのか? 私は……そんな感情を抱いてないよ」

 肩を竦めて答えるが、こういう動作が誤解を与えるのだろうか。

「年上が好きなんですか」

 パトリツィアが真剣な表情になる。戦っている時よりも真剣なんじゃないだろうか。

「違うって……男として多少は年上に惹かれる部分はあるだろうが、彼女に対して、そんな感情はない」

 この廊下が取調室より地獄じゃないのかと思い始める。

「じゃあ、証明して下さい」

「どうやって?」

 押し問答の間にパトリツィアの目付きが鋭くなっていく。こんなことをしてる場合じゃないのに。

「リーサより先に……先に」

 パトリツィアは下を向いて、恥ずかしがって続きを言わない。声も後半になるにつれて、小さくなっていく。

 ヒューロが先を急ごうと決めた瞬間、無理やり引っ張って、パトリツィアの方を向かせる。

「リーサよりも先に自分を抱いて下さい! そしたら、信じます」

 恥じらいを振り払ったパトリツィアの言葉と同時に奥からヴァシリーサが慌てて走ってやってきた。当然ながら、その顔は猛烈に怒っている。何故、借りる必要があったのか分からないがカタリーネの服が合わなかったらしく、その胸が窮屈そうに揺れる。

「馬鹿パト。こういうのは鮮度の順番でしょう! それに見張りをサボって何してたの」

 珍しくパトリツィアが冷たく笑った。

「たった一歳しか変わらないのに」

「一歳差。されど一歳。十六と十七には超えられない壁があるのよ」

 ヴァシリーサが胸を反らし無駄に威張りながら、冷たく笑い返す。

 ヒューロはこの隙にパトリツィアの手を外し、カタリーネを追いかけようとするが、今度は左手にヴァシリーサが絡みつくように抱きつき、胸を押し当てる。

 自分を挟んで二人の美少女が取り合う。男として大変嬉しい状況なのだが、今、痴話喧嘩に巻き込まれている場合ではない。

「カタリーネ・グリゼルディス! 貴様に逮捕状だ。すぐに出て来い」

 多分、声の主はアーネストの声だろう。

 その言葉を聞いて、パトリツィアとヴァシリーサがヒューロの腕を掴んだまま、玄関の方に足を向ける。

 こういう時だけ、この二人は連携がすんなり行なえるのはプロだから……か。両腕を二人にガッチリと固められて、ヒューロは大人しく従う。

 人の目があったならば、連行されているように思われただろう。いや、男の視線があったら、嫉妬で呪い殺されているかもしれない。


 ヒューロはパトリツィアとヴァシリーサに両脇を固められたまま、玄関が見える位置まで移動した。正直、留置場に連行される犯人でもこんな風に護送されないが――左右の腕から伝わってくる感触を喜ぶべきだろうか。――けど、今はそんな場合ではない。

 ガラスごしに人影が見えた。カタリーネとアーネスト。彼に率いられた執行官達だった。

「カタリーネ・グリゼルディス。君を逮捕させてもらう。容疑はあらぬ噂を広め、人々を惑わした扇動罪だ」

 アーネストが礼状らしき物を取り出して見せている。言われている当の本人は何も感じないのか意味深な笑みを浮かべていた。

「ちょっとそんなの言いがかりじゃないの!」

 外に飛び出そうとするパトリツィアをヒューロは慌てて押し留める。

「わたくしの身柄拘束だけですか。これも打つ手がなくなって、実力行使しか選択肢がなくなったと言う証明ですか。情けないですね。司教様も」

「貴方が誰であろうと、どんな立場にあろうと、そのような口を聞くべきではない」

 カタリーネが嘲るように笑い声を上げる。喪服と言うこともあり、鴉が鳴いているようだった。

「腰巾着と、今まで何もできなかった男が何を偉そうに」

「……連行しろ」

 アーネストは部下に命じて、カタリーネを拘束し連れていく。

 用は済んだらしく彼等は背を向けて、敷地内から出ていく。追いかけようとするパトリツィアをヒューロが引き止める。

「どうして」

「今、飛び出したら、あの人の努力が無駄になる。……私のカバンの中に何か入れていった。多分、重要な物だと思う」

 パトリツィアの目を覗き込んで言う。お互いの吐息がかかる距離のせいか、彼女の顔は耳まで赤くなっていた。

「自ら達の拠点を確保する為に、あの人、自分で姿を晒したのよ。さあ、ヒューロのカバンを調べましょう」

 ヴァシリーサはヒューロの腕に胸を押しつけるように引っ張って、奥へと戻ろうとする。

「リーサ。別のことを考えてない」

 逆方向から、パトリツィアがヒューロを引っ張り、同じように身体を密着させる。

「気のせいよ。それよりもあの腰巾着が首謀者じゃないでしょうね。不安になってきた」

 錬金銃士は嬉しそうに頬を紅に染めた。嫌でも両脇からの体温を意識させられた。

 この間にその何かを盗まれたら話にならないので二人を急かして慌てて部屋に戻った。

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