(3)
その日の昼、ホテルで起きた襲撃の捜査状況を窺うことも兼ねて、役所を訪れた。
推測が正しければ、捜査で襲撃犯が明らかになることもないだろう。実際、その場での聞き取りも大雑把なものだった。
相手もプロ。その上、襲撃の実行犯は全員死亡しているのだからそこから首謀者を追うのは本気でやって難しいだろうが。
受付で担当者に嫌な顔をされ、職員に先導され、政務室に通された。
そこにはグレゴリオの姿はなく護衛と共にオギュスティーヌがいた。彼女に似たクローンを見た数時間後に本人との対面は落ち着かない。
グレゴリオが座っていた位置に彼女が代わりに座っている。
「只今、司教様にはお会いできません。変わりに本職がお話致しましょう。本来、姫とはそう言った役目なので」
アトラスの真の執政者は眼前に座る少女なのではないかと言う疑念がよぎる。
「ではオギュスティーヌ殿、自分達を襲った者達に関して何か掴めましたか?」
「あれから一日しか経過しておりません。目下、調査中です」
パトリツィアに対して姫である少女は淡々と返す。早く終わらせてしまいたいのか、一言で終わってしまった。
「本当に錬金術師が犯人だと思っているのですか?」
「合成獣いえキメラを創れるほどの錬金術師……即ち犯人は既に確保致しました。キメラに因る連続殺人は解決しました。査察団の方々もいずれ発見できるでしょう。生きていれば」
オギュスティーヌの返答にヴァシリーサが唇を噛む。
「穏便に済ませるつもりはないので本音を言わせてもらうけど、あんた達がキメラと呼称している生物は非常に不安定な生き物。ホムンクルスに言われるように寿命はせいぜい数日。生命維持がやっとで人を殺せるような戦闘能力はない」
「……それはヴァシリーサさん、貴方の知る知識であり、このアトラスでの錬金術レベルではありません。ハッキリと申し上げましょう。アトラスとしては都市群との政治的な駆け引きで貴方達、各ギルドの方々を陸から招いただけです。道化師が道化師以上のことをしないでいただけますか」
ヴァシリーサの怒りにオギュスティーヌはあくまで理論的な反応を返す。
「おかしいですね。自分が所属していた騎士団では己の力のみで解決するのが一番の政治的決断だと思います。……それを独立都市であるアトラスが技術力の劣る他者から力を借りると言うのは恥辱以外の何物でもないと考えますが……例え、都市群への政治的配慮と表向きの理由があったとしても。やはり彼らを呼ばなければならない理由があったのでしょうか? 突っぱねる選択肢もあった筈」
間髪を入れずにパトリツィアが畳みかける。
その言葉に護衛の顔が引きつった。だが、少女は動揺を見せない。
「招き入れた鳥が実際に役に立つ必要はなかったのです。名目上の働きと都市群の疑念を和らげる為にアピールしてくれれば……満足していただけましたか?」
「変です。それだけだと、アトラスの民が不満を懐いた理由が説明できません。何故なら、この都市では不満を上げることは身の危険に繋がる。そして、それを行政側は幾らでも抑えようがある。
都市群の要求を受け入れたことに対してではなく別の件で抱いているのでは? 例えば、ルールを守っているのにも関わらず、理不尽な理由で殺されたとか。
このアトラスなら事実上、閉鎖されているも同じ。キメラがいるならば、錬金術師共々、すぐに見つかった筈。それなのに貴方達が手間取っている理由は?」
食い下がるパトリツィアにオギュスティーヌの顔色が変わる。
最初に依頼の話をされた時に気付くべきだった。隔離に近い状態の海上都市で逃げ場などない。まして査察団の人間失踪するにもすぐに見つかってしまう。逃げるならば、アトラスの外に逃げなければ……現に次の連絡船は三日後の昼だ。
魚人間の忠告どおりにこの事件は始まりから仕組まれている。
「何が言いたいのですか?」
「良くご存知ではないのですか? 貴方自身が一番」
パトリツィアが突然立ち上がった。もう話す必要はないと言いたげに。ヒューロもソファーから立ち上がる。こんな展開になってしまった以上、長居するのは危険だ。
「最後にもう一つ。貴方に似た人はいない? 親兄弟親戚で」
ヴァシリーサも立ち上がり、真剣に問う。鎌をかけてるのだろう。オギュスティーヌの目に剣呑な光が宿った気がした。
「どういう意味でしょうか?」
「そのまんまの意味よ」
ヴァシリーサが足早に部屋を出ていく。
パトリツィアを見ると左手で先に急ぐように促していた。
ヒューロは彼女の指示に従い、先にホールに出てて、こちらを覗いているヴァシリーサに続いて、政務室を出た。
「失礼致しました」
パトリツィアが深々と頭を下げて、政務室を去った。それを見送るオギュスティーヌは人形のように無表情だった。もしかして、本当に人形だったのかもしれない――
一階のフロアへ向かって階段を下りていた。
三階のフロアに出た位置で職員と思われる制服を着た中年の女性がこっちにやってくる。年の頃は四十代くらいだろうか。
刺客にしては大胆すぎる。だが、覚悟を決めたような表情をしていた。
「あんた達、時雨桜の人に話がある。時間あるかい」
女性職員の言葉にパトリツィアが口を開こうとしていた。この後の展開については考えるまでもなかった。
女性職員に場所を選ばせる訳にはいかなかったのでパトリツィアが役所の近くにあった公園を選んだ。
ベンチが見えたが全員立ったままだ。昼間に襲撃されるとは思えないが念には念を入れておく必要がある。
「あんた達、カタリーネの話を信じてるのかい」
その声にヒューロ達は答えない。カタリーネが依頼人となった以上、依頼人の情報は護らなくてはならない。
「あの子は婚約者だったテオを失ってから変わってしまった。それ以来、喪服を着て、この都市の全てを憎んでる。あの子には同情はする。でも、あんた達が何を聞かされたか知らないけど、グレゴリオ司教様はこの都市に必要な方だ。変な疑いはかけないでおくれ」
こちらの沈黙を肯定と受け取ったのか一気に捲くし立てた。
「言いたいことはそれだけですか? なら理解致しました」
パトリツィアは硬い声で告げた。彼女もその言葉を別に真に受けてはいないだろう。
「いいかい。余計はお節介は必要ないんだ。さっさと調査して定期便でさっさと帰りな」
女性職員は言うだけ言って、役所へ向かって足早に戻っていった。
その姿が見えなくなるまで沈黙が続く。
「一つ分かったわね。都市群に対してはともかく市民に対しては政治的な配慮なんて最初から必要なかった。……犯人は査察団の連中を失踪させるつもりだったかしら。仮にだとするとうちのギルドが送った先発隊は全滅かもね」
ヴァシリーサは職員が去ったのを見届けてから溜め息混じりに呟く。
結婚が決まっていたメンバーもいたらしいのにそんな結果では報告し辛い。
それにあの場所にいなかったグレゴリオも最悪のケースで考えると死んでる可能性も出てくる。そうなると、今回の黒幕はオギュスティーヌだったのだろうか。
だとしたら、査察団とギルドの人間を受け入れた理由と殺す動機が判明しない。
当然、殺してしまえば、火に油を注ぎかねない。本来、査察団を騙して何もないことを証明した方が簡単に事態を収束できる。ギルドの件に関しても同じことが言える。
それをわざわざ殺すなんて、向こうに攻め入る口実を与えるようなものだ。
この件は動機に関して確かなことが何一つ分からない。
それが解明できれば、裏で動いているを突き止めることができるのだが。
――被害者と加害者が逆なのか――都市群が査察団と言うエリートを生け贄にして、戦端の口実を作るなら死体を処理される可能性がある殺人よりも彼らに失踪した方が理には叶っているが……実行しようにも一種の閉鎖空間であるアトラスでは身を隠す場所がない。
「そんな報告書を書きたくないな」
パトリツィアの声でヒューロは思考の世界から抜け出し、我に返った。彼女は目だけで周囲を見渡していた。まるで何かに気付いたように。
明らかに災いの兆候であることは確信できた。