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魔法使いは扉をあけ、王に言った。私をお使いください、と。
すでにローブは焦げてボロボロになり、所々に血を滲ませながら、その魔法使いは現れた。突如として現れた魔法使いを家臣たちは訝しがる顔で眺めたが、その様子を見てふいに相好を崩した。
口々によくきた、お前の出番だと言った。彼を追い出した手前、国のために尽くしてくれるとは思わなかったが、すでに竜と戦っていた様子をみてとり、格好のお人よしが来たと思ったのだ。そしてその自己犠牲精神を持つお人よしは、なにより誰よりも強いことは良く知っている。家臣達は喜びこれを迎え入れた。こいつは使えるぞ、と内心ほくそ笑みながら。なかには追い出したのは私のせいではなく、王の意志だと内心で言い訳する者もいた。
しかし、王と王子はまた異なる反応であった。王は自分がしたことを悔いていた。本来国のためなら魔法使いを王宮魔導師として働かせ続けるべきであり、なにより彼が初めからいれば事態はもっとよき方向に進んでいたかもしれなかったからだ。彼は民が竜に襲われたと聞いたとき魔法使いのことをすぐに思い出していた。その男がすでに国のために尽力していたのを見て自分の浅ましさを悔いた。
王子はこの男の話を少しだけ伝え聞いていた。世にも恐ろしい魔法使いが隣国にいると噂程度ではあるが聞いていた。王子は王族の一人としてその戦力の大きさを不安に思ったのを覚えていた。先刻姫が口にしたのはこの男のことだろうか、とも思った。もしそれだけ悪魔的な力を持っているのなら確かに竜を退けられることもできるかもしれない。それは今の切羽詰った状況を打開するのにこの上ないことである。しかし、初対面であるものの、この男の目が王子にはどうしても信用できなかった。
魔法使いは民を王宮に転移させていること、竜を一時的に足止めしていること、そしてこれから自分が命を賭けて戦う心づもりであることを話した。
「して我らはどうすればよい」王は尋ねた。今はこの男に頼るほかないとわかっているのだ。
「この王宮にいる人々をまとめて隣国に転移させようかと思います。隣国にはまだ準備がないでしょうが、竜に襲われたことを話せば、殿下と親しきかの国の王族なら理解してくださるかと。今なら私の力を使い、殿下が隣国の王とお話することも可能です。」
家臣たちから感嘆の声が漏れる。
「わかった。そのようにしよう。」王はすぐさま了承した。
魔法使いはそれを見て満足げに頷いた。
「ですが、その前にお願いがあるのです、殿下。」
その場にいる魔法使い以外の全員の顔が一瞬曇った。
「願い、とは何だ。事態は急を要する、早く申せ。」
「はい、私はこれで命を落とすかもしれません。これは私にとっても命がけの任務なのです。ですから……」
「臣下が王のために命を賭して戦うのは当然のことだ!」と家臣の一人がどなった。
魔法使いはそれを一瞥して言う。
「私はすでに王の臣下ではありませぬ。王は休暇を与えたと仰いましたがその実質は追放です。呼び戻されることがないことなどそれを唆したあなた方が一番わかっているはず。私は……私が命を賭してまで王に仕える義務はありませぬ。」
魔法使いが冷たい瞳のなかにぎらと暗い炎を宿した目で睨むとその臣下は視線を逸らした。王は家臣に手の平をむけ、それを留めた。
「よい、私にもこの者に対してした仕打ちに悔いるところが十分にある。詫びとしてこの者の願いを聞くことでその証としたい。願いを申せ、時は刻一刻を争い、民は今も恐怖で傷ついている。」
「はい、もし私が生きて戻ることができたなら……」魔法使いは王子のほうに一瞬視線をずらし、
「姫を私の妻として迎え入れることを許可していただきたいのです。」
魔法使いの発言には家臣たちが猛反対した。この期に及んで破廉恥なとか下賎の者が厚かましいとかありったけの罵声が魔法使いに浴びせられた。
しかし、魔法使いはそれに動じなかった。
「願いを聞いて頂けぬ、というのなら私は一人でこの場から今すぐに消えましょう。この王宮と共にこの王国は一夜にして滅びることになるでしょう。さあ!どうするのです!」
王は王子の方を確認する。その顔に怒りを隠す様子はない。王自身もこれには怒りを覚えている。王はこの場で天秤をかけることになった。愛しき娘とその夫をとるか、国の未来・民の未来をとるか、である。そして与えられた時間はない。今、この場で回答を迫られている。王は目を瞑り、逡巡した。そしてその目を開けたとき王は言った。この国を頼む、と。
魔法使いはその答えを得るとすぐさま転移の魔法を使い、王宮にいるすべてのものを避難させた。そしてすぐさま竜の下へと向かった。地の壁はすでに破られていた。
魔法使いと竜の戦いはまさに死闘であった。数千年来に何故竜が再び復活し、人の街を襲うのか、その理由は定かではない。しかし、今竜はこうして人を襲い、幾人もの命を奪った。ここで魔法使いが敗れれば、さらに竜は血を、生贄を求めることだろう。まさしく人類存亡の危機である。この竜の存在はすでに天災の域に達している。
対して竜も数千年来の眠りに怒りを覚えていたに違いない。忌まわしき封印への復讐しようと思った矢先、再びこうして強靭な魔法使いと相見えることになるとは竜にとっても予想外のことであっただろう。嵐をおこし、火炎の息を吐き、何物も通さないこの身体をもつ自分に、何故傷を負わせ対等に戦える人間がいるのか不思議でならないはずである。
竜と魔法使いは七日間争い続け、戦いが終わったとき地形は元の跡形もなく抉られ、王国内には勝者以外の生物はその欠片も見当たらなかった。といってもこの戦いを見た者は一人としておらず、近づくことさえかなわなかったのだが。後に鬼神の物語として吟遊詩人が語るのみである。
竜は敗れ、永遠の眠りにつき、その骸すら地上には残らなかった。かくして竜は再び伝説上の生物になった。そして今度は二度と復活することはないだろう。
魔法使いは竜の邪なる呪いをその胸に刻みながらもかろうじて生きながらえた。魔法使いの力をもってしても消えぬ呪いである。竜は死闘の末に、断末魔に呪いをのせ、魔法使いに一矢報いたのであった。この呪いはかけられた者に竜の刻印を刻み、寿命を削るものである。もはや魔法使いに残された時間は一年とない。
しかし、魔法使いの心は晴れやかであった。これで姫と契りを交わすことがついに叶うからである。魔法使いは焦土の上で昇る朝日に向かって微笑みを携えた。その笑みは今まで浮かべたことのない笑みだった。