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城下町はすでに火に包まれていた。激しい炎に焼かれそれから逃げ惑う人たちが行き場を失っている。
竜だ。伝説に謳われた竜がやってきたのだ。数千年前にいたとされる御伽噺の怪物が街を襲っているのである。
その赤く羽ばたかせている巨大な翼で空を飛び、地上の者はその羽ばたく翼から送り出される風圧だけで思うように動けない。建物の一部が巻き起こされた暴風によって舞っている。瓦礫をまともに頭に受け、失神して倒れる者もいた。
その鋭い爪は地上の者の体を簡単に引き裂き、握りつぶした。鉄の鎧を纏う兵士でもその爪に握られれば体がきしみ、へし折られ、竜の握力の前には何も意味をなさなかった。
その巨躯は全身が艶めく硬い鱗に覆われ、兵士が突きたてた鋼の剣を通さず、魔術師たちの杖から出る火炎や氷塊はその体に届くこともなかった。
その内より出づる咆哮は鼓膜を破るかと思うほど強烈で、聴いた者を竦みあがらせ、恐怖によって自由を奪った。人間の生物としての本能が敵わぬことを認識し、立ち向かうことを拒ませた。さらにその口からでる火炎の息に対抗する手段はなく、ただただ人は業火に焼かれるのみであった。
王宮では王の御前で家臣たちが作戦を練っている。それぞれが汗をかき、どこにもない逃げ場を探し、せわしなく顔を動かしている。
「どうしましょう。どうしましょう。竜なんて。本当にいたなんて。空想上の生き物のはずなのに。ああ、つぎはこの王宮でしょうか。ああ。」
「兵たちは何をしている!こんなときこそ普段仕事のないやつらの出番だろ!」
「だれかなんとかしてくれ。私は大臣だぞ。この命がなくなるわけにはいかない。家族がいるんだ。」とそれぞれが支離滅裂、阿鼻叫喚と叫びだした。
王はその様子も見ながらも頭を抱えている。
「落ち着け!!誰か有効な作戦を立てられるものはいないのか!」
王が叫び一瞬静まり返るが、再び家臣たちはそれぞれ口をききだす。家臣の1人が言う。
「いっそのこと逃げる、というのはどうでしょう。王がいなくては、王国はなりたちませぬ。」
王が答える。
「民を見殺しにしろというのか。民あっての国だろう。王が真っ先に逃げるとは……そもそもあの竜からどうやって逃げろというのだ。」
「逃げる方法だけならたくさんあります。確実とはいえませんが……特に、今兵士たちが勇敢にもあの竜を食い止めているこのときが好機です。これを逃せば今度はこの王宮が狙われることでしょう。」この家臣の発言には多くがそのとおりだ、いま逃げるべきだと口々に同意した。
「それはお前たちが一刻も早くこの場を逃げたいがためにいっているわけではなかろうな。」王が家臣たちを睨むと、彼らはぐっと押し黙った。
「民は我らの救いの手をいまも求めている。それを無視してどうして我らだけが逃げられよう。逃げたとしてどこにいくのか。隣国か?民をまっさきに見捨てた王では居場所はあるまい。」
「じゃあ、どうすれば!……隣国なら姫君と婚約された王子との結びつきがあります。決して不自由な暮らしにはならないでしょう。」一同が押し黙り、沈黙が流れる。その決定権は王に委ねられたように思われた。
王が口を開きかけたとき、扉を開ける音がした。王子が銀色の甲冑に身を包み、雄雄しき姿で現れた。家臣たちの目が一斉に王子のほうに向く。
「落ち着いてください、殿下。」
王子の声は低く響いた。その声は何故だかわからぬが家臣たち、そして王にすら安心を与えた。ああ、彼に全て任せておけば大丈夫だ、と。問題は解決しているはずもないのに不思議とそう思わせる力が王子にはあった。これこそが王子の次期王としての資質に他ならなかった。
この国だけではなく、隣国もそのまた隣国も、この世界は長らく戦争というものを行っていない。また今宵のような強大な敵に襲われるということも数千年来経験せず、軍隊というものはほとんど機能していなかった。
それでも王子はこの火急の事態に慌てることはしなかった。いや、内心はこの現状に焦りを覚えていたし、竜に恐れも抱いていた。しかし、それを見せれば陛下とその家臣、ひいては国民にさらなる焦燥を与えることになると思い、努めて冷静にその最初の言を放ったのだった。王子は続けて言う。
「大臣閣下、作戦参謀のみなさまもどうか、冷静に。まず急務は殿下の避難であることは間違いありませぬ。私の国ならば殿下を快く迎えて入れることと思います。なに、すでに正式な手続きと式を済ませ、私の養父となったお方、国が冷たく見放すはずがありませぬ。王としての民を思う気持ちは私も十二分に察するところですが、ここに王がいても事態はよくなりませぬ。それよりもこの場を早くお離れください。竜退治は私がどうにか致しましょう。」
王は隣国の王子の登場に心を落ち着かせることが叶い、王子を心配する余裕も生まれた。
「おお、このようなときに王子を留めてしまって申し訳ない限りだ。悔いるばかりだ。して、その姿、もしやあの怪物に挑むつもりか?ならん!それはならんぞ!そなたを死なせてしまっては、そなたの父君にも母君にも申し訳がたたん。姫にもなんといえばよい。ここはそなたの国ではない。そなたこそが逃げるべきだ!」
「なにを仰いますか。私はすでにあなたの息子。この国を守ることは私の責務であります。殿下、どうかこの場は私におまかせください。」
もはや王子をとるか、王をとるかという話になり、押し問答が始まろうとしていた。本来ならば両者とも逃げるという選択も竜を追い払う作戦を立てるという選択もあったはずである。しかし、すでに犠牲を出さなければ話が収まる様子もない。それほどに王も王子も焦っていたのだ。数千年に一度のこの非常の事態を前に冷静さを欠いていることはたしかだが、それも国を想う両者のこの強い気持ちと勇敢さゆえ。家臣たちはこれ以上進言できる言葉と意志をもっていなかった。
そこで再び扉が開いた。そう、かの偉大なる力をもつ魔法使いの登場である。
姫が祈りを捧げた時からすこし遡った真夜中に、魔法使いは国の越境で月を見上げていた。これからどこに行くかとあてもなく、放浪を重ねるつもりであった。どうせ平和な世の中に自分は必要もないと自棄になっていたのもある。
その時月を大きく遮る影があった。夜道を照らすのは唯一月のみであったから、辺りは一瞬真の暗闇に覆われた。魔法使いは瞬時になにが起こったか判断できなかった。だが、その影が魔法使いと月との間の一直線上から遠ざかったときに何かただ事ならぬことが起こっているのは悟った。
魔法使いは空を飛び、その影の本体を後ろから観察した。にわかには信じられなかったが、間違いない。竜だ。恐ろしいその伝説上の魔物の存在を魔法使いも知っていたが、なぜ急にこの場に現れたのか魔法使いにもわからなかった。
魔法使いは竜のことを記した過去の壁画を見たことを思い出した。その竜には人間の力など歯が立たず、千の兵士と魔導師たちの軍勢が一度に攻め立てても傷ひとつ負わせることすらかなわなかったという。魔法使いと同等の力をもつと思われる王族の者が自らの命を犠牲にしてようやく壁の中に封印をしたのだと。
こうしてはいられない。魔法使いは城に戻り竜と戦う決意を固めるやいなや竜を追いかけ飛び去っていった。
竜のスピードは魔法使いのそれよりもだいぶ遅く、すぐにも追いつけた。しかし、ある距離まで近づくとなぜか魔法が使えず空から落ちそうになった。再び近づいても同じことが起こった。どうやら竜には魔法の力を奪うか封じるか、魔法に対する能力があるらしい。
魔法使いは竜が城下町に降りるまでにはくい止めなければと必死に攻撃した。が、竜にいくばくかの傷を与えたもののすぐに傷は再生され、その猛進を止めるには至らなかった。
城下町に向けて竜は火炎の息を纏いながら突撃した。大きな爆発音が鳴り。辺りを震撼させる。竜が顔を上げ、さらに咆哮する。着陸した周りはすでに瓦礫も死体も消し飛び焦土と化していた。魔法使いは城下町の民を助けなければと思ったが、その瞬間竜から豪火球が放たれ、魔法使いは王宮まで吹き飛ばされたのであった。
民を助けるか、王の下に向かうか、王宮の壁にめり込んだ魔法使いは逡巡したが先ほどから魔法がほとんど有効でないのを考え、まず城に戻って作戦を王と練ることにした。なによりこれほど恐ろしい魔物の存在を前にして、姫がどうしているのかが気になった。魔法使いはそのまますぐ王のもとに向かうことが急務であることは分かっていたが、それよりまず姫の安否を確認しなければとの気持ちを優先し姫の自室に転移した。
姫の自室のバルコニーには王子がいた。おもわず魔法使いは天蓋の陰に隠れ息を呑んだ。
王子は姫の両肩を掴み、逃げるようにと強く説得していた。姫はどうやら食い下がっていたが王子はその答えを耳にせず、姫の自室をでていった。王子はなによりもまず姫の心配をしてこの部屋に来たに違いない。自分が竜と空中で戦っている間にその姿を発見し、急いでここまでやってきたのだ。
自分が竜と戦ったのは仕えた国のため、王のため、なによりも姫のためであった。しかし、転移魔法も使えないはずのこの王子が、姫の下に誰よりも早く駆けつけ説得する様子をみて、魔法使いは姫を想う気持ちで自分が王子に劣っているのかもしれないと思った。
そうして唯一至高であった自らの恋慕の気持ちを疑ったのは初めてのことだった。
魔法使いは王子が去った後、姫のもとに姿を現すことができずそのまま立ち尽くしていた。姫は気丈にもそのまま立ち尽くして王子の後ろ姿を険しく睨みながら、その頬には一筋の涙がつたっていたからだ。このまま姫だけをつれ、逃げることは容易い。しかし、姫はそれを許しはしないだろう。姫は誰よりも国を想い、民を想う人だからである。魔法使いは姫に顔を合わせないまま、もう一度城下町に転移した。姫の心に打たれ、罪悪感で逃げるその気持ちはあの時と同じだと、魔法使いは転移しながら思った。
魔法使いは竜の様子を観察しながら民衆を助けた。竜の魔法をかき消す範囲を探りつつ、その外にいる人々をひとまず王宮の広間に転移させた。しかし、それは正しい方法だったのかはわからない。竜は人が消えていく気配を察知し、王宮に目を向けたからである。
ひとまず魔法使いは地面を空まで隆起させ、分厚い壁を作り出し足止めしようとした。竜の近くでは魔法自体の効力はかなり弱められてしまうため、魔法を帯びない物体が竜に対しては有効であると考えたからだ。それでも竜の力は恐ろしく、その壁すらもすぐに破壊し、王宮に向かってくるだろう。だがその場しのぎだとしても魔法使いは何重にも地面を隆起させた壁を王宮の前に作った。
この壁がほんの一時しのぎであることは魔法使い自身がよくわかっていた。しかし、今はそれしか方法がない。魔法使いは竜が地面の壁にてこずっているのを確認し、王宮に転移した。




