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季節のにおい


桜並木が覆う一本道。僕は一人大学に向かって歩いていく。桜並木の隙間から、すがすがしい青空が覗ける。散りゆく桜が、一季節前の雪を思わせるようはかなげに舞う。


そんな幻想的な空間のなかで、僕は君に出会った。初めて会ったときは、後ろ姿しか見えなかったが、一目ぼれをしてしまった。暖色のシンプルなワンピースに、肩までかかる綺麗な黒髪。そこにはかなげな桜吹雪があいまって、なにか神々しいものにまで見えた。


声をかけるか何度も考えたが、そんな勇気は僕にはなかった。しかし、一つだけ収穫はあった。彼女は僕と同じ大学に通っていることがわかったのだ。もちろん、学年や学部はわかってはいないので、大した情報ではない。それでも同じ大学にあの人がいると分かっただけでも、十分幸せであった。


それからはしばらく声をかけるか迷う時期が続いた。彼女とは毎回会えるわけでなく、週に2、3回程度であった。いまだに顔を合わせたことはないが、彼女はいつもシンプルで清楚な服装をしていたので、見つけるのはたやすかった。


それに彼女からは、他の人にはない独特な雰囲気が発せられていた。それを形容するのは難しいが、どこか人を寄せつけないような雰囲気に似ていた。そのためかは知らないが、彼女はいつも一人だった。僕はそんな独特な雰囲気にも惹かれていった。


後ろから彼女を見る日々がしばらく続いた。桜は完全に舞い散り、季節は夏に向かい始めていた。そんなある日、とある出来事が起こった。前を歩いていた彼女が、鞄に入っていた本を落としてしまったのだ。彼女はそのことに気づいていない。


僕はその本を急いで拾い、彼女に渡した。そのときになりはじめて、彼女の顔を見ることができた。彼女の顔は後ろ姿から予想できるような、綺麗な顔立ちであった。僕は完全に恋に落ちてしまった。


彼女は予想に反したやわらかい笑みで、お礼を言ってきた。僕はどうにかして話をできるように、話題を探した。そこで目に付いたのは今さっき、彼女に返した本であった。


僕も多少は読書をするので、少しなら本の内容もわかるのだ。それにたまたま彼女が持っていた本は、最近僕も読んだ本であった。その本の内容について触れると、彼女も嬉しそうに話に乗ってくれた。


そこから大学に向かうまでは、本の内容について語り合った。初対面であるのに不思議と気まずさはなかった。僕はそんな彼女にますます惹かれていった。


時間はあっという間に過ぎ去り、もう大学についてしまった。彼女は別方向だと言うので入口で別れることになった。名残惜しいが仕方ない。最後に彼女の名前と学部を聞いた。彼女はまったく別の学部のさらに一つ上だということが分かった。大学内で会えなかったのも納得できた。


それから彼女は少し駆け足で去っていった。しかし僕の中には幸せな想いが満ち溢れていた。ようやく彼女と話すことができた。それだけでもかなり浮かれてしまう。


どこからともなく柔らかな風が吹き、さわやかな匂いがただよってくる。もしかしたら浮かれてしまっている自分の勘違いかもしれない。しかし今日の心地よい天気もあいまって、とてもさわやかな気持ちになった。



じめじめし陰鬱な雨が降りつづけた梅雨も終わった。梅雨が明けてからは、今までの気分を晴らすかのように暑い日が続いた。いつもの通り道の木々も、完全な新緑に包まれ、うだるような暑さを放つ太陽を遮ってくれている。耳を澄ませばどこかから、アブラゼミの鳴き声も聞こえてくる。


始めて彼女と言葉を交わしてからは、通学中に会えば話しかけるようになった。話しかけられなかったころと比べると大した進歩である。


話す内容はといえば、主に本について。たまに大学内に関してのこと。それと僕と彼女はお互いに、いつもの通り道の木々を気に入っていたので、それに関する話しも多かった。


彼女と言葉を話すたびに、彼女に惹かれていった。彼女との会話は心地よく、気が付けば僕の心休まる時間になっていた。もっと彼女と一緒にいたい。彼女と付き合いたい、という気持ちがどんどん強くなっていくのを感じた。


その想いが強くなってから、僕はある決意をしていた。7月7日にあるお祭りに彼女を誘うことだ。そしてその帰り道に自分が持っている想いを告げることも決めていた。


そしてチャンスはやってきた。いつものように彼女と登校しているときに、そのお祭りの話題になったのだ。彼女は行きたいと言っていたが、行く相手が見つからないと嘆いていた。そこでなけなしの勇気を振り絞り、彼女をお祭りに誘ってみた。


絶対に断られると思っていたが、彼女はあっさりと承諾をしてくれた。思っていた以上にあっさりだったので、こっちが驚いてしまった。あまりの嬉しさに最初は、夢じゃないかとも疑ってしまった。


それから数日が経過した、7月7日。ついにお祭りの日がやってきた。その日はお互いに学校が遅くまであったので、大学の入り口で待ち合わせ、そこから直接向かうことにした。


彼女の浴衣姿が見られないのが残念ではあったが、それ以上に喜びの方が大きかった。憧れの彼女とお祭りに行けることが嬉しくて仕方がなかった。


お祭りについてからは、文字通り夢のような時間を過ごせた。焼きそば、綿あめ、リンゴ飴など、お祭りでは定番な食べ物はたくさん食べたし、射的や金魚すくいなどもたくさんやった。彼女はそういったことに興味がないと思っていたが、子どものような笑みを浮かべ心の底から楽しんでいた。


彼女のそういった一面は予想外であったが、むじゃきにはしゃぐ彼女はとても魅力的であった。そんな彼女を見ているだけで、僕も幸せになれる。


楽しかったお祭りも終わりの時間を迎え、僕たちも帰ることにした。お祭りをやっていた公園を抜け、いつもの通り道に戻ると、静寂が周りを包みこんだ。活気のあったお祭りで火照っていた体には、心地よい静けさであった。


まわりには誰もいなく、涼しげな風が二人をなでていった。木々の隙間から月光がさしこみ、昼間とは違った幻想的な空間へと様変わりしていた。


想いを告げるなら今しかない。僕は話があると言って、彼女を引きとめた。昼間は騒がしかった蝉の鳴き声もなく、周りは無音に包まれていた。


そこからの記憶ははっきりとしていない。うるさすぎる僕の心臓の鼓動。がたがたに震えた僕の声。思っていたよりも何倍も小さい僕の声。気の利いたことが一切言えてない彼女への告白。きっとこの時の僕は、世界で一番ださい男だったと思う。


彼女は最初こそ驚いていたが、それから穏やかな表情で僕の告白を聞いてくれた。僕の告白が終わったあと、彼女は少しの間、思案するような表情を浮かべそれから僕に近寄ってきた。僕は断りの返事がくると思って目を閉じたが、返事の代わりに温かな感触に全身が包まれるのを感じた。


僕は驚いて目を見開いた。すると彼女が僕に抱きついていたのだった。その状態が10秒ほど続いてから、彼女は僕から離れていった。なにが起こったか分からず茫然としていると、彼女が突然笑い出した。わけがわからなかったが、彼女曰く、とても間抜けな顔をしていたらしい。


一通り笑い終えた後、彼女は出会ってから一番の笑みを浮かべ、こちらこそよろしくお願いします、と了承してくれた。驚きのあまり何度も本当かと確認をとると、彼女は再び笑い出した。


それからはいつもよりゆっくり歩きながら、彼女を自宅まで送った。彼女を自宅まで送れること、いつもより多く一緒にいられたこと、これからはもっと一緒にいられること。そのことを考えると、にやけずにはいられなかった。


彼女の家に着いてからも少しだけ会話をした。しかしいつまでもそうしているわけにもいかず、お互い名残惜しそうに別れた。


一人になり落ちついてみると、夏の若干ぬるめな空気の匂いがしてくる。しかし幸せな気分で満ちていた僕には、これからの生活を期待させるような、わくわくした匂いに感じられた。



蝉の合唱が収まり、それに呼応するように空が高く感じるようになってきた。うだるような暑さも抜けてきて、秋の訪れを肌で感じる。いつもの道も、緑色から紅葉へと衣替えをし、秋の訪れを歓喜していた。


彼女と交際をはじめてからというものの、どこか遠くに出かけたりということはあまりなかった。お互いに予定があう日が少なかったからである。


変わったことと言えば、学校が始まってから予定があいさえすれば、一緒に登校するようになったということである。あまり大きな変化ではなかったが、僕からしてみれば大きな変化であった。彼女と毎日学校に通えるだけでも十分に幸せだった。


他にも時間が合えば、学内で一緒に昼食を食べたり、放課後一緒に帰ったりもした。どれも当たり前のことなのに、彼女と一緒というだけでこれだけ幸せなのだということを、そのたびに実感させられた。


彼女とは多くのことを話した。好きな本の話や、学校の話、くだらない話などもたくさんした。そうして彼女と多くのことを話すうちに、彼女の子供っぽい一面も垣間見えてきた。


出会ったころは大人びて見えていたが、一緒に過ごしてみるとくだらない冗談を何度も言ったり、そわそわと落ちつきがなかったりとかなり子供っぽいことが分かった。


彼女にそのことを告げると、よく友達にそう言われると、満面の笑みで言い返された。そんな笑顔をみて一層、彼女を愛おしく思ってしまう自分は末期だなと思わず苦笑いしてしまった。


秋に起った出来事の中で、特に印象に残っていることがひとつある。


それは綺麗な紅葉が散り始め、地面を鮮やかな絨毯にし、代わりに木々から青空がのぞけるようになってきたころである。


僕と彼女は、その日も予定があい一緒に下校していた。僕が澄んだ秋空を見上げながら歩いていると、彼女は突然秋の空が好きだと言った。


僕がなぜかと聞くと、足元の落ち葉をかき分けながら答えた。


秋は空気が澄んでいて空が高く見えるから。空が高く見えて自分が何にも縛られてないように思えるから、と珍しく大人っぽい表情を浮かべて答えた。そのあとすぐに表情を崩して、君と見ているのも理由かもと付け加えた。


確かに彼女の言うとおり、空はいつもより高く木々の隙間からでも広々と感じた。それだけでなく、空気も澄んでいて清々しい気分にさせてくれた。


その一言を聞き、彼女は変わったことを考えるなーということ感じた。それと同時に、これからも彼女と一緒に過ごし、また別の一面も見てみたいということを強く実感した。


しかしそれが叶うことはなくなってしまった。



彼女と空について話してからしばらくが経過し、木々からは完全に葉っぱが落ちて冬が訪れた。衣を失った木々から、冬の乾燥した風が吹きつけ体を凍えさえる。


今まで隣にあった温かい空間には、今は誰もいない。冬がきたタイミングに合わせてかは分からないが突然、彼女がいなくなったのである。家に行ってみても誰もいない。電話をかけてみても、むなしい機械音が返ってくるだけ。


自分がなにか悪いことをしたか、考えてみても思い当たることがない。ただ彼女がいなくなったという事実だけが重くのしかかった。


しばらくの間は、現実を受け止めきれず茫然としていた。でも時間がたつにつれて、彼女がいないということが実感できるにつれたまらなく辛くなった。少し前までは、彼女のことすら知らなかったのに、この短い時間でどれだけ彼女に依存しているのかを実感させられた。


いつも二人で歩いていた道も、彼女がいなくなってからはずいぶんと心細い道になってしまった。そこに冬の殺風景な景色が重なり、さらに寂しさが増していく。



彼女と会えなくなってから一週間がたった。もちろん彼女はいまだに消息不明である。


彼女がいなくなってから、自分自身が憔悴していくのをはっきりと感じた。彼女がいるのといないのとでは、世界の見え方がまったく異なるということを感じた。


彼女のことを考えないようにしても、頭から全然離れず何にも集中できない日々が続いた。ただただ寂しかった。一目でいいから彼女に会いたかった。一言だけでもいいから、言葉を交わしたかった。陽だまりのような優しい笑顔を見たかった。


もうその願いは叶わないものだとなかば諦めていた。しかし、彼女が突然いなくなったのと同様に、この状況も突然終わりを告げた。



彼女がいなくなってから二週間がたった。その夜、突然彼女が僕の家に訊ねてきたのだ。突然の出来事に、訳が分からず茫然としていると、彼女はいつもの子供っぽい笑みで微笑んでいた。なんでも鳩が豆鉄砲を食ったような顔をしていたらしい。


それから彼女は、しばらく連絡が取れなかった理由を教えてくれた。なんでも家の都合で、急きょ遠くに行くことになったらしい。そして、そのことを連絡しようとしたらタイミング悪く携帯が壊れてしまったらしい。それで連絡が取れず、僕が心配してると思い帰ってきてすぐに僕の家に来たという。


大まかに言えばこういうことである。正確にはもっと丁寧に理由を説明してくれていた。しかし、状況の整理に頭が追いつかず、ほとんど頭の中に入ってこなかった。


でも彼女が目の前にいるということを実感すると、たまらなく泣きたくなった。僕は周りを気にせず彼女に抱きついた。彼女は最初こそ驚いていたが、すぐに僕の背中をさすってくれた。そして耳元で、心配させてごめんねと優しくささやいた。


しばらくその状態のままでいると彼女が突然、星を見に行こうと言いだした。理由を聞いてみると、もっと一緒にいたいからだとはっきりと言われた。僕は自分の顔が赤くなっていくのをはっきりと感じたので、ばれないようそっぽ向きながら、いいよと答えた。


それから手早く準備を済ませ、家を出発した。さすがにどこか遠くに行く時間はなかったので、家の近くにある公園へと向かった。決して郊外にある公園ではなかったので、星はきれいには見えなかったが彼女がいればそんなこと些細な問題であった。


それから僕たちはいつも以上に多くのことを話した。彼女との会話は呼吸をするように波長があい、とても心地よかった。


しばらく会話を続けると、彼女は星空を見上げながらつぶやいた。冬の空も好きだと。僕は聞き覚えのある言葉に、なぜかと聞いた。とても寒いけど空気が澄んでるから、いつもより透明感があるからだと彼女は答えた。そのあとに、君と見れているのも大きな理由だよとほほ笑んだ。


結局その日は朝まで二人で話しをしていた。月はすっかり光を失い、太陽が空を支配し始めていた。それと同時に、朝の冷たくもすっきりした匂いが漂ってくる。もちろん、実際に匂いがするわけではないのだが、朝の気配を嗅覚で感じとっていたのは事実であると僕は思う。


僕は、冬の朝のすっきりした匂いが好きだと言った。彼女はしばらくきょとんとしたあと、君は面白いことを言うねと子供っぽく笑った。僕は思わず恥ずかしくなり、いついつの空が好きだという君に笑われたくないと苦し紛れの反論をした。



長い冬が終わり、また春が訪れた。空を映し出していた木は、再びピンク色の衣装を身にまとう。それに伴い周りの空気も、別れと出会いの雰囲気に満たされていった。


もうじき彼女と出会ってから一年がたつ。彼女と出会ってから実に多くのことがあった。途中つらいこともあったが、それ以上に幸福だった日々を送れていたと僕は心の中で思った。


これからもずっと一緒にいよう。この道が桜を咲かせるときも、蝉の合唱に包まれるときも、紅葉で一面が満たされるときも、木々の隙間から空が見えるときも、と柄にもなく臭いセリフを彼女に言った。彼女は頬を染めながら、うんと頷いた。


僕たちは互いに固く手を握りあい、二人で桜並木の道を歩いていった。

久しぶりの作品投稿となります。思いつきで書いたので、途中ぐだぐだになってしまいました。

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