運命の鐘は鳴り響く
家と学校の距離は近い。徒歩で15分くらいだ。
だから練習は毎日遅くまでやれたし、続けて飲み会に行くときもある(もちろん酒は丁重にお断りする)。
それにしても、今日は大変な日だった。
優は早く帰ってゆっくりしようと、練習に参加せずに家に向かった。
この町――巳沢市は大きすぎず、それでいて小さくなく、有名とまではいかなくともそれなりに栄えている市だ。学園から家までの道のりも、ビルの合間を縫うような感じになる。
ただ昔からある町だからか、小さい団地が点々と存在している。本当に町中にあるというのに、周囲の開発が進んでもビルの建設側との騒ぎ等のことは一度もない。……おそらく、この土地に多いほのぼのとした性格のせいだろう。
そう言ってる俺の家も、当然町中にある。
団地の中といっても、素振りやピッチングができる程度の庭はある。お隣さん家にボールが飛んでいくのは……まぁお約束だ。
「……ピッチャーいないのになんでボールが飛ぶんだろうな」
そんな他愛もない考え事をしながら歩いていると。すぐに家に着いた。
鞄から鍵を取り出し、門を開けてドアに鍵を――
「……開いてる」
今朝締め忘れたかな……と自分に納得させてドアを開ける。中に入ると、整頓された玄関には見慣れない二足の靴。一つは男物のスニーカー、もう一つは真っ黒なハイヒール。
……ああ、またか。
あきれたようにため息を一つ。覚悟を決めて廊下を渡り、リビングへ移動する。
と、そこは優の想像通りになっていた。
「あれ、優ちゃんお帰り〜」
「おう、帰ったか優。遅い! 遅いぞ〜」
テーブルの上にはいっぱいの料理が並び、床には一升瓶が並んでいた。
そしてえらそうにソファーにふんぞり返る青年と、エプロンを付けた女性が皿を片づけていた。
優、溜め息一つ。
「……だから兄貴、使うなら連絡入れろって言ってるだろ」
「大丈夫。この家はいつもキレイだ!」
この馴れ馴れしい酔っ払いは兄の聖。勝手に家に上がり勝手に人を呼び勝手に騒ぎ出す迷惑な兄だ。これで仕事は一流だというのだから恐ろしい。
「キレイにしてるのは俺だ!」
「まぁまぁ優ちゃん、ちゃんと片付けはするから、ね?」
落ち着いて俺をなだめているのは秋津美沙さん。兄の腐れ縁で、勤め先の娘さん……まぁ社長令嬢というやつだが、互いにあまり気にしていない。ちなみに、付き合ってる訳ではない。
兄はスーツの上を脱いでダラッとしている。男にしては長い黒髪は肩にかかるかギリギリで揺れている。優しい感じの顔つきだが、細身に見えて案外筋肉はついている。身長は175センチ程度。趣味は野球と酒、といったところか。
一方美沙さんはというと、もう美人としか言えない。短く揃えた髪は艶があり光を反射するくらいだし、小顔できりっとした輪郭に暖かい目つきはギャップがあるがそれでいて魅力がある。女性では大きい方か、170近くある体は出ているところは出ていて一切の無駄は無い。スリーサイズまでは流石に知らないけど……趣味はやはり野球。もちろん見るだけだが。あとは確かビリヤードとダーツだったか。ちなみに今はTシャツにジーンズといった緩めの服装。会社に私服がおいてあるのはどうかと思うが……
「何〜優ちゃん? じ〜っとこっち見て」
見ているのに気づいてさらにこちらをじっと見つめてくる。
「いえ、会社をそんなに私的に使っていいのかと……」
「あ、酷いな〜。それは言いがかりだよ?」
まさに「怒ってます」と言わんばかりに頬を膨らまし、指をピン、と立てながら指摘する。
「別に社長室の隣に部屋借りただけじゃん」
「ベッドにタンスにデスクに本棚にパソコンにテレビにゲーム機に、おまけに水道洗濯機乾燥機キッチンがあるのは最早住まいですよ!」
あまりに自由すぎるこの人を止めることは誰にもできないのはこの部屋の通り。
優はお説教モードに入る。が、
「まぁ会社側から何もないなら構いませんが、節度は持つべきですよ。社会人として……」
「あ〜あ〜、聞こえない〜」
耳をふさいであ〜あ〜言いながらキッチンに逃げていく美沙さん。一体いつまで子供なんだろうか……
「……兄貴、助けて」
「わはは、無理だ」
「「……はぁ」」そして二人して溜め息。自由奔放な天然は、舵がなかなかとれないようだ。
部屋の片付けはあらかた終わり、本題に入る。
「それで、今日は何の用だ?」
「ん? ああ……」
よいしょ、と声をかけて姿勢を直す。肘を膝につき、指を組むように手を握る。話がある時、兄は大抵この格好になる。
「実は近く、草野球の試合があってな」
「ああ、前言ってたあれか」
兄の所属する草野球のチームはなかなかに強く、今まで何度か大きな大会に出ていいところまで行っている。
「それで?」
「相手のチームはまぁ強い方だが、ウチより格下だ。だけど、監督が相手さんのとこに挨拶行って飲み会になったんだが……そのときに言ってたんだよ、「強力な助っ人を呼んだんだ」って。ウチより弱いとはいえ、助っ人の実力は舐めてかかれない。と、そういうわけだが」
「なる」
つまり、相手の助っ人が怖いから手伝えということだろう。
「でも、こないだは自力だったよな?」
「ん、まぁな……」
以前戦ったチームにも助っ人はいたが、自分達で戦っていた記憶がある。
「でも、相手が相手だからな。何せ……」
今まで済まなそうに下手に出ていた様子だったが、聖の目つきはいきなり挑発するような好戦的になり、顔を上げてこちらを見つめる。
その顔は、悪戯する子供のように笑う。
そして告げる。運命を分けたその一言を。
「あの“近藤晶”だからな」
「――っ!!」
いきなり出てきたその言葉に驚きを隠せない優。目を開き、信じられないといった表情で聖を見ている。
(助っ人が、近藤……)
頭の中で言葉を繰り返す。やがて優は全てを悟る。
ソファーに座り直し、ジッと聖を見つめる。
そして優もにやりと笑う。
「このお節介」
「これでも兄弟は愛しているさ。今贈れる最高のプレゼントだと思うけどね」
「――ああ、間違いないよ」
優の兄である聖も当然、「二年前」の事件を知っている。
だからこそ、あの時の続きをさせたいと強く思っていた。それは兄だからこそ分かる、弟の心の内。
「そのお膳立て、不本意ながら乗らせてもらうよ、クソ兄貴」
「だと思ったよ。せいぜい負けんじゃねぇぞ、愚弟」
男にしか分からない言葉がある。交わされた悪戯の笑み。それだけで二人は既に互いの内を理解していた。
優は二階に、聖は玄関へと向かった。
「あれ、優ちゃ――」
「美沙」
キッチンの片付けを終え、優と出くわして話しかける美沙を聖が止める。
「ここからはあいつらの世界だ。もう近づかない方がいい」
「? どゆこと?」
よく分かっていない美沙に説明するわけでもなく、聖はただ弟の背中を見つめる。その目はまるで、息子を見守る父親のようだった。
――優
――お前は二年前から止まったままだ
――だから、どんな結果だとしても受け入れろ
――だからこそ
「――勝てよ、優」
(――ああ)
既に二階にいる優に聞こえるはずはない。それでも聖の耳には、固い決意の言葉がしっかりと聞こえていた。