某月某日 お墓参り
前書きするほどではありませんが、グロくはないです。
ここに明かす分にはどこにも差し支えないだろうが、4月には二軒分のお墓参りをすることに決めている。
一軒についてはもう25年以上になるかな。
母の実家のお墓。江戸時代からの先祖代々の墓にはすでに15人近く眠っている。
私の母方の祖父母という人はかなり早いうちに亡くなっている。
どちらも亡くなったのが4月ということもあり、この二人だけでもちゃんと拝んでおかねば、という気持ちがずっとあってなぜか、この月にお参りする、しかも母にも内緒で行くのが毎年の恒例行事となっていた。
先祖を思う気持ち、というより、一種の保険みたいなモンですな。今年も一年守ってよ、みたいな。
もう一軒については、今日お参りに行って気づいたが訪れるのは8回目になる。
小学校に上がることなく事故で亡くなったこどもさん。
このお寺が菩提寺だということも最初知らなかった。
なぜこの子を毎年訪れるかというと、彼、実はうちの長男と同じ日、同じ場所で生まれていたのです。
大きな病院なので、分娩台が2つあったと思いねえ。
こちとら、先に分娩台に上がったのになかなか出て来ず、後で入ってきた彼が先に大きな産声を上げた。
だから彼の母と産院関係者以外では、私ら母子(子どもはまだ聴こえてなかったか?)だけが偶然、彼の出生に立ち会ったことになる。
彼が亡くなった時のことは詳しく聞いていないし、辛くてとても聞けるものでもないが、生まれたときのあの泣き声と、その後の成長の様子はしっかりと心に刻まれている。
あまりにも幼くして天に昇ってしまった彼。それでもこうして手を合わせるたびに何かが少しだけ心に生まれるような気もして。
ニンゲンはずっと、生き続けるというのはこういうことなのかなあ。