某月某日 因縁は信じるも信じないも 02
オクサン、一番頼りになりそうな娘に聞く。どうしようか? 娘はためらうことなく答えた。「同じ道を下って帰ろう、早くおうちに帰りたい」
引き返す尾根道は思いのほか距離があり、緩やかなアップダウンが続く。疲れ切った親子には少しの登りもきつい。しかも、来た時には気づかなかったような補助ロープでしか上り下りできないような箇所も。
頂上では文句タラタラだった長男も、オクサンの切羽詰まった誘導にようやく大人しくなり、黙々と前に出て弟と妹を先導する。
尾根が終わり、下りの山道に着く。
来た時とは逆に杉林、竹林、わずかな元耕作地に差し掛かった頃には、あたりはとっぷりと暮れていた。本来ならばここまで来ると、登ってきたガレ場とそこから落ち込んだ沢などが木々の間に一望できるはずなのだが、すでに遠望はのぞめない。
家にとりあえず連絡を、と思って携帯を取り出すが山の中ゆえ圏外。助けを呼ぼうにも呼べない。
文句しか言わなかった長男が急に立ち止まる。見ると、ポーチから100円ショップで買ったペンライトを取り出したでは。
「もしもの時のために」と常に持ち歩いていたらしい、こんな所で携行品の多い雑多な性格が役に立つとは。オクサン珍しく長男を褒め、自分もふと気づいて手持ちの携帯電話を開ける。照明機能はないが、束の間足もとを照らすことができる。
娘もそれで閃いたらしく、3DSを取り出して足下を照らす。
オクサンは乏しい灯りの下、長男と娘とに、自分の足もとだけを照らすように指示して少し先を行かせ、何も荷物のない次兄をすぐ後ろに背負うように引き連れて、じりじりと下山する。
何も分らない次男はすぐに立ち止まり、もう歩けないとアピール。それをなだめたり脅したりしながら、オクサンはただひたすら下を目指す。時おり数十メートル下から子どもらの声が「ねー、ここからどっち降りるのー」「どこにいるのー」と心細げに響く。オクサンは次男をおんぶしてみるが、あまりの重さにすぐに落としてしまう、なのですでに次男は石だらけの斜面で尻をこすりまくっている。「おしり、いたいー」うらめしげな泣き声にも構わず、オクサンは「だめ、とにかく、おりるよ、がんばれ、あるけ」と言い続け、引きずるように彼を連れ、時々、前の子どもには「その左は崖だからできるだけ右を歩きなさーい」「そこは一回座って、足だけ下に降ろす、ゆっくり!」などと大声で呼びかける。
小さな丸木橋を慎重に渡り、うち棄てられた小屋の脇を通る。オクサン、ふと今夜はこの小屋の中で一夜を過ごした方がいいのでは……と心が迷ったが中がどうなっているのか見当もつかず、何と言っても娘の「早く帰りたい」が効いていた、娘は今は淡々と前を進んでいるが元々山があまり好きではなく、今も一杯いっぱいであろう。それでも何故かこんな状況では長男が妙に頼りになり、妹の足場を確認してやったり声をかけてやったり、何かと心の支えになっているらしい。
オクサンは次男のことだけを気にかけながら、とにかく先を急ぐことに。
漠然と、山で遭難する、ということについて思い至る。ハイキングコースで親子揃って遭難、あり得ないようなことが今、実際起ころうとしているのでは? ガレ場はまだそこかしこに崖を隠し持っている。ここまで降りて来られたこと自体奇跡なのかも知れない。真の闇の中、一歩でも道を踏み間違えればあっという間に沢に転落してしまう、やはり、どこかで止まったほうがいいのだろうか?
オクサン、いつの間にか心の中で祈っている。無事、帰れますように、せめて子どもだけでも無事に降りられますように。
元はと言えば私があんなカキモノに没頭していなければ、子どもの声ももっと早くに聞いてやっていただろうに。もう少し穏便な場所に連れて行ってやっただろうに。せめてもっと早い時間に出かけていれば。
そうだ、ここの所ずっと創作活動なんかにうつつを抜かしていたのがいけなかったのだ。
もしも天がこの願いを聞いてくれるならば、私は書くのを止めてもいい。
そうだ、無事に降りたらもう、書くのはすっぱりとあきらめよう。
オクサンは悶々としながらそれでも表面的には子どもらに悟られないよう元気よく声をかけながら闇を下る。
漆黒に塗り込められたガレ場を下ること1時間近く……
目の前に、あの行者の岩が。そしてその先にぽっかりと拡がる空き地、まん中にぽつんと残された車。親子は歓声をあげる。
彼らはついに、無事に下山を果たしたのであった。
ああ、よかった、でも少し続きます。




