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某月某日 密かな語り部は特に主張もなく細々と

 第二次世界大戦をただ単に『太平洋戦争』と呼ぶ年寄りと暮らしておりまして。

 急に思い出語りをするのですが。昨夜も

「ここが空襲にあった時もびっくりしたよう」と。あれ? ここ田舎だったんで空襲とか爆撃とかは特になかったのでは?

 少し南に5キロほど下った辺りには、数発の爆弾が落とされたらしいですが。

「うん、ここにも一発落ちたってさ。それと飛行機が」

 よく聞くと、アメリカの編隊が静岡市街を爆撃した帰り、この村の少し北側の山近くにて、日本軍の小型飛行機が一機、突っ込んでいったらしい。

 よく言う『カミカゼ』なのだろうか? その人はどうなったんだ?

「もちろんさ、敵機はすごい数だし、飛行機も大きいからそんなちっさいのが突っ込んでも全然、びくともしなかったよぅ。ちっさいのは落ちてさ、落下傘がふわりふわりとずっと漂っててね」

 その時には、操縦士は既に死んでいたのだそうな。

「その時落ちた飛行機がさ、しばらく××の裏に飾ってあってさ、みんなで見にいったよう。そんでさ、その人が故郷(くに)に帰るって時には道端にみんな出てさ、見送ったっけよう」

 何て名前の人だったの? 聞いたが既に覚えていないらしい。


 もう亡くなった叔母にも戦争の思い出はあったらしく。

 よく、アルミホイルを見るたびに「怖いよ、こりゃ、嫌いだよう」と言っていた。

 我が家のオババは彼女の妹なのでこの話を聞いてみたら

「あー、山に撹乱で撒かれた銀紙のことだら~」とかなりの訳知り顔で即答。

 電波を撹乱するために、そんな銀紙が撒かれたというのも聞くまでは全然知らなかったなあ。

 日本、アメリカのどちらがそんなことをしたかも分からないのだが。


 

 もっとリアルに恐ろしかったのは、友人の話。ずっと前に亡くなった彼女のお爺さんが中国で兵隊さんをやっていた時の話。

「うちのじいさんさ」畑で採れた野菜を持って来てくれた時、こんな話になった。

「ニンジンの汁物が苦手でさあ、ぜったい食べなかったっけ」たまたまニンジンをいっぱい持って来てくれたので、ニンジンのコンソメスープにしようかな、という話をしていた時だと思う。

 ニンジンの味がイヤなのかね? 聞いてみたら全く理由は思いいたらないようなことで。

「祖父さんさ、あっちで中国人を捕まえて牢屋に入れとく仕事してたらしいけどさ、あんまりその話はしなかったねえ。でも一つだけね、その捕まえてきた人を処刑するって日の朝に、その人たちに必ずニンジンの汁物を飲ませたんだって。それから、いくら腹が減っても自分は食べられないって言ってた」

 オイラも何度かお会いしたことのある、いつもニコニコした朴訥な祖父さんだったが、彼にもそんな過去があったとは。

 ニンジンスープを前にした時のその祖父さんの表情を想像すると、センソウの底しれぬ恐ろしさをひしひしと感じるのですわ。


 既に語れる人は日々減りつつある。だからと言って消えてはいけない物語はまだまだ多いだろう。

 主義主張を声高に申し上げるつもりは全くない。ただ、「○○すべきである」という声が大きい人というのはなべて事実の都合のよい部分だけにしか目を配らない気がしていて。

 せめて、コツコツと日常を暮らしている中から消えつつある声を拾い上げて次に伝えるだけでも、それだけでも考え方はずいぶん幅広く変わっていくのでは、色んな立場の人びとに心配りができるようになるのでは、とちょっと真面目な思いに囚われた秋のひと時でした。


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