某月某日 珈琲みたいにほろ苦いブラジリアンな思い出
ブラジル人、またはブラジル国籍をもつ一般的な人びとへの見解ではなく、ごく個人的な印象と見聞きした範囲での内容です。御承知置きください。
先日、ブラジル豆の珈琲を頂きながらふと思い出した。
これもかなり以前のこと。
ブラジル国籍の友人がおりました。
彼はしかし、「ワシ、ブラジルじゃないけん。ニホンジンじゃけ」
と言い張っておりました。
本人いわく「ブラジルの血は一滴も混じっとらんけん」と。
実際、もう少しエゲツナイ言い方でしたが、いくら無料投稿サイトとは言え、一応一通りのハイリョ、と言いますか(弱気)。
まあつまりDNA的にはカンペキ、ニホンジンだと。
彼の何代か前の祖先は広島県出身。ブラジルに移住してから農作業に精を出し、少しずつ自分の土地を拡げ家族を増やし……
その子孫は昨今ではブラジル国民としてかの国で活躍してしたらしい。
しかし、ものすごいインフレで家族それぞれ酷い目にあい、彼もシステムエンジニアとして働いていた会社から解雇され、仕方なく母親や兄たちと『かつての母国』日本に渡ってきたのだと。
憧れの母国日本でも何かと、苦労は多かったようで。
彼はとにかく、日本語が読めないし書けない。ひらがなだけはブラジルにいた頃に習得したらしいが、少し漢字やカタカナ、ややこしい言い回しが混じるととたんにお手上げに。
もちろんポルトガル(ブラジル)語はペラペラ、関係するスペイン語、ラテン系の言語についても書いてある内容ならばたいがいは理解できた様子。
それでも折角日本に来たからには、日本語をちゃんと学びたい、と張り切っておりました。
アヤシゲな仲介業者の世話になりながら日本各地を転々と渡り歩き、さまざまな工場に契約社員として入っては、コツコツと日銭を稼いでおりました。
オイラが初めて訪ねて行った時は、1つのアパートの一室(3DK)に3人のブラジル人が同居している状態でしたわ。
まあ上がって、と招かれた玄関ではもちろん靴は脱がず土足のまま。
共同で使うキッチンで、彼はブラジル食材店で買った牛の厚切り肉を塩コショウのみでジュウジュウ焼きながら、あちらのサトウキビ酒『ピンガ』を勧めてくれました。
オイラたち日本人からすれば、アパートのそれぞれの部屋に一人ずつ土足のまま住み分れ、お互いの物音にも特に動ずることなく暮らしを共にする、というその生活じたいがかなり、インパクト大でしたねえ。
どの人もキッチンやトイレ前で出あうと「やあ」みたいににこやかに挨拶してくれて、名乗ると「むいとぅぷらぜー(よろしくっ)」と右手が出るのではあるが。
友人としてつき合う間にも、彼は4回引っ越しをしてましたねえ。
その度に家具やら何やら新しく買い替えて。
「ゆくゆくは日本とブラジルとの橋渡しになりたい」
「金が溜まったらブラジルの沖合の島をひとつ買う」
などと楽しげに語っていた彼ではあったが、現実はなかなか厳しかったらしく。
同僚とのちょっとした言葉の齟齬、完全に理解できない会社側の指示、同胞との行き違いなど、少しずつ、すこしずつ軋轢が増すにつれ、元々繊細だった彼の精神はズタボロになっていったようで。
ある日突然、オイラに向かってこう言ったのです。
「窓の外で、誰かがワシの悪口をずっと言ってる。臭いものを家の前に撒いとる」
それから崩れていくのは早かったですねえ。
ある日、アパートを訪ねていくと彼は引っ越しの準備に大わらわ。
聞くと
「ワシが病気になったんは、悪霊のせいじゃけ、ブラジルに戻ってお祓いしてくるわ」
冗談で言っているのか、と思ったが目がマジ。
少し経ってから彼の母親に会うことができ、その時の様子を話すと終始優しい笑みを浮かべていたお母さんは
「ああー、あるよー、お祓いしてもらうとすぐ治る」
さも当然のことのようにそうおっしゃった。
カソリックの国ではあるが、このような原始的とも言える呪術療法は一般的であるらしく、現地の人もニホンジンもそれぞれ信ずる呪術師や占い師に頼っては何とかしてもらう、ということが多いらしい。
その後、彼から悪霊がおちたのかどうか、聞く機会はなく今に至る。
いつかあの世かどっかもっとほの暗いところで会えたら聞いてみよう。
ホントに治った? ニホンジンの血はブラジリアン呪術のもとで清く正しく前向きに浄化されたのかい? と。
何人であろうと、何を信じていようとも、彼の行く先に幸せが満ちておりますように。




