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某月某日 マイノリティ、この偉大なる多数

 周りの人びとに助けられて今を生きている、という感覚が常にありまして。


 タイガイ、ある程度年齢がいってくると、

・ワタシは世の中から恩恵を受けているのかもしれない

 もしくは

・ワタシは世の中から疎外されているのかもしれない

 という、どちらかの思いがやや(かなり)強く自分の存在感に影響を及ぼしてきて、人格全体がより、強化されていくような気がしている。

 この二つを行ったりきたり、という例も無きにしもあらず、だが。


 それでも感謝を覚えつつ暮らしていける、というのは我が身も辛くないし、他にお返しをしようかという前向きな気持ちにもなれるので、まんざら悪くもないとは思っている。


 それにしても、今までの人生においてもさりげなく助けてくれた人のなんと多いことか。

 そして、支えてくれた人も。


 なぜか、比率的に世の中の片隅の方々に助けられることも多い。


 初めての海外個人旅行、第一日目の宿を飛び込みで探した時、誰もいないドイツの田舎町で唯ひとり見かけて道を教えてもらったのは、あやしい新興宗教勧誘のお兄さんだったし(手には毒々しいキリストの絵がついたパンフを持っていたが、異邦人である私と友人とを優しく手近な安宿に案内してくれた)、同じような状況で真夜中のパリ北駅で、ホテルに電話するためのテレカを貸してくれたのはホームレスのおっさんだった。


 名古屋の大須観音では、ひどい頭痛のため観音様の境内でゲロ吐いていたら、だいじょうぶかと声をかけてくれたのもホームレスのおっさんだったし。


 白タクのおっちゃんに迷子のところを助けてもらったこともあった。


 昨日はコンビニの順番待ち、急いでいたところにダウン症のお姉さんに順番を譲っていただいた。


 もちろん、その他にも色んな方から色んな心遣いや親切を日々、受け取っている。

 その中でも、何故かしらマイノリティ、と区別されやすい方々にも等しく優しくしてもらっているのは、やっぱり嬉しいことだなあ、と。


 自分じしん、障がい者から産まれ落ち、障がいのある子を授かり、元々の敷居が低いこともあるのかも。

 親には、リスクをおかしてでも生んで貰ったことを感謝したいし、

子どもには、日々のさりげない暮らしにこそ、喜びがあるということを教えて貰っていることにありがとうと伝え、愛していると伝えようと。


 そう思うと、どんな人でも「多数の中の一要素」ではなく、一人ひとりが偉大なる「マイノリティ」なのかも知れない、と思ったりも。

 だってどんな人も、他の人とは明らかに違うからね。

 少数派、というより個々のツブツブがより良い連携でつながって緩やかに波うっている、というイメージだと、なかなかに素敵だな。


 偉大なる、そして膨大なるマイノリティの皆さま、今日も善き影響をお互いに与えられますように。


 


 

 



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