甚右衛門書附帳(じんえもん 書き付け帳)
時代考証、表現、十分ではありません。小説としてご了承ください。
― 安政三年 ―
三月十日より四月二十五日まで、これという雨も降らず、晴天が続く。四月二十六日、
少しばかり雨がふる。その後五月四日と五日にかなりの雨が降ったので、急いで植え付けをすませる。植え附け作物は、大豆、蕎麦、黍、高黍、瓜、西瓜などの夏の作物である。しかし、その後少しの雨も降らず、苗が立ち枯れてしまうのではと心配したが、六月に入り、数日雨が降り、安心をする。その後七月に入るも夕立のひとつも降らず、八月に入っても雨は降らず、結局全ての夏作物は枯れてしまった。
「父様、もうお休みになられては」
甚右衛門が振り返ると息子の孝兵衛が襖を閉め、湯呑を乗せた盆を持ちなおして入ってきたところであった。
「お前こそ、明日は朝早くに汐止め門を見にゆかねばならないのではないか。早く休みなさい。私はもう少し、役所に届ける書附の下準備をして眠るから」
小さく息子に向かって頭を下げながら、甚右衛門は柔らかな口調で言い、湯呑を受けとった。
「私は若いのですから多少の無理はききます。
父様はもう五十も超えております。無理はいけません。書附なら私が書いておきます」
「いや、それはいけない。他のことならまだしも、役所に届ける作附のご報告に関しては若いお前より年をとった私のほうがよいのだ。年寄り相応の信用が必要なこともある」
甚右衛門が先代より島庄屋を引き継いでもう三十年になる。小さな島で田はなく、島民は漁と畑作のみで生計を立てていた。しかし、今年に入り雨が降らず、せっかく植えた作物はすべて枯れてしまった。植え附けの報告は当然にしているので、作物が枯れてしまった事を役所に届けておかなければ、枯れてしまった夏作物にかかる年貢が払えないことになる。本土藩より役人が時折見回りに来るとはいえど、甚右衛門の細かな書附報告とその庄屋としての信用があってこその減免願いであった。
「それでは、先に休ませていただきます」
孝兵衛が部屋を出て行き、再び甚右衛門は書附に向かった。しばらくすると、又声をかけられた。今度は下女のお菊のようだった。
「旦那様、焼き味噌と握り飯ですが、おあがりになりませんか」
甚右衛門は妻を亡くして久しく、身の回りの世話などはお菊にまかせていた。
「腹が重くなるから、握り飯は止めておきましょう。焼き味噌がいい匂いだ。これをお湯で少しいただきましょう」
お菊が湯を淹れなおして入って来た時、甚右衛門は、おやと思った。お菊の着物の裾丈が大きくたくしあげられ、ふくらはぎの半分ほどが見えた。お菊は香ばしい香りの焼き味噌を甚右衛門の前に置き、急須から白湯を注いだ。お菊が腰を上げ下げするごとに、たくしあげた着物の重ねが浮き上がった。甚右衛門も五十を越しているが、お菊もすでに四十は越しているはずだ。大柄な女で、がっしりとした体躯の持ち主だ。顎骨が張り出し、目がぎょろりとしていたので、島民達にオコゼお菊と呼ばれている事も甚右衛門は知っていた。結婚もせず、浮いた噂一つきかぬ女だった。
「お菊、裾が短かすぎやしませんか」
「ああ、旦那様は知らないんですかの。今島の女たちは皆、この格好です」
「何故なんです」
「今年はちっとも雨が降らないで、もう牛や馬の飲み水にも事欠いて、島中ちょっと人が寄ると、どうしょうか、ああ、困った。困ったばかりでの。それで、この間、女達が寄り合った時に、女達が着物の裾をたくしあげて、ふくらはぎをちらちらと見せたら、空の上の雷様がひょっと落ちてはこんかという話がでましての。何でもどこかの仙人は空を飛べる神通力を授かっていたのに、洗濯女のふとももに見とれて落ちて来たという話をきいたと、髪結のお初さんが話したんです。まぁ、できることはなんでもしようというわけで、うちもしとるんです」
思わず白湯をふき出しそうになるのをこらえて甚右衛門は聞いた。
「雷様が女のふくらはぎに見惚れて、雲の上から覗き込もうとして、落ちてくるのをつかまえるんですか。ばかなことを」
「いいや、わからんですよ。旦那様」
真顔で話すお菊のオコゼ顔を見ながら、甚右衛門はついに白湯をふき出した。
「それなら、若い娘だけで十分でしょう。お前の年でそんな着方をするのはいかがかと思いますよ」
「でも、雷様も年寄りがいるかもしれないと言って、島の女達皆がすることになったんですよ。東家の腰くだけのカネばあさんもしとるでの」
しょうのない女達だと思いながら、甚右衛門は改めて、目の前のお菊の立派なふくらはぎに目を落とした。普通の女の二倍はある立派なふくらはぎだった。漁に出ていないからか、意外に白いふくらはぎだった。
「あっ」
オコゼお菊の声とは信じられないなまめかしい声がした。ふと気付くと甚右衛門はお菊のふくらはぎを撫でさすっていたのだ。気付いた甚右衛門は驚いた。自分がしていることに驚いた。いつ、お菊のふくらはぎを撫でさする自分の手をひっこめたのかも、覚えていない。いつ自分の布団に潜り込んだのかも覚えていない。ただ、大きな目をいっそう大きくして自分を見ているお菊と目が会い、しばらく動けなかったことだけを覚えていた。
「くわばら、くわばら」
布団の中で甚右衛門は唱え続けた。
甚右衛門が雷封じの呪いを唱えている頃、お菊も自分の布団の中にいた。
「うちだって、若い頃には、言いよられたこともあったし」
若い頃の少しばかりの甘い記憶をたどりながら、先ほど甚右衛門に撫でられた感触を反芻する。旦那様は上から下にさすりおろし、又、下から上へと撫で上げた。気のせいでなければ、二度撫でられたような気がする。旦那様は奥様を亡くして妾もとらなかった。もしかして、私の事を好いとるのじゃろうか」
まさかという気持ちともしかしてという気持ちが行き交いながら、お菊はいつのまにか眠った。
数日後甚右衛門はやはり書附を書いていた。八月七日、とうとう池の水も涸れてしまい、牛の飲み水すら、ことを欠く有様となる。八月九日、本日も晴れ、雨一滴もふらず。馬一頭が死ぬ。八月十日。やはり晴れ。又馬死ぬ。八月十一日。ようやく大風、大雨が降り、地面潤う。雨脚きつく、池に水が十分にたまる
「旦那様、孝兵衛様が納屋までちょっと来てくれと呼んでいますがの」
数日の間、甚右衛門はお菊と顔を合わせないようにした。お菊の方も甚右衛門の本意を知ったのか、特に何も言わなかった。甚右衛門は「すぐ、行きますから」と声をかけながら、部屋を出て行くお菊を目で追った。あいかわらず、着物の裾をたくしあげていた。甚右衛門は、思いだしたように引きかえし、又文机に向かった。それから、書附帳ではなく覚え帳を出し、さらさらと書き記した。
七月半ばより島の女達が着物の裾をたくしあげて着つける。これ、雷様を呼び込むためとの雨乞いまじないのはやりなり。
結局、その年の夏作物に関する年貢は免除された。女達の短い着物の裾も大雨大風が来た後、だんだんとすたれた。秋アカネが飛び交う夕暮れ、お菊がそっと着物の裾を降ろしたのが最後であったようだった。