花の香りは蜜の味
春のファンタジー短編祭(武器っちょ企画)参加作品です。詳細は遊森 謡子さんの3/20活動報告にて。
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●短編であること
●ジャンル『ファンタジー』
●テーマ『マニアックな武器 or 武器のマニアックな使い方』
当初の参加予定メンバーが女性作者さんの方が多いようだったので、意識的にちょっと女性向けっぽく書いております。
――穏やかな甘い香りを含んだ風が、チャプタク山の麓にも春の訪れを告げていた。
ここアルニヒは王都から遠く離れた北の僻地にある小さな町である。
わずかばかりの商業施設はあるものの、基本的に町の住民たちはみな自給自足に近いつつましい暮らしを送っていた。
「花~ 花! 可愛いお花のご入り用はありませんか?」
そんな素朴な町の通りを、ゆったりとヤクを引きながらまだ年若い娘が花を売り歩いている。
筒状の黒いワンピースを腰の部分で色とりどりの紐で結び、肩にローズピンクの四角いショールを纏ったその姿は伝統的なこの辺りの民族衣装だ。
「あぁ! リンチェン待ってたよ。ささ、こっちに来ておくれ」
小太りの人の良さそうな女性が小走りで近づいて来たかと思うと、嬉しそうに娘の手を取り引っ張って行こうとする。
「えっ? えっ? ドルマおばさん!? 一体どうしたんですか?」
リンチェンが連れて来られたのは宿屋の裏口。小太りのおばさんことドルマの店だ。
厨房の扉を開け放ちながら、彼女は唄うように言った。
「リンチェン。あんたも知ってるだろう? 王都からはるばる旅をして来られた勇者様ご一行が、明日いよいよこの町にご到着なさるのさ! こんなちっぽけな町アルニヒにだよ? しかも、勇者様がうちの宿屋にお泊まり下さるんだ! こんな名誉な事は無いさね」
あぁその話ならば確かにリンチェンも知っている。町のいたる所に「勇者様来たる!」という張り紙が貼られていたし、3年前に王都近くの聖地で行われた儀式で召喚されて以来、世界中が彼の動向に注目していたからだ。
現在彼らは魔物を討伐しながら魔王に対抗し得るだけの実力を蓄えるべく、各地を転々と旅して回っているらしい。
だが、ここチャプタク山麓はまだ魔物の影響などもほとんど出ていないような辺境の地だ。一体何故彼らがわざわざこの時期にこんな何も無いような土地を訪れようとしているのかは誰にも見当が付かず、町ではみなが首を傾げるばかりだった。
「あの、それでその勇者様と私がここに引っ張って来られた事と何の関係があるんですか?」
リンチェンはさっぱり訳がわからずに、人形のようなくりくりとした丸い瞳をしばたいている。
ドルマは腰に手を当てて大げさにひとつ溜息をついたかと思うと、リンチェンの顔の前で人差し指を振りながら語り出した。
「はぁ! あんたも相当ニブイねぇ。せっかく伝説の勇者様が来て下さるんだ。精一杯おもてなししたいと思うのが、女心ってもんだろう!?」
その勇者よりもはるかに年嵩の息子がいるドルマが言うところの〝女心〟というのがどういうものなのかは正直わかりかねるが、町にひとつしか無い宿屋の女将として精一杯彼らを歓待したいという彼女の真心は伝わって来る。
「……で、アレはあるのかい?」
あぁなるほど、そう言う事ね。ようやくリンチェンは納得した。ちなみにドルマの言うアレとは蜂蜜の事だ。
この国では甘味の類は非常に貴重である。その中でも蜂蜜は特に希少価値が高い。
何しろ1匹のミツバチが大さじ1杯の蜂蜜を得ようと思えば、約4000本の花々を飛び回る必要があるのだ。実際には蜜を集めて来る蜂が1匹きりというような事はないのだが、魔王が復活してからというもののこの国の大部分が瘴気に覆われてしまい、植物が育ちにくくなってしまった。
そうなって来ると、観賞用の花や花を咲かせる果物類などよりも生き伸びる為に必須となる穀物や野菜類の栽培が優先されるのは当然の事だ。
花の蜜を求める蜂たちにとってもこの事は死活問題で、ここ十数年の間にこの国ではすっかりミツバチの数が激減してしまったのである。
だが、このリンチェンは山の中腹に建つ小屋でひとり、たくさんの花々や果物類を育て、ミツバチを飼って暮らしていた。
こうやってたまに山を下りて来ては、春には花々を売り歩き、夏から秋に掛けては新鮮な果物を、そのどちらも無い季節にはドライフルーツや果物の蜜漬などを売って生活している。
そして時には希少な一品である蜂蜜を商う事もあるのである。
彼女の蜂蜜は非常に品質が良く濃厚だと評判で、わざわざ遠くの街から貴族の遣いが何日も掛けて買いに来る程だった。
「あぁ。蜂蜜ですか? ごめんなさい。小屋に帰ればあるんだけど、さすがに今日は持って来てません。お急ぎなら今から取りに戻りますけれど……」
リンチェンの言葉にすっかり興奮したドルマは、彼女の華奢な手を両手で包み込むとユサユサと強く上下に揺さぶった。
「そうかい! そうかい! あんた、いつも蜂蜜は冬にしか売ってないだろ? もう無いんじゃないかと半分諦めてたんだよ。いやー聞いてみるもんだねぇ ほんと良かった!」
リンチェンが冬にしか蜂蜜を売らないのは、その季節の山には花も実りも少なく、町で売れるようなものがほとんど残っていない為だ。もっとも蜂蜜が1本売れれば、それだけでひと冬を越せるだけの収入は充分得られるのであるが。
結局、その日1日かけてゆっくりと売り歩く予定だった籠いっぱいの花々も全てドルマが買い取ってくれる事になった為、リンチェンは町に来て早々山小屋へと戻る事になったのだった。
++++++
荷を下ろしたヤクに跨り、リンチェンが山小屋への道をゆるゆると戻っていた時の事だった。
「……!?」
ふと何やら嗅ぎ慣れない匂いに気が付いて、周囲に意識を傾ける。
幼い頃からの鍛錬のおかげで、リンチェンの嗅覚は常人のそれに比べるとかなり鋭い。じっと気配を探ると、森の木々に姿を隠すようにして見知らぬ男が1人後を付けて来ていた。
……追剥の類だろうか? ひょっとするとドルマとの会話を聞いていて、蜂蜜目当てに後を追って来たのかも知れない。
リンチェンはスッと息を吐くと、気持ちを切り替えた。このまま小屋へは向かわずにヤクの足を山の中腹にあるアマネローサの花畑の方へと向ける事にする。
男は変わらず距離を置いたままひたひたと後を付けて来ていた。
木々の間を縫うように走る獣道のような細い道を抜けしばらく進んだが、男が仕掛けて来る様子は無い。やはりリンチェンが小屋に辿り着くのが目的だったようだ。
2本並んで立っているニロイの木を目印に森を抜けると、そこには一面アマネローサの黄色い花が咲き乱れる花畑が広がっていた。
アマネローサは単体ではさほど香りの強い花ではないのだが、これだけたくさんの花が群生していると風に乗って辺り一面に甘い香りが漂っている。
リンチェンは花畑の奥にある泉のところまでやって来ると、ヤクから降りて水を飲ませてやった。
ゆっくりと首筋を撫でてやりながら、泉のほとりにある大きなマヌレの木に繋ぐ。
そして毅然とした表情で振り返ると、背後の森の中に姿を隠している男に向かって叫んだ。
「そこに隠れているあなた! ずっと付けて来ていた事は解っているのよ。いい加減姿を見せなさい!」
すると、ニロイの木の陰からカルタリと呼ばれる小さな斧を手にした男が薄気味悪い笑いを浮かべながら姿を現した。
「おやおや。ぼんやりとした田舎育ちのお嬢さんかと思ったら随分と勘の鋭い事だ。さすがは山育ちの野生児と言ったところか?」
痩せ細って頬はこけ、ぎょろぎょろと突き出した目がまるで爬虫類のようだった。リンチェンはキッと男を睨み付けると問い掛けた。
「一体何の目的があってこんな事をするのですか?」
男は黙ったまま、ただニヤニヤと下卑た笑いを浮かべながらさらに距離を詰めて来る。
「……何のつもりですか? これ以上近づくつもりなら私にも考えがありますよ?」
男は鼻で笑うと、
「考えがある? ハッ! おもしろい。何の武器も持たないお嬢ちゃんが一体何をしようってんだ?」
そう言いながらカルタリを振り上げて一気に飛び掛かって来る。
「ぎゃぁぁぁぁ!!!!」
だが、声を上げたのは男の方だった。
男は黄色いアマネローサの花の上をのた打ち回りながら、なおも苦しげに叫び声をあげている。
一体どこから集まって来たのか、男の全身にはびっしりとミツバチが取り付いていた。
リンチェンが低く唇を震わせると、それに呼応するかのように男の周りに取り付いていた蜂達が一斉に離れていく。
「さぁ、言いなさい。一体何の目的があって私に近づいて来たの?」
男は苦しげに息も絶え絶えにこう言った。
「蜂……そうか。聞いた事があるぞ? 昔、王都で暗躍していたアサシンの一族に蜂使いが…いたと。随分昔に出奔したとは聞いてはい…たが、お前はその一族の生き残りだったん……だな?」
男の言葉を聞くと、フッとリンチェンが微笑んだ。
「あら? その秘密を知ってここに辿り着いたという訳では無かったのね。なら、単に蜂蜜が目的のケチな強盗って事かしら?」
「…………」
黙りこくってしまったところをみると、どうやら図星だったらしい。
さて、この男どうしてくれようか? 一族の秘密を知られてしまったからには、このまま帰す訳にもいかないだろう。だからと言って、リンチェンはアサシンなどでは無い。
確かに祖父はその昔〝謎の蜂使い〟として恐れられていたアサシンだった。
だが、王都から出奔して来た後は、このチャプタク山の中腹に根を下ろし、花とミツバチ達と共にひっそりと暮らして来たのだ。
祖父からは植物に関する知識や調合の技術、ミツバチ達を操る術など様々な教えを受け継いだものの、この力を人を傷つける為の武器として使おうと思った事など今まで一度たりとも無かった。その事は既に他界している父と母も同じだったと思う。
――私にはこの男を殺す事など出来ない。
そんな心の迷いが伝わったのか、男は勢い良くカルタリを振り上げると再び襲い掛って来ようとしていた。
「危ないっ!!」
頭上から声が聞こえたかと思うと、突然リンチェンの視界を若い男の背中が遮る。
――ガキィン!!
襲い掛って来た男のカルタリと、目の前の男が持つ大剣が激しくぶつかり合って火花が散った。
(……えっ!? えっ! 何っ?)
突然の事に何が起こったのか訳がわからず、リンチェンは呆然と立ち尽くしていた。
何しろ今の今まで目の前にいる男の気配を全く察知出来ないでいたのだ。
カルタリ男に気を取られていたとは言え、周囲の気配に集中していたつもりでいたリンチェンは大きな衝撃を受けていた。アマネローサの花の香りに誤魔化され、この男の匂いに気付けなかったのだろうか?
そんなリンチェンの目の前で若い男はあっさりとカルタリを弾き返したかと思うと、何の迷いも無く爬虫類男を斬り捨ててのけた。
――ドサリ
倒れ込んだカルタリ男は、金色に輝きだしたかと思うとやがて煙のようにキラキラと光りながら消えていく。
(これは! ……もしかして浄化!?)
聞いた事がある。魔に堕ちてしまった者の魂が救われると、このように光り輝いて消えるのだと。しかし、実際にそれが出来るのはこの国でも選ばれた聖職者か勇者だけだったはずだ。
「大丈夫だった?」
大剣を鞘に収めながら振り返ってニッコリと微笑みかけて来た若い男の顔は、リンチェンもよく見知ったものだった。……町中のいたる所に貼られていた勇者の絵姿そのものだ。
「あ、あの……わ、私……ありがとうございました」
先程までカルタリ男に毅然と対峙していたリンチェンの身体は、今になってガタガタと小刻みに震えていた。
そんな彼女の肩を宥めるようにぽんぽんと叩きながら、男が自己紹介して来る。
「そんなに怯えないで? 俺はケンスケ・ワダ。 異世界から召喚されて来て、一応この世界で〝勇者〟なんてものをやらせてもらってる」
『勇者である』と口にした時、彼の声色に何か照れ臭ささのような皮肉のようなものが混じったような気がして、リンチェンはふと顔を上げた。
すぐ前にあった勇者の黒い瞳とバッチリと目が合ってしまう。リンチェンは頬がカッと熱くなるのを感じながらさっと目を逸らすと、やっとの思いで他の事を口にした。
「……あの? 勇者様はどうしてお1人でこちらに? 明日お連れの方達と一緒にアルニヒの町においでになると聞いていましたが」
「あぁ。この山に精霊の住む聖なる洞穴があるって聞いてさ。加護を受けに来たんだよ」
この土地周辺は精霊の護りが強く、魔物の気配もまるで感じられなかったので、1人でも充分事足りるだろうと独断で行動していたのだ。と。
「それで、用件が済んでここまで来てみたら、この景色だろ? すっかり気分が良くなって、そこの泉で水浴びをして、ちょっとそこの木の上で昼寝してたって訳」
「あぁ、それでですか!」
納得したようにリンチェンが大きく頷く。
「ん? どういう意味?」
リンチェンは自分が匂いに敏感な事、なのに勇者が現れるまでその気配に全く気が付かなかった事などを簡単に説明した。
「多分水浴びされたばかりで、匂いがほとんど消えていたのですね」
勇者も納得したように頷く。
「なるほど。確かにこの世界の人達ってあまり入浴の習慣が無いから結構匂いがキツかったりするもんなぁ。俺は日本人だから、やっぱしょっちゅう身体を洗わないと気持ち悪くて落ち着かないんだけど、その辺は文化の違いだし、ま、しゃーないよな」
そう言いながら「あれ?」と不思議そうに勇者は首を傾げると、さり気無くリンチェンを引き寄せてくんくんと匂いを嗅いだ。
「ちょっ! 何なさるんですかっ!」
「あっ、ごめんごめん! この世界の人って結構匂いがキツいのに、そういや君はあまり匂いがしないなと思ってさ。でもちゃんと匂いがした。自然で優しい良い匂いだ」
リンチェンは目に見えて解るほど真っ赤になった。
確かにこの世界にはあまり湯を使う習慣がない。毎日湯を使うのは商売女ぐらいのものだ。
だが、リンチェン達の一族は違っていた。毎日湯を使い、全身丁寧に洗い上げる。それは蜂使いの宿命だ。人間の体臭と言うものは、ある程度摂取する食品に寄ってコントロールする事が可能になる。
乳製品や肉類ばかりを食べていればバタ臭い体臭になるし、また逆にローズオイルなどを毎日摂取していれば身体からも薔薇の香りが漂うようになると言う。
リンチェン達の一族は代々研究を重ねて来た調合のポーションを飲む事によって、身体から女王蜂が出すフェロモンとよく似た香りを発し、そこにほんの少しの魔力の補助を付け加える事によって蜂達を自由に操る術を会得したのだ。
だが、一族の本当の武器は決して蜂を操る事だけでは無かった。
数多くの動植物の知識やその調合技術を使い、様々な香りをコントロールする事が出来るようになっていたのだ。催淫効果のあるものや神経を麻痺させるようなもの、神経を昂ぶらせ攻撃的にするもの……その効果は実に多種多様だった。
それらの調合品の一部は今もいくつかは小屋に行けば現物が置いてある。さっきカルタリ男に後を付けられた時、この場所に誘導して来たのも男を小屋に近づけさせない為だ。
だが、それ以外の秘伝中の秘伝レシピは、現在は一族の生き残りであるリンチェンの頭の中〝だけ〟に残されているのだ。
「あの……すみません。勇者様? そろそろ離して下さいませんか」
意識的なのか無意識なのか、勇者はまだリンチェンの腕を掴んだままだった。
リンチェンは至近距離から届く勇者の男らしい香りと、緊張のあまり自分自身の体から強く立ち昇って来る香りが混ざり合った不思議な香りをもろに嗅いでしまい、頭がクラクラして今にも倒れ込んでしまいそうだった。
実はリンチェンが毎日飲んでいた蜂使いの秘伝のポーションには、人間のフェロモンを増幅させる作用もあったのだが、祖父のちょっとした出来心で、リンチェンはそんな肝心の事を未だ知らないままでいるのだ。
勇者は悪戯っぽく笑って、
「ん? せっかくだからもう少しだけね?」
と、さらに彼女を引き寄せ、その腕の中へと抱え込んでしまう。
リンチェンはふらふらと倒れ込みながら、(好きな人の匂いがその人にとっては最強の武器なんて言ってたのは一体誰だったけ?)などという事をぼんやりと考えていた。
――後日、勇者一行のパーティーに史上最強の調香師が加わる事になったのは、また別の話。
活動報告にこの話の裏話などを少し書いてみました。
興味のある方はチェックしてみてください。
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