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旅支度 矢立の初めのレールバス

 私立大阪第一産業高校、校門の脇に大きく枝を広げた桜の並木の梢には、緑が混ざりかけていたが、まだ八割以上は花を残していた。満開は過ぎたが、強い風が吹くと花びらが散り、桜の風情はむしろ盛りだ。


 さて、そんな校門脇の、並木の桜の木陰に、一台のバスのようなものが駐まっていた。

長さ12メートル半、クリーム色の車体。

 ぱっと見は、ちょっと古ぼけた路線バスにも見える。が、よく見るとそれはバスではなかった。車体の左右前後にタイヤがついていない。

代わりに、車体の下には電車の車輪のようなものが見える。校門脇の木陰に、ほんの20メートルほどの長さだけ枕木が並び、2本のレールが敷かれていて、そのレールの上に、バスのようなものは乗っていた。動き出さないよう、車輪にはガッチリ手歯止めがかけられている。

 電車のように、鉄道の車輪で2本のレールの上を走るバス。レールバスというやつだ。

それは、あるいは、近隣で廃線の憂き目にあった、古い鉄道を偲ぶために残された保存車輛なのだろうか。

しかしどうだろう、レールバスは単に置物となってしまっているわけではないようだ。中には何人もの生徒の人影が見える。

午後の光が柔らかに差す中、客席の窓を開き、春風を迎え入れながら、外の舞い散る桜を眺める者もいる。


 その、校庭の隅の車輛に、近づいてゆく二人組の女子生徒があった。

車輛の前端横、乗降扉は開いていて、そこから中に入れるよう、朝礼台のようなものが寄り添って据えられている。

その台へ近づく二人組。ほんの少し躊躇ったあと、ステップを登る。


「新入生かな? 見学かい? 入部希望? いらっしゃい」


開いている入口の扉から中をのぞき込む女子生徒二人に、内から声が掛けられた。


「いらっしゃーい♪ 遠慮なくみていってねー。別に見るものは大してないけれど」


 レールバスの内部は、車輛の左右を長手方向にシートが伸びる、電車の車内のような部屋になっていた。いや、「ような部屋」というか、電車の車内そのものだった。ただ、普通の電車の車輛にくらべると、前後の長さが詰まり気味か。

そして左右のロングシートの間にある、普通の電車なら立客がつり革を掴み、立って乗っているであろうスペースには、後から持ち込まれたらしい細長いテーブルと、それを囲む10脚ほどのパイプ椅子。

 テーブル端のその椅子から今立ちあがって、手をおいでおいでして訪問者を招くのは、長身の三年生、部長の因幡太一と、腰まである長い黒髪が印象的な女生徒、副部長の赤石川摩耶。


「あ、はい、失礼しまーす。」「しまーす!」


言いながら入ってくる二人の女子生徒。制服のリボンの色で一年生だとわかる。


「あの、ここって、鉄道研究会の部室? ですよね?」

「もちろんそうだよ。君は?」

「あの、わたし、1-Rの矢立瀬戸とー」

「千代田恵留麻でっす。入部希望はこっちの矢立で、私は付き添いなんですけど」


前に居る矢立瀬戸はやや小柄。ハーフアップにした髪。くりくりとして、目じりの少し下がった、大きな黒目勝ちの目が可愛らしい。

もうひとり、千代田恵留麻は彼女の両肩に手をかけて後ろから前へ押し出している。ベリーショートの黒髪に、輝く勝気そうな瞳。


「そっか、そっかー。1-Rの矢立さんと千代田さんね。こんな校庭の僻地までようこそ。

歓迎するよ。鉄研に興味もってくれてありがとう」


答えて広げる手で、彼女らの視線を、見回すように誘導する因幡部長。長身だが威圧感の無い身振り。優しげな目元をすこし細める。聞いていて落ち着くやや低めの、しかし聞きやすいはっきりとした声が、歓迎の言葉を紡いだ。

テーブルを囲んで座っていた他の部員達のひとりが、追いかけて自虐の軽口を叩く。

「新学期早々、鉄研に入部希望者が来るとはなぁ。しかも女の子。マジかいな。嵐になるか雹でも降りそうや」

ここは鉄道研究会。あまり女子に人気の部活動ではないのだ。

「ようこそ鉄道研究会へ、大歓迎やで」

軽口の後、そう続ける男子生徒は、少しがっちり目の体格で、やや浅黒い肌は地黒なのか日焼け気味なのか。

「女の子の、後輩は、嬉しいなー」

少し奥のロングシートに斜めに座り、窓からの風に吹かれていたセミロングの女子生徒も、シートをすすすと乗降口の方にすり寄ってきながら、そう続ける。

「あの、よろしくお願いします」

よくはわからないけど、といった表情をしたまま、矢立瀬戸はそう返した。

そんなやりとりをきっかけに、部室に居た、他の数名の部員も続けて口を開く。


「よろしくー。ね、矢立さんは、推しの、電車とか、ある? 221とか、好きじゃない? 国鉄型好き?」

「貨物とか機関車はどう? 国鉄型好き?」

気動車(ディーゼルカー)は嫌い? コマツの15リッターの鼓動とかロマンじゃない? 国鉄型好き?」

「あ、そうだ。好きな電鉄会社どこ?近鉄?阪急? やっぱJR? あと国鉄型好き?」

「ばっか関東私鉄好きかもしんないじゃない。京急とか小田急とか東武とか。えーとそれはともかく国鉄型好き?」

「写真撮るのんはどう? ゆる鉄写真とか興味あれへん? 国鉄型好き?」


矢継ぎ早に繰り出される質問に、矢立瀬戸は瞳をぱちくりさせて、やや後ずさった。

背後にいる千代田恵留麻が、くすくす笑いをこらえながら、そっと 瀬戸の肩を支える。

「ちょおっと待ってください、先輩方。 質問が渋滞してまーす。 そんな、なんだかよくわかんないこと、立て続けに聞かれたら、この子もフリーズしちゃいます」

勝気そうな目を見開いて、助け舟を出す。その言葉に、前のめりになって質問を重ねていた上級生部員たちも、我に返ったようだ。


「あ、ああ、わるいわるい。つい嬉しくなっちゃって」

「だって、鉄研に、4月早々にいきなり女子の入部希望者がやってくるなんてなー。奇跡だもん」

「その大事な入部希望者に、変な圧かけるんじゃありませんあんたら。少しは落ち着いて。あと国鉄型連呼はやめれ」


口々に言い訳する部員たちを、たしなめにかかるのは、先ほど、最初に席を立って二人に声をかけた女生徒の方。腰まで流れる艶やかな黒髪、まるで陶器のように滑らかな頬、そして切れ長の涼しげな目に影を落とす長いまつ毛。なんだかえらい美人である。副部長の赤石川摩耶だ。

部長の因幡太一は、そんな様子を、人の好さそうな笑顔で眺めていたが、改めて瀬戸たちに向き直った。


「まあまあ、摩耶。みんな入部希望者がうれしいんだよ。・・・ごめんな、矢立さん、千代田さん。うちの部員、ちょっと鉄道への愛が強すぎて、時々こういう感じになっちゃうんだ」

「い、いえ、大丈夫です、、、」


まだ少しうろたえ気味の瀬戸に、因幡は穏やかに問いかける。


「改めて、矢立さん。ほんとに鉄研に入部希望と思っていいのかな? 今ので、入るのやめようとか思わなかった?

鉄研に興味をもったきっかけはなんだろう? あ、さっき皆が色々言ってたけど、無理に答えなくていいよ。なんとなく電車が好きだから、とかでもいいんだけど。もしよかったら教えてくれる?」

促され、瀬戸は少し俯き、指先をもじもじさせた後、よし、と一つ頷くと、顔を上げた。



「あの、私、電車が・・・電車の『音』が、好きなんです」


「「「音?」」」


 予想外の答えだったのだろう、部員たちの声が見事にハモった。テーブルを囲む全員の視線が、再び瀬戸に集中する。

付き添いの恵留麻だけが、「ほら、言った」とでも言いたげに肩をすくめている。


「はい。あの、カタンカタン、って、レールの継ぎ目を車輪が越えていく、あのリズムが大好きなんです!あと、電車のモーターの唸る音とか。停まる時の、ブレーキのきしむ音とか、発車の前の、プヒューンって空気が抜ける音とか、カーブで、ギューッて車輪が擦れる音とか!

駅の、到着や発車案内のアナウンスなんかも好きです。みんながドッて乗り降りする時の、一斉にホームに響くたっくさんの足音も好き。聞いてるとなんだかワクワクして、でもなにか落ち着くような感じもして!」


瀬戸の目がだんだんと大きくなり、話の勢いが増し、身振り手振りが入り始め、その手振りも、瀬戸の声も、さらに大きく早くなっていく。

強くなる語気に、皆、気押されて何も言えず、瀬戸の息の継ぎ穂でふと静まり返る部室。

最初に反応したのは、副部長、赤石川摩耶だった。


「へ、へぇ。音鉄、か。それはまた、高校1年の女の子にしちゃ渋いわね」

どこか感心したような口ぶりだ。

「音か、うんうん。 そうだよね、VVVFインバータの変調音とかたまらないよね! 京急のドレミファインバータとか! フィフィフィフィフィフィーーーーって」

「いやいや、吊り掛け駆動の豪快なうなり音こそ至高やろ」

「音こそ気動車だって、189の、腹に響く豪快な15リッターターボの排気音!」


口々に反応しはじめる部員たち。しかし、先ほどの質問攻めとベクトルを代えて、瀬戸の好きに寄り添おうとしている響きがある。

瀬戸の後ろで両肩に手を置いていた恵留麻が、横から茶々を入れる。


「この子、駅のホームのベンチで一人、目を閉じて電車の音、ずーっと聞いてるんですよ。変でしょ?」

「へ、変じゃないもん!」


瀬戸がむきになって言い返す。その様子に、部室には和やかな笑いが広がった。


「いや、変じゃない、変じゃない。さっき摩耶が「音鉄」っていっただろう、鉄道の音が好きな人ってのは、そういう名前がついてるくらい、一つのジャンルとしてあるんだ。

そりゃ、あんまりメジャーな楽しみ方とは言えないかもだし・・・まあ、うちにも、音鉄系の濃い奴はいないけどね」

因幡部長がそう言葉を継いだ。

「趣味なんて、いろんな楽しみ方があるのが当然だからね。乗り鉄、車両鉄、時刻表、写真、模型、そして音鉄。どれもれっきとした鉄道趣味だよ。ようこそ、矢立さん。鉄研に君みたいな仲間が増えるとしたら、とても嬉しいよ。是非入部してもらえないかな」

「ありがとうございます! 入部したいです!。よろしくお願いします!」


瀬戸の表情が、ぱあっと明るくなる。その笑顔は、窓から差し込む午後の光を浴びて、桜の花びらのように、キラキラと輝いて見えた。


「で、千代田さんは、ほんとに付き添いだけ?」

一呼吸ついたところで、摩耶が、いたずらっぽく恵留麻に視線を送る。

「え? 私は別に電車に興味は... あ、でも、駅弁は好きですけど」

「駅弁! そいつもまた立派な鉄道文化だよね!」

すかさず反応する因幡部長。

「よーしよしよしよし、じゃあ、まずは二人にお茶でも出そうか。それから、千代田さんには、僕の推し駅弁との感動的な出会いの話を・・・」


そう言って因幡は踵を返して向き直り、車端部へ向かう。見ると運転台のある乗務員エリアの中には、ポットや小さなウォーターサーバが持ち込まれているようだ。

他の部員たちも、改めて自己紹介を始めたり、テーブルの上の鉄道雑誌を広げて見せようとしたり、新入生二人を囲む輪は、先ほどよりもさらにずっと温かい空気に満ちて、




ふいに強い風が吹いた。




 春の午後、差し込むやわらかな光の中、吹き込んだ一陣の強い風が、開け放たれた客席の窓から桜吹雪を運び込む。

淡いピンク色のたくさんの花びらは、さらさらと空中を舞い、瀬戸や部員たちの肩や髪を撫でて、制服の袖にそっと降り積もる。その瞬間、車内がぱっと一段明るくなり、空気が変わる。


瀬戸は驚いたように目を見開き、目の前を散り流れる花びらに、小さく息を呑んだ。彼女の頬に一枚の花びらが舞い降りる。くすぐったそうに指先でそっと払う。

隣にいた恵留麻も、舞い散る花びらを両手で受け止めようと、無邪気に手を伸ばしている。

摩耶は「わ、すごい...」と小さく呟き、向かいあっていた瀬戸の髪にとまった花びらを、そっと摘み取る。そんな全てを春の光が包んでいる。


 その光景を、2年生の播磨伸司は少し離れた位置から見ていた。彼の前のテーブルには、いつも持ち歩き、手になじんでいるカメラ。

桜吹雪の中で笑い合う瀬戸たちの姿が、まるで映画のワンシーンのようで、衝動が伸司を動かし、反射的に手に取りファインダーを覗く。


「・・・きれいだ」


思わず口の中で呟く伸司。春の光、舞い散る桜、少女たちの笑顔――すべてが溶けて、きらきら輝いている。

指にそっと力がかかり、伸司はファインダー越しにその一瞬を切り取ろうとした。

瀬戸がこちらに気づき、はにかむように、ふわりと微笑む。


ーーカシャリ


「えっとあの、 今の、撮ったんですか?」


瀬戸が尋ねた。

「うん、すごくきれいだったから、つい」伸司は、春の光に目を細めながら、夢を見ていたかのように、あるいは夢から醒めたかのように、うなずいた。

その言葉に、瀬戸の頬がほんのり赤く染まる。

「こら伸司、断りもなく新入生の女の子撮らなーい!。彼女まだ、正式部員にもなってないんだからね!」

摩耶の叱責が飛ぶ、伸司は首をすくめてあわてて付け足す。

「ごめん、矢立さん。ほんと、撮らずに居れないくらい、きれいだったんだ」

伸司はそっとカメラを裏返し、液晶に映る、一葉の春を瀬戸に見せようとする。

他の部員も、どんな風に写ったのかと寄ってきて、興味津々でカメラのモニターを覗き込んだ。


「伸司お前、やっぱ女の子撮るのむっちゃ上手いなぁ。電車もこれくらい綺麗に撮れや」

「まっとうな編成写真撮んないセイさんに、そんなこと言われたかないですよ」


 みんなが液晶を囲んで笑う中、瀬戸だけが、ほんの一拍遅れて画面の中の自分を見ていた。

これ、ほんとうに私かな、と瀬戸は思う。

桜吹雪の中、春の光を散らして、目を見開いている女の子は、自分より、もう少しやわらかくて、もう少し無防備に見えて、そして夢のように綺麗だった。

指で自分の頬に触れてみる。さっき花びらが落ちた場所、そこにもう桜の花びらはない。


 部室には、再び穏やかな午後の光が満ちる。

 モニターの写真を囲む部員達の心に、そこに写る春の一瞬が、鮮やかな印象を刻んで、


 鉄研、部室、この新しい部員達の、新しい一年が今、はじまったのだった。



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