終章 咲くや菜種の放出に 琴平→放出
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あれから、どれくらいの時間が経っただろうか。
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放出駅の階段を、二人は並んで降りていた。瀬戸は伸司の右腕につかまり、その足取りは、ひょこひょこと、少しだけおぼつかない。
「えへへ、まだちょっと、違和感が・・・。しかし意外と痛かったです。先輩の、おっきいのかな。血も出ちゃったし」
恥ずかしげもなく、瀬戸はそんなことを口走る。
「処女じゃなかった・・・んですけどね。部長とは一回きりの間違いだったから、一旦ふさがっちゃってたのかな・・・でも昨日の今日でそんなことある?」
「・・・なあ」
階段を降りたところで、伸司はふたたび口を開いた。
「部長とのこと、本当に、ちゃんと話、聞いたのか?」
「え?」
「いや、だから・・・部長は、そんな人じゃないはずだ。何か、勘違いがあるんじゃないのかって・・・」
言い淀む伸司達の前、階段の脇の暗がりから現れたのは、因幡太一、その人だった。
「帰ってきたか、瀬戸ちゃん、伸司」
「「部長!?」」
驚く二人、伸司が瀬戸を背にかばうように一歩前へ出る。そんな二人に、因幡は安堵の表情を浮かべた。
「よかった、二人とも無事だな。伸司、瀬戸ちゃんに変なことしてないだろうな!」
「してませんよ! ・・いや、しましたけど・・」
「どっちだよ!」
因幡は、伸司の胸ぐらを掴みかけたが、瀬戸の、泣きはらした跡の残る顔を認めると、その手を下ろし、深く、深く頭を下げた。
「瀬戸ちゃん、本当に、すまなかったな」
そのあまりにも真剣な謝罪に、瀬戸はただ、呆然と立ち尽くす。
「昨日の事だ。酒も入って、口が回るにまかせた冗談に。瀬戸ちゃんが乗ってくれるから、嬉しくなってあんなこと。冗談にしても、やるべき事じゃなかった。本当にすまない」
「え、あの・・・」
「冗談!?・・・いったいどういう事ですか!?」
伸司が気色ばむ。
「どう説明したもんかな、えーと・・・」
どうしようもなく困り顔の部長。
「はあ、だから、きっとややこしい話になるから、こんなとこじゃなく、もっと落ち着いて話しなさいって言うのよ」
階段の脇からもう一人。現れたのは、副部長、赤石川摩耶だった。
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「すまん、おちついて話すにも、この時間じゃ、こんな店しか」
駅近の松屋の、ボックス席に転がり込んだ4人は、4杯の牛めしを前に話し始めた。摩耶だけは鬼おろしポン酢牛めしだったが、それはいいとして。
「とりあえず、まずは昨日の卒業生追い出し会だけど。伸司は出てなかったから、その辺の説明だけ私がするとね。あぁそれにしても、何で出なかったのよ伸司」
「それは・・・」
「まあ、今はそれは置いとくわ。それで、結構盛り上がっちゃって、最低なことに、こいつとセイ君、お酒も頼んじゃってね。未成年飲酒。バレたら、ほんと鉄研お取り潰しかもしれないわね」
「えぇえ・・」
因幡に向けた伸司の視線が鋭くなる。
「まあ、二人が面白がって飲んでたわけ、そしたら恵留麻ちゃんが「ちょっとだけ飲んでみたい」とかいいだしてね。で下級生達みんな、ちょっと味見してみるか、ってやっちゃったのよ」
「しれっとお前も飲んでただろ」
「あー太一に無理やり飲まされちゃったぁーー。ひーどーいー」
因幡の眉間にしわが寄る。瀬戸はうつむいて何を思っているのか。
「んで、瀬戸ちゃん、大分弱いのか、いつの間にか、テーブルの上の、お酒のグラス開けちゃったかしたみたいで、わりとすぐべろべろになってケタケタ笑いが止まらなくなっててさ。笑い上戸ってああいうのね。勉強になったわ。覚えてる?瀬戸ちゃん」
「よく・・覚えてません・・・」
うつむいたまま、小さな声で瀬戸が答える。
「それで、瀬戸ちゃんちょっと回っちゃって危ない感じだし、もうお開きにするか、ってことになってね、ほら、同じ駅だから、瀬戸ちゃんはそのまま太一が家に送ってくことになって。太一もさあ、別れるまでは、まあいつもの冗談飛ばしたりして、しっかりしてた様子に見えたから、そのまま別れちゃったんだけど、今日聞いたら、実は結構酔ってたらしくてね」
なんとなく話が見えてきた。
「それで、駅で別れてからの様子は、私もわかんないから、後は太一」
「あ、ああ。・・・、瀬戸ちゃんがさ、やっぱケラケラ面白そうによく笑うから、嬉しくなって、いろいろ冗談かましながら瀬戸ちゃんち向けて歩きだしてさ、ラブホの緑色の看板に向かって「第一閉塞確認!進行!」とかってやっちゃって」
なかなか最低な鉄道ジョークだ。
「大ウケしてくれてたんで、気をよくして、そのまま受付の部屋パネルを「制限解除、進路開通!」とかいって叩いたりしてさ、」
最低ジョーク2。
「そのまま、二人、大笑いしながら部屋までなだれこんじゃって、、、まあ、酔ったまんまの瀬戸ちゃん、家まで届けても、それはそれでまずいな、とかも思ってたし、しばらく酔い冷ましてから出るか、って思って、、、えーと、瀬戸ちゃん。そのあたり・・・」
どうにも顔を上げられない様子のまま、瀬戸は蚊の鳴くような声をまた絞り出した。
「覚えてません・・・」
「じゃあ、瀬戸ちゃん、ベッドの上に登ってくるくる回りながら、矢立電鉄、新型車両お披露目ですっ。じゃーん!とかいって服脱ぎだしたのとかも」
「ぜんぜん覚えてません・・・」
「まあ俺もさ、すっぽんぽんになった女の子目の前にして、そう聖人君子でもいられないっていうか、「連結器準備よーし、緑旗振って~」とかやっちゃってさぁ」
「ちょ、なにそれ、そんなの聞いてないわよ、あんた瀬戸ちゃんに何を!」
摩耶の拳が飛ぶ。ゴツン。あ、グーで行った。
「いってぇ・・・そしたら瀬戸ちゃんが『れ・ん・け・つ・き! ひどい!ひどすぎます!』とか言いながらゲタゲタ大笑いしてさ、かと思ったら、急に糸が切れたみたいに、ばったり仰向けにベッドに倒れちまって。俺もびっくりして慌てて駆け寄ったんだ。そしたら、足がもつれて、俺の膝が、ごいん、と瀬戸ちゃんのみぞおちに・・・」
「ほんとになんてことすんのよ!!」
げしげしと、さらに摩耶の拳がめり込む。
「・・・で、その拍子に、瀬戸ちゃんが目を覚ましてさ。俺が『大丈夫か?』って声をかけたとたん、まあ、盛大にリバースしちまってな。正直、パニックになった。どうしていいか分からなくなって、瀬戸ちゃんの背中さすって、何回も大丈夫か?って声かけてさ。瀬戸ちゃん青い顔で、しくしく泣きながら慌てて服着はじめて・・・そのままホテル出て、その辺からは覚えてるかな?、瀬戸ちゃん・・・」
「はい・・・・」
「こう、大丈夫かって何度聞いても、大丈夫です大丈夫ですって言うし、なんだかちょっと俺からも離れたそうにしてたから、そのまま、駅のロータリーのタクシーに瀬戸ちゃんを押し込んで家に帰したんだが」
「あんた、そりゃ裸で男に膝蹴り食らわされたら、そうでしょうよ」
摩耶がもう一発。
再び頭を下げる因幡。瀬戸は、ぽかんとした顔で、自分のお腹を見つめている。
「・・・じゃあ、私・・・」
「まあ、今朝、そんなようなことを太一から聞いてね」と摩耶。
「あわてて、瀬戸ちゃんにトーク飛ばしたんだけど、ずっと未読だし・・・」
「あの、なんていうか、いろいろ怖かったから、私、今日スマホ、家に置いて出てきて・・・」
「伸司、あんたもよ!」
「すいません、俺も旅行する時は電源切っちゃうから・・・」
「やっぱりか。ヒロに聞いたら、伸司、今日から18きっぷで旅行するとか言ってた、っていうから、じゃあ、ここで待ってればって思ってね・・・」
「俺が住道でおりてたら、どうするつもりだったんですか」
「おれは、絶対こっちに二人で降りてくるって信じてたからな」
二人で。 因幡のその言葉を聞いて、瀬戸の瞳から、涙が溢れ出した。安堵と、喜びと、そして少しの怒りと、なんかいろいろなものがごちゃ混ぜになった、複雑な涙だった。
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階段を4人で改札階へ登る。
「・・・で、伸司」
因幡が、にやりと笑って伸司に向き直る。
「お前は、どうなんだ。もう、「そういうんじゃない」なんかじゃないだろ? 俺達の大事な、かわいい後輩を、どうしてくれるんだ? 」
「それは・・・」
「ちゃんと責任、とれよ」
そう言って、因幡は伸司の背中を、バン、と力強く叩いた。その衝撃で、伸司は一、二歩よろめく。
「じゃあな」
部長、いや元部長は、そういって、くるりと背をむけると、並んだ摩耶の肩に手を回し、二人、改札の向こうへ去っていった。
残された二人。駅前の喧騒が、やけに遠くに聞こえる。
先に口を開いたのは、瀬戸だった。
「・・・せんぱい。」
「なんだ。」
「わたしのこと、どうしてくれるんですか?」
おもむろに、伸司はショルダーバッグのフラップをめくり、使い込まれて角の塗装が薄くなったカメラを鷲掴みにした。
レンズを瀬戸に向けた。
ファインダーを覗く。
終電の近いコンコースは薄暗い。あまりいい絵は撮れないかもしれない。
「こっちを向いてくれ、『瀬戸』」
瀬戸がゆっくりと伸司に向き直る。
そして、はにかむように、ふわりと微笑んだ。
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あの、桜舞う春の日に撮られた写真は、それからずっと部室の壁に貼られている。
鉄研部員たちは、それを「伝説の一枚」と呼んでいるが、その写真を撮った、鉄研の新しい部長、播磨伸司当人は、最高の一枚は他にある、と言ってはばからない。
まあ、青春の一コマというのは、だいたいはそんなものである。
了




