第六旅 紀瀬野鉄道・運転体験の旅
国境の、そんなに長くも無い雄ノ山峠のトンネルを抜けると、紀州路快速は府県境を越えて、見下ろす和歌山平野へと山肌を滑り降りていく。いつもの出発駅である放出駅から、普通・快速を乗り継いで、鉄研の部員たちは、とあるローカル私鉄へ向かっていた。
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「運転体験をさせてくれるって話なんだ」
因幡がそんな話を持ってきたのは、ころんころんと回るエンジンの音をBGMに、部室に空調が効くようになってから一月半ほど後のことだった。
「知ってる部員も多いと思うけど、OBの帆足さん、あの人が、紀瀬野鉄道にツテがあるそうで。運転体験をしないか?ってお誘いをもってきてくれた」
「「おおー?」」
部室のあちこちにぱらぱらと座り、因幡のほうを向いて話を聞いていた部員たちが全員声を出す。
感嘆と疑問が半々か。
「運転体験ってアレですよね、車両基地とかで電車の運転させてくれるー」
「そうそう、紀瀬野鉄道は、電車じゃなくて、気動車だけどね。単行の」
「確かLE-DCが走ってたはずだよな。この部室の後の型だ」
山上が、細かな情報を話しだす。
「部室より新しいのね。部室の息子さんくらいの感じかしら」
「そう、だけど部室よりちょっとでかい。ってか長くて、バスじゃあなくて普通の電車みたいな恰好してるはず。息子の方が立派って感じになるな」
「人間でも、ままあるパターンね」
「人間だと、立派な父親にドラ息子、って逆のパターンの方が多い気がするけど」
「おう、そうやなドラ息子」
滝川が飲みかけていたアイスグリーンティーを吹く。ツボったらしい。
「うちの親父はそんな立派じゃないから大丈夫っす」
「そうかー。まあしかしええやないか。運転体験。鉄研らしい活動や」
ひとしきりの声が落ち着くのを待って、因幡が話を続けた。
「で、日取りなんだけど――」
因幡は手元のスマホに視線を落とす。「ちょうど二週間後のお盆の入りあたりにどうかって話なんだ」
「「りょうかーい」」
間髪入れずに、主に一年生から元気のいい返事が返ってきた。しかし、因幡は「まあ待て」と、その浮かれた空気を手で制した。
「お盆だぞ? みんな、本当に大丈夫か? 法事とか、親戚の集まりとか、じいちゃんばあちゃんちに里帰りとか、家の用事と被ったりしないか?」
そう問われて、先ほどまでの勢いが嘘のように、部員たちは微妙な表情で顔を見合わせる。
「うちは・・・たぶん、お墓参りに、行くから、親に、聞いてみないと、わかんない、です」
滝川が、おずおずと手を挙げた。他の部員たちも、似たり寄ったりの状況のようだ。
そこへ、部室のステップをトントンと、軽やかに登る足音がして、春乃先生が顔を出した。
「みんな、運転体験の話、もう聞いてる?」
「あ、先生!」
「今、因幡が話してくれとったとこですわ」
大井が現状を伝える。
「OK。因幡君、どこまで話したの?」
「紀瀬野鉄道からのお誘いの話と、日取りがお盆に被るから、みんな家の都合は大丈夫か、って確認してたとこです」
ふむふむ、と春乃先生は頷くと、にっこりと微笑んだ。
「教師としてはね、もちろん『各家庭のご都合を優先しなさい』って言わなきゃいけないんだけど・・みんな、行きたいわよね?」
その言葉に、部員たちの目が輝く。
「よしきた。それじゃあ先生にまかせなさい。これは『公式な部活動の大会参加』ってことにしちゃうから、みんな、ご家族には、だから行かせてくれって、そう説明するのよ。それでもダメって言われたら仕方ないけど、お盆の入り口だし、きっと大丈夫でしょう!」
先生の頼もしい(そして少しばかり強引な)提案に、部員たちから「おー!」という歓声と拍手が沸き起こった。
「というわけでみんな、来月の12日は、紀瀬野まで出かけるわよ。・・・行けたらだけど」
「「「はーい」」」
「ちなみに、こういうお誘いは、リクルート調査的な意味が多少含まれたりしてもいるので、三年生はちょっとその辺も気にしておきなさい。
ローカル鉄道会社だから、正直あまり将来性は考えられないし、大手の鉄道会社と違って、待遇面はどうしても、ってところはあって、教師としては強くお勧めできるところではないけれど、鉄道マンになりたい、って思っているなら、就職先に考えるのも一つの選択肢よ」
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西海方駅は、紀瀬野鉄道とJR線が肩を並べる接続駅だ。立派な高架のJR駅の改札を抜けて駅裏へ出ると、そこには「ここも駅ですねん」といった風情の、木造の小さな駅舎が、赤いトタン屋根をかぶってちょこんと寄り添って建っている。
駅舎の脇からは、JRの線路と並行に、ローカル線にしては少し長めのホームが延びている。昔はJRと紀瀬野鉄道をつなぐ連絡線があったらしいが、今や、高架の上を走るJRの線路とは、すっかり高さも違ってしまい、二つの鉄道の間を直接列車が行き来するようなレールを敷くことは、もう出来そうにない。
JRの駅舎の、広い階段を揃って降りると、部員たちは、乗換えの案内看板をたどって、紀瀬野鉄道、紀瀬野線の駅に向かった。といっても、駅の東西の出口のうち、東口の真向かいがそれだから、徒歩30秒である。
「おお、ICカード使えるのな」
「がんばってますね、ローカル線なのに」
「紙のきっぷのほうが風情があって好きだけどなー」
「前に来たときは使えなかったから、最近導入したのね」
と春乃先生。全員が改札ラッチ前の、駅舎に不似合いに真新しげな簡易改札機にカードやスマホをタッチし、小さな駅のホームへと足を踏み入れる。
ホームには、パステルグリーンに塗られた気動車が、カランカランとディーゼルエンジンの軽いアイドリング音を鳴らして停まっていた。
「なんだか、かわいい色した車輛だな」
「あ、部室のエンジン音と似た感じの音しますよ。ほんとに息子さんなんですね」
紀美野鉄道 紀瀬野線は全長12キロほど。全体にゆるゆるとしたカーブが続くような形で、あまり長い直線もないが、激しいカーブもない。大抵はのどかに、単行の気動車が、海辺から山のふもとの間を行きつ戻りつしているような、そんな鉄道である。
その昔、このあたりの主要な農産物であるみかんを、収穫期に、一気に大量に、収穫地の山手から近くの港へ運ぶために敷設された。今はその役割はトラックに取って代わられてしまったが、山裾に広がる、郊外住宅地化した街々や、集落からの旅客需要が、廃線を免れさせている。
パステルグリーンの気動車に乗り込むと、車内は、長さの半分ほどがロングシートに、それ以外はボックスシートが並んでいた。計16席程分、片側に2ボックスずつの4ボックス分が、ボックス席になっている。少し褪せたえんじ色のシートモケット、ベージュ色の内装が、どこか懐かしい。持ち上げて開くことができる窓に、天井の扇風機が、昭和の香りをぷんぷんと漂わせている。もっとも、部室で、古い気動車の車内を見慣れている部員たちに、あまり響くものはないかもしれない。
「うわ、扇風機回るんやな。現役やで、これ」
大井が目を丸くする。響かなくもなかったようだ。そういえば部室の空調はバスのクーラーと同様な、室内の隅に丸い吹き出し口が並ぶ構造であって、扇風機はない。
「レトロでかわいいですね」と瀬戸が、座席の端っこで小さく感動している。
「空調のダクトは別についとるから、扇風機に見えて、どっちかちゅうとシーリングファンになっとんのやな、これは。なるほどなぁ」
「このシート、すごいふかふかねえ。最近の通勤電車より座り心地いいかも」と摩耶が、妙にくつろいだ様子で足をぶらぶらさせている。
乗降扉が閉じる。「発車します」と運転士さんのアナウンスとともに、プシュっとブレーキが緩む音がして、列車が、がたんと動き出した。最初の駅までは、住宅地の間をゆっくりと抜けていく。窓の外には、洗濯物がはためく庭先や、猫が日向ぼっこしている塀の上が見える。
「なんか、のどかやなあ・・・」と大井が呟くと、
「大阪近郊の電車とかと違って、景色がゆっくり流れていくのがいいねえ」
ヒロがしみじみと目を細める。
瀬戸はボックスシートにすわり、目をつぶって開いた窓に頭を寄せて、車窓からの風に吹かれていた。うっとりと幸せそうな表情を浮かべる。
「なんか気持ちよさそうだな。乗り物酔い大丈夫?」
声をかける伸司、
「大丈夫です。風が気持ちよくて、ぜんぜん酔わないですよ。それに、この音」
目をつぶったまま答える瀬戸。連続して響くジョイント音。
「カタンカタン、カタンカタン・・・って、ずっと続いてるんです。片町線だと、駅の手前とかでないと、あんまりしないのに」
「あー、こういう路線は、たいがいショートレールだからなぁ」
「そっか、レールが短いんだ。うちの周りも、全部こうなればいいのにな」
「おいおい、普通のお客は音がしないほうがいいって言うもんだ。長い方が保線の手間も減るんだぞ」
「そうかなぁ。いい音だと思うんだけど。みんな聞きたくないのかな、わたし、ずっと聴いてたい」
瀬戸は音を耳に沁み込ませようとしているように、首をもう一段深くかしげた。
車窓の景色は一気に濃い緑へと塗り替えられる。真夏の日差しを浴びて青々と育った稲の葉、その隙間から覗く水面が、空の青を映して眩い光を散らしている。二駅、三駅と列車が快走するうち、線路は木立に寄り添い、やがて涼しげな影を落とす森の中へ。両側から覆いかぶさる木々は天然の緑のトンネルとなり、その天井からこぼれる日差しが、窓越しにボックスシートの座面にまだらな光の模様を踊らせた。
「わ、ほんとにトンネルみたい」と瀬戸が目を輝かせる。
「夏は涼しそうやな。冬は・・寒そうやけど」
「ここ、春は新緑、秋は紅葉で、それは綺麗らしいよ」と因幡。
緑のトンネルを抜けると、小さな川を渡る低い鉄橋が現れる。列車は、軽快な音とともに橋を渡る。
列車の音が川に跳ね返って、車内に心地よく響いた。
紀瀬野線、全線のちょうど真ん中のあたり、妙法口駅は、紀瀬野線唯一の列車交換駅だ。
列車は逆方向の対向列車よりも早く、妙法口駅の一番ホームに到着した。妙法口駅には、地元のおばあちゃんが手作りのパンを売っている小さな売店がある・・・という張り紙が車内に貼られていた。
それを読んだ恵留麻がそわそわし始める。
「パン、買いたいかも・・・」
「まあ、駅弁は売ってないからねえ。買うとしたらここのパンだね」と因幡。
「停車時間、何分あるんやろ?」と大井が時刻表を確認しようとする。
「4分のはずだよ。買いたいならあわてず急いでね」因幡が笑う。
「駆け込み乗車はあかんで。おちついて行ってきや」
やがて反対方向からやってきた、パステルレッドの列車が、2番線に滑り込む。色違いの二台の同じ気動車が、ホームで向かい合って並ぶ。
「2Pカラーやな」
「向こうが1Pかもですよ。こっちが2P」
「たしかにこっちのがルイージ色や」
大井と山上がやくたいもない話をしていると、
「パン、買えました!」と恵留麻が、袋をぶんぶん振り回しながら戻ってきた。袋の中には、焼きたてのクリームパン。なぜか一つはすでに半分かじられている。
妙法口駅を出ると、車窓の外には、広がる畑。そのただ中に、コンクリートの塊が見える。春乃先生が「あれ、何だかわかる?」と部員たちに問いかける。
「なんだろ、あれ。畑の中に、でっかい石?」と恵留麻。
「違うわ。あれは大戦中の、飛行機の退避壕の跡なの」
「そういえば確かこのへんは、昔は陸軍の予備飛行場になっとったって聞いたことあるな」
「へえ、そんな歴史があるんだ・・・」
「今は畑の守り神みたいになってるわね」と春乃先生が冗談めかして言う。
列車はさらに進み、のどかな集落の中をゆっくりと走り抜けていく。
途中、畑仕事をしているおじいさんが、列車に向かって手を振ってくれる。
「手、振り返さなあかんやろ!」と大井が窓から大きく手を振ると、おじいさんはさらに大きく手を振り返してくれた。
「なんか、こういうの、いいですね・・」と瀬戸がほっこりした顔でつぶやく。
やがて列車は、終点の小石口駅に到着した。部員たちは、名残惜しそうに車内を見回しながら、ホームへと降り立った。
小石口駅は紀瀬野鉄道の拠点である。駅は広目の敷地を持っていて、駅舎は紀瀬野鉄道の社屋もかねた、結構な大きさのものだ。社屋を挟んでホームの逆サイドには機関庫もあり、機関庫の前から敷地一杯に、車輛を入れ替えたり、機回ししたりできる、数線の側線のある操車場も広がっている。到着した鉄道研究会の一行は、駅舎の前でまずは全員で記念写真を撮った。写真を撮り終えると、案内してくれる駅員さんが「どうぞ、こちらですよー」と、回転寿司の店員のような軽快さで誘導してくれる。
ホーム脇の従業員通路を抜けると、一行を案内する係員は、駅員さんから、スーツを着た紀瀬野鉄道の社員さんにバトンタッチされた。駅舎裏の大きな工場のような建物の入口へとさらに案内される。
「ここがうちの機関庫になります。車輛の保管に点検整備が行われるところです。整備用ピットとかがあるから、落ちないように気を付けて」
その機関庫からは、ころんころんと愛嬌のある音が響いている。
瀬戸の耳がぴくりと動いた。はっという表情で、何かを確信したように、機関庫の扉を見つめる。
「これ、この音、もしかして・・・」
部員たちが機関庫の扉をくぐる。そこには、白い色だけが見慣れない、だが部室とまったく同じ型をした、見慣れたレールバスが、部室とまったく同じエンジンのアイドリング音を立てて、鎮座していた。
「これって、部室・・部室ですか?」
瀬戸が振り返って因幡に尋ねる。
「そう、部室と同じ型のレールバスだよ。色は違うけどね。スバル製のLE-Car II型だ」
「部長! 知ってたんですか?」
「紀瀬野にこれがあることは知ってたよ。そして僕らが、こうしてアイドリングしている前に案内されたってことは・・・」
「うわ・・・もしかして、これを?」
「今日、運転してもらいますよ」
案内の社員さんが、ニコニコ顔で説明を続ける。
「うちでは、普段は表に止まってる、あの、みなさんが先ほど乗ってきた車輛が走ってるんですけどね、数年に一度、あっちの車輛が大きな検査で走れない時には、この車輛が、代わりに走るんですよ。みなさんの部の部室がこの型だと聞いたので、せっかくだからこちらを運転してもらおうと」
「うわぁ」
「すげえ、部室がほんとに走る所が見れるなんて・・・っていうか、自分で走らせられるのか・・・」
「では、みなさん乗車してください」
の言葉とともに、部員一同は一斉に車端の乗降扉にとりついているステップに向かった。真っ先に乗り込んだ瀬戸が車内を見回して声をあげる。
「あ、この子、部室と違って扇風機ついてる」
「ほんまやな、かわりに冷風吹き出し口がのうなっとるぞ。ちゅうことは・・」
しんがりを務めるように乗り込んできた案内係さんが、おもむろに口を開いた。
「この車輛は冷房はついていないんですよ。みなさんの部室は、きっと、この車輛よりもう少しだけ新しい車輛になりますね」
「ふわぁ、部室よりおじいちゃんなんだ」
「すげえ。よく走れてるな」
「この機関庫の中は空調がかかっているので、今はそんなでもないですが、外に出たら暑いかもですね、そこはご勘弁ください。窓を開けて走ればそんなに暑くはないですので」
「はーい」
「体験走行は構内、あの大扉を抜けた先に見えている、構内信号の手前まで。ここからだいたい350メートルです。制限速度は20km/h。この車輛の速度計、結構ぴょこぴょこ跳ねるので速度の把握には気をつけてくださいね。横に運転士が指導員として乗りますので、指示には絶対従ってください」
・
「それじゃ、まずは運転台の説明から始めますね」
やがてやってきた指導役の運転士さんが、ハンドルやレバー、メーター類を解説していく。
「こっちがマスコン..加速で、ブレーキはこっち」ぶつぶつ呟いて自分に言い聞かせている部員もいる。
「いつも思うんですけど、電車って、操作は結構シンプルですよね」
「電車じゃないって、こいつは気動車」
「それはわかってますって。けど同じ操作じゃないですか。あああでも実際に動かすとなると、緊張するなあ」
まるで新しいおもちゃを前にした子どものように、部員全員が目を輝かせている。
「自動車のステアリングのような、進行方向を変える装置は無いですからね。確かに簡単。シンプルです」
指導役の運転士さんが、疑問に答えてくれた。
「大量の人や物を運ぶ責任を考えると、シンプルな操作の方が、間違いが入り込む余地が少ない。だから操作ミスが起こりにくい。起こりにくく作ってあるのだ。そんな事も言えます」
「そんな風に考えたことなかったな」
「そして、このロートル気動車も。最新の新幹線も。基本的に運転操作は同じです。だからこのクルマでも、1000人以上の人を運ぶN700でも、同じように、命を運ぶ責任があるんだぞと、そう思って、僕らは毎日運転していますよ」
「そっかぁ、そうだよなぁ」
「なんかすごい・・・運転士さんかっこいい・・・」
「あはは。なにかカッコつけすぎたかな。よく言うじゃないですか、『敷かれたレールの上を走るような人生は嫌だ』なんて。でも、敷かれたレールの上をちゃんと走ってみせるのも、結構大変なんですよ?」
そう言って、運転士さんはウィンクすると指を立ててみせた。
「では、最初は私が運転してみせますから、みなさん、私の運転操作の様子をよく見ていてください。みなさんには、あとで同じように運転してもらいますからね」
お手本走行の後、運転士さんと最初に交代したのは部長・因幡。緊張で顔が引きつりつつも、指導員の指示にしたがい、ブレーキを緩める。
プシュー、と、ブレーキシリンダーから空気が放出される音が響く。
いつも優しい顔の因幡が、滅多に見ない厳しい横顔をみせて、ゆっくりとマスコンを引いていく。
「動いた!」
「おおー!」
ころんころんと可愛らしいアイドリング音が、グオン!と唸り声に変わり、車輛屋根上の排気管から白煙があがる。車輛はゆっくりと線路の上を進み始め、窓の外の景色も、スローモーションの映画のように少しずつ流れ始めた。
「速度計、ちゃんと見てね。制限速度は守ってください」
「は、はい!」
因幡の後ろで、他の部員たちも順番を待つ。運転席の様子を食い入るように見つめている。
その後ろから、伸司は膝立ちでビデオカメラを回す。
そのとき、伸司の前にいた瀬戸が突然、ガバッとしゃがみ込んで土下座のように体を臥せ、顔を横に、客室の床に耳をつけた。
「うわっ、どうした矢立」
「な、なにしてんねん瀬戸ちゃん、床に耳つけて・・・」
「・・おかしい」
「へ?」
「おかしい、なんか変です!!この子、エンジンが・・キリキリ嫌な音が混ざって」
その言葉が終わるか終わらないかのうちに、床下のエンジンから「カキキキン、カキン、カキキキン」と、鉄琴をたたくような音がし始めた。こうなると誰にでもわかる異音だ。
「しっかり、しっかりしてっ! だめっ、とまっちゃう、とまっちゃうよ!!」
倒れた人を気付けるかのように、床についた手をゆすって声を上げる瀬戸。
「ノッチオフ!、非常ブレーーキ!」
指導員が怒声で叫ぶ。因幡は慌てて指示に従い、ブレーキレバーを思い切り押す。車内の全員が、前へたたらを踏んだ。倒れる者は幸いにしていない。
キイーーーッ。悲鳴のようなブレーキの音。レールバスは、なんとか無事に停止したものの、エンジンは最後に「ガッギン!」と、とんでもなく大きな音を立てたあと、完全に沈黙した。
「とまっちゃったぁ。とまっちゃいましたよぅ先輩」
涙目で伸司を見上げる瀬戸。
「・・・え、これ、もしかして壊れた?」
「いや、もしかしなくても壊れたやろ・・・」
完全に止まった車体に、指導運転士さんは、大きく安堵の息を吐く。
機関庫のほうから、どうしたと叫びながら、様子を確認しに整備士さんや社員さんが、線路を走ってくる。
こうして、鉄研の運転体験会は、あまりできない体験をする会になってしまったのだった。
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非常用ステップが掛けられた列車の乗降扉から、順に降ろされた部員たちは、駅舎の一室に案内されていた。一同の向かいには、機関庫に案内してくれた紀瀬野鉄道の社員さん、運転指導をしてくれていた運転士さん。ツナギを着た白髪交じりの整備士さんは整備士長さんらしい。そして額の汗をハンカチで拭きふき出てきた、紀瀬野鉄道の社長さん。
「折角の事だからと、あの車輛を用意したんですけれども、まさか運転してもらっとる途中に壊れてしまうとは・・・。すまんことでした」
深く頭を下げる社長さん。いえいえ、頭を上げてください。と、鉄研一同はかえって恐縮した。けが人も出てはいないし、運転体験が途中で中断されてしまったのが少し残念なだけというものだ。
「あの子、どうなるんですかね・・・」
瀬戸がぽつりと言う。部屋の窓から見える、止まってしまったLE-Car IIは、操車場の中ほど、やけに青い空の下で、一両ぽつんとそのままになっていた。
「調べてみないと、よくわからないが、すごい音がこっちまで聞こえたからね。多分エンジンか変速機かが、壊れてしまったんじゃないかとは思う」
整備士長さんが、ぼそりとそんな風に答えた。
「もともとあの子、車齢も車齢やし、引退を考えては居ましてな」
「部品ももう手に入らんだろうし、ここで廃車にするしか無いか」
部長や春乃先生、部員たちが顔を見合わせる。部長がぽつりとつぶやく。
「うちの部室のエンジン、まだ元気に動いてるよね・・・」
「それって・・・」
「部室のエンジンと交換すれば、延命できるんじゃないのか?」
社長さんと整備士長さんが顔を見合わせる。
「いや、エンジンともかぎらん。変速機かもしれんし、他の足回りが痛んだ可能性もある、、、」整備士長さんは、慎重に言葉をつなぐ。
「社長、あの子がどう故障しとるのか、調べないとまだはっきりしたことは言えませんし、こちらの学校さんの部室のエンジンとやらも、見せてもらわないと、ほんとに使えるかはわかりませんが」
「うむ、なんにせよ、検査時用の予備車は持っているべきやな。そして新車を調達するだけの金は、さすがに無い。となれば」
ちいさくうなずいた整備士長さんが、部員達にまっすぐ向き直った。
「あるいは、エンジンだけでなく、そちらさんの部室、まるごとそのまま、こちらの予備車輛として買わせていただくという話をさせていただければ、ということになるかもしれません」
整備士長さんの言葉に、春乃先生を含めた、鉄研部員一同は、目を丸くした。
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話はとんとんと進んだ。
春乃先生は、お盆明けには、校長経由で、第一産業高校の理事会に話を持ち込んだ。
数日後に開かれた理事会には、紀瀬野鉄道の社長が、整備士長とともに現れた。あらかじめ部室の様子を検分していた整備士長は、紀瀬野鉄道の予備車輛、あるいは、保守用の部品取り車として、部室の購入を希望してみせた。紀瀬野鉄道のLE-Car IIは、やはりエンジンが壊れてしまったことが判明していて、紀瀬野鉄道側は、部室まるごとの譲渡がかなわない場合、エンジンだけの購入についても希望した。
譲渡の可否は、次の理事会で決定されるということになった。
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「部室、なくなっちゃうのかな」
部室の長机にぺとりと頬をつけて、ぽつりと瀬戸がひとりごちた。
「無くなりはしないよ。紀瀬野に行けば見れるさ。代わりに空き教室のどこか、鉄研の部屋も貰えるだろう」
瀬戸のせりふを聞いた因幡が、優しく語り掛ける。
「まあ、まだ売ると決まったわけやないやろ?。そんなに高い金額を出せるわけでも無いって話やし、そんなんじゃ売らんわ、ってことになるかもしれん」
「それはそうだが、元々金食い虫で、どうにか予算を削ろうって話が出ていた鉄研の、その部室が、いくらかの金になるとなったらなあ」
「はあ・・・」
部室の運命が決まるまでの数日間、鉄研の面々は、なんとなく落ち着かない日々を過ごしていた。放課後の部室も、どこかしんみりとした空気が漂う。
理事会の決定は、思ったよりもあっさりと下った。
結局、部室そのものの譲渡は見送られ、やはり、エンジンだけを紀瀬野鉄道に譲る、という形で話がまとまったのだった。
「まあ、ちょっとほっとしたな。エンジンは、もともと、こっちから、交換したらどうかって話を出したんやし」
大井が、部室の隅で腕を組みながらいう。
「部室ごと無くなるなんて話よりは、ずっとええやろ。なあ、太一」
「そうだな。部室は残るし、エンジンは向こうで第二の人生、いや、第二の車生なのかもしれないが」
因幡が、どこかしみじみとした顔で笑う。
「でも、紀瀬野線をとことこ走る部室も、見てみたかったかもな」
エンジンが外された部室は、しばらくの間、静かな空間になった。
その代わり、紀瀬野鉄道の整備士さん達が、取り外されたエンジンの代わりに、冷房装置に新しいコンプレッサー用のモーターを取り付ける改造をしてくれることになった。
「モーターが動かせるってことは、なんや、この部室って、電気きとったんやな」
「エンジンかけなくても、車内灯とかついてただろう。埋設の電灯線が校舎から引いてはあるんだよ」
「そっか、そらそうか」
「これで、静かに空調が効くようになるから、結構快適になると思いますよ」
整備士さんが、工具箱を片付けながら、ちょっと誇らしげに言う。
実際、部室は見違えるほど静かになった。
「おお、これはなかなかの静粛性」
ヒロが、椅子に座って手を広げる。
「前は、エンジンの音で、会話もそこそこ声張らなきゃ、だったのに」
「静かやと、なんか落ち着かへん気もするけどな」
大井が、ちょっとだけ寂しそうに笑う。
瀬戸は、部室の真ん中で、そっと目を閉じた。
静かな空気。冷房の風が、さらりと頬を撫でる。
でも、あのころんころんという、かわいらしいエンジン音は、もうどこからも聞こえてこない。
「・・やっぱり、ちょっと、さみしいかな」
瀬戸は、ぽつりと呟いた。
「瀬戸?」
恵留麻が、心配そうに声をかける。
「ううん、納得はしてるんだよ。エンジン、向こうでまた走れるし」
瀬戸は、にこりと笑ってみせる。
でも、目を閉じると、あの音が、まだ耳の奥に残っている気がした。
ころんころんころん、ころんころんころん。
古ぼけたエンジンが、部室の床下で、健気に回っていたあの音。
瀬戸は、しばらく目を閉じたまま、脳裏にその音を思い浮かべる。
静かな部室。
冷房の風は、静かに流れている。
でも、瀬戸の胸の奥では、ずっとあの音が響き続けていた。




