幕間3 讃婦人科カメラマンの憂鬱
じりじりと蝉が鳴き、アスファルトを焼く熱気が、部室の窓の隙間から滲み込んでくる八月の午後。クーラーは、ころんころんというエンジンのアイドリングの音とともに、健気に冷気を吐き出しているものの、うだるような暑さの前に、無いよりマシ、程度の効果しかない。
「あーっついのう。なんや、今日は人少ないな」
大貫浩人が部室の長机に突っ伏し、天板からわずかでも自分の熱を放散しようとしていると、そうボヤきながら部室に大井誠があらわれた。適当なパイプ椅子を引いてどっかりと腰を掛ける。
「セイさん、僕はもうダメです。暑さで溶けて、ナタデココみたいにどろどろになります」
「ナタデココは溶けへんやろ。どっちかちゅうと寒天やな」
「どっちでもいいですよ・・・」
そんな気力のない会話が交わされる中、少し離れたロングシートの隅では、矢立瀬戸が横になっている。すーすーと穏やかな寝息が聞こえてきそうだ。夏休みの自由参加日、今日の部室には、この三人しかいない。
「あー、今日は伸司のやつ、どこ行ったんだろ。あいつも大抵、部室に入り浸りなのに」
ヒロが、顔を上げずに呟く。
「さあな。どっか撮り鉄にでも行っとんのちゃうか。あいつ、ぱーんとした風景と単行列車、みたいなん好きやからなあ。夏らしい写真でも撮りに行ったんやろ」
「あー、青い空、入道雲、ひまわり畑の中を走るキハ、みたいな。いいっすねえ」
ヒロはうっとりとした表情で天井を仰ぐ。そんなヒロの様子に、大井はやれやれと肩をすくめた。
「あいつ、そういうの撮らせても、まあそこそこ撮れはするんやけどなぁ。ほんまは、もっと上手いもんがあるやろ」
「もっと上手いもん?」
「決まっとるやろ。女の子や、女の子」
大井の言葉に、ヒロは身を起こした。
「あーたしかに。そこは同意っす」
「やろ? はっきり言って、あいつは撮り鉄なんかより、ポートレートかグラビア撮る方がよっぽど才能あるわ」
「ですよねえ。この前のタキちゃんと恵留麻ちゃんの水着写真とか、瀬戸ちゃんの入部した時の写真とか。文化祭で見た副部長の写真も、マジで神がかってましたもん。プロになれますよ、あれ」
ヒロが言うと、大井は少し意外そうな顔で彼を見た。
「ほう、お前、伸司にそう言うたんか?」
「いや、言ってないですけど。なんか、褒めると『そういうのじゃない』って逃げられそうなんで」
「ふん。まあ、そうやろな」
大井はつまらなそうに鼻を鳴らすと、テーブルに置かれた鉄道雑誌を手に取り、パラパラとめくる。
「いやあいつ、前、『列車が風景に溶け込むような、セイさんみたいな写真が撮りたい』とか言ってたんすけどね」
「そんなこと言うとったんか」
「実際そっちの方向では、どうなんすか?」
「さあな。少なくとも、俺は自分でプロになれるほどの絵ぇ撮れとるとは思とらんし。もし俺の真似したい言うなら、俺以下ちゅうこっちゃろ。なんやなあ、ほんま、あんなに上手に女の子撮んのに、なんで自分からは滅多にそっち撮ろうとせんねやろか」
「そっすか? 文化祭用の動画なんか、喜んで瀬戸ちゃん撮ってませんでした?」
「あら写真やなくて動画やろ。それに、俺はビデオカメラなんぞ触るん嫌やし、伸司お前撮れや、て言うたからな・・・」
「そういわれると、確かに、あいつの女の子の写真なんて他に見ないか・・・」
二人の間に、ふと沈黙が落ちる。蝉の声だけが、やけに大きく聞こえた。
「・・・セイさん」
沈黙を破ったのはヒロだった。
「あいつ、もしかして、女の子、怖いんじゃないすかね?」
「はぁ? まさか」
大井は一笑に付したが、ヒロは真剣な顔で続ける。
「だって、何か理由がないと、おかしいですよ」
ヒロは腕を組み、うんと頷いた。
「いや、あいつから、中学の時、クラスの女子に、やたらとしつこく追いかけ回されてたことがあったって聞いた事があって」
「あぁ? なんや部長のエピソードと間違えてへんか?」
「いやいや。確かええと、相本ちゃんだったか、休み時間のたびに伸司のとこ来ては、『播磨くん! あなたの子供が欲しいの!』とか叫んで逃げてく、みたいなん、やられてたらしくて」
「うわっ、なんやそら、キッツいな・・・」
「でしょ? それで、なんかちょっと女の子が怖くなったんじゃないかなって。トラウマ気味、みたいな」
ヒロは、面白そうな、しかしどこか同情するような目になる。
「ん-、まあ、そういうのもあるんかもしれんが・・・。
ああくっそ。あかんな。このまま居たら蒸し上がってまうわ。おいヒロ、ちっと涼みに行くぞ。帆足さんの店や」
大井が立ち上がって、ズボンの尻をはたいた。
「いいですねえ。でも、瀬戸ちゃんどうします? さすがに女の子一人、この蒸し風呂に置いてくわけにもいかないでしょ」
ヒロは、心底困ったという顔で、ロングシートに横たわる後輩と大井の顔を交互に見た。
「うーん・・・しゃあないな。起こすか。おい、瀬戸ちゃーん!起きろー、もう終点やぞー!」
大井が、わざと大げさな声を張り上げた。




