幕間2 暑いです。
「なんかあーーつーーいーーでーーすーーー」
暑さに負けたか、鉄道研究会、部室の長テーブルに、ぐだっと体を臥せにかかり、天板にぺったりと頬をつけて瀬戸がのたまった。
本日は、夏至も近い、梅雨の合間の快晴日だ。午後になって窓から差し込む強めの日差しが車内を温め、引かない湿気。部室のレールバスの客室内は、結構高めの人口密度もあって、なかなかの不快指数に達している。今からこれなら盛夏を迎えたらどうなってしまうのか。
「そだねー。ここ蒸しすぎない?。来月になったら完全に死ねそう」
瀬戸と一緒に部室のテーブルについていた恵留麻が、制服のブラウスの襟を持ってパタパタしながら、ため息をついた。
「うーん、よし、今年もそろそろクーラー動かすか」
二人のそんな会話を聞いた因幡部長が、そう言って立ち上がる。
「え?この部室、クーラーあるんですか?」
恵留麻が目を輝かせる。
「あるにはある。エンジン駆動タイプだから、エンジン掛ければ動かせるんだ」
「エンジン・・・ええっ!? この電車って、エンジン動くんですか?」
「電車じゃ無いよ。気動車」
すかさず突っ込みを入れる山上。
「少なくとも、去年の夏まではちゃんと動いてたからね」
「掛け方、わかるんですか?」
「スターターの入れ方はわかるんだけどな、えと去年の10月くらいからだから、ひのふの・・・9か月くらいほったらかしだから、そのまま動かそうとすると多分壊れるぞ、って言われてるんだ。動かす前に、自動車部の連中に声かけて、点検してもらわないと」
「えーと、つまりじゃあ今日は?」
「今日はまだ動かないな」
「ええー!? なんだー。がっかりー」
「すぐ動かしてぶちょー!」
「だから今日は無理だってば」
「副部長、おたくの旦那さんが使えないです!」
「まだ結婚してないわよ!」
思わず反応してしまう摩耶。
「まだ。」
「まだ。」
言いながら、瀬戸と恵留麻は視線を飛ばし合う。
真っ赤になる副部長をよそに、
「ヤマー、自動車部いくぞ。付き合えー」
「へーい」
因幡部長は山上をつれて、しれっと出ていくのだった。
・
「放置後再稼働の手順書、確かあったよな?、去年先輩が、バインダーめくりながら指示してて、いろいろやったのを覚えてるんだが」
次の日の午後、因幡と山上に連れられて、校庭の隅まで引っ張ってこられてそう言ったのは、自動車部の部長。自動車部員数名も、お伴に付いてきている。因幡部長と自動車部の部長は、わりと気安い仲のようだ。
「あー、僕もそんな感じだったのは覚えてる、けど・・・どこにあるんだっけあれ」
と困惑顔の因幡。
「鉄研にはあんなの見かけなかった気がする、自動車部のほうに預けっぱなしかも」
「うちの部でも見かけなかった気がするけどな。つっても、うちの整備書の棚も一杯になってっから、どっかにまぎれてるかもしれないが・・ うーん探すしかないか」
「春乃先生に聞いたらわかるかな」
「春乃ちゃん先生なら把握してそうだな。いいよなぁ鉄研は。春乃ちゃん先生が顧問なの、羨ましい。自動車部の顧問も、やってくんないかな」
「うわ、お前も、ヒロとおなじ、春乃ちゃん教徒だったのか・・・」
「なんだよ春乃ちゃん先生になんの文句があんだよ。いらんなら貰っていくぞ」
「やらん。ていうか春乃先生に文句はないよ。文句あるとしたら春乃ちゃん教徒にだ」
・
「ああ、私が預かってるわよ」
空調の効いた職員室に春乃先生を尋ねると、あっさりと返事がかえってきた。
なんのことはない、手順書は春乃先生が「部活動関連 重要書類」として、職員室の自分の棚にしっかり保管していたのだった。
「去年、自動車部の子が返しに来てくれた時にね、『また来年使うまで、先生が持っていてください』って。大切なものだから、部室に置きっぱなしにして無くしちゃったりしたら大変でしょ?」
そう言ってにこやかに、先生は、分厚く書類が綴じられたブルーのバインダーを手渡してくれる。単なる手順書にしては厚すぎる。
「こりゃあ・・・」
目にハートを浮かべて春乃先生からバインダーを受け取った後、自動車部の部長は早速ページを繰りはじめた。とたんに一気に彼の顔つきが変わる。
「やっぱり、再稼働手順っていうかこいつは、エンジンの分解整備書だぞ。あ、パーツリストもついてる。日産ディーゼルが・・いや今はUDか、が部品出してくれれば、エンジン壊れても直せそうなくらいだが・・・」
「日産? あの? やっちゃえニッサンってやつか? 鉄研の部室ってスバル製じゃなかったっけ?」
因幡が、いまいちピンときてなさそうな顔で尋ねる。
「スバルは車輛全体を作ったメーカーで、エンジンは日産から調達してたんだよ。だからあの部室のエンジンはそのやっちゃえ日産製だ。部室の下、ちゃんと覗いてみろ、エンジンに日産って刻印されてるぞ。いやまあ、正確には日産ディーゼルっていう、バスとか作ってた子会社の製造で、今はもうたしかUDトラックスって会社に名前がかわっちゃったんだけど」
「へえー」
「っても、きっと、もう、メーカーの倉庫にも予備部品なんて残っちゃいないだろうし、頼んでも部品なんて出てこないだろうけど・・・お?」
バインダの一番最後までページを手繰っていた自動車部部長が、ワープロ打ち、近頃のPCのフォントとプリンターで印刷されたらしい、真新しいPPC用紙数枚が、綴じ込まれているのを発見した。人差し指でパンと弾く。
「こいつだ。多分数年前くらいの先輩が、毎年やること、まとめて書き足してくれてるわ」
ちなみに自動車部部長はこの後、春乃先生に手順書を返すタイミングで、あわよくばと「僕たち自動車部の顧問にも・・・」と頼み込み、にこにこと断られて玉砕することになるのだが、それはまた別の話である。
手順書を手に入れた一行は、意気揚々と部室へと戻った。そこからは、自動車部の独壇場だ。
「よし、じゃあ始めるぞ!」
部長の号令一下、自動車部員たちが手際よく作業を開始する。まずは、部室の床下にもぐり込み、エンジンガードをはずしていく。現れた日産ディーゼル製PE6H型エンジンは、さすがに隅々が黒ずんではいるが、なかなかに貫禄を感じさせる顔つきをしている。
「まずはシリンダーにオイルを回すぞ。放置期間が長いからな、油膜が完全に切れてるはずだ。そのまま回したら一発でお釈迦だからな」
「はい!」「はいな」
「ついでにウェスで拭けるとこは全部拭いとけ。この辺、綺麗にできるタイミングなんて年一だろうから」
ついでの細かい仕事もしつつ、部長と自動車部員達は、エンジンの排気系を外しにかかった。マニホールドが外された排気ポートから霧吹きでオイルを吹きこむ。
エンジンオイルタンクのドレン弁を開け、一年放置されたであろうオイルを交換していく。変速機のオイルも同様に、新しいものへと交換する。燃料タンクの軽油も、少し吸い出してみては変質具合をチェック。その一つ一つの作業を、鉄研部員たちは、興味津々といった様子で、あるいは固唾をのんで見守っていた。
「よし、バッテリー、電圧確認」
「25.8、問題ありませーん・・・っていうか24Vなんすねこいつ」
「実質バスだからな。そういうもんなんだろ」
「スターター回すぞ! ほんの一瞬だ、すぐに止めろよ!」
運転台に乗り込んだ因幡が、エンジンスイッチを始動位置に入れた。その様子を見て、自動車部部長が、エンジン脇の操作部にとりついた自動車部員にむけて、右手首をひねってみせる。
-うぅおん!
短い音がして、すぐに静寂が戻る。
「異音、あるか? 何か気づいたことは?」
「ないです!」
「もう一回!」
-うぉん!
数回繰り返し、各部に異常がないことを確認すると、自動車部部長が大きく息を吸い込んだ。
「よし、因幡! 次で掛ける!」
「わかった!」
作業を見守る全員の視線が、エンジンに集中する。自動車部部長の右手首が、こんどはぐるぐると回された。
-うぅおおおおおおおおおおおおおおおーーーーーん。
今までよりも長く、スターターモーターが唸りを上げる。
「アイドルアップ」
そして。
―こここんっ。ここここんっ。ぐぅおーーん。
「スターターOFF!」
「はい!」
-ぐぉーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーん、
「よし、アイドル戻せ」
-ぉおーーーん。ころん、ころん、ころんころん、ころんころんころん、ころんころんころん。
軽やかで、どこか愛嬌のあるアイドリングの音が、心地よいリズムを奏で始めた。
九か月ぶりに目を覚ましたエンジンが、部室の床下から、おはよう、おはよう、と歌っているかのようだ。
その場にいた全員の顔が、ぱっと輝く。
「わあっ!」
一番に声を上げたのは、瀬戸だった。
「かわいい音! このエンジン、すっごくかわいい音がします!」
彼女は、まるで宝物を見つけた子供のように目をきらきらさせたと思うや、目をつぶり、音の僅かなひとかけらも聞き逃すまいとするように、耳の後ろに手を当てて、耳を澄ませた。
その喜びように、部室をかこんだ鉄研部員も、工具を握ったままの自動車部員たちも、つられるように笑顔になる。
「瀬戸ちゃん、そんな、一生懸命耳に手あてて聞かいでも、こいつ、結構うるさいがな」
「「あははは」」
大井の突っ込みに、みんなが笑う。
初夏の暑さを忘れさせる、心地よいエンジンの鼓動。
ころんころん、という優しい音は、部室そのものが喜んでいるかのように聞こえた。




