幕間 廊下の写真家
長くドアレールが交換されていないのか、やや引っ掛かる教室のドアを、ガラガラと開いて廊下に出る。廊下はなんだか少しほこりっぽい気もする。大阪第一産業高校の、特別教室棟。その一角に、私たち鉄道科の教室はある。この学校は、もともとは鉄道学校だったという過去をもっていて、鉄道科は開学の学科。最も歴史ある学科なのだ。新設された普通科の校舎とは違い、旧校舎であるこの建物は、どうしても、あちこちに年季は入っている。
「また明日ねー」
「じゃあねー、瀬戸」
今日の授業はもう終わり。後にする教室の中に向かって一声かけて、鉄研の部室へ向かおうと廊下を歩いていると、少し先に見慣れた後ろ姿を見つけた。間違いない、伸司先輩だ。
「せんぱーい!」
私が声をかけると、先輩は少し驚いたように振り返った。
「おう、矢立じゃないか。どうしたんだこんなとこで。ってああ、そっか、矢立は鉄道科だもんな」
「はい。先輩こそ、どうしてこっちの校舎に?」
普通科の先輩が、旧校舎であるこの特別教室棟にいるのは珍しい。先輩は少し照れたように頭を掻いた。
「ああ、写真部の部室がこっちにあるんだよ。今日はちょっとそっちに顔出さないといけなくてさ」
「へえ、そうなんですね。・・・なんで写真部の部室なんか、こっちにあるんです?」
「写真って、昔は暗室が要ったからね。今でも写真部部室には暗室があるから、それで特殊教室扱いなんだ」
「暗室・・・フィルム写真ってやつですか?」
聞いたことはあるけど、詳しいことは知らない。私が首をかしげると、先輩は少し嬉しそうに説明を続けてくれた。
「そうそう。フィルム、今でもやってる先輩もいるよ。日光写真って聞いたことないか? あんな風に、光そのものを直接フィルムとか印画紙に焼き付けて絵を作るんだ。だから、作業する部屋が明るいと、全部が光に焼けちゃって真っ黒になる」
「うわ。なんだか面倒くさそう。ってそれ、撮った写真を見ようとしたら、結局明るい部屋に出ないといけないんじゃないです?」
「出ても大丈夫なように、暗室の中で薬品に浸して画像を定着させるんだよ。これ以上、光に反応しませんよ、って状態にするわけ」
「へー、化学の実験みたい」
「まあ、似たようなもんだな。俺だって、いつかやってみたいとは思ってるんだ。だけど、高いんだよなぁ」
「高いって、お値段が?」
「ああ。フィルムも、絵を焼き付ける印画紙も、一枚一枚そこそこの値段がする。薬品代もかかるしね。デジカメならメモリカード一枚で何千枚も撮れるし、撮ったデータはPCにコピーすればいいから、タダみたいなもんなんだけど」
「そりゃあ、みんなデジタル使いますよね」
「でも、フィルムには憧れがあるんだよなぁ。やってる先輩のプリントを見せてもらうと、やっぱり絵が柔らかいんだ。いかにもアナログって感じで」
先輩は、楽しそうに語る。その横顔を見ていると、私の心臓が、ころん、と小さく音を立てた気がした。この人は、やっぱり写真が好きなんだな。
「あれですかね。車掌さんの肉声放送のほうが、自動放送より味がある、みたいな。それなら、ちょっとだけ分かるんですけど」
私がそう言うと、先輩は一瞬きょとんとして、それから吹き出した。
「そのたとえは合ってるような合ってないような・・まあ、矢立にとってはそんな感じかもな」
「じゃあ、先輩がもしフィルムで撮る時が来たら、私も撮ってください」
気づけば、そんな言葉が口をついて出ていた。入部した日に撮ってくれた、あの桜の中の一枚を思い出す。春の光と桜吹雪の中で、頬に花びらをのせて、少しはにかむように微笑んでいる写真の女の子は、自分より、もう少しやわらかくて、もう少し無防備で、そして夢のように綺麗に思えた。
あれよりも柔らかく、綺麗に撮ってもらえるんだろうか。
「おう、もし撮ることになったらな」
先輩は、にこりと笑って頷いてくれた。
「瀬戸ー、こんなとこでどうしたのー?」
後ろから、さっき別れたはずの友達の声がかかる。先輩と話している間に、後から教室を出た友達に追いつかれてしまったらしい。
「あ、うん。ちょっと部活の先輩と会っちゃって」
言いながら私が振り返ると、友達は興味津々な顔で先輩と私とをちらちらと見比べていた。
「じゃあ、先輩、また明日‐明日は鉄研のほうに出るんですよね?」
「おう。今日も、写真部出た後顔出すから」
「はーい」
先輩に手を振って、友達の元へ駆け寄る。
「ねえ、今の先輩、ちょっとよくない? 普通科の人?」
「うん、普通科だよ」
「へえー、瀬戸ってどこの部活だったっけ?」
「鉄研」
「え、鉄道研究会!? うそー!」
友達は、心底驚いた顔で私を見た。
「いいなー、あんな先輩いるなら私も入ろうかな」
「いいよ、いつでも見学おいでよ」
「うーん・・でもなあ・・・」
急に友達が歯切れの悪い返事をする。
「調査書に、部活動、『鉄道研究会』って書かれたら、就職できなくなっちゃうかもって聞くし・・」
「鉄道会社は鉄道オタクを嫌う、ってやつ? そんなことないって。ただの都市伝説だよ」
「でも、火のない所に煙はなんとやら、って言うじゃない」
うーん、と友達は腕を組む。その気持ちは、私にもちょっとわからないでもない。
でも、まあ、いっか。
あそこには、私の「好き」を分かってくれる先輩たちがいる。
「まあ、気が向いたら、いつでもおいでよ。楽しいよ、鉄研」
私はそう言うと、今度こそ本当に、部室へと向かって歩き出した。




