第一旅 住道→金蔵寺の旅 4幕
尼崎駅に大阪方面から滑り込んできた223系電車、側面に誇らしげに『222-1001』という車番が記されている車輛のドアが開く。
ポツポツと吐き出される乗客と入れ替わりに、二人は姫路行き新快速の車内へ乗り込んだ。
早朝とはいえ、京阪神を貫く大動脈である新快速だ。車内はそれなりに混雑していた。転換クロスシートの座席はあらかた埋まり、ドア横の補助席までもが、その大多数が引き出されて乗客の尻の下にある。
「うーん。こんな朝早い時間なのに、席あいてませんね」
車内を見渡して、瀬戸が残念そうに言った。
「まあ、土曜とはいえ、阪神間は一番混んでる区間だしな。仕方ない」
「姫路までずっと立ちは、ちょっとキツイですねぇ」
「三ノ宮過ぎれば空くだろ。それまでは、ほら、あそこに行こう」
伸司が顎でしゃくったのは、先頭車両の最前部、運転台のすぐ後ろのスペースだ。
前面展望を楽しむための特等席、いわゆる「カブリツキ」の場所である。幸い、そこにはまだ誰も陣取っていなかった。
「いいですね。」
二人は席の間を移動し、運転席背後の大きな窓の前に立つ。目の前には、これから進む線路と、朝日を浴びて輝く架線柱の列が真っすぐに続いている。
ドアが閉まり、列車が滑らかに加速を始めた。
ムォーン、というVVVFインバータの励磁音が床下から響き、流れる景色が速度を増していく。
「しばらくここで、前面展望しとくか」
流れるレールを目で追いながら伸司が言うと、隣の瀬戸が「あ、そうだ」と何かを思い出したように声を上げた。
「ん? どうした?」
「先輩、もうすぐ武庫川ですよね」
「ああ、立花の先だから、もうすぐだな」
「じゃあ先輩、今のうちに私の肩、支えててください」
「は?」
いきなりの要求に、伸司は声を上げた。
「肩を支えるって、なんでだよ。揺れるからか?」
「武庫川橋梁を渡る音、目をつぶって集中して聞きたいんです。だから、私がよろけたりしないように」
瀬戸は真顔だ。
「お願いします。武庫川のあの古い鉄橋、音が反響して最高なんですもん」
上目遣いに懇願され、伸司は溜息交じりに折れた。
「・・・わかったよ。しかし好きだよなぁ矢立。列車が橋渡る音か」
言いながら、伸司はそっと片手を伸ばして、瀬戸の左肩を包むように支えた。華奢な肩の感触が手に伝わるが、意識しないように努める。
「うん。これなら安心です」
瀬戸は満足げに頷くと、本当に目を閉じて、両耳の後ろに手を当て、耳をすます体勢に入った。
「・・・橋桁をわたっていく音が、綺麗なリズムになって聞こえるんですよ。武庫川は川幅も広いから、音が水面に反射して、すごく大きく、クリアに届くんです」
夢見るように呟く瀬戸。
「鉄橋は音が響くもんな。お前、分岐器を渡る時の音とかも好きだしなぁ。見てると、なんだかうっとりした顔してたりするし」
伸司がからかうように言うと、瀬戸は閉じていた目を見開き、少し恥ずかし気な顔で振り返った。
「うっとりって、言い方! もう、そういうんじゃないです!」
「いや、どう見ても陶酔してる顔だったぞ」
「ち、違いますってば・・・違わないかもだけど。分岐器を渡る時が好きなのは、音だけじゃなくってですね」
瀬戸は頬を染めて、なにやら言い訳を並べ始めた。
「こう、ポイント通過で車体が横にぐいっと動かされる感じがあるじゃないですか。あれが、ちょっと、『君の行く方向はこっちだよ』って、電車に体ごとエスコートしてもらえてるみたいで・・・その、ときめくというか・・・」
「・・・それであんな顔してるのか」
まさかの「電車にエスコートされ萌え」だったとは。業が深い。
「うう、あんな顔ってどんな顔ですか」
抗議しながら、瀬戸は、左肩を支えている伸司の手の上に、自分の右手を重ねた。きゅっとその手を握りしめる。
「もうすぐですね・・・あ、来ます」
瀬戸が再び目を閉じ、神経を研ぎ澄ませる。
直後、列車は高架区間から、広い武庫川の河川敷の上へと飛び出した。
ガタタガタン、ガタタンガタン――。
レ―ルの上を駆け抜ける車輪の音が、鉄橋のガーダーと水面に響き、重厚で軽快なリズムとなって広がる。
瀬戸の手に力が入り、肩を支える伸司の手が強く握られる。
彼女は目をつぶったまま、その音のシャワーを全身で浴びているようだ。伸司は、握られた手を通して、彼女が感じている心の振幅が伝わってくるような気がした。
長い鉄橋を渡り終え、列車が再び陸地の上を滑り始めると、瀬戸は名残惜しそうに、ふう、と息を吐いた。
「あぁ・・・いい音でしたー。もうこのまま、終点までずっと鉄橋だったらいいのに」
「どんだけだ。橋しかない鉄道なんて怖いだろ」
伸司のツッコミに、瀬戸はくすくすと笑う。
「聞くだけじゃなく、ちゃんと目を開けて景色も見てみろよ。川を渡っていく車窓を眺めるのもいいもんだぞ」
「ふふ、そうですね」
そう言われた瀬戸は、そっと瞼を開いた。
握っていた手を離し、再び車窓に目を向ける。
大阪と兵庫の境である武庫川を越えた新快速は、神戸の街へ向かって走り続けている。
窓の外には、六甲の山並みが近づいてきていた。




