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プロローグ

九條圭九條圭(くじょうけい)――ゲーム内での名は《アグラ・シャラン》。


20年以上続く超大型オープンMMORPGラスト・エタニティ・オンライン

その自由度とリアリティは群を抜き、もはや“もう一つの現実”と言われるほどだった。


シャランは、その世界で頂点に立つプレイヤーだった。


彼のステータスには「Lv99」「神剣士」「大賢者」の文字。

同レベルの者はいても、剣技も魔法も制作も探索も極め、

さらに王国まで作り上げたプレイヤーは、彼以外に存在しない。



地底深く。

通常プレイヤーは到達できない巨大空洞がある。


空洞中央には湖があり、水面は鏡のように輝く。

天井に張り巡らされた《天空投影魔法》が、空と雲を完全に再現していた。


「よし……天気の同期、完了。風の流れも自然になってきたな」


シャランが指を鳴らすと、作り物の空に雲が流れ、

風が草原を揺らし、湖面に波紋が広がる。


これはもはや“景色”ではない。

“小さな世界”だった。


人工の森、丘、湖沿いの街並み。

そして中央には巨大な石造りの城――シャランが王として座す場所。




街の名は《シャラン王都》。


石畳の街道、豪華な店、神器級の装備ばかり並ぶ商店街。

訪れるプレイヤーの反応は毎回同じだった。


「高すぎるだろこれ!」

「でも性能反則だろ……」


怒り、呆れ、そして最後には魅了される。

全てが“本物以上”だからだ。


シャランは城のバルコニーから街を見下ろし、満足げに笑った。


「こういう金持ち街、一度作ってみたかったんだよな」


ダンジョンもボスもイベントも制覇した彼に残された、唯一の娯楽が“創造”だった。

だからこの世界は、彼の暇つぶしの結晶でもあった。




王都にはNPCも多く暮らし、

シャランが魔法で強化した結果、下手なプレイヤーより人間らしい。


「おはようございます、シャラン様」

「北門の警備に異常なし」

「本日の市は盛況です!」


兵士の強さは異常で、プレイヤーを秒殺できる。

忠誠心も設定通りに厚い。


「強すぎたかなぁ……」

「王のため、全力を尽くします!」


街は今日も賑わっていた。

湖畔で遊ぶ子供NPC、パンを並べる店主、中央噴水で談笑するプレイヤーとNPC。


「ここのNPCの生活感すげえよな」

「地下都市とは思えん」


そんな声を、シャランはいつもバルコニーから聞いていた。




その日も、街の最終調整を終えたシャランはログアウトしようとした。


「さて……今日も良い出来だった。寝るか」


メニューを開きログアウトを押す。


ピッ。




ログアウトエラー。

リンク断絶。

五感の完全接続。


それらが頭の中で意味を結びはじめた瞬間、

シャランは思わず息を呑んだ。


「……な、なんだこれ……?」


足元の石畳が、やけに冷たい。

空気の重さ。

パンの香り。

湖面を渡る風が、肌の上を生々しく滑っていく。


全部が濃い。

こんなリアルなフィードバック、ゲームにあるはずがない。


シャランは震える手で剣を抜いた。

音があまりに鋭い。

剣身が光を反射する角度まで明確に分かる。


「……嘘だろ。いや、待て。落ち着け。落ち着け……?」


声が震えていた。




その瞬間だった。


街全体のNPCが、いっせいに膝をついた。

石畳の乾いた音が、城下から波のように伝わってくる。


「……え?」


何が起きているのか理解できない。

ただ、全員がシャランのいるバルコニーへ向かって頭を垂れていた。


「なんで……何してんだよ、お前ら……?」


背後で、扉が静かに開く。


ギィ……。


従者NPCが現れ、深く頭を下げる。


「シャラン王。

あなた様の本来の御力が、ついに開示されました」


その言葉が耳に入った瞬間、

背筋に冷たい電流が走った。


「本来……? いや、そんな設定入れた覚え……」


従者の声は震えていたが、確信めいていた。


「王が今ここに立たれた瞬間、王都全域が反応しました。

魔力網は再構築され……この国は、あなたを“真なる王”として認識しました」


「……ちょっと待て。

俺、そんなプログラム組んでねーんだけど?

いや、ていうか、なんで……なんで俺の“立った”だけで世界が反応すんだよ……?」


答える者はいない。

ただ、下界には何百、何千というNPCたちが跪き続けている。


胸がざわついた。

汗がにじむ。

呼吸が浅くなる。


(冗談だろ……?

俺、いつの間に……こんな“支配者イベント”仕込んだ?

そんな遊び、さすがにやらねぇよ……)


目の前の景色が歪むほどの緊張感。

自分の心臓の音が、やけにうるさい。


「……あー……マジかよ。

これ……ほんとに、転移とか……そういうやつ……なのか?」


風が吹く。

その感触がまた、濃くて、逃げ場がないほど生々しい。


どこまでがゲームで、どこからが現実なのか。

その境界が――完全に消えていた。





シャランはバルコニーの手すりに手を添えた。

冷たかった。

ゲームのエフェクトで済まされる“冷感”ではない。

金属の感触が皮膚を刺し、血の気が指先から引いていく。


(……落ち着け。情報を整理しろ。

俺は圭で……いや、今はシャランで……

どういうことだよこれ)


《ラスト・エタニティ・オンライン》。

二十年も遊んだ世界だ。

誰よりも仕様を知っているはずだった。

少なくとも――この世界が“こんな風に動く”ことは、絶対にありえない。


なのに。


「……王」


背後で従者が再び頭を垂れる気配がした。

息を呑むように、慎重に。


「王都の魔力網は、あなた様の覚醒を受け、

一部が外部世界に向けて干渉を開始しています」


「干渉……? 外部に? なんで勝手に……!」


シャランの声は裏返っていた。

従者は恐れを覚える様子もなく、淡々と告げる。


「王が“ここに在る”という事実。

それ自体が、魔力系統の最上位権限として発動しているのです。

あなた様の意思とは無関係に」


「無関係で動くなよ……俺の世界だぞ、ここ……!」


後半は自分に言っているようだった。


再びバルコニーの下へ視線を落とす。


王都の広場。

石畳は陽光を反射し、白い輝きの中に無数の影が並んで跪いている。

NPCが――まるで“宗教的崇拝”の儀式のように。


誰一人、顔を上げようとしない。


その静けさが、息苦しい。


(おい……冗談じゃねぇぞ……

NPCが、ここまで“人間的に見える”なんて……

ありえねぇだろ……)


子供。

兵士。

商人。

冒険者。

自分が作った街に暮らす「はず」の存在たちが、

今はまるで本物の人間だった。


ひとつひとつの呼吸、瞳の揺れ、

肩の震えまでもが“データの動き”には見えなかった。


――そして、ある事実がシャランをさらに追い詰めた。


(……ログアウトできない。

五感は完全にある。

NPCの反応は、自動処理の限界を超えてる。

これ……どう考えても……)


認めたくなかった。

しかし、認識は強制されるように深まっていく。


(……俺は、ゲームの設定外にいる)


言葉にすれば壊れそうな現実が、

目の前で静かに息づいていた。


従者がそっと顔を上げる。


その瞳には、揺るがぬ確信が宿っている。


「シャラン王。

どうかご命令を」


「……俺に?」


「あなた様が存在するだけで、この国は動き出します。

王都の魔力網は外界に干渉し、

世界はあなた様を中心に変容を始めております」


世界が――変わり始めている。


「ご命令を。

王の言葉一つが、この国の在り方を定めます」


シャランは口を開けたまま、しばらく何も言えなかった。


喉が張り付く。

呼吸が浅い。


(……やばい。

俺、本当に……“王としてここにいる”扱いなんだ)


自分で作った国。

自分で強化した魔法。

自分で動かしたNPC。


その全てが、今――

自分の“言葉”を待っている。


たった一言で、

この世界を動かすつもりで。


「……っ」


高鳴る鼓動の音が、耳の中で爆ぜた。


逃げられない。

ここはもう、安全なログインルームではない。


そしてシャランは――

初めて“王としての声”を外に出す決意をした。


「……分かった。

まず、状況を……調べたい」


乾いた声で、だが確かに言葉を紡ぐ。


「地上の様子を、見に行く必要がある。

誰か……信頼できる者に、先行して確認させたい」


その瞬間、従者は深く頭を垂れた。


「承知しました。

では――親衛隊長ガレスを、お呼びいたします」


空気が震えた。

国が動いた。



重い沈黙を裂くように、城内の回廊から鋭い足音が近づいてくる。

金属が擦れる冷たい音。

そして、迷いのない速度。


シャランは思わず息を呑んだ。


(……この足音。

NPCの動きじゃねぇ。

“本物の兵士”みたいに、隙がねぇ)


その違和感は、もはや驚きではなく“恐れ”に変わりつつあった。


バルコニーへ通じる扉が、音もなく開く。


ギィ、とすら鳴らない。

そこに立った男――

銀鎧に身を包み、黒髪を後ろで束ねた騎士が、一歩前へ進む。


片膝をつき、胸に拳を当てた。


「親衛隊長ガレス、参上いたしました。

王よ、御前に馳せ参じました」


その声音は凛としていて、震えも曇りもなかった。

ただ、揺るぎない忠誠だけがあった。


シャランは思わず見入った。


(……おいおい。

ガレス、お前……こんな顔してたか?

デフォルトでこんな“人間味”あったか……?)


髪のわずかな揺れ。

額に光る汗。

呼吸の深さ。

目の奥に宿る意思。


全部、作り物のNPCの域を越えている。


ガレスは静かに頭を上げた。


「従者より伺いました。

地上の調査を、私に?」


「……あ、ああ」


王として振る舞わなければいけないのに、

シャランの声は完全に“一般人のそれ”だった。


だがガレスは、一切表情を変えない。

むしろ、微かに誇らしげに見える。


「王直々の勅命。

このガレス、この上ない光栄にございます」


「……危険かもしれないぞ。

地上がどうなってるか、俺にも分からない」


「危険ゆえにこそ、私が参るべきです。

王都を護る誓いを――どうか、お忘れなきよう」


その瞬間。


ガレスの身体から、青白い魔力がふわりと立ち上った。

シャランは思わず目を見開く。


(……こいつ……魔力量、俺が設定した時の数値より多い……?

なんでだよ……勝手に上がるシステムなんて……)


理解できない。

だが、目の前の現実は否応なく進んでいく。


ガレスは立ち上がり、姿勢を正した。


「王よ。

ご指示を、改めて」


その言葉に、シャランはようやく腹を決めた。


震える息を整え、

王として、胸を張る。


「……分かった。

ガレス。

地上へ赴き、状況を調べてきてくれ。

戦闘は避けろ。

最優先は――報告だ」


一拍。


ガレスは深く頭を垂れた。


「御意。

命を賭してでも、掴んで参ります」


その目に宿った決意は、

NPCが持つような単純な“命令待ちの光”ではなかった。

覚悟の光だった。


ガレスは踵を返し、扉の向こうへ歩き出す。

足音が遠ざかっていく。


そして、最後に一度だけ振り返る。


「王よ。

必ず帰還し、この国と……あなた様を、お守りいたします」


扉が閉まる。


静寂。


シャランはバルコニーの手すりに手をついたまま、

深く息を吐いた。


「……なんだよ。

なんなんだよ、これ……」


王都は相変わらず静寂の中にあり、

何千というNPCがまだ彼へ頭を垂れていた。


そして――

この世界が、もはや“ゲームではない”ことだけは確かだった。


シャランは空を見上げる。


人工の空。

自分が創った空。


そのはずなのに、

胸の奥をざわつかせるような不気味な広がりが、

静かにそこにあった。


(ガレス……戻って来い。

頼む。

俺一人じゃ、この世界……どうにもできねぇ)


風が吹き抜けた。

その冷たさが、いやに現実的だった。




────────────────────

──地上。


黒い巨影が崩れ落ちると同時に、周囲の風が止んだ。

魔物の体内に残っていた魔力が、最後の痙攣とともに霧散する。


ガレスは無言で剣を払った。

刃に血はほとんどついていない。

あまりにも一瞬で斬り伏せたためだ。


巨大な魔物の死体は、山のように横たわっている。


「……王のもとへ持ち帰る」


淡々とした声に迷いはない。

戦闘よりも重要なのは、正確な情報を王に伝えることだ。


ガレスは魔物の角に手をかけた。

青い魔力が腕に収束し、死体が浮き上がる。


十数メートルの巨体が、重力を無視するように持ち上がった。


ガレスは肩に担ぎ、静かに洞窟へ歩き出す。


周囲には誰もいない。

彼の足音だけが、異様な静けさの中に響いた。




────────────────────

──王城。謁見の間。


扉が軋みを上げて開かれた。


重い気配が、室内に流れ込む。


「……戻りました」


ガレスの声は低く、冷えた空気を引き連れていた。


シャランが顔を上げる。

その視線の先、ガレスの背後にあるものを見た瞬間――

息が止まった。


魔物の死体が、謁見の間の床へ静かに落とされた。


重い衝撃音。

石床がきしむ。


死体から漂う魔力の残滓が、空気を暗く染めるようだった。


ガレスは膝をつき、頭を垂れた。


「地上で確認した魔物です。

討伐しました。

脅威は排除済みです」


シャランは言葉を失った。


床に横たわる死体は、ゲームで見たどの魔物よりも“圧”がある。

この世界が、確かに変貌している証だった。


「……これを……一人で?」


ようやく搾り出した問いに、

ガレスは淡々と答えた。


「王の領域に、危険を残すわけにはいきません。

必要な処置でした」


感情の揺れは一切ない。

まるで当たり前の務めを果たしただけのように。


シャランは、胸の奥に冷たさが広がるのを感じた。


魔物がどうこうではない。

変わっているのは、世界か。

自分か。

それとも――


「……ガレス。

地上は……どれほど変わっていた?」


静かに問うと、ガレスは顔を上げる。


「地形は変動し、魔力の流れも濃くなっています。

しかし――」


鋭い眼差しが、シャランを正面から射抜いた。


「この国を脅かすものは、私が全て排除します」


その言葉は重く、強く、

そしてどこか異質だった。


シャランはわずかに視線をそらしながら息を吸う。


「……頼む。

今は……それしか言えない」


王の声は静かに震え、

ガレスは深く頭を下げた。


魔物の死体が横たわる謁見の間。



シャランは重い沈黙の中、ゆっくりと魔物の死骸へ歩み寄った。


石床に広がる影。

魔力の残滓が、じわりと空気を歪ませている。


(……こんなはず、ない。

死体が……残ってる?)


シャランはしゃがみ込み、指先を伸ばして――

ほんの少しだけ触れた。


ぞくり、と指に生々しい冷たさが走る。


革のような皮膚。

沈んだ弾力。

生き物が死んだ後に持つ、あの重さ。


「っ……!」


思わず手を引いた。

心臓が跳ねる。


(ゲームなら……光って、粒子になって、アイテム化する。

ドロップ処理は基本中の基本だろ……!)


だが目の前の死骸は、どれだけ待っても消えない。

血は床にこびりつき、肉の焼けた臭いは薄れていかない。


それはまるで――

この世界が、ゲームのルールを捨てたかのように。


ガレスが静かに口を開く。


「王。

死骸に、何か……?」


「いや……」


喉が乾く。

言葉が思うように出てこない。


(違う。

これは……違う。

もう……ゲームじゃない)


その瞬間、背筋を凍らせる感覚が確信に変わった。


この魔物は“データの集合体”ではなく、

“実在した生命”だった。


そして――

その死が残っている。


シャランはふらりと立ち上がり、遠ざかった。


心臓がうるさい。

呼吸が浅い。


(ログアウトできない。

五感は完全に現実そのもの。

NPCは人間みたいに動く。

魔物の死体は残る。

魔力の挙動も違う……)


積み重なっていた矛盾が、ひとつにつながる。


逃げようのない答えが、胸に落ちた。


(俺……

本当に、異世界に来ちまったのか)


シャランは小さく息を吐き、その事実を呑み込もうとする。

だが胃が重くなり、視界が揺れるようだった。


ガレスが膝をつき、静かに頭を垂れた。


「王。

ご体調が優れませんか?」


「……いや、大丈夫だ。

ちょっと……現実を受け止めてただけだ」


その言葉を自分で口にした瞬間、

もう戻れない線を越えた、と実感した。


ガレスは表情ひとつ動かさず、ただ忠誠を示す。


「どれほど世界が変わろうと、私が王をお守りします。

命に代えても」


その言葉が逆に重かった。


(命に代えて……

それがもう“比喩”じゃない世界なんだな)


魔物の死骸が横たわる謁見の間で、

シャランはようやく――

異世界に落ちた現実を認めた。


逃げ場のない現実を。




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