表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
【書籍化】それでは、ひとつだけ頂戴いたします  作者: 楽歩


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

40/45

書籍化記念SS 向き合った者だけに(マティアス展覧会)  クロエside


「さあ、そろそろお客様が来る時間かしら」


 ロート邸の広間に、まだ客の姿はない。壁に立てかけられた絵と、移動途中の台座がまだ、いくつかまばらに置いてある。そんな中、ルシアンの軽やかな足音が聞こえてきた。



「照明用の魔道具を持ってきたよ」


 ルシアンが腕に抱えているのは、水晶のような核が中に仕込まれている小ぶりの魔道具。



「光量と色味を調整できます。日中用と夕刻用で切り替えも可能です」


「ほう……最近の魔道具は、こんなことまでできるのか」


 説明をするルシアンの手元をロート子爵が、興味深そうに覗き込む。



「ええ。これは絵を照らしますが、邪魔はしません」



 その言葉に、子爵は満足げに頷いた。そして、しばらく考え込むように顎に手をやり、それから、壁に掛けられた一枚の絵を見上げる。



「この絵は夕方の光で見るのが良いな。昼の光だと、建物の輪郭が強くなりすぎる」


「的確ですね」


 ルシアンは感心したように言った。


「はは、分かったふりだ。分からぬなりに、何度も絵を見てきたのだ。買って、掛けて、眺めて……そうしていれば、嫌でも分かった気になる。どうだ、マティアス、合っているだろう?」


 そう言って、今度は別の絵の前に立つ。それを見ているマティアスは苦笑いだ。



「これは、正面から光を当てないほうがいいな。少し斜めだ。ほら、人物の表情が浮かない」


 ルシアンが魔道具を動かし、光の角度を調整する。


「確かに。陰影が落ち着きましたね」


 私はそっと一歩下がり、マティアスに微笑んだ。



「ふふ、お父様のおかげで良い展示会になりそうね」


「はは、お父様の張り切り具合が不安ですけど」



 初日だというのに約束の時間になると次から次へと客が訪れた。



「これが、マティアス・ロートの……」


「聞いていたより、ずっと——」


 言葉は最後まで続かない。人々は絵の前で立ち止まり、声を潜める。港町の朝霧、石畳に落ちる雨、名もなき街角、灯りの消えかけた窓、それらの絵が、皆の言葉を奪う。


 マティアスは広間の端に立ち、落ち着かない様子で人の流れを見ている。声をかけられれば丁寧に応じるが、自分から前に出ることはない。


 そんな彼とは正反対に、ロート子爵は忙しそうに動き回っていた。


 そんな中、ある商人が、給仕の差し出す葡萄酒を片手に、絵の前で足を止めていた。値踏みするような視線は、感動よりも計算が先に立っているように思えた。



「ほう、これはこれは」


 男は口元を歪めて笑う。



「気に入りましたか?」


 ロート子爵が、すかさず声をかける。



「最近、貴族の間で話題になっているそうですね。次の社交期に備えて、話の種になる絵を探していまして」


 そのまま、何気ない調子で続けた。



「正直、絵の内容はよく分かりませんが『マティアスの絵を持っている』という事実が重要でしてな。値は言い値を払いましょう。ですのでどれでも構いません。一番評判の良い絵をいただきたい」


 その瞬間だった。——ガン、と硬い音が響いた。ロート子爵が、手にしていた杖を床に打ちつけたのだ。広間の空気が、一気に張り詰める。



「……貴様」


 低く、抑えた声だが、怒りが煮えたぎっているのが、誰の目にも分かった。



「今、何と言った?」


 男は一瞬たじろぎながらも、すぐに取り繕う。



「ですから、投資として——」


「この絵は、見せびらかすための飾りではない。爵位の箔付けでも、社交界の道具でもない!」



 子爵の声が、雷のように落ちた。周囲の客が息を呑む。慌ててマティアスが、思わず一歩踏み出しかけた。


「分からぬのなら、なおさらだ。分かるまで見るべきだろう、なぜ“どれでもいい”などと言える!」


 子爵は、男を真正面から睨み据える。



「この絵には、描いた者の時間がある。迷いがある。帰れぬ夜があり、待つ灯りがある。それを——己の虚栄のために買うだと?」


 男の顔から、余裕が消えた。



「お、落ち着いてください。そこまで感情的になる必要は——」


「ある!」


 子爵は一歩、前に出た。



「この展示会で絵を買える者は、『絵と向き合った者』だけだ。お前のような者に、ロート家の絵は一枚たりとも渡さん。っ——帰れ!!」


 男は、周囲の視線に耐えきれなくなったように背を向け、足早に広間を去っていった。マティアスは、父の背中を見つめていた。子爵は怒りに震えているのに、私の目にはその背中は、不思議と大きく、頼もしく見えた。きっとマティアスにもそう映っているだろう。



「……お父様」


 マティアスが呼びかけると、子爵は一瞬だけ、ばつの悪そうな顔をして咳払いをする。



「ふん。絵の価値を分からぬ者に、息子の絵を渡すほど……私は、愚かではない」


 その言葉に、マティアスの顔がほころぶ。ロート子爵は、腕を組んだまま一枚の絵の前に立ち、今度は隣にいた初老の紳士へと視線を向けた。



「率直に聞こう。あなたは、この絵のどこが良いと思われる?」


 やや試すような口調だった。子爵の中では、答えはある程度決まっていたのだろう。だが、紳士は少し考え込んだあと、穏やかに首を振った。


「正直に申しますと……技術的なことは、私には分かりません」


 子爵の眉が、ぴくりと動く。


「ただ、この窓の灯りを見ているとある日の帰り道を思い出すのです。若い頃、仕事で遅くなっても家に明かりが灯っているのを見るだけで、胸が軽くなった。そんな気持ちを、久しぶりに思い出しました」


 続いて、若い夫婦が声をかけてきた。



「私たちは、この絵の寂しさが好きです」


「寂しさ?」


「はい。でも、悲しいだけの寂しさじゃないんです。この後にある嬉しさを感じるような寂しさ……だから、温かい」


 別の貴婦人は、小さく微笑んで言った。



「そうね、私はこの絵を見ると、懐かしい感情が、流れ込んでくるわ」


 子爵は、何も言わず黙っていたが、やがてそっと呟いた。



「……そうか。息子の絵はいろいろな見方があるのだな」


 子爵は、静かに息を吐き、初めて来客たちに向かって頭を下げた。



「教えていただいた。ありがとう」


 マティアスは驚いたように目を見開き、そして、少しだけ照れたように笑った。展覧会は、成功ね。そんなことを思いながら、私はそっと、素晴らしい絵の数々に視線を巡らせたのだった。



END



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ