28.裁きの光、温かな午後
「その使用人は、録音できる魔道具を常に持ち歩いていたというのかな?」
ルシアンが問いかける声は低く、けれど静かな迫力を帯びていた。アルベルト様は一瞬だけ眉を動かしたが、すぐに肯定の言葉を口にする。
「そうだ。何もおかしいことはない。酷い現場を何度も見てきたらしい。ある日我慢できず、こっそりポケットに忍ばせて録音したと」
「ポケットに入るサイズの魔道具……今ここにある、それか?」
興味を示したように身を乗り出したそのルシアンの視線が、机上の小さな銀色の装置に注がれる。
「そうだ。裁判が終わるまで快く貸してくれた」
再びうなずいた答えに、ルシアンは顎に手をやって考え込む。眉間には小さな皺が寄り、じっと何かを計算するような沈黙が訪れた。
「そうか。ちなみに、その使用人は貴族階級かい?」
「いや、平民だ」
言外に含まれる意味に気づいたのか、答えた方もわずかに声をひそめる。次の瞬間、彼は静かに呟いた。
「……おかしいな」
ルシアンの声が、静かに鋭さを増す。
瞳がわずかに細まり、金の光が冷たく鋭く瞬いた。
「その魔道具、金貨千枚は下らない。平民が、そんなものを?」
「っ!……千枚!?」
「しかも、これは私が設計し、作ったものだ。そもそも、このサイズの魔道具は、世界に三つしか存在しない。王宮、公爵家、そしてある裕福な商会の所持品だ。貸し出しにも、厳格な規定があるはずだ」
「なっ!」
声にならない声を漏らすアルベルト様を前に、ルシアンは一歩、静かに前に出た。
「では……私が作ったという証拠を見せようか。私の手によるものには、すべて偽証防止の細工を施してある。決して誤魔化せないように」
彼の指先がふわりと空をなぞる。その動きに反応するように、魔道具の蓋が音もなく開いた。淡い光が内部から漏れ、まるで生き物のようにゆっくりと揺れる。
ルシアンが魔力を注ぐと、空気が震え、魔道具の内部から映像が浮かび上がる。光の粒が空中で形を取り始め、やがて揺らめく映像が現れた。
──二人の女がいる。片方は年老いた婦人、もう片方は若い女性。二人とも台本のようなものを手にし、声色を変えて芝居をしているのが見て取れた。
「お義母様、まだ手は動くかしら」
「……クロエ、もうひどいことはしないで頂戴」
「ひどいことって何? ……」
場内が静まり返る。まるで冷たい水を浴びせられたような、張り詰めた沈黙が空気を支配した。
「こ、これは……!」
アルベルト様が青ざめていく。
「ほう……すごいな……」
法務官が唸るように言った。信じがたいものを見たという驚きが、声ににじんでいる。
「この魔道具には、録音と共に“再生映像”が記録される細工がある。これは所有者であれば知っている、基本仕様だ。犯罪利用を防ぐため、作成段階でこの条件が組み込まれている。私は、人を不幸にするような道具など、絶対に作りたくない」
その口調は静かだったが、鋼のように固い意志がにじんでいた。
記録型の魔道具──複雑な術式を用いたそれは、再生のために多量の魔力を必要とする。並の魔術師では扱えず、精緻な作動条件のもとでのみ正確に機能する。
「ということで、偽証が証明されたな。おそらく、金を払って商会から借りたのではないか?」
誰も応えなかった。重苦しい沈黙。
アルベルト様は、言葉を失ったように、ただ呆然と映像を見つめていた。その顔には、裏切りに打たれたような動揺と困惑の色が浮かんでいる。使用人に騙されたのか、それともマリーに……? 答えは出ず、ただ曖昧に目を泳がせるばかり。
「……私は、知らなかった」
搾り出すような声。だが、それが彼を救うには遅すぎた。
法務官が無感情に告げる。
「知らなかったかどうかは関係ありません。訴状に署名し、偽証の書類を法廷に提出したのはあなた。その責任は極めて重い。よって、身柄を拘束させていただきます」
「な……っ!? 私は知らなかったと言っているだろ! 使用人が私に嘘を──! マリーを呼んでくれ! マリーを!」
叫び声は空しく響き、すぐに衛兵によって押さえ込まれる。引き立てられていく姿を、誰もが無言で見送っていた。
法務官がこちらを見て、やや疲れたように、しかし丁寧に頭を下げる。
「本日はご足労いただき、申し訳ありません。改めて、詳しい事情をうかがう機会を設けさせていただきます」
「ええ。調査が徹底されることを、私たちは望んでおりますわ」
「承知いたしました」
ひとつ、深く息をついた。張り詰めていた空気が少しだけ和らぐ。
「よし。思ったより早く片付いたな。せっかく街まで出てきたんだ、どこかでお茶でもして帰ろうか」
「……ふふっ、もう。ルシアンったら」
私は思わず笑ってしまう。緊張で張り詰めていた気持ちが、少しずつ解けていくのを感じた。
*****
町の石畳を歩く。春の陽射しが柔らかく降り注ぎ、風は心地よい。けれど、胸の奥にはまだ先ほどの出来事の余韻が残っていた。
「ルシアン。あの魔道具、すべてにあんな仕掛けが?」
「もちろん。貸し出しの際には必ず説明する。もしそれを怠っていたのなら、貸し出した側──つまり商会の責任も免れない」
彼の声はいつも通り穏やかだったが、どこか冷ややかさがあった。自身の手で生み出した魔道具が悪用されかけた。それが彼の矜持を傷つけたのだろう。
「アルベルト様、本当に、信じていたのかしら。あの録音を」
「信じたかっただけじゃないか?」
「……かもしれないわね」
私は目を伏せた。爵位を手に入れるために都合よく解釈した“真実”。そのために、母の尊厳を利用したのだとしたら──それは幻想に過ぎない。
「マリーが主犯だとは思うけど……。どちらにせよ、調査を待たないと分からないわね」
「徹底的に調べてもらおう」
ルシアンの横顔は静かで、淡々としていた。けれど、よく見ればその瞳の奥には確かな怒りが宿っていた。
「ありがとう、ルシアン」
「ん?」
「あなたがいてくれて良かったわ。冷静に、真実を暴いてくれて」
「当然だろ。クロエのことだから、また一人で全部抱え込もうとするんじゃないかって、心配してたんだ」
「……」
「まったく……」
彼がふっと笑う。肩の力が抜けるような、優しい笑顔だった。
「じゃあ、早くケーキを食べに行こうか。紅茶は三種類頼んで、どれが一番好みか試してみよう」
「ふふ、子供みたいね」
「いいじゃないか。祝杯の意味で楽しもう」
彼が軽く私の手を取る。自然な仕草だった。幼い頃のように。私は少しだけ戸惑って──それでも、手を離さなかった。




