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【完結】それでは、ひとつだけ頂戴いたします  作者: 楽歩


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17.絵に宿る願い 

 sideクロエ




 ルシアンの作った魔道具を頼りに、ずっと行方を追っていた人物の居場所を探し、ついに判明した。彼と顔を合わせたことのある画商に協力をしてもらった。ようやく辿り着いたという安堵とは別に、少しの驚きがあった。

 その住まいは森でも山奥でもなく、街の片隅――古びた路地裏だった。



「ここなのね。てっきり、人嫌いで森の奥深くに隠れ住んでいるのかと思っていたわ」


 小さく息を吐き、呟いた。


 それにしてもーー



 湿気を含んだ空気が肌にまとわりつく。並ぶ家々はどれもくすんだ灰色で、外壁はひび割れ、塗装も剥がれかけている。窓は曇りガラスのように埃を被り、長く開け放たれた形跡はない。まるで時間だけが止まってしまったかのような一角。


 こんな場所で、あの絵が生み出されているなんて――。




「引きこもるにしても、買い物が便利な場所の方がいいだろう。このあたりなら、夜遅くまで開いている飯屋も雑貨屋もある」


 隣を歩くルシアンが、何気ない口調で言う。



「……それも、そうね」


 小さく笑いながら頷き、苔むした木製の扉に手を伸ばした。軽くノックする。


 しかし、返事はない。家の中からも、人の気配は感じられなかった。




「……留守かしら?」


 首をかしげた横で、ルシアンが小さく笑った。




「居留守じゃないか? 任せてくれ」


 肩をすくめ、彼はわざとらしく咳払いをしてから、芝居がかった声で叫ぶ。




「すみませーん! この辺りに魔獣が逃げこんだとの情報がありまして、ご無事でしょうかー!」




 ――ガタンッ!


 家の中から、明らかに慌てた物音が響いた。




「ま、魔獣っ!?」



 ドン、と勢いよく扉が開かれる。現れたのは、ぼさぼさの髪に、くたびれたシャツを着た男だった。驚きと動揺を顔いっぱいに浮かべ、目を見開いてこちらを見つめている。




「ど、どこに!? 大きいの? 空飛ぶタイプ!?  いや、うちの窓はもう限界で……!」


 慌ててまくし立てる男の姿に、思わず申し訳なさそうに眉をひそめた。もう、ルシアンったら。



「あの……申し訳ありません、魔獣の話は、嘘でして……」


 ぺこりと頭を下げると、男は一瞬きょとんとした後、ぽつんと呟いた。




「……う、嘘? なんだ……びっくりした……」



 安堵のあまり、男は額の汗を手の甲でぬぐい、大きく息を吐いた。




「……はは、でもまあ、居留守使った僕も悪いよね。てっきり借金取りかと思ってさ」


「そうだったのですね。突然押しかけてしまって申し訳ありません。でも、どうしてもお話ししたかったのです」



 一歩前に踏み出し、声を落ち着かせ続けた。



「申し遅れました。私、クロエ・ベルトラムと申します。サンリリー商会の者です。マティアス様――ですよね? 実は、あなたの絵のことでお話を伺いたくて」


「……僕の、絵?」



 その言葉に、マティアス様は目を瞬き、呆然としたように繰り返す。



「ファンなんです。あなたの絵を初めて見たとき、胸が熱くなって……どうしても、お会いして直接お礼を言いたかった」



 私の視線に、マティアスの頬がほんのりと染まる。




「そんなふうに言われたの……初めてだな……」


 気恥ずかしそうに笑いながら、彼はわずかに扉を開き、手招きする。




「汚いところだけど、それでもよければ、どうぞ」



 促され、ルシアンとともに静かに家の中へ足を踏み入れた。扉が閉まると、外のざわめきが消え、代わりにしんとした静寂が辺りを包む。


 その室内は、まるで異世界だった。



 狭いながらも壁一面に、びっしりと絵が飾られている。静謐で、どこか幻想的な空気が漂い、色褪せた空間に命を与えていた。


 夕暮れの街並み、静かな湖、風に髪を揺らす見知らぬ少女の横顔――

 どれも、言葉にできない感情を、そっと絵の中に封じ込めていた。絵に宿った誰かの記憶が、見る者の心に語りかけてくるようだった。





「……すごいですね。これはすべて、あなたがお描きになったのですか?」


 私がそう尋ねると、マティアスはわずかに照れたように肩を竦めた。




「ああ、まあね……小さな絵しか売れないからさ。大きなものは、こうして溜め込んでるんだ。それより、どこで、僕の絵を見つけたの?」


「ルミエール画廊で。偶然、目に留まって」


「ああ……なるほど」


 彼は呟きながら、一枚の絵にそっと指を這わせた。乾いた筆致の上を、指先が優しく撫でる。




「絵は独学でしょうか?」


「学生のころまでは習っていたんだよ。そこからは自己流。学費も道具も、何をするにも金がかかるからね」


 ふと、彼の横顔が陰を落とす。けれど、それでも微笑を崩さずに続けた。




「……一応、子爵家の出なんだ。嫡男でね。でも“一生絵を描きたい”と言ったら、即刻勘当さ。いい筆も絵の具も買えないし、借金取りに怯える日々だけど、それでも後悔はないよ。自由に描けるだけで、十分さ」


 私は静かに頷いた。



「そうでしたのね。……でも、マティアス様は、“世の中に認められたい”と思われませんか?」


 その言葉に、彼の手が一瞬止まる。


 けれど、すぐにくすりと笑い、視線を絵に戻した。




「好きな絵が描ければそれでいい。……そう思ってる。でも、やっぱりどこかで、描いた絵をすべて、世の中の人に見てほしいとも思う。望む色を出すための絵の具も、理想の線が引ける筆も欲しい。筆運びのいいキャンバスだって。……結局、僕は、欲深い人間さ」



「欲深いのは……真剣だからですよ」


 隣にいたルシアンが静かに話しかける。穏やかな声に芯がある。



「何かを極めようとすると、人は欲深くなるものです。そして、それは誇るべき“欲”です」


 一瞬驚きに表情を浮かべたマティアスは微笑んだ。静かな、でもどこか嬉しそうな表情だった。


 私は一歩、彼に近づき、真っすぐにその目を見た。




「先ほども申し上げましたが、私はあなたの絵の、心からのファンです。ですから、ご提案をさせていただきたいのです」



 私は、支援と取引の申し出、さらには借金の肩代わりの話を切り出した。


 マティアスの目がわずかに揺れる。




「……もし、僕の絵が売れなかったら?」


 その問いに、私は微笑みを浮かべながら、ためらいなく答える。




「そのときは、私がすべて買い取りますわ」


 彼の瞳が、見開かれる。




「私はあなたの絵が好きなのです。独り占めするのも、悪くないと思っています」


「……一番の口説き文句だな、それは」




 マティアスがくすりと笑う。その笑みに、戸惑いと喜びが混じっていた。




「ありがとう。喜んで、お受けするよ。よろしく頼む」



 柔らかな照明が、彼の頬を淡く染めていた。ふと、彼は思い出したように立ち上がる。




「そうだ、奥の部屋にまだ絵があるんだ。少し持ってくるよ。是非見てほしい」


 そう言い残して彼は奥へと消えていく。ルシアンが軽く肩を竦める。




「全然人見知りじゃなかったな。饒舌だ」


「人見知りではなく……借金取りから逃げていただけだったのね。でも、さすが貴族の血筋。端正な顔立ちをしているわ。装いを整えれば、それなりに見栄えがするわね」


「ああ、絵の売り出し方がひとつ増えたな」




 ふと、視線が一枚の絵に吸い寄せられる。それは、夕暮れの街並みを描いた風景画だった。


 窓に灯る光、金色に染まる街、だが道には誰もいない。


 美しいのに、どこか切ない。まるで、それを見ている誰かが、そこに住む人々の温もりなど、自分には届かないとでも言うような——そんな絵だった。




「気に入ったの? でもね、それ、画商には『寂しすぎる』って言われたよ」



 後ろから響いたマティアスの声に、私は絵を見つめたまま呟いた。




「……私は、この絵、好きです」


「君は変わってるな」


「華やかな絵も好きです。でも……静かな夕暮れ、帰る家がある人々。家の中には、温かな光と家族の団らんがある。でも、誰かにとっては、その光が遠いものに見えることもある……そんな絵」


 マティアスはしばらく黙ったまま絵を見つめ、やがてぽつりと呟いた。




「……そうか、そんなふうに見えるのか」


「感じたままを言っただけです」


 彼はふっと笑い、小さく頷いた。




「……なら、出会いの記念にあげるよ。この絵」


「よろしいのですか?」


「もちろん。受け取ってほしい」


「よかったね、クロエ」



「ええ、嬉しいわ。では、マティアス様の気が変わらぬうちに、契約の話も始めましょう。絵は後でゆっくり見ますわ」


 私の言葉に、マティアスが苦笑しながら席に戻る。



「取引の話なんて、久しくしてなかったから、少し緊張するな」




 寂しげだったこの小さな部屋に、新しい風が吹き込んだような気がした。





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