16.浮かぶ灯と心の灯
湯気の立つティーカップを手に、私たちはひとときの再会を楽しんでいた。
時間を忘れて話に花を咲かせる。積もる話題は尽きず、笑い声が自然とこぼれた。
やがて話題は現在の商会のことへと移り、私はふと、先ほどグレゴリーと話していた話題を口にした。
「実はね、探している人がいるの」
ルシアンは、静かにうなずきながら聞き、黙ってお茶を一口飲んだ。何やら思案しているようだが、やがてぱっと明るい顔になった。
そして——
「なるほど。いいものがある」
ぽつりと呟いたかと思うと、彼は傍らの大きなカバンを引き寄せ、ごそごそと探し始めた。その唐突さに私は思わず身を乗り出す。
「……あった、あった。これだ」
彼が取り出したのは、独特な意匠の鏡だった。
「これは『追跡の鏡』。持ち主が探している相手の姿を映し出す魔道具だ。条件は一つ。探している人物と、持ち主が一度でも顔を合わせていること」
魔道具からは、ただならぬ力が滲んでいた。私の視線は自然と吸い寄せられる。
「すごいわね……これも、あなたが作ったの?」
「まあね。とある貴族に頼まれて」
「……なんだか、犯罪の匂いがするわ」
冗談めかして言うと、ルシアンは肩をすくめて笑った。
「はは、国家資格を持つ者が犯罪に加担したら、資格を剥奪されるよ」
その口調に、変わらぬ信頼と柔らかさが滲む。私は少しほっとしながら、ある現実的な問題に思い至った。
「……いくら払えばいいのかしら」
ルシアンはふと真顔になり、それからふっと微笑んで言った。
「ああ、それなら使用料の代わりに——私を雇ってくれないか?」
「雇う?」
思わず聞き返す。
「王立魔導技術院で働いていたんじゃなかった?」
「ん? 辞めてきた」
「えっ……辞めたの!?」
驚きで声が上ずる。
「意外と研究費をけちるんだよ。それに、指定されたものじゃなくて、自分が作りたいものを作りたい。君が支援してくれたら、絶対に損はさせないよ」
国が研究費をけちる? ルシアンが作る魔道具は、ただの道具ではない。普通の貴族では手に入れることができないような、特別なものばかりだ。いくらでも研究費の元は取れるだろう。
——自由に作りたいから。
その言葉に、彼の本心がにじむ。
もちろん私が雇っても損などするわけがない。しかしーー
私は迷いながらも、隠そうと思っていたことを告げる決心をした。
「……その前に、一つ謝らせて」
「ん?」
視線を伏せ、私は言葉を選びながら続ける。
「あなたが送ってくれた魔道具、新しい商会を立ち上げたり邸を用意したりする資金のために、一度、担保にしてしまったの。今は、商会が軌道に乗ったから、手元に戻ってきたのだけれど。相談もしないでごめんなさい」
一瞬、時間が止まったように感じた。私は彼の顔を見ることができなかった。
だが——
「なんだ、そんなことか」
ルシアンはさらりと笑った。
「クロエにあげたものをどう使うかは、クロエの自由だよ。気にすることはないさ。これから、作ったものは担保どころか、ばんばん売ってもらうことになるんだし」
その優しさに、胸がぎゅっとなる。
「でも、罪悪感があるなら——ここで雇ってもらいやすいな。住むところもちょうどよかった。君の邸の出資者は私といってもいいんだろう? じゃあ、クロエの邸に住もうかな。それで、罪滅ぼしというのはどうだい?」
「ふふ、それでいいわ。これからよろしくね」
差し出した手を、彼はしばらく見つめてから、にっこりと笑い、しっかりと握り返した。
「それでは雇用に関しての契約書をおつくりしますね」
グレゴリーがいつの間にか近づいてきて、満足げに声を上げた。
「国家資格持ちの魔道具師……給料、どのくらいが相場なのかしら」
「うーん。出来高でもいいよ。住む場所の心配もなくなったし」
「構わないけど……出来高って、逆にすごい金額になる予感しかしないわね」
「はは、報酬はそっちで決めていい」
ルシアンは肩をすくめて笑った。
「そうだ、商会がインテリア中心だって聞いて、いくつか作ってきたんだ。見てみる?」
「ぜひ!」
私は目を輝かせる。ルシアンが見せてくれる魔道具に、胸の高鳴りを抑えられなかった。
彼がカバンから取り出したのは、どれも洗練された造形と確かな力を秘めた逸品ばかり。
ルシアンはまず、ひと呼吸おいてから、一つ目の魔道具を取り出した。
現れたのは、宙に浮かぶランプ――否、まるで月の雫が空中に留まっているかのような、幻想的な灯火だった。
私は思わず息を呑む。
「これ、浮遊するランプ。壁にも天井にも取り付けない。空気の中に、こうして浮かべるんだ」
ランプはふわり、と浮かぶ。
ただそこにあるだけなのに、空間全体が温かく包まれていくようだった。
続いて彼は、慎重にもうひとつの魔道具を取り出した。
細やかな彫刻が施された花瓶――だが、ただの美しいだけではなかった。
つぼみの花を挿すと、ほのかに音楽が流れ始めた。
まるで花の鼓動が音に変わったかのように。
「音色の花瓶だ。咲くたびに、その花に合った音楽が流れる。静かで、心が和らぐメロディーさ」
部屋の空気が一変する。
春の風のように優しい音色が、静かに空間を染めていく。
「すごいわ……」
私は思わず、声に出していた。
ルシアンは小さく笑い、さらに魔道具を取り出していく。
温度を感じて調整するクッション。
座るたびに、まるで“いまの私”に最適な温もりを与えてくれる。
香りの風を送るポットは、ゆっくりと香気を放ち、部屋の隅々まで心地よい空気で満たしていく。
「どうだ、売れそうか?」
ルシアンが得意げに尋ねる。私とグレゴリーは顔を見合わせ、思わず声を揃えた。
「「もちろん!」」
ランプの炎がまた揺れた。
私はその光に目を戻しながら、静かに言葉を探す。少しの沈黙。それは、きっと今から話すことの重さに、自分なりの覚悟を整える時間だったのだと思う。
「ねえ、ルシアン……」
炎の明滅が彼の頬を照らしていた。優しく、何も言わずに待ってくれるその瞳が、私の背中をそっと押す。
「巻き込むつもりはないのだけど――私、アルベルト様にけじめをつけさせるつもりなの」
声に出して初めて、その言葉の意味が自分自身に沁みてきた。
けじめ――あの人に、責任を取らせる。
「けじめ?……慰謝料をもらえなかったのか?」
「慰謝料なんて、最初から期待してない。でも――ずっとお義母様を、あの人が苦しめてきたことだけは、どうしても許せないの、そのけじめ」
ルシアンの表情がわずかに曇る。
「それは、クロエがやるべきことなのか? 義娘が君が、本当の息子に対して?」
「お義母様に頼まれたわけではないわ。でも、アルベルト様は、見舞うこともせず、葬儀にもろくに顔を出さず、今は暢気に幸せになろうとしている……許せないの」
「そんなのがクロエの元夫……辛かったな」
私はそっと目を伏せて言う。
「私は……ただ、アルベルト様に愛されなかっただけ。でも、私も愛していなかったから、それは別にいいの」
しんとした空気のなか、ルシアンはゆっくりと頷いた。
「そうか。じゃあ、巻き込まれるのも、協力するのも、いざという時に止めるのも――全部、私に任せておけ」
私は一瞬、目を見開いた。
「……いいの?」
ルシアンは、どこか懐かしむような目で、やわらかく笑った。
「ああ。幼い頃も、そうだっただろ?」
胸がふわりと熱くなる。
彼は、変わらない。私が知っているままの、優しいルシアンだった。




