15.手紙と魔道具と、君
sideクロエ
執事にして商会の支配人、グレゴリーは帳簿を手に満足げに目を細めた。紙の隅を丁寧に折り返しながら、静かに告げる。
「家具の売れ行きが好調です、クロエ様」
新作家具が、社交界の話題をさらっている。華やかでありながら実用的――その絶妙なバランスが、貴婦人たちの心をつかんだ。
だが、売れ行きを押し上げた最大の要因は、やはりコンラッド様の存在だ。彼の名が広告塔となり、商会の信用は瞬く間に高まった。以来、貴婦人たちは競うように新作を買い求めている。
「この鏡台、細工が見事ね。まるで宝石箱のよう」
「椅子の座り心地も素晴らしいわ。毎朝の支度が楽しくなるなんて、贅沢ね」
そんな囁きが、舞踏会や午後のティータイムで飛び交っていた。商会の家具は次々と貴族の邸宅に運ばれ、工房には注文がひっきりなしに舞い込んでいる。職人たちは、誇らしげに手を動かしていた。
私は窓の外を眺めながら、帳面の端をそっとなぞる。
「そろそろ、次の一手を考える頃合いね。グレゴリー、彼は、見つかったかしら?」
「いえ。手は回しておりますが、いまだ消息はつかめておりません」
"彼"――新鋭の画家、マティアス。
名はほとんど知られておらず、作品が市場に出回ることも稀だ。私が彼を知ったのは、偶然だった。
あの絵――以前の邸の玄関に掛けていた一枚。
マリーが気に入ってしまったから、それはもう私の手元にはない。あの人は意外と鋭い目を持っている。油断ならないわ。
絵を見つけたのは、街の片隅にある小さな画廊。画商によれば、彼は時折、ひっそりと現れては数点だけ置いていくという。
筆致は繊細で、なのにどこか荒々しさを孕んでいた。色彩は抑えられているのに、意志を感じる。
絵の中の景色には風が吹き、人物の瞳の奥には語られぬ物語が潜んでいた。技巧は荒く、洗練されていない。画材も安価なものばかり。それでも、なぜか目を離せなかった。あの絵には、心を奪う力があった。
画家自身は、表に姿を現すこともなければ、住む場所すら分かっていない。画商の話では、人付き合いを極端に嫌い、買い手とも顔を合わせようとしないという。
「彼を見つけ出し、支援し、大々的に売り出せれば……」
寡黙な筆が描く世界は、人々の心を掴んで離さないだろう。一度見た者は、その余韻に引き寄せられ、新作を待ち望まずにはいられなくなる。
私はひとつ息をつく。
「困ったわね……」
その時だった。
扉を叩く音が、静けさを破る。
コンコンコン
「クロエ様、お客様がお見えです」
「まあ? 今日は誰かとお約束していたかしら?」
「それが……突然お見えになりまして。ご自身をクロエ様の“幼馴染”と……ルシアン、と名乗っておられます」
手が止まった。
「……ルシアン?」
胸の奥がざわつく。まさか、あのルシアンが――?
「分かったわ。すぐに行くから、客室へ案内してちょうだい」
静かに頷いたグレゴリーが、ふと眉根を寄せる。
「クロエ様、ルシアン様とは……?」
「覚えてない? 私に魔道具を贈ってくれていた幼馴染よ」
「ああ! 国家認定の魔道具師様ですね」
「ええ、もう何年も会ってないけれど」
最後に顔を合わせたのは、私が結婚してすぐのころ。四年も前になる。それでも彼は、変わらず新しい魔道具を贈り続けてくれていた。
抑えきれない胸の高鳴りを感じながら、私は姿勢を正し、客室へと向かった。
扉を開けると、そこにいたのは、記憶よりもずっと大人びたルシアンだった。
漆黒の髪は夜の帳のように滑らかで、仄かに青の光沢を帯びている。
そして、あの瞳――金の瞳は今も変わらず、冷たさと、美しさを宿していた。
彼は微かに唇を上げ、少し意地悪な笑みで言った。
「クロエ、久しぶり。離婚したって聞いたよ?」
私は呆れたようにため息をつく。
「ルシアン……それが久しぶりに会った幼馴染への第一声なの? ふふ、相変わらずね」
「はは」
と、彼は少しだけ肩を揺らして笑った。
***
幼い頃、近所に住んでいた三つ年上のルシアンとは、いつも一緒だった。
陽が差し込む路地裏で、泥だらけになって駆け回る私を、ルシアンはあきれたように見ていた。それでも結局は私のあとを追って来て、一緒に泥だらけになって、大人たちに叱られた。
私が転べば、ため息をつきながらも手を差し伸べてくれた。
その手はいつだって、温かくて、力強くて――私が笑えば、彼もふわりと笑った。
さすがに木に登ろうとしたときは本気で怒られたけれど、しょんぼりする私に、黙って飴を差し出してくれた。
「ルシアン、これ見て! お花の冠、作ったの!」
「……クロエ、それは冠というより草の塊だよ」
「そんなことないもん! ルシアンにも作ってあげるね!」
あきれたように笑いながらも、彼は草花を一緒に集めてくれた。
不器用な私の手元をそっと見守りながら、歪な冠を頭に乗せられて――ほんの少し、頬を赤らめた。
「……似合ってる?」
「うん! ルシアン、すごくかっこいい!」
彼は、ふっと笑った。
「ありがとう。とっても嬉しいよ」
あの頃は、それが永遠に続くと思っていた。優しいルシアンとの笑顔の日々。
だけど、彼の“才能”がすべてを変えた。
魔道具師としての素質を見出された彼は、王都の学院に進むことになった。
「ルシアン、行っちゃうの?」
「……うん。ごめんね」
返ってきた言葉は少なかった。
でも、彼は最後まで優しかった。頭に手を置き撫でてくれた、そのぬくもりだけが、幼い私にはあまりに切なくて――
そして、彼は静かに、背を向けて歩き出した。
その後も、私たちは手紙をやりとりした。
私が結婚したときも、事後報告になってしまったけれど、手紙で伝えた。震える手で何度も書き直して送った。
その時、一度だけ、彼は王都から会いに来てくれた。
「君の幸せを願っているよ」
静かに微笑んで、昔のように頭を撫でてくれた。
交流はそれきりになるかと思った。けれど、彼からの短い手紙と、彼が作った新作だという魔道具は、変わらず届き続けた。
ただ――会うことだけは、叶わなかった。




