7.視野を広くもて
独特の香りが鼻を抜けていき、苦みが口の中へと広がっていく。喉を通り食道へと流れて胃に落ちていく過程を感じながら大きく息を吐く。
朝のひと時のこの一杯が、昨夜のアルコールを無に帰してくれる気がする。そんなことがないということは知っている。逆に胃を刺激する飲み物だということも感じている。
給湯室を後にすると、いつもの自分の部屋へと戻る。誰にも入れない部屋。いや、特殊な鍵があれば入れるのだが。
俺はそんなものが無くても入れる。七色の魔力を扉へかざしてロックを解除すると、重厚な扉が開いていく。中にはいつものテーブルと椅子が二つ。周りには荷物が散乱している。
机に突っ伏して昨日の出来事を思い返す。やはり派閥争いも関係している気がする。でも、それだけじゃないだろう。ただの派閥争いでマリンをどこかへ行かせるだろうか。
何が目的だ?
──コンコンッ
一気に意識が覚醒した。
「はいよー」
返事をすると扉を開ける。開かれた先にいたのは、オレンジの肩まである髪をなびかせながら不機嫌そうな顔をした女の子だった。
なんでそんなに眉間に皺寄せてんだ?
なんだコイツ?
「んで? どうした?」
「こんなにだらしない人がカウンセラーだとは思わなかった」
あー。めんどくせぇなぁ。この女。
「そうか。で? どうすんの?」
「うーん。まぁ、話してみるかなぁ」
どういうことだコイツ?
なんの相談に来たんだ?
「はぁ? なんつう態度だよおまえ……」
「別にいいでしょ? 宮廷魔法士の子どもだし。まぁ、あんなのクソヤローだけど」
今の宮廷魔法士はグレン・クーレイナだろ?
「グレン・クーレイナの娘ってことか?」
「へぇ。あんたみたいなのでも知ってんだ? うちの親父」
「あぁ? お前の名前は?」
不機嫌そうな顔をしたその女は、腕を組んで俺の目を睨みつけて来る。この高圧的な感じの女は俺の嫌いな部類だが、なぜか負けたくないと思ってしまう俺がいる。
「アタイは、カレン・クーレイナ。覚えておきな」
「はっ。偉そうに。お前が、相談に来たんだろうが?」
カレンは肩をすくめると手を広げて呆れたように鼻で笑う。なんなんだこの女。戦闘狂の娘だからこんななのか?
「それがさぁ。アタイは、みんなの生活が良くなる魔法を考えたいわけぇ」
「ほう。良い生活のための魔法ってことか?」
「そういうこと。でもさぁ、みんながショボいっていうんだよねぇ。生活のための魔法? そんなの必要? みたいなさぁ」
どの口からそんな言葉が出てきているのかと俺は耳を疑ったが、たしかにコイツは、生活のための魔法を開発したいと言っている。
コイツにできんのか?
そんなこと。
生活に役立つ魔法ってどんな魔法だよ?
俺も適魔派だが、戦闘に関しての魔法しか生み出してこなかった。だから、生活のための魔法なんて考えてこなかったんだ。
「なるほどな。グレンは戦闘狂みたいだけど、カレンは違うんだな?」
「はぁ。アタイねぇ、こう見えて親父嫌いなんだよねぇ。人を傷つけて何になるんだっつうの!」
この子は、見た目と口調とは違い、いい子みたいだ。
親に引きずられない子ってのもいるんだなぁ。
めんどくせぇやつだと思ったけど。実はいい奴かも。
「ほぉ。で? なんで相談に?」
「だから、言ったでしょ? 他の人にショボいとか言われるんだって。何かそいつらを丸め込むいい方法ない?」
このじゃじゃ馬娘は周りの奴を納得させるにはどうしたらいいかということだろう。そんなの俺が知るか。ただ『これは役に立つ』というものを開発すればいいだけだと思うが。
たとえば、人と人が通話できる魔法。今は、通話水晶を使っているが思念だけでやりとりできるなら、こんなにいいことはない。後は、ウソを発見する魔法。尋問にも使える。
「なぁ、カレン、物事ってのは視野を広くした方がいいぞ?」
「ざっくりだなぁ。広くって?」
「そうだなぁ。例えばだけど、戦いに使う魔法は、本当に生活に応用できないんだろうか?」
こうやってどの魔法が生活でどのように役に立つか。それを考えて行くだけで大分違うのではないかと思うんだけど。
カレンは、目を見開いて口を手で覆っている。動揺しているようでもある。盲点だったのだろう。気づいただけでもいいと思うけど。
「たしかに。考えたことなかった。どんなのが使えるんだろう?」
「例えば、ロックウォールは防御魔法だけど、建築に使えると思う。あと、エアバレッドだが、これを一点に並べて放つと穴を掘るのに適していると思う」
顎に手を当ててウンウンと頷いている。カレンは少し、視野が広くなったかもしれないな。
「おぉー。なんか考えられそうな気がしてきたよ!」
「だろう? 生活魔法ってのは、元は戦闘系の魔法であることが多いんだ」
「そっか。それは考え付かなかったよ!」
素直にカレンは俺のアドバイスを喜んで受けていた。魔法ってのは、本当にいろんな使い方があるんだ。戦い以外でもな。
生活にも適度に魔法を使いましょうというのが適魔派だ。都合がいいように聞こえるかもしれないが、戦いと生活両方をいいものにしようということだ。
応用して何でもやろうとしている。もちろん、身体も動かすことは忘れてはいない。
「だろう? なんでも、応用したりちょっと捻ったりするもんなんだ」
「ふーん。魔法は、まったく新しく考えないといけないと思ってた」
「なんでもな、少し変えるだけで全然違うんだぞ?」
そんなことをカッコつけて言ってしまったが、あまりいい魔法は思いついていない。そして、思いついたからといって、そうそう使える魔法ってわけでもない。
「少し変えるだけでいいってのは、よくわかってなかった」
それは、いろいろと試してみて感じればいいと思うんだけどなぁ。
「そうだろうな。例えば、ファイヤーボールを鍋の中へ入れると、一瞬で沸騰する。これを考えたとしても、実行しないとどういう結果になるかわからない。沸騰するが、中のお湯が爆発しては元も子もないだろう?」
「たしかにね。お湯にしたいけどできていない。本来の目的が達成されていないってこと?」
「そういうことだ。だから、まずはいろいろと試してみたらどうだ?」
腕を組むと胸を押し上げて考え込んでいる。アイデアを出せれば試すことはできると思う。魔法の開発ってのはトライアンドエラーだ。何度も失敗して開発するものだからな。
「アタイは、こういっちゃなんだけど、頭が良くない。でも、人のためになることをしたいんだ。どんな魔法なら生活に役に立つのか。一緒に考えてくれない? ……良く他の人から馬鹿にされるんだよね。それが悔しくて……」
面倒な。なんでカレンだけのために俺の時間を費やさなければならないんだ。……はぁ。まぁ、生徒のためか。カウンセリングとかじゃなきゃあ。自分で考えろって突き放すんだけどな。
「はぁ。仕方ねぇなぁ」
「あんた、カウンセラーでしょ? いいじゃん」
「悩みなのか? それは?」
目を見開いて大きな口を開いて言い放った。
「立派な悩みでしょう!」
この女、本当にめんどくせー。全然自分で考える気がねぇじゃねぇか。ったく面倒なのを引き受けちまったなぁ。
生活に関する魔法は生魔派が考えるもんなんだって。俺たちの派閥は考えねぇのに。マリンなら……。
脳裏にあの笑顔が浮かぶ。青い髪をなびかせて楽しそうに魔法を放っている。「水魔法で雨を降らせて全部凍らせたら凄くいい氷になりそう」って言っていたのを思いだす。
あの考え方は、魔法についての理論をしっかりとわかっていたんだろう。一気に大量の氷を作ろうとするとただのデカい氷になる。雨を降らせてから凍らせることで、細かいものになる。これは、魔法でできる理論を理解していないと考え付かないだろう。
「カレンって属性……火属性か?」
「珍しいって言われるんだけど、水属性の適性もあるんだぁ。風もね」
「ほう。三属性か。それも才能だな。それなら、雨を降らせて凍らせたら細かくていい氷になるんじゃないか?」
どや顔でこっちを見てくる。
三属性で才能に溢れているが、本人はそれを誇っていない。
なんでもないように言っている。
「なるほどねぇ。それもいいかもね! 次の授業が始まっちゃうから、また来るから、他のも考えておいてちょうだいね!」
「カレンも少しは考えろよ?」
「はぁーい! じゃあねぇ……あっ、なんか話して楽になったよ。ありがとね。視野を広く持つ。心がけるね!」
手を振って部屋を出て行ってしまった。
あのヤロー。面倒事を押し付けやがって。
まぁ、最後はいい笑顔してたし。
俺の言葉も吸収したみたいだし、良しとするか。
生活魔法についてか……それならアイツなら何か知っているかもな。ちょっと接触してみるかな。




