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第六話 灰狼の咆哮:反逆の夜明け

 夜明け前の空は、まるで血を薄めたような灰色をしていた。

 王都アーベルの遠景が霞む中、風が吹き抜ける。

 霧の中に点々と灯る松明──それが「灰狼騎士団」の集結の合図だった。


 私の足もとで、黒革の帳簿が微かに脈を打つ。

 それはまるで、鼓動のように、私の決意に呼応している。


 この夜、私はもう「断罪された王妃」ではない。

 私は──反逆者エレナ・ヴァン=ローゼ。

 そして、未来を記す“書き手”だ。



「全員、集結完了。」

 低い声が霧を割った。

 レオン・ヴァルネア。

 灰色の軍装をまとい、黒鉄の剣を背に差した男。

 その背後に、百を超える灰狼騎士たちが並んでいる。

 沈黙の軍。恐れを知らぬ忠誠の群れ。


「王都への進軍は三刻後だ。偵察によると、王は南門の防備を強化している。」

「民は?」

「民兵の動員命令が出ている。

 王太子セドリックは“魔女討伐”と称して民衆を集め、あなたの処刑を再び宣告した。」


 ──予想どおりだ。

 未来の帳簿に、次のように記されていた。


《王暦四二一年・秋。

 王妃は再び断罪される。

 だがその夜、王都は炎に包まれ、鐘は二度鳴る。

 “灰狼”が咆哮するとき、王の時代は終わる。》


 私は帳簿を閉じ、風の中で静かに言った。

「……つまり、次の“断罪”が最後になるのね。」

「その通りだ。お前が死ぬ未来など、もう存在しない。」

 レオンの声が、静かに燃えていた。

 炎ではなく、鋼の熱だ。


「レオン。」

「なんだ。」

「あなたが最初に私に言った言葉、覚えてる?」

「“契約成立だ、王妃殿下”──だろう?」

「ええ。でも今日で、その契約は終わり。

 これからは、共に立つ同盟者として──あなたと歩む。」


 レオンは少し目を細め、うっすら笑った。

 「了解した。ならば、殿下ではなく“エレナ”と呼ぶ。」

「……それでいいわ。」


 夜風が二人の間を抜け、松明の火を揺らす。

 灰狼騎士団が一斉に膝をついた。

 彼らの前に立つレオンが剣を抜き、空へ掲げる。


「我ら灰狼騎士団は、もはや国王に仕えず。

 我らの王は、ここに立つエレナ・ヴァン=ローゼとする!」


 地を揺るがすような歓声が、霧を破って響いた。

 狼の咆哮のような声。

 その音を聞いた瞬間、帳簿の頁が勝手に開いた。


《“灰狼の咆哮”が響くとき、未来は確定する。

 王国の時代が終わり、“新たな秩序”が芽吹く。

 しかし、その秩序の根は──血に染まる。》


 ……血。

 私は胸の奥が冷たくなるのを感じた。

 「未来を変える」ということは、誰かの未来を奪うことでもある。

 それを、私は分かっている。

 でも、もう止まれない。



 三刻後。

 王都アーベルの南門は、夜の闇に包まれていた。

 王都兵たちは“王妃討伐”の名目で集められているが、その多くが疲弊し、恐怖に怯えている。

 民は空腹に、王は傲慢に、国は腐り果てていた。


 私たちの軍が姿を現したとき、兵の一部が膝をついた。

 彼らは私の名を知っている。

 “断罪された王妃”。

 けれど今は──“復讐の象徴”。


「降伏する者は、罪を問わない!」

 レオンの声が響く。

 兵士たちは迷い、次々に武器を下ろしていく。


 やがて門が開き、王都の夜が露わになった。

 火の灯る広場、金の尖塔、鐘楼。

 その中央に、王宮が黒く聳えている。


「行きましょう。」

 私は馬に乗り、王宮を見据えた。

 「この夜で、すべてを終わらせる。」



 王宮前庭。

 私とレオンは並んで立っていた。

 王はまだ出てこない。

 代わりに、群衆の中から一人の声が上がった。


「……王妃殿下!」

 振り向くと、メイラがいた。

 侍女服のまま、涙に濡れた頬。

 「生きて……生きておられたのですね!」

「ええ、メイラ。あなたの信じた通りに。」

 私は笑いかける。

 その瞬間、王宮の扉が開いた。


 金色の衣をまとった王太子セドリックが現れる。

 その顔には、王冠の重みに押し潰された男の影。

 もはや“王”ではない。

 恐怖と後悔に憑かれた亡霊。


「……生きていたか、エレナ。」

「ええ。あなたが滅びる未来を見るために。」

「ふん、戯言を。お前が持つその“魔書”こそ、国を呪う元凶だ!」


 セドリックが叫ぶと同時に、弓兵が矢を放った。

 その瞬間、帳簿の頁が開く。

 私は文字を読み上げた。


《この瞬間、風が吹く。矢は逸れ、灰狼の旗が王の冠を貫く。》


 ──風が吹いた。

 矢が反れ、灰狼の紋章旗が、王の足もとに突き立つ。

 セドリックの顔が蒼白になり、レオンが一歩前に出た。


「王よ。あなたの時代は、終わった。」

「……貴様、外様の将が、我が王に──!」


 王の叫びが終わる前に、鐘楼の鐘が鳴り響いた。

 ──ゴォン。

 ──ゴォン。

 二度。


 それは、帳簿に記された“終焉”の合図だった。


 広場に炎が上がり、灰狼たちの咆哮が轟く。

 私は馬から降り、王の前に立った。


「セドリック。あなたは、もう王ではない。

 あなたが築いた国は、私が引き継ぐ。」


「……貴様に、そんな資格が──」

 彼の言葉が途切れた。

 その瞳に、燃える王都が映る。

 私は静かに帳簿を閉じた。


「資格ではない。これは、選択よ。」


 風が吹き、灰狼の旗が翻る。

 その下で、王は膝をついた。

 未来は、再び書き換えられた。



 夜明け。

 王宮の最上階。

 私は窓辺に立ち、帳簿を開いた。

 最終頁には、ひとつの短い文だけが記されていた。


《未来は白紙となった。

 以後、この記録は、あなたの筆で綴られる。》


 白いページが、朝の光を反射してまぶしい。

 私は羽ペンを取り、ゆっくりと書き始めた。


《王暦四二一年・冬。

 新たな国の名は──アウローラ。

 その始まりに、二人の名が刻まれる。

 エレナ・ヴァン=ローゼ。

 レオン・ヴァルネア。》


 書き終えた瞬間、背後から声がした。

「新しい章の始まりか。」

「ええ。今度こそ、私たちの手で書く未来よ。」


 レオンが微笑み、外の光に目を細める。

 灰狼たちの旗が風に揺れ、朝日がそれを黄金に染めていた。


 私は帳簿を閉じ、彼の手を取った。

 もう、この本がなくても大丈夫。

 私たちは、未来を自分たちで書けるのだから。


(さようなら、“記録”。

 ようこそ、“物語”。)


──完──

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