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第四話 監視と微笑:偽りの護衛契約

 朝霧が王都を包み、鐘楼の屋根に残る夜露が一筋の光を跳ね返した。

 私とレオンはまだそこにいた。

 屋敷を焼く炎の残滓が遠くで煙を上げ、冷えた風が頬を撫でる。


 黒革の帳簿は、膝の上で静かに閉じられている。

 いまや私は、ただの“追放寸前の王妃候補”ではない。

 未来を知り、未来を書き換える者──その重みを、ようやく理解し始めていた。


「王妃殿下。これからどう動く?」

 レオンが問いかけた。

 冷徹な声の奥に、わずかに柔らかい響きがある。

 “殿下”という呼び方も、皮肉めいているが、どこかに敬意が滲んでいた。


「まずは……“平静を装う”わ。私が生きている限り、王は安心しない。

 だけど、すぐに手を出せるほど愚かでもない。今は、罠を仕掛ける番よ。」


「罠?」

「ええ。王は必ず“監視役”を寄こすはず。その人こそ、利用する価値があるわ。」


 レオンの口元が、淡く笑った。

「つまり──“俺”だな。」


「ええ、“あなた”よ。帳簿には、そう書かれていた。」


「本に書かれていなくても、俺はあなたの護衛になっていただろう。」

 不意にそう言って、レオンは立ち上がった。

 月明かりの名残を背に、外套がはためく。

 その言葉の意味を、私はすぐに理解できなかった。

 彼の言葉には、常に戦略と感情が混ざっている。どちらか一方では決してない。



 ──翌日。

 王宮の回廊は、相変わらず清潔で、静謐で、欺瞞に満ちていた。

 白い大理石の床、香油の匂い、衛兵の無言の行進。

 それらすべてが「秩序」を装う仮面だ。

 けれど私は、もうその下に“何が潜むか”を知っている。


「お帰りなさいませ、エレナ様。」

 出迎えたのは侍女メイラ。

 目の下に少し隈があり、昨夜ほとんど眠っていないのがわかった。

 私は微笑み、そっと手を取る。


「ありがとう。あなたのおかげで、命があったわ。」

「お嬢様……本当に、昨夜は何があったのです?」

「ただの火事よ。少し、運命の風向きが変わっただけ。」


 メイラは首を傾げたが、それ以上は聞かなかった。

 ──信じてくれる人が、一人でもいる。

 それだけで、この宮廷に戻る勇気が湧く。



 午後、王の使者が私室を訪れた。

 黒い礼装、銀の胸章。

 王命を告げる声は、淡々としていた。


「エレナ・ヴァン=ローゼ。

 宰相の件に関して、陛下は甚だ遺憾に思われている。

 ついては、今後あなたの行動を“監視下”に置くとのこと。」


「監視下?」

「はい。すでに人選は決定しております。」


 使者が差し出した書簡を受け取る。

 封を開けると、見慣れた筆跡が目に入った。


『王命により、ヴァルネアの将軍レオン・ヴァルネアを臨時護衛として任ずる。

任期は無期限。行動の自由は制限されるものとする。

王太子セドリック』


 ──笑うしかなかった。

 彼は、自ら“敵”を送り込んだのだ。

 まるで、未来の帳簿に従うように。


 使者が去ると、扉の向こうから重い足音が近づいた。

 開かれた扉の向こうに、漆黒の軍装。

 レオン・ヴァルネア。

 冷たい瞳のまま、深く一礼する。


「王命により、あなたの監視を務めることとなった。王妃殿下。」


「“護衛”と呼んでいいのかしら?」

「どちらでも構わない。あなたの指示があれば、俺はそれに従う。」


「……従う、ね。監視とは思えない言い方だわ。」


 レオンは視線を少しだけ逸らした。

 その横顔が、窓の光に淡く照らされる。

 戦場で鍛えられた男の顔。

 だが、その眼差しの奥には、氷よりも深い“誓い”のようなものが宿っていた。


「俺は、任務としてあなたを見張る。

 けれど──目的は、王のためではない。」


「なら、誰のために?」


「あなたが選んだ“未来”のために、だ。」


 その瞬間、胸の奥で何かが震えた。

 冷たくも、確かな光。

 誰かが私を信じ、共に戦おうとしている──それだけで、全ての恐怖が霧散する。



 夜。

 王宮の塔の上、月が満ちようとしていた。

 私は書斎にこもり、黒革の帳簿を広げた。

 インクの匂いがわずかに漂う。

 新しい頁には、未来の記述が浮かんでいた。


《王暦四二一年・夏。

 王太子セドリック、南部の鉱山利権を巡ってヴァルネアと密約を結ぶ。

 だが、裏切られ、王国の鉱山は炎に包まれる。

 ──その炎の中で、レオン・ヴァルネアは“あなたを救う”。》


 私は息を呑んだ。

 ──彼が、死ぬ。

 あの未来の断罪の日、帳簿に記されていた通り。

 この男は、私のために死ぬことになっている。

 けれど、私はもう“記された運命”に従うつもりはない。


 私は羽ペンを取り、余白に書き加えた。


《彼は死なない。

 この手で、未来を奪い返す。》


 ペン先が震え、文字が光に包まれる。

 帳簿が再び脈打ち、新たな頁が開いた。


 そこには──まだ見ぬ言葉。

 未来が、ゆっくりと姿を現し始めていた。

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