雨女は俺の彼女
【※短編・ホラー恋愛】
雨にまつわる、少し怖くて、少し切ない物語です。
ある日突然、現れた“彼女”──
けれど、彼女の姿は誰にも見えていなかった。
※軽いホラー要素を含みます。
少し長いのですが、お読み下さいませ。
「雨女は俺の彼女」
初めて出会ったのも、やっぱり雨の日だった。
肩が…じっとりと濡れている。
あのとき傘を忘れたことを少しだけ後悔していた。
でも、それ以上に──
傘を差してこちらをじっと見ていた…
あの子のことが忘れられなかった。
「俺の彼女は、誰にも見えない…。」
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
傘を差し、無表情で微笑む少女。
名前は──天海雨女
俺は天海雨女を雨と呼んでいる。
みんなは雨の存在に気づかない。
話しかけても、声をかけても、まるでそこには誰もいないような顔をする。
それでも、雨は俺の“彼女”だった。
……はずだった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
俺は、本田悟。
平凡な大学生。特技も趣味も特にない。
運動はまあまあ、勉強もそこそこ。
アルバイトはしている。
パン屋の鬼斬なんて、ふざけた名前のバイト先だ。鬼斬店長は怖い人だが、人望厚い人だと思う。
人生は、だいたい“普通”の範囲以内の普通の人間だった
──あの日までは。
初めて雨と出会ったのは、夏の終わりだった。
その日は朝から降り続いていて、傘を忘れた俺は、帰り道で大雨にやられていた。
びしょ濡れで信号待ちをしていたとき、ふいに遠くから歩いてくる誰かが、そっと傘を差し出してくれた。
「……傘に…入る?」
そう言ったのは、”普通”の女の子だった。
細い手首、無表情な顔、そして真っ白な傘。
”普通”の女の子なのに、
どこか現実離れしている……
妙に印象に残る──そんな子だった。
その日から、俺の世界に“雨”が現れるようになった。
雨は、いつも家にいてくれる。
掃除も、洗濯も、ご飯も──全部やってくれる。
別に頼んだわけじゃない。
でも、気づいたらテーブルには豪華な朝ご飯が並んでいて、アイロンも掛けてくれて、タオルもいつも、ふわふわだ。
「今日は、悟が大好きな卵焼きを朝から焼いてみたよ、どう?」
「あぁ!ありがとう。美味しいよ」
「よかった喜んでもらえて…」
そんな会話があるだけで、
“雨がいる”って実感できた。
ただ、雨は出かけたがらない。
太陽が苦手なのかもしれない。
日焼け…したくないのかな。
買い物も、外食も、映画も……全部、晴れの日は断られる。
理由は聞いたことがないけど…。
なんとなく──外が嫌いなんだなーって。
それ以上聞けなかった。
あの日も、雨が降っていた。
大学の試験が終わり、ホッとしながらも。
雨で全身、ずぶ濡れで風呂に直行した俺は、
体を洗って、湯船に浸かろうとしたそのとき──
「悟、危ない!」
すぐ後ろから聞こえた声に、ぞくりと背筋が凍った。
反射的に風呂場のドアに手を伸ばしたが、
足元で“カチャ”と何かが滑り──
次の瞬間、鈍い痛みが走る。
「……っつ、くそ……足、切った……?」
浴室の床に、血がにじんでいた。
落ちていたのは──使い古したカミソリだった。
もし、バランスを崩して頭を打っていたら……
こんなもんじゃ、済まなかった。
「……なんで、こんなとこにカミソリが……」
「悟…大丈夫?」
振り返ると、湯気の向こうに“傘”が見えた。
「……雨。ありがとう。雨の声のおかげで、大怪我にならなかったよ。はは、雨はずっと俺のこと見てるよな。」
「見てるよ。悟が、死なないように──」
「!!…なんだよ。いきなり…死ぬだなんて…大袈裟だな雨は…」
静かな声だった。
でも、確かに“それ”は、そう言った。
風呂場に雨がいる。
傘を差して、笑っている。
──部屋の中なのに。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
次の日、俺は少し痛みのある足を引きづって、大学に行った。
「よぉ。悟!!久しぶりだな。お前最近……彼女でもできた??」
大学の食堂で、トレイを置いた西宮光が苦笑しながら聞いてきた。
光は高校の頃からの友人で、俺の数少ない“普通の”友達だ。
「おぉ!光!俺さ、ついに彼女出来たんだよ!”今”紹介しようか?」
「おー!良かったな悟!”今度”紹介しろよ、な?
お前を好きな子なんて、どんな物好きだよ……はは、いいな~」
「? 今、紹介できるよ。隣にいるから」
「え……? 悟、冗談言うなよ。
今このテーブル、俺ら二人だけだろ?」
「……光こそ冗談言うなよ。“見えない”なんて言うなって。はは」
横を見ると、雨は黙って俺の隣に座っていた。
真っ白なワンピース、いつもの無表情。
そして、膝に畳んだ傘。
光の視線が、雨を素通りする。
「ん…あぁそっか…じゃあまた今度……紹介してくれ(彼女なんて、やっぱ嘘だな)俺…もう行くな。またな悟…。」
光はそれ以上何も言わず、俺を避けるように席を移った。
「なんだよ光のやつ。ずっと横にいるのにな。
見えなかったのかよ。変なやつだな…」
ずっと黙っていた雨が静かに口を開く。
「……ごめんね。私のせいで」
「大丈夫だよ。謝ることじゃない。俺が選んだ雨が見えないやつなんて、知らねーよ。」
「悟…ありがとう。」
食堂の中で。
“誰もいないイス”に向かって笑って喋る俺は──
周囲の視線を、一身に浴びていた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
その週末、俺たちは海へ行くことになった。
大学の友人たちに誘われた。
もちろん光もいた。
正直、気が進まなかった。
けど、断りきれなかった。
もちろん雨も、一緒に“ついてきて”くれた。
雨はとても嫌がっていた。
──俺が、無理を言ったんだ。
その日も、朝から天気が崩れかけていた。
どんよりした曇り空、じわじわと押し寄せる湿気。
波の音が、やけに近く感じる。
「悟、こっちこっち!ちょっと沖まで行こうぜ!」
浮き輪を持った友人が、笑顔で手を振っていた。
もちろん、光も友人たちと遊んでいた。
そのときだった。
「──行っちゃダメ!」
雨が叫んだ。
顔を上げた瞬間、空が真っ黒に染まり、強い風が吹き荒れた。
「津波!? やべぇ、戻れ!戻れって!!」
悲鳴が上がった。
海の波が、明らかにおかしい。
数分後、急変した天気はまるで何事もなかったかのように収まった。
「……あのまま沖まで行ってたら、やばかったな……」
「雨……お前、すごいな。なんでわかったんだ?」
「……嫌な感じが…したから…」
──無理やり連れて来てるからか…
雨の機嫌は…たぶん悪い。
喋り方もいつもと明らかに違う気がする。
でも……。
俺には、まるで
雨が全て見透かしてるようにも思えた。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
週明け。
大学の帰り道、俺はいつものパン屋「鬼斬」へ向かった。
夕方のアルバイトに入るのは、もう半年以上になる。
店長の鬼斬さんは見た目は強面だけど、情にもろい人だ。
「おう悟、遅れんなよ。今日もよろしく頼むわ」
「はいっす」
店内に立ち込める焼きたてパンの香り。
その横に、なぜだか、おにぎりも売っている。
奥の厨房では、いつもどおり湯気が立っていた。
──雨は、いつも、バイトにはついてこない。
けど、今日はなぜか、外で待ってるらしい。
珍しいこともあるもんだと思った。
「おーい悟、お湯張ってたボウル、そのままにしてなかったか?」
「えっ?」
厨房の奥。
ステンレスの作業台に置かれていた、大きなボウルがひっくり返っていた。
中にあった熱湯が、床に流れている。
「……やべっ、誰か踏んだら──」
ガシャァン!
ちょうどそこに入ってきたパートのおばちゃんが、滑って転んだ。
転んだ拍子に、厨房の包丁やフライパン…
色々な物がおばちゃんに目掛けて降ってきた。
「っっおばちゃん!」
おばちゃんは手首を押さえながらうずくまっている。
おばちゃんの下の床は、熱い熱湯の水溜まりに赤い血がジワジワと広がっていた。
「ちょ、救急車!」
店長が慌てて電話をかける中、
俺は、ふと入り口のガラス越しに目をやった
──そこに、雨がいた。
いつもの白い傘を差し、じっとこちらを見ていた。
その目は、ほんの少しだけ…笑っていたように見えた。
(…まさか…な……)
今日の店は臨時休業になった。
当然、厨房の掃除して身支度を整え、
俺が店長に謝って、帰ろうとすると、
「悟……最近、誰かに嫌がらせされてたりしないか?」
「え?」
「今日の件さ。従業員の誰かの仕業じゃねぇかって気がしてよ。監視カメラを見たらな…
事故の直前だけ角度がズレていやがって……。
ほんの一瞬だけ、悟の近くに“白い女”が映ってたんだよ。……見間違いかもしれねーがな。」
ドクンと、心臓が跳ねた。
帰り道、俺はなんとなく歩くスピードを速めていた。
雨が、いつの間にか隣に並んでいた。
「悟、今日……大丈夫だった?」
「……え?う、うん。俺は平気だったよ…。
でも……おばちゃんが、火傷や切り傷…たぶんあれは骨折もしちゃったんじゃないかな。……」
「……そう。……悟くんが…無事で、よかった」
「え?」
雨の表情は、いつもと変わらない。
だけど──なぜだろう。
確実に“何か”が違っている気がした。
ほんの少しだけ
雨と俺との“温度差”ができていた。
俺の知らないところで、
何かが、少しずつ……“狂い始めている”。
──そんな気がしてならなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
そして次の日…
昨日のことは、今も頭から離れない。
あの事故が、“偶然”だったのかどうか。
──俺は、そう思いながら、雨を置いて、
週末の買い物に行き、寄り道をしていた。
町外れの古い神社の横道。
人気のないその道に、小さな井戸がある。
昔から「近づくな」って言われてた場所だけど、
なぜだか、俺はそこを通ってしまった。
コン、と足元で小石を蹴った瞬間──
「悟ーーー!危ない!」
背後から響いた雨の声に、俺は反射的に身を引いた。
次の瞬間。
グラリ、と井戸の縁が傾き、
コンクリの蓋がバタンと音を立てて崩れ落ちた。
あと数歩踏み出してたら──
俺はそのまま、井戸に真っ逆さまだった。
「……っ、マジかよ……」
心臓がバクバク言っていた。
背中にはじっとり汗がにじんでいた。
「………俺、死ぬとこだった……?」
ふと横を見ると、雨が静かに傘を握って立っていた。
そして、小さく、こう呟いた。
「……悟が…井戸に落ちなくて良かった…。」
俺は雨に返す言葉がみつからなかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
数日後、大学の帰り道、駅の階段を降りたとき。
いきなり後ろから声をかけられた。
「悟くん、すごく久しぶり!」
「わっ!」
びっくりして振り返ると、そこには
高坂霊香が立っていた。
クラスは違うけど、話したことのある程度だ。
毎日、学校に通っているのに
あまり会わないし、すれ違いもしない。
だから本当に久しぶりな気がした。
「あ、ごめんいきなり。ねぇ…最近……悟くんの身の回りで変なこと、なかった?」
「え、変なこと?」
「……夢の中でね、悟くんが水に溺れてるの。
しかも、毎晩。
そして……女の人が悟くんの名前を呼んでる。」
「は?」
「それと……」
霊香は、言いにくそうにしてから、言った。
「悟くんに……たぶん、何か“憑いてる”みたい…」
突然そう言われて、俺は思わず息を呑んだ。
霊香は、まっすぐ俺の目を見つめながら続けた。
「白くて……濡れてる……得体の知れない、誰にも見えない“何か”が、ずっと悟くんの後ろにいる気がして……」
ゾクリ、と背中に氷のような感覚が走った。
言葉が出なかった。
「……ごめんね。こんなこと言われても困るよね。 でも……私の家、代々巫女をしてて……私、そういう“気配”には、ちょっとだけ敏感で…」
霊香は申し訳なさそうに目を伏せた。
そう言い残して、霊香は改札のほうへ去っていった。
その場に取り残された俺は、思わず自分の肩越しに振り返った。
背中で何かが、じっと濡れているような気がした──。
俺はしばらく、その場から動けなかった。
──
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
夜、家に戻ると、リビングのテーブルには、いつものように豪華な夕飯が並んでいた。
「おかえり、悟!!」
雨は、白いワンピース姿のまま、にこりと微笑んだ。 いつもと変わらない、けれど──
(……あれ?)
なんとなく……視線が冷たい気がした。
「今日は……遅かったね。誰と話してたの?」
いつもよりも少しだけ低い声。
その“誰か”が、誰のことを指しているかは、言わなくても分かった。
「あー……うん、ちょっと。高坂霊香って子。偶然会ってさ…ちょっとだけ話しただけだよ。」
雨は微笑みを崩さないまま、
静かにこちらを見つめていた。
「そうなんだ…。」
声のトーンも表情も、変わらない。
けど、空気だけが、確実に“変わった”。
まるで──
海に沈められて、水の底に沈んでいくような、息の詰まる沈黙。
しばらくして、雨はふと立ち上がると
窓の外をじっと見つめた。
「……ねぇ、悟…」
背中越しに、雨がぽつりと呟く。
「あの子に……あんまり、近づかない方がいいよ。 “見える人”って、時々、余計なことするから…」
振り返った雨の顔には、
笑顔は無かった。
その瞳の奥は──氷のように冷たかった。
---
その晩、悟はなかなか寝つけなかった。
(……雨、怒ってたよな)
そのとき──スマホが震えた。 画面には、「高坂霊香」からの通知メッセージ。
【悟くん。また変な夢を見たの。また、悟くんが溺れてて……。声がする女の子は、顔を隠しながら、私を傘で刺してきたわ。何度も…何度も…とても怒ってたし、とても怖かった…。気をつけて…あなたも……いつか…】
悟は画面を見つめたまま、しばらく動けなかった。
心臓の鼓動が、不自然なほど速くなる。
(……やっぱり、霊香の“視えてる”ってのは……。
それとも、霊香に”見えてる”のは、雨じゃないのでは?)
部屋の中は静かで、時計の秒針の音がやけに大きく聞こえる。
ふと、窓の外で雨の気配を感じた。
──ポツ、ポツ。
いつの間にか、降ってきていた。
「……雨」
呼びかけると、すぐ背後から声が返ってきた。
「……どうしたの、悟??」
声は優しかった。いつもと同じ調子で。
けれど、悟はその場から動けなかった。
背中の皮膚が、じっとりと汗ばんでいる。
「……え、えっと、さっき話してた霊香からまたメッセージが来てさ…。夢の話だったんだけど…傘で女の子に刺されたんだってよ。夢とはいえ、怖いよなぁーって思ってさ…。」
一瞬、雨の気配が止まった気がした。
「……ふうん。そうなんだ…」
また、いつもと変わらぬトーン。
けれど、今の一言が、どうしようもなく
“不自然”だった。
「なあ、雨…。お前、本当は──」
振り返ろうとした瞬間。
ぐらり、と世界が傾いた。
「っ……!」
意識が遠のく。
足元が崩れるような感覚。
耳鳴り。冷たい何かが頬を濡らす。
目を開けたとき、悟は見知らぬ空間に立っていた。
湿った土の匂い。ぬるりとした足元。
(……ここ、どこだ……?)
暗くて…遠くで、水が滴る音しかしない。
その音に導かれるように歩き出す。
「……悟…」
闇の中から、雨の声がした。
「ねえ…。悟は…あの子を信じるの?」
声は穏やかで、優しくて──
鋭くて、冷たい…沈んだ海のような闇しかない。
「私、ずっと一緒にいれないの?。
ねえ……悟。一緒にいようよ。永遠に…。」
目の前に現れた“雨”は、白いワンピースの裾から、ぽたぽたと水を滴らせていた。
その足元には……無数の手形が、泥と水で刻まれていた。
悟は、ぞっと背筋が凍るのを感じながら、後ずさった。
「……雨……なのか?いやだ。俺…まだ……」
「──行かせない…よ。」
雨の声が、冷たく響いた。
「だって、もう”雨”はここにいるんだもん」
その瞬間──
頭上から、ざざざざ、と雨が降りはじめた。
土砂降りなんてもんじゃない。雨の音が頭に響いて、悟は前が見えない程、雨は悟を打ち付けて、寒くて凍える体を必死に動かしながら、走りだし、その場から逃げだしていた。
けれど、悟の足元に冷たい何かが絡みついた。
悟の足元に絡みついた“何か”は、ひどく冷たかった。
水のように、しかし指のように、じわりと足首をつかむ感触。
「やめろっ……離せっ!」
必死にもがこうとした瞬間、視界が激しく揺れ──
──何も聞こえなくなった。
「……と……る……悟くん!」
目を開けると、見慣れた自分の部屋の天井が見えた。 横には、心配そうな顔で覗き込む“雨”の姿。
「……悟、起きた? 急に倒れたから、びっくりしちゃったよ。大丈夫?……」
「え……俺、いつ戻った……?」
「なに言ってるの? ここにいたよ。ずっと……」
雨はいつものように、にこりと笑った。
笑っているのに、瞳の奥が濡れていて──
泣いているようにも見えた。
(……夢? あれは夢だったのか?)
時計を見ると、日付はすでに次の日の朝を指していた。
でも── スマホを見ると、画面に未読のメッセージが1件。
霊香からだ…
【 ……悟くん。これが最後だよ。あの子、“本物”だよ。早く、逃げた方がいいよ。あれ?…私…ごめん。もうこれ以上はあなたと関われない……。》
悟はスマホをぎゅっと握りしめた。
窓の外では、大雨が降っていた。
──ピカン…ゴロゴロ。雷だ…
その音に、ふと気づく。
──雨の姿が、窓に映っていない…。
でも…何かが、おかしい。
俺は今、窓を見ているのに…
──俺の姿も、窓に映っていない…。
「……どう、して……?」
手を伸ばしても
──窓は、俺を映してはくれない…。
その瞬間だった。
──ざぁぁっ……
耳元で、水が流れる音がした。
目を閉じると、あの日の光景が──
忘れていた“あの雨の日”が、突如として脳内に溢れ出した。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
──大学に入ってすぐの春。
○○地方では、記録的な豪雨が発令されていた。
外出禁止命令が出ていたにもかかわらず、俺は──
「こういう大雨の日には“何か”が必ず出るって言うんだから、行かずには、いられないな!」
オカルトサークルに入ったばかりで、
俺は浮かれていた。
カッパを着て、傘を片手に外に出ていった。
好奇心が、なによりも勝っていた。
危険よりも、ワクワクが勝っていた。
前も見えず、ただ、導かれる様に歩いた先は
川のそばだった。
ひとりの少女が立っている。
真っ白な服。ずぶ濡れ。
顔もよく見えないがまだ幼いその子は、何かに怯えるようにじっと立ち尽くしていた。
「おい、危ないって……!」
悟は咄嗟に走り寄って、手を引いた。
「こんな雨の日に何やってんだよ!ん…ん…大丈夫だ。もう怖くない。ほら、傘に入って……」
少女は無言のまま、俺の手を握り返してきた。
指先は、氷のように冷たかった。
──そのとき、背後から土砂のような音が響いた。
ぐらり、と地面が崩れる。
足を滑らせた。
バランスを崩した俺は、少女の体を庇うように─。
「っ──あ……!」
その先の記憶は、もう、ない。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
【速報です。本日未明、○○市の○○川で、一名の大学生が死亡、もう一名は幼い少女が軽傷で保護されました。詳細は捜査中…】
《死亡:○○大学 本田悟さん(19)》
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
暗闇から光がすごい勢いで押し寄せてきた。
ハッと我に返ると、天井が見えて、起き上がるとすぐ横に雨が立っていた。
白いワンピース、濡れた髪、そして……
俺の傘を大事そうに持っていた…。
「悟……思い出しちゃったんだね……」
その声は、震えていた。
「君は……あの時の無事だったんだね。。
あれ?…ちがうか…俺…あの日…」
雨の頬を、ぽたりと水滴がつたう。
「私ね、ずっと後悔してた。
悟が私を見つけなければ、死なずにすんだのにって……でも……でも、悟は私に手を伸ばしてくれた。それが……嬉しかったの…だから…」
悟は、言葉を失っていた。
頭では理解しきれないまま、
ただ、心の奥で何かが壊れていく音だけが響いていた。
──俺は……もう、死んでいた……?
「……ずっと悟にお礼がしたくて。だから、
“悟が死んだこと”を思い出させないようにしようと思って…………」
雨の表情が、わずかに歪んだ。
「……。」
悟の心臓は、すでに鼓動していなかった。
でも胸は苦しかった。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
雨がリモコンで、テレビの電源を入れた。
そこにはニュースの再放送が映っていた。
モノクロに近い映像、どこか古びた質感。
けれど、画面下のテロップだけが妙に鮮明で、俺の目に焼きついた。
【⠀──大雨の影響で川が氾濫。
当時18歳の大学生・本田悟さんが土砂崩れに巻き込まれ、意識不明の少女をかばって死亡──
【⠀少女は“天海 雨女ちゃん”
当時5歳。軽傷と放送されていましたが、現在も昏睡状態のまま、意識は戻っておらず、都内の病院にて治療が続いています──⠀】
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「……あまみ……うめ……?」
俺は、思わずテレビに近づいていた。
「君は…雨じゃないのか?」
「天海雨女って言ってたよね?」──
その時だった。
眩い光が目をくらませ、俺が質問したすぐに、
雨が当時の小さな少女の姿になっていた…。
「……だって、私……自分の名前、読めなかったんだもん」
雨は、ぽつりと呟いた。
「ずっと、“あまみ あめおんな”だと思ってた。
そう病院で、言われた気がしたから……。
でも、本当は私──“うめ”だったんだね…」
ぞわりと、背中に寒気が走った。
子どものまま記憶を失い、昏睡状態の魂が、名前もわからず、ずっと漂っていたなんて──
「……君は本当に……あのときの子だったんだね。」
俺の声は震えていた。
後悔とも、悲しみともつかない、
感情が込み上げてくる。
雨──いや、“天海 雨女”は、
ふっと悲しそうに微笑んだ。
「やっと……本当の名前がわかった。
でも、私はもう“雨”でいいよ。悟と会えた、たったひとつの名前だから──」
その言葉に、俺の胸がきしんだ。
(……あの日、俺が助けて、守れなかった命。
俺のために、ここにいてくれたんだ…)
“雨”がそっと差し出した手は、
冷たいはずなのに──
どこよりもあたたかかった。
そのぬくもりが、
どんな真実よりも、確かだった。
──これが、“雨”の正体だった。
そして──
俺が、“死んだ幽霊”だったという真実……
命が終っていたのに気づかないなんて…。
┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈┈
「……悟…私は……」
雨がつぶやいた。
その目には、涙が浮かんでいた。
「行きたくない……」
悟は静かに首を振る。
「行けよ、”うめ”」
「いやだよ。だって… 悟がいない、なんて……」
「違うよ。雨女!」
悟は強く言った。
その声は、少し震えていた。
「お前は、一人なんかじゃない。
うめを待ってるお母さんやお父さんがいる。
生きていれば、必ず未来がある。俺には…もうないけど…。友達も…彼氏だってまたできる。笑える日が必ずくるから」
「……そ、それでも、私は……悟くんと一緒にいたい。っやだよ。悟…。」
雨女が、悟の袖をぎゅっと握る。
それは、あの日に助けられた
あの日と同じ手だ。手を離さずに居てくれた悟…
今は、逆に──悟が…雨女を“手放す”番だった。
「雨…。俺はもう……この世の人間じゃない。それでも、こうしてまたお前に会えた。それどころか、彼女になってくれて、毎日、豪華な料理を食べたり、遊びに行ったり。楽しかったなぁ…。
それだけで、十分だ」
「……ひどいよ……」
うめはぽつりと呟いた。
「私、生きてるかわからなくて、暗い寒い所をずっと歩いてた。私には悟の傘しかなくて。だからいつも傘をさしてた。ずっと歩いてたら雨が降ってきたの…そしたら…突然、目の前に雨に濡れてびしょびしょだった男の人がいた、だから傘に入れてあげたの。そしたら、それが悟だった。奇跡だよ…。絶対に神様が会わせてくれたんだよ…。ぐすん。やだよ。悟…。」
涙をこらえながら、悟は言った。
「だからこそ、生きてほしい…俺の分も。」
悟は微笑んだ。その瞳は、どこまでも優しかった。
「最初に会った時…傘に入れてくれてありがとう。
俺を見つけてくれてありがとう。雨女」
──その言葉を最後に。
悟の手から、光が流れ込むように、
雨女の体が淡く発光し始めた。
「っ……いやだ、戻りたくない……!」
「ありがとう、雨女。
最後まで俺を忘れないでくれて…」
「悟ーーーーーーー!!」
光に包まれ、雨女の姿はゆっくりと消えていった。
悟は、最後までその姿を見つめていた。
どんなに泣いても、叫んでも──
もうその声は、悟には届かない。
やがて、音も光も消えたあと。
静かに、悟は目を閉じた。
──気がつけば…雨は、止んでいた。
雨女は、確かに俺の彼女だった。
それが呪いか再生か…
今となっては、もう誰にも分からない。
ただひとつ、悟の記憶に残った真実の”雨”だった。
ここまでお読み頂き、ありがとうございました!
「雨女」という存在は、昔から“雨を呼ぶ”とか“不吉”だとされることもありますが、実は、水の神様──竜神様に好かれる特別な存在だとも言われてるらしいです。
雨は“災い”ではなく、“恵み”や“再生”の象徴であり、雨女は幸運を引き寄せる存在でもあるのだそうです。
もし、天海雨女が本当に“雨女”だったのだとしたら……
彼女が現れたあの雨の日は、“呪い”ではなく──救いのはじまりだったらいいなぁと思います。笑
ちなみに、Ayuみ(私)はリアル雨女です。
あ、意味は違くて…笑。
いつも出かける時、雨が降る確率が高いって方の雨女です笑。




