第23話 届かない手、届けたい言葉
ヒタ……。
突然、マーガレットは足に何かが触れる。
ブニブニとしていて、ヌメヌメの粘液に覆われている何か。
「ヒッ! な、なに!?」
マーガレットの小さな悲鳴と共に足元を見る。
2人も同じように足元を見る。
そこには……、
赤黒い色の触手が巻き付いていた。
「「「え?」」」
3人が声を上げた瞬間。マーガレットの体は勢いよく引っ張られる。
「い……いやぁあああ!!!」
宙吊りにされながらマーガレットは絶叫する。
「マーガレット!!」
「楓!」
楓は咄嗟にミルルを下ろし、マーガレットに手を伸ばす。
マーガレットもまた楓に手を伸ばそうとするが……。
その手は寸前のところで届かない……。
「くそっ……!」
「だめ! マーガレット!」
ミルルは楓から降りた後、瞬時にフックショットを射出。
マーガレットの伸ばした腕に巻きつける。
「ミ……ミルル……!」
「大丈夫! 捕ま……えぇ!?」
触手のあまりの力に、ミルルは声を上擦らせる。
全力でなんとか離されないように引っ張っているが、ずるずると引きずられていく。
「うぐー! だめぇ! 力が強すぎるー!」
「もう少し耐えろミルル! 俺がなんとかする!」
ミルルが持ち堪えている間に楓は触手を切断するべく走り出していた。
「古竜拳法! 爪竜刃!」
鋭い斬撃が触手を切断しようとする。
しかし、
「き……切れない!」
なんと楓の斬撃が通らない。
触手の弾力があまりに高すぎて斬撃を全て弾いてしまう。
「くそ! だったら何度だって……!」
グォオオオオ!!!
突然の雄叫びと共に触手が大きくうねり、マーガレットを宙吊りにしたまま左右に大きく揺れる。
「え、ちょ、まっ!」
引っ張り合いをしていたミルルは突然の力の方向の変化に体制を大きく崩され、宙に投げ出される。
そのまま触手は体をうねらせながらミルルを地面に叩きつける。
「うがぁ!」
「いやぁ! ミルルー!」
地面に直撃したミルルは血を吐きながら動くことができない。
触手はミルルを振り落とすと再びマーガレットを宙吊りにして運び始める。
マーガレットは逆さまの状態で海上の景色を見る。
そこには天高くそびえ立つ全部で7本の触手。
均等に円を描きながら海上に生える。
「赤黒い触手……、船舶を襲う魔物……、それにこれだけのケートス……! 間違いない! クラーケン!」
クラーケン。
ケートス同様海に生息する魔物。
海に生息する魔物の中では最大級。
世界中の海を回遊し、目に映るものを全てその巨大な触手で捉え海中に引き摺り込む。
「マーガレット!」
楓は桟橋を走り何とかマーガレットを助けようと再び手を伸ばす。
しかし、
「っ! 楓! 避けて!」
側面から先程のケートスが凄まじい勢いで突進してくる。
楓は咄嗟に回避し直撃を避ける。
「何なんだこいつら!」
クラーケンが出現したと同時に再びケートスたちが群がり始めている。
ケートスとクラーケンはお互い共生関係にあり、クラーケンが取り逃した獲物をケートスが食らう。
普段深海にいるケートスが水上に出てくる理由はクラーケンと一緒にいるからである。
ケートスの襲撃でもはやマーガレットに近づくことすらできない。
その間もマーガレットに巻き付いた触手はマーガレットを持ち上げながら水上をうねっている。
「離しなさいよ! この!」
マーガレットは足で触手を蹴り何とか抜け出そうとするがびくともしない。
「くそ! 何とかして逃げだ……あっ」
宙吊りの状態のマーガレットは下を見て思考が止まった。
そこは8本な触手が円を描く中心。
水の中に空いた巨大な穴。
穴の壁には無数の鋭い歯が生え揃っている。
クラーケンの口。
触手はちょうどその真上で動きを止める。ここから先の結末は明らかだった。
「き……きゃああああ!!!」
「マーガレットー!」
マーガレットの足に絡まった触手が離れ、なす術なく口の中に落下。
楓の呼びかけも虚しく、マーガレットは穴の中に姿を消す。
「マーガレット……! くそ!」
楓はまだ諦めていない。
唇を噛み締め海に向かって走り出す。
飛びかかってくるケートスは全て薙ぎ倒しただ一点、クラーケンの巨大な口の中へ……。
「やめて!」
後少しで飛び込もうとしているところにミルルが間一髪で羽交い締めにして止める。
「離せ! 行かせろ!」
「冷静になって! あなたまであそこに飛び込んだらいよいよどうしようもなくなる! 今は一旦ここから離れないと!」
「ふざけるな! マーガレットが喰われたんだぞ! 置いて行けるか!」
「ウチだって助けたい! でも今はどうしようもない! 一旦引いて作戦を練り直すの! マーガレットならきっとそうする!」
ミルルの必死の訴えに楓も冷静になり、暴れるのをやめた。
「……わかったわ。ごめんミルル」
「いいの……。とにかく、一旦離れましょう!」
そう言って2人は桟橋から離れる。
「……マーガレット……」
「きゃああああ!!! ぎゃふっ!」
丸呑みにされた楓、壁に生えた歯が当たることなく底までたどり着く。
顔面から着地し全身を大きく強打したが、底がブニブニとした感触だったため骨が折れることはなかった。
「いったぁ……。ここは……クラーケンの胃の……中よね」
胃の中全体は真っ暗で何も見えないが鼻が曲がりそうな悪臭と、床から何かドロドロとした液体が滲み出ていることはわかる。
触れると若干指先がピリピリするため十中八九胃液だろう。
「とりあえず灯りね……。"光よ"」
手のひらから光源を出す。真っ暗な空間が光で照らされる。
一面赤黒い壁が広がり、壁や床は波打ちながらからは粘液が染み出し。
そして足元には、様々な生物の死体が転がっている。魚や海獣、水生の魔物。人間のものまで……。
骨になっているものや、まだ溶け残っているものもある。
「うぐっ……!」
あまりの光景にマーガレットは口を抑えながら目を逸らす。異臭も相待ってとても直視できない。
ふと壁の方へ視線を移す。
そこには男の死体が座り込んで置かれていた。
まだ状態が新しいのか服も、肉体も溶けている様子はない。
しかしぴくりとも動かないところを見ると死んでいるようだ。
「……何か使えるものがあるかも……。悪いけど、漁らせてもらうわね」
そう言ってマーガレットは死体に手を伸ばそうとすると……。
「……何だぁ? 誰だいったい……?」
突然、死体が顔を上げてこちらに話しかけてきた。
「いやぁああ!! 死体がしゃべったー!」
マーガレットは尻もちをつきながら後退りする。
「失礼な……まだ死んでないよー。あーあ。よく寝た」
男は大きく伸びをしながら欠伸する。
まるで休日の昼間に起きたような光景。
しかしここはクラーケンの腹の中。そんな光景が合うはずがない。
「いやいやいや! あなた誰よ! 何でこんなところで寝てるの!?」
「え? ああ、そういえばここクラーケンの腹の中だったな。
私はエルクって言うんだ。よろしく。
いやー、こいつを討伐しに来たんだけどさ?ケートスはめっちゃいるし、肝心のクラーケンの皮膚はブヨブヨでとても攻撃通らないし。挙句武器落として喰われちまって全く参ったよ。
ははは。で、やることもないんでここで寝てたってわけさ」
「いや……やる事ないって……」
死の瀬戸際に立っているにしては呑気すぎる発言。
とはいえよく見ると全体的にがっしりとした体格をしている。
討伐に来たというのもあながち嘘ではないのだろう。
「まあいいわ。あなたも手伝いなさい。ここから脱出するの! 外で仲間が待ってるんだもの!」
「無理だって諦めろ。クラーケンの皮膚は物理攻撃を無効にする上魔力にも耐性がある。
あんたの勇者様にも念話は届かねえょ」
「ええ。確かに話せない。だから今考え……え?」
今何と言った?
あんたの勇者様?
「……なんで……私が召喚士だって知ってるの……?」
マーガレットは一度も自分が召喚士だと言っていない。まさか……敵の追手?
「……あれ? 当たっちゃった? 正直半々だったんだけどなぁ」
「はぁ?」
「その白いローブ。高等魔術師にのみ持つことができる「淡雪の衣」だ。
いまどきそんな上等な装備をしているってことは十中八九召喚士。
加えて外に仲間がいるってことは……まあそういうことかなと」
その発言にマーガレットは訝しげに見つめる。
(……とぼけてる? いや……もし追手だとしたらクラーケンに食われるなんてアホなことしないか……)
「……いいわ。今はそれどころじゃないし」
マーガレットは床に手を当てながら何か使えそうなものを探す。
「ほらあなたも何か探して。なんでもいいから」
「あー待ってくれ、実は偏頭痛持ちでね。寝起きは特に……いたたた……」
「ほんっと使えないわね!」
もうほっといてマーガレットは1人で探索を続けた。
とはいえ、使えそうなものはない。
生き物の死体と骨、後は彼らの持ってた荷物がちらほらあるが、どれも劣化が進んでいてとても使えない。
「何かないかしら、この状況を逆転できる……え?」
マーガレットはあるものに目が留まった。
光に照らされて一際キラキラと光るものを。
「「紅サンゴ」?」
マーガレットは手に触れ、ローブで粘液を拭き取り確認する。
赤い光沢と、ツルツルとした質感が特徴的な素材、間違いない。
それもひとかけらだけではない。
よく見ると、状態のいい「紅サンゴ」がいくつも散らばっている。
「な……何でこんなにたくさん……」
「ん? ああ。「紅サンゴ」か。
確か高級な素材だったね。
クラーケンは海底にいる節足動物なんかも捕食する。その時は口を地面に近づけ、這うようにしてあたり一帯を吸い上げるとか。
その時地底にある鉱物なんかも一緒に飲み込むらしいよ。
だから時々、クラーケンの胃の中からはレアな鉱物が見つかるとか」
マーガレットもその習性は聞いたことがある。
まさか目的としているものがこんなところで見つかるとは。
とはいえ、この状況では何の意味も……。
「いや、待って」
マーガレットはあたりを弄る。
胃液の中に手を突っ込み必死に探す。
体が汚れることなどもはや関係ない。
「あるはずよ……! 「紅サンゴ」がここにあるなら、あれだってあるはず! ミルルが探してたあれが!」
マーガレットは血眼になって胃液の中に手を突っ込む。
そして……、
「あった……!」
マーガレットは手に取る。
それは「紅サンゴ」に比べれば何の変哲もない普通の岩石に見える。
しかしミルルにとってこれは逆転の一手だった。
「ん? なんだそれ?」
「脱出の糸口よ。後はもう少し量があれば……」
――……ット……。
「え?」
――マー……レッド……!
――マーガレット!……聞こえる……!?
「え? 嘘? 楓!?」
突然、マーガレットの頭の中に声が聞こえる。
これは召喚士ならば誰でも使える必須スキル、念話だ。
しかし、ここはクラーケンの腹の中。
特殊な皮膚で魔力が遮断され念話は使えないはずだ。
「ちょ! 楓! どういうこと!? 何で聞こえるの!?」
――やった! 繋がった……! ミルルがやってくれたの!
時間は少し前に遡る。
クラーケンの攻撃から逃れるため、2人は物陰から様子を窺っていた。
「……ここまでは触手は届かないみたいね……。でもどうしようこれから……」
現状八歩塞がり。
マーガレットを助けようにもやつには攻撃が通用しない。
せめて安否を確認しようにも連絡する手段もない。
(あれを使えばクラーケンは倒せる……。
でもそれをやれば中にいるマーガレットまで巻き込みかねない……)
悔しそうに拳を握る楓。
ミルルもまた頭を掻きむしりながら必死に考える。
「物理的な攻撃もダメ、魔術も魔力耐性があるからダメ……。あーもう! こういう時マーガレットならいい作戦をすぐ思いつくのに……」
「……そうね。でも今は念話も使えないし……」
「念話……。念話!」
ミルルが突然ガバッと立ち上がる。
「そうよ! 念話してとりあえずマーガレットの安否を確認するのよ!」
「……いやでも、魔力耐性のあるあの皮膚のせいで念話は通じない……」
「……できるって言ったら?」
そう言うとミルルはバックパックを開きガサゴソと中身を取り出し始めた。
そして取り出したのは小さな丸い冠。周囲には緑の石の装飾があしらわれている。
「"拈華の冠"。これを被るだけであんたたちみたいに誰でも念話が使える魔道具! ……の、試作品……」
「試作品?」
「魔力のパスを繋げることがどうしてもできないのよ!
だけど、あなたならこれだけで充分。これは現状魔力の補助装置。前エネカたちがうまく念話ができなかった時があったの。
そうならないように強固にする術式も付け加えたの」
ミルルは念話の仕組みに興味を持っていた。その術式を再現してかつより強化しようとしたのだ。
「あなたたちはすでにパスが繋がってる。
後はそのパスをより強固なものにすればクラーケンの中だろうとつながるかも」
「で……でも……私から念話したことないし……」
「何弱気になってんのよ! あんたらしくない! 本来念話は召喚士も勇者もお互い意思疎通できるもの。マーガレットのことを強く思えば必ず繋がる」
そう言ってミルルは無理やり冠をマーガレットに被せる。
「わかった……。やってみる……!」
そう言って楓は目を瞑り意識を集中させる。
彼女に届けたい言葉を心の中で叫ぶ。
(マーガレット……マーガレット……! お願い答えて!)
そして……。
――え? 嘘? 楓?
「やった! 繋がった!」
「よし! うまくいった!」
離れ離れとなった彼女たちの言葉が再び届く。




