第1話 出会い
「サンクティア王国聖都」から南に10キロ。
誰も寄りつかない暗い森。
そこには小さな小屋がある。
石のレンガで作られた小屋でかつて旅人が休息のために使っていたものだ。しかしこの辺りの森に魔物が棲みつくようになり誰も寄り付かなくなった。放棄されていたため今にも壊れそうなほどボロボロな状態。
その中に彼女はいた。
彼女の名はマーガレット・シンフォニー。白いローブを身につけメガネをかけた魔術師。髪の色は少しくらい桃色、三つ編みに結んである。彼女は小屋の中で床に這いつくばりながら何かを必死に描いていた。
「ここをこうして……。えっとこれがこうだから……。」
右手に白いチョーク、左手に魔導書を持ちながら床に齧り付くように描いているものは勇者召喚の儀に必要な魔法陣だ。
勇者召喚の儀。かつて魔王に対抗するため各国が行った儀式。
その方法は国の中枢にいるものしか知らず、国の許可を取らず勇者召喚の儀を行えば死刑を下されるほどの大罪となる。
マーガレットはかつて「サンクティア王国」で国の命令で勇者召喚を行う召喚士の役職についていた。故にその方法を知ることができた。
そして彼女は「サンクティア王国」から勇者召喚の方法を持ち出した。
ある目的を達成するために。
「よし! 完成!」
魔法陣を構成する最後の記号を書き終え、マーガレットは満足そうに立ち上がる。直径2メートルほどの大きな円の中に八芒星が描かれ、その隙間には文字や記号などが無数に描かれた魔法陣。
マーガレットはその魔法陣から少し離れたところに立ち、右手を前に翳す。
「"異界より出で、その強欲を満たさんとする咎人よ……。我が呼びかけに答えその姿を現せ……。"」
彼女の言葉と共に魔法陣が光り出す。
彼女が唱えているのは勇者召喚に必要な詠唱。魔法陣を描き、そこに魔力を流す。そして詠唱を行うことで儀式は完成する。
本来この儀式は複数人の魔術師で行い、膨大な魔力を流し込むことで行う魔術だが、マーガレットは裏技を使うことで単独で儀式を行った。
「"我が名はマーガレット・シンフォニー! 汝の欲を満たすものにして、汝の力を欲するもの!"」
瞬間、目が眩むほどの眩い光と、凄まじい衝撃があたりに響き渡る。
マーガレットはその衝撃に耐えきれず後方に吹き飛ばされる。
仰向けで倒れた体を起こし、衝撃ではずれた眼鏡を探してかけ直す。そして魔法陣の方を見ると……。
「ああ……。やったぁ……!」
先程まで何もいなかったはずの魔法陣には誰かが立っていた。
漆黒に染まった黒髪を一つにまとめ、小袖と袴を身につける江戸時代の武士のような服装。
姿は男性のようだが、小袖の隙間からさらしが見え隠れし、目鼻立ちも凛としている。間違いなく女性だ。
その女性は閉じていた瞳を少しづつ開いていく。その瞳は黄金色に輝き、瞳の中心に大きな黒い瞳孔が見える。
「う……ん? あれ? ここは………。」
「やった! やった! 本当に成功した! 私だけの勇者を召喚した!」
一方は歓喜の声を上げその場で飛び回る。
一方は状況が飲み込めず不思議そうな目で周囲をキョロキョロと見渡している。
これが二人の最初の出会い。今まで誰も辿れつけなかったこの世界の根源の中に飛び込む、その始まりの一幕だ。
マーガレットが小屋で勇者召喚を成功させた同時刻、森の外には武装した男たちが数名、馬に乗って周囲を探索していた。
「っ! ベルリ様! 魔力探知機に反応がありました! どうやら森の中で勇者召喚を行なっているようです!」
そう叫ぶ男のは赤い光を放つ羅針盤のような道具を持っていた。
これは魔力探知機という魔道具。
中心から半径10キロ、魔力を探知した座標の位置が赤く光る仕組みだ。
「よし……。そこに向かうぞ。こんな人気のない場所で儀式を行うものはあいつしかいない……。下手人を捉える。」
そう言ってベルリと呼ばれる短く刈り上げた金髪が特徴的な男が先頭に立ち、暗い森の中を馬に乗って進んでいく。
彼らは「聖騎士団」に所属する聖騎士たち。「サンクティア王国」直属の軍事組織にして、多くの勇者が所属するこの世界最強の軍隊。
勇者召喚の儀を外部に持ち出し、そして先発隊として派遣した聖騎士を殺したマーガレットを捕縛しに来た敵の追手だ。
「あのー。ここは一体どこなんですか?」
女性は不思議そうにマーガレットを見つめながら尋ねる。その言動は物腰穏やかで落ち着いた声色だった。
「あっ! ごめんなさい! 私ついはしゃいじゃって。ちゃんと説明するわね。」
そう言ってマーガレットは駆け寄り、自己紹介とこの世界について一通り説明する。
ここは彼女が生きていた世界とは違うこと。
この世界に勇者として異世界転生したこと。
そしてマーガレットがその転生の手助けを行える魔術師ということ。
「ふーん。なるほど……。まだ正直理解できてませんが……。まっ。そういうこともあるでしょう!」
意外とあっさり認めてしまった。
「き、切り替えが早いですね。本来ならもう少し混乱なされるんですけど……。」
「まあ、人生何が起こるかわかりませんから。じゃあ改めまして私も自己紹介を。私は東雲楓。よろしくお願いします!」
そう言って楓は手のひらを前に差し出し、握手をしようとする。マーガレットも嬉しそうに両手でその手を握り握手を交わす。
「はい! よろしくお願いします!」
「ふふ。さて、私はそんな異世界で、一体何をするために呼ばれたのかしら?」
そう楓が尋ねると、マーガレットはハッとしたように手を離す。
「そ、そうでした! それを話す前にあなたの授かったギフトについて教えてくれない?」
ギフト。
召喚される勇者全員に与えられる力。与えられる内容は人によって様々。身体能力を強化するものや、武器を呼び出すもの、あるいは誰も想像し得ないこの世の理すら曲げるものも。
「ギフト?」
「そう。何か感じない? 今までの自分にはできなかったことができる、みたいな?」
「うーん? そう言われても……。」
楓は自分の体を見渡す。特に変わった形跡はない。
「別に変わったところはないわね。」
「ええ? いや、何かあるはずです! なんかこう、全身に力を入れてみるとか!」
そう言われて楓は大声を出しながら全身に力を入れる。
「はぁあああ!! ……無理みたいですね。」
しかし何も出ない。どれだけ力を入れても何も起こらない。
「お、おかしい。普通もっと簡単にわかるはずなのに……。……これじゃあ……。」
マーガレットが何かを呟いた時、楓が手のひらをマーガレットの前に突き出し話を遮る。
「え? なんで……。」
「しっ。静かに。」
楓の言動にマーガレットが混乱していると……。無数の足音が外から聞こえてくる。
この音は馬の蹄の音。こちらに向かってくる。
マーガレットは理解していた。この足音が誰であるかを。
「気づかれました……。勇者召喚の儀式で漏れ出た魔力を追ってきたんでしょう……。東雲さん。あなたの仕事は……。」
そう言おうとしてマーガレットが楓の方を見るとすでに彼女は外に出ようと扉の前に立っていた。
「ちょ! 東雲さん!?」
「大丈夫。状況はなんとなく察しました。要するにあいつらを何とかすればいいんでしょ? ここは私に任せて。」
そう言って楓はドアを開け外に飛び出して行った。
ギフトもろくに使えないのに大丈夫なのだろうか?
マーガレットは不安そうにその姿を見守るしかなかった。
小屋に向かう騎馬の数は全部で十騎。
すでに小屋の周りを包囲するように陣取っていた。
ベルリと言われている男は他の騎士の前に出て大きな声で叫ぶ。
「マーガレット・シンフォニー! すでに貴様は包囲されてる! 勇者召喚の儀の不正使用、および騎士殺害の容疑で貴様を拘束する!」
その宣言と共に他の騎士たちも馬から降り、弓や剣など、各々の武器を構え臨戦体制に入る。
すると、小屋の扉が開く。
中から出てきたのは明らかにマーガレットではない。見たことない格好をした背の高い女性。
突然得体の知れない人物が出てきて部隊はわずかに困惑する。
小屋の中ではマーガレットが窓から顔を覗かせている。
彼女についてマーガレットはまだ何も知らない。
大丈夫と言っていたが一体どうするのか。マーガレット心配しながらポケットの中にあるものを握りしめる。
(いざとなったら、これを……。)
そう考えていると、楓は大きな声でこう言った。
「はじめまして! 私東雲楓って言います!」
なんと突然自己紹介を始めた。
あまりに唐突なことに騎士たちはお互いの顔を見合わせる。武器を構えた騎士たちを前にして呑気に自己紹介を始める。一体何を考えているのか。
マーガレットも同じく困惑していた。
何か秘策でもあるのかと思ってたのにこの対応。あまりのことにその場に倒れそうになる。
しかし、ベルリは冷静に尋ねる。
「貴様……勇者か。大人しく降伏すれば助けてやろう。何なら我らの騎士団に加えてやってもいい。戦力は一人でも多い方がいいからな。さぁ。マーガレット・シンフォニーを渡せ。」
ベルリは楓に静かに提案する。
それを聞いてマーガレットは冷や汗を滲ませる。もしもここで彼女が寝返ったら、マーガレットに撃つ手はない。しかし、楓はその提案にこう返した。
「申し出はありがたいですが、私はまだこの世界に来て日が浅いんです。なのであなたたちの事情とかよく知らない。だからどちらに着くとかそう簡単には決められません。」
楓は身振り手振りで何とか敵意がないと示そうとする。勇者とは武勇に優れた英雄が持つ称号。
今の彼女はとてもそのようには見えない。男装をした物腰穏やかな普通の女性に見える。
「なので……今日のところは……。」
「死ね。」
突然、楓の肩を何かが貫いた。
肩に目をやるとそこには地面から伸びた巨大な鎖。鎖の先端は鏃になっていて肩に深々と突き刺さっている。
「俺は無駄話が嫌いだ。差し出さないのであればさっさと死ね。」
そう言うとベルリは包囲している部下に攻撃を命じる。
弓を放つ者、魔術を放つ者、様々な攻撃が楓の体に一斉に襲いかかる。
楓は全ての攻撃をまともにくらい、そのうちの一本の矢が頭に命中。楓の体は大きくのけぞり、そのまま地面に倒れる。
「東雲さん!」
マーガレットはあっけなく敵の攻撃を受ける楓を見て小屋の中で叫ぶ。
「あっけないものだ。本当に勇者だったかも怪しいな。さあ。小屋に入り奴を……。」
「な……るほど……ね。」
ベルリたちが小屋に突入しようとした瞬間、声が聞こえた。
それはさっき蜂の巣にされ、頭を撃ち抜かれたはずの楓の方から。
全員が一斉に楓の方に視線を向ける。
彼女は仰向けの状態から起きあがろうとしていた。
なぜ彼女は頭を撃ち抜かれて起き上がれるのか。それは簡単なことだった。彼女は飛んできた矢を歯で止めていた。
楓は驚愕している騎士たちの顔を見ると、ニタァっと笑い、鏃を噛み砕いた。
鋼鉄でできている鏃を顎の力のみで噛み砕く。一体どれほどの咬合力なのか。
噛み砕いた鏃のかけらを口から吐き出しながら、体中に刺さった矢を一本ずつ引き抜いてく。
全て抜き終わると何事もなかったかのように立ち上がり、ストレッチを始めた。
「この世界に来たばかりなんでね。まだ何も知らない状態でやるのもなんか嫌だったから下手に出てたんだけど。あんたらがそう言う態度に出るって言うんなら……。俺は容赦しないぜ?」
この場にいるもの全員、戦慄する。
さっきまで明らかに雰囲気が違う。
言動や立ち居振る舞いもそうだが、何よりその目つき。
さっきとは違い、目を大きく見開き、特徴的だった瞳の瞳孔が縦に細くなっている。
まるで爬虫類のような目つきだった。
「さぁ! 殺し合おう!」
今ここに、東雲楓の異世界転生して初の戦闘が幕を開ける。